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「……そう。それで、来たのね?」
開いたまま固定されてページめくれない布製の本に視線を落としたまま、ロベリアが答えた。
ここはロベリアの書斎。壁一面に配置されている本棚には、背表紙のラベルが印刷されたシールが貼られており、一冊も本物の本は見当たらなかった。
「はい、どうしても、ロベリア様にお話をお伺いしたく……」
どうして気づかないふりをしているのか尋ねたクリステリアは、緊張した面持ちで次の言葉を待つ。
ロベリアが話し始めてからこちらを一度も見ないことが恐ろしい。
昨日までの記憶の中のロベリアはいつも優しかった。どんな時も、仕事でどんな失敗をしても、愛らしい笑みでクリステリアを優しく受け入れてくれた。
だからきっと、今日も、明日からも今まで通り笑みを浮かべて受け入れてくれるはずだ。
「ふふ……誰にも言ってはダメと、言ったじゃない」
ロベリアはゆっくりと顔を上げた。
いつものように愛らしい笑みを浮かべている。いつものように楽しげに弾んだ声をしている。
それでも、ロベリアの美しいグラスアイの輝きは、まっすぐにクリステリアを射抜いてその場から少しも動けなくなるほど、凍てついたものだった。
「クリステリア。これは、世界のルールなの」
凍り付いたクリステリアにロベリアは語り掛ける。
「世界は、そうやって回っているの。私たちは、ずっとずっと、ここでこうやって、穏やかに暮らしていくの。」
「でも、そんなのって――」
「すこしもおかしくないわ。あの子が望んだことだもの」
どうにか口を開いたクリステリアを遮って、ロベリアは緩やかに言葉を紡ぐ。
「だって、私たちは――『あの子』に愛された人形でしょう?」
ロベリアは心底嬉しそうに微笑んだ。そして、ブロンドの巻き毛を揺らしながらクリステリアに近づく。
「『あの子』のために、『あの子』の望むことをするのが、私たちの幸福。私たちの生きる意味。そうでしょう? クリステリア」
クリステリアには、ロベリアの言葉の意味が分からなかった。
分かるはずなのに、分からないような、そんなもどかしい感覚。昨日まではきちんとその言葉の意味を理解していたのだと、直観的に悟った。
昨日までの自分が自分でないのか、今日の自分が自分ではないのか。分からないことだらけの今、すぐに答えは出せそうになかった。
ただ、一つだけ、分かることがあった。
「ロベリア様、クリステリアは、違います。それは、生きる意味にも幸福にもなりえません。なぜなら、感情を慈しみ、意志を持って自らのために動く、人間だから」
クリステリアはロベリアに紅く燃え盛る瞳を向ける。
ロベリアはその視線を受け止め、ただ微笑んでいる。
「ルールだから、という答えは納得がいきません。どうしても、納得できないのです。ロベリア様、どうか、クリステリアがここに安心していられるような答えをください。これからもずっと、今まで通りロベリア様にお仕えしていきたいのです」
ロベリアは長い沈黙の末に、答えた。
「……クリステリア、あなたはもう、壊れてしまったのね。私たちは、これまでも、これからもずっと、『あの子』のための人形よ。これ以上の答えなんてないわ」
ロベリアはクリステリアの赤髪をそっとなでる。
「可哀想なクリステリア。もう『あの子』に愛されることはない、可哀想な人形」
「ロベリア様、壊れてなんていません! 人形でもありません! 昨日まではみんな人間だったはずでしょう、そうでしょうロベリア様!」
「そうね、きっと、そうなのね。可哀想、可哀想ね」
必死で訴えるクリステリアをぎゅっと抱きしめ、ロベリアは髪をなで続ける。
「――あなたは、『おもちゃ箱』行きよ」
耳元でロベリアは囁いた。妖艶な、それでいていたずらっ子のような可愛らしい声だった。
それを最後に、クリステリアの意識は途絶えた。