58 演習会場と親友
玄関先に向かうと、ケンウィットとお母様が話しているのが見えた。
「ケンウィットいらっしゃい。婚約者のいる身なのにごめんなさいね、今日はよろしくお願いします」
わたくしはそう言うとお辞儀をした。
こういう事は親しき仲にも礼儀あり、きちんとお礼を言わなくては。
今日はケンウィットもくるぶしまであるブリーチズにウエストコートとコートを羽織り、美丈夫に拍車がかかっている。
これは今日目を光らせて、婚約者の元へ無事返さなくっちゃと気合を入れる。
この幼馴染はそういったことに本当に疎く、言葉の裏に気づけないためうっかり返事をしかねないのだ。
「……イルナは今日も、可愛かった。」
「もしかして、あちらで支度して来たの? では次の時にわたくしが本当に感謝していたと、お二人の幸せを願っていますと伝えておいてね。勿論わたくしもお手紙を書くけれど」
「……わかった。」
「じゃあ行きましょうか」
そう言うと、お母様がお見送りをするというので一緒に馬車まで行く事にした。
「それでは、行ってまいります!」
「ええ、気をつけていってらっしゃい」
お母様と軽く抱擁し、馬車に乗り込むと一路会場へと馬を走らせたのだった。
今日の演習の場所は現建設大臣のクララリッサ公爵が用意してくださった。
毎年侯爵家、公爵家あたりが持ち回りで担当しているらしい。
今年は公爵様の番で、娘のマルガレーテ様が入学している時とあって、一昨年に建て替えたばかりだそうだ。
馬車の窓からその建物が見えた時、その佇まいにわたくしは目を見張った。
屋敷の隣に単独で建ててあるそれは、まず規模がすごかった。
うちの館が何個入るかしら。
そんなことを考えているうちに馬車が着く。
ケンウィットにエスコートしてもらいながら外へ出ると、その圧巻さに息を呑んだ。
贅を尽くして施された彫刻。
ドアにまで細やかな装飾がなされていて。
これからこの中で演習があるのだと思うとなんだか少しだけ腰がひけた。
こんな事じゃいけないわ。
デビュタント後は社交が増えるのだから、本当に慣れておかないと。
未来を思うと、少しだけ胸に勇気が灯る。
入場の手続きをして、わたくしたちは目的の場所へと進んだ。
「ガルツァー侯爵家ケンウィット様、エルンスタ公爵家メルティアーラ様、御入場!」
ガヤガヤと人の騒めきがひしめく室内は、すでにご協力くださっている御父兄方で溢れていた。
色彩豊かな衣装を着た人がそこかしこにいて、目に楽しい。
そしてその会場となっている舞踏場は、外観の何倍も装飾が凄かった。
金彩で彩られた天井、そこから吊り下げられたシャンデリア、壁画には緻密に天地創造が描かれている。
「……凄いわ」
思わず感嘆の声を漏らすと後ろから声がした。
「ほんとね〜。公爵様の溺愛っぷりきわまれり、なのかしら」
「メメット!」
「ふふふ、今晩は、麗しの君。御手を取っても?」
メメットは、そう言うなりわたくしの手をとってキスの振りをする、きちんとした挨拶をした。
お互いする立場でもされる立場でもないけれど、これは彼女なりの勇気付けだろう。
「ご挨拶ありがとう私の騎士様。けれど、了承もしていないのに手に触れるのはマナー違反ではなくて?」
そう言いながらふと横を見たが彼女のパートナーは居なかった。
「私と君の仲じゃないか、許しておくれ。……ああ、フレッドならもう方々へ挨拶に行ったわ。私達入場まで一緒にする約束だったの、お目当てがいるんですって」
わたくしの視線に気づくとメメットが先回りして教えてくれる。
「そうなのね。メメットは今日はどうするの?」
「それが……、お父様から子息と20人話してこいって厳命されてしまって。もう嫌になっちゃうわ、あの禿げ親父」
「小父様に、まだあの話していないの?」
「……彼に、はっきりと言葉にされたことはないの。もちろん将来の約束もね」
「メメット……」
「ま、私の話はまた愚痴聞いてもらうわ! 今はメルティの話よ。ちょっとそこの唐変木! ちゃんとメルティのそばにいるのよ」
「……承知した。」
ケンウィットのその返事を聞くや否や、それじゃ私時間がないから行くわね! といって、彼女は風のように去っていった。