草陰でハンカチを歯噛みする
価値あるものにならなくては。
当時のオレは誰に言われるでもなく、だがそこはかとなく感じる空気に齢八歳にしてそんなことを思っていた。
この国の頂で重責を負うでもなく、けれど何かをは期待をされていて。
なのに何にも才を見出せないオレはその時ちょうど弱っていたのだろう。
たまたま姉上が主催していたお茶会に悪友たちと忍び込んだことがあった。
……ほんの出来心でその後こっぴどく叱られたので、ただ一度きりだったが。
悪友たちと何を悪戯するか、芋虫がいいか泥団子がいいかコソコソと物陰で相談していたところに声がかかった。
「何をしていますの? 贈り物の相談ですか?」
軽やかなその声は、その日の澄んだ青空にやけに似合っていた。
振り返ると、ちょこんと立った蜂蜜色とそれに良く合う薄橙色のドレスの子が、その茶色い大きな目に好奇心を映してこちらを見ている。
見つかったのにびっくりして誰も声を出せないでいると、その子は何か思いついたようでオレたちに話しかけた。
「迷っているなら先程わたくしお花畑を見つけましたの! 花束は贈り物のていばんですわ。お母様とよく作りますので色々束ね方も知っていますの。ご案内いたしますわね!」
言うが早いか手を引かれ連れていかれる。
勘違いに正直な策略を言って訂正するわけにもいかず、俺たちはついていくことにした。
そこでの出来事はオレにとってとても良い驚きがあった。
彼女はとても教え方がうまく、また励ましたり認めたりをさらりとしてくれてこんなオレにもできることがあるのだと知ることができた。
「あら、とても素敵……私には思いつかなかった花色の組み合わせですわ。きっとお相手もよろこぶと思います」
人好きのする笑顔を向けられ、頬がカッと熱くなる。
「当たり前だ! オレは毎日たくさんの色を見て生活しているからな!」
「ただ見るのと、感じて見るのとではちがいますわ。きっとあなたはまわりのことが大好きで、だからよくかんさつしているのじゃない? それはとても凄いことだとわたくし思うわ」
オレの方を見るでもなしに手元の花束と格闘しながらその子が言った。
何かがストンとオレの心の中に落ちてくる。
……好きだから力になりたい。
そうだった、まわりに言われたんじゃなくってオレ自身が、父上や母上、兄上や姉上、妹のことを大好きで。
だから余計に何かになりたいのだった……大事な方向を見れてなかった。
目の前がひどく広がった気がして、オレはその子の方を見た。
…………それ、花束なのか?
ぐちゃっとなった花の塊に、思わず声に出していたようでその子が怒る。
「なっ! わかってますわ! しゅぎょうちゅうなんですのっ!!」
膨らんだ頬がピンクに染まって、なんだか食べ頃の桃みたいだ。
思わずかじり付きたくなって……そんな自分にたじろいだ。
「……まぁいいですわ。なんだか瞳もさっきよりキラキラしてますし、からかったのはゆるしてさしあげます。誰だって大事なひとには、たのしくほがらかにすごしてもらいたく思っているもの――だと、わたくし考えているの」
その子は言いながら、ふわっとそれはもう愛おしそうに微笑んだ。
オレが一瞬なんのことを言われたのかわからなくてきょとんとしていると、遠くで誰かを呼ぶ声が聞こえる。
「…………!! ……ィアーラ様! どこですか、お返事を!!」
「いけない、お茶会の途中でしたわ! お花摘みに行きましたのに、わたくしったらもどるとちゅうでより道してしまうなんて……!」
わたわたしながらその子は花束をまとめて持とうとして失敗している。
なんだか宝物がもぎ取られていくような心地がして、思わず声をかけていた。
「それ、置いていけ」
「…え?」
「〜〜〜〜っ、いいからっ! ……置いてっていいから急いだほうがいいんじゃないか? ひっしにさがしてんぞ、あの声」
その間にも焦った声は遠ざかったり近づいたり。
ここにいることはまだ気づいていないらしい。
相手を思ったその子は気持ちを切り替えたようで、いくらか落ち着くとこちらにお辞儀をして去っていった。
残した花束をなんとか使ってもらえたら嬉しい、と言い残して。
それからオレたちは悪友の思いつきも加味して、作った花束に芋虫を添えてプレゼントという悪戯を敢行した。
勿論こんこんと令嬢がどういったものか、紳士とは〜〜とのお説教を受けた。
長いお説教をなんとかやり過ごした後、オレはこっそり持って帰ったくちゃっとした花束を自室の机で栞にした。
余すことなく全部。
何だか胸の辺りに消えない星が生まれた気がして、どこか誇らしくてドキドキして。
そうして日替わりで栞を眺めてはによによしているのを見つけた執事のジャンに青春ですなと言われたり、あの子と結婚したくなってこんやくってやつを申し込もうとしてすでにこんやくしてる事を知ってしまったり。
――因みに知ってすぐ目の前が真っ暗になってバッタンと倒れた。
一週間寝込んで従医の顔を真っ青にしたのは今ではいい思い出だ。
あれから彼女の婚約者は途切れたことがなく、オレはひたすらハンカチを歯噛みしたいのを我慢しながら夜な夜な栞を眺めている。
「……ぼっちゃま、世間ではその行為を“キモい”と言うそうでございますよ」
ジャンのこの突っ込みはもう幾度目か。
城の者がいつ言わなくて良くなるかを賭けの対象にしているのを知っている。
「ふん、今に見ていろ。……オレはいつだって足掻いて、諦めずに来たんだ。思う気持ちは誰にも負けるつもりはない」
春はもうすぐそこだ――――。