秘密の女子会
スノゥと十年振りに、再開した日の数日後。アヤメはしっとりと座っていた。
そこは、湧き水が出ており、小さな泉が出来ている。それを中心に、高さ三十メートルはあろうか木々達が取り囲み、直径五メートルの天然のドームを作り出している。
葉々をの隙間からは、いくつもの木漏れ日がさしており、幻想的な空間を作り出している。
【宝石の涙】。そう呼ばれているこの空間は、アヤメのお気に入りの場所であり、住み処だ。
エスペランサの観光スポットにもなり得そうなティアジュエルだが、そのじつ。この空間は、空からでも木々が邪魔で見付けられず、陸路でも、入り組んだ林道を抜けないと見付けられない。
そんな訳もあって、公には発見されていない場所である。
アヤメもこの空間はとある人物に案内され、今日に至る三百年間住んでいる。
ま、それも今から百五十年前、とある好奇心旺盛な少女三人が、森を探検しているうちに、迷ってしまい、偶然にもこの空間を見つけた。
そんな三人をアヤメが怯えながらも、森の出口まで送って行った。その約十年後。
大人となった三人が、命の恩人であるアヤメに会いに、朧気な記憶を頼りに、ティアジュエルに向かい、そしてたどり着いた。
見事アヤメと再開を果たしたのだ。
三人はその後も度々、ティアジュエルに遊びに来るようになり、アヤメの心もその三人には溶けていった。
それから、世代をまたぎ、時折、うっかり秘密を漏らした者や、あとをこっそり付けてきた者などが加わたりしながら、人数が増えて行き、今や三十人を超えるだろうか。
そう、今日はアヤメの楽しみにしている一ヶ月に一度の女子会の日。
「おーい。アヤメちゃーん!」
アヤメがそわそわと、蔓を蠢かしていると、そういうような元気な声が、遠くから聞こえて来た。
「あ、来たわね……。さぁ、スノゥ様に前髪を伐られたから、どれだけ人見知りが発動するかわからないけど、今日はたぶん、一ヶ月に一度の女子会。楽しむわよ……」
日にち感覚に恐ろしくルーズなアヤメだが、この女子会の日だけは、本当に楽しみにしている。
それをくだらないトラウマに邪魔されてなるものか、と小さく意気込んだ。
「アヤメちゃーん!! あーやーめーちゃーん!! あやめ、さん?」
元気に何度も名前を呼ぶ声の主は、ペルシャ猫を思わせる白いフワフワの耳と尻尾を持つ猫人族の女性だ。
「なんで、最後疑問系なの?」
「いやー、だってアヤメちゃんの顔見たことないんだもん」
「それも、そうだったわね」
そう、この女性は五年前に、女子会に参加したばかりのまだまだ新人なのだ。
アヤメが最後にスノゥに前髪を切られたのは十年前。五年前は既に顔を覆うぐらいにまで成長していたので、アヤメの素顔を見るのは今回が初めてなのだ。
そして、初めて素顔を拝む人は、決まって疑問系になる。
その訳は、アヤメの声は、ハープを爪弾くような声で、可愛らしい。そのうえ、言動も少し大人びているが、子供がマセているとしか思えないようで、可愛らしさが増す。
それなのに、顔と身体は妖艶という言葉がよく似合うものだから、ギャップが半端ない。
「それより、今日は、あなた一人?」
捨てられた子猫のように、目を潤ませ、上目遣いのアヤメ。
それに猫人は、頬を赤らめながら「か、可愛い……」と、口の中で呟く。
それは同性からしても、襲いたくなるほどの愛らしさがあった。これが本人は気づいていないのだから、まさに魔性とも言える。
瞬時にその邪念を振り払い、猫人の女性が答える。
「ううん。そんなわけないじゃん。みんなは少し遅れてるだけ。アタシは、アヤメちゃんが泣き出さないように先行で、事情を伝えるために来たんだよ?」
「そ、そう……。だ、誰が泣くのよ誰が……。あなた達が一回ぐらい来なくても、全然寂しくないんだから」
アヤメが精一杯気丈に振る舞っていたが、その顔はにやけている。その事を指摘することなく、猫人は頬を紅く染め、のほほんと見守っている。
アヤメは長い間、前髪を顔を覆い隠して、生活を送っていたため、表情をコントロールするのが苦手になっているのである。本人はその事にもちろん気が付いていない。
「本当に尊いよー。抱き締めたいよー」
と、猫人が口の中で呟き、葛藤していると、遠くから、本日の女子会に参加者達がやって来た。
可愛らしいレジャーシートを担ぐ者、バスケットを持つ者、魔法瓶を抱える者等、彼女らはいつも通り、様々な道具を持ってきていた。
しかし、アヤメが眼に止まったのはそこではなかった。
似た顔の中年女性と、十五歳前後の女子。その二人が付き添うかたちで、歩いてきている一人の老婆の姿に眼が止まったのである。
老婆の姿を見てアヤメは、懐かしい感情で胸がいっぱいになる。刹那、真横の猫人が解説する。
「あのね。アヤメちゃんはもう分かっていると思うけど、あのおばあちゃんは、六年前までこの女子会に参加していたんだって。でも、ここまで来れる体力がなくなったからしばらく来ていなかったんだけど、この女子会を冥土の土産にするんだってさ……」
「ええ、分かってるわ……」
短く返すアヤメ。
そう、分かっていた。というより、今までそういう人が多かった。体力を衰えてきて来れなくなるが、この女子会が楽しすぎて、あの老婆のように数年後に、死ぬ前にもう一度行きたくなり、こうしてやってくるのだ。
それはアヤメにとって誇らしいことであり、喜ばしいことだった。
ここへ来るまでの道のりは、健康な人でもかなりしんどい。
ましてや体力が衰えている老体や、未だ体力がない子どもに取っては、地獄のようなもの。それなのに、そうまでして自分に会いに来てくれるのだ。それが嬉しかったのだ。
「アヤメさん。来ましたよ。これがわたしの最後の参加です。すみません……」
いつの間にか近付いてきていた老婆が眉間にしわをよせ、言う。と、アヤメは気丈な口調で返す。しかし、その表情は例のごとく本心を語っていた。
「ええ。分かってるわ。そんなに気を落とさないで良いから。並人とワタクシとじゃ、寿命が違いすぎる。仕方ないことよ。あなたは気にする必要はないわ……」
凄く残念そうで、別れを惜しむような表情でアヤメ。
老婆はそんなアヤメの表情を見るに耐えなくなり、思わず名をこぼす。
「アヤメさん……」
アヤメはアヤメで内心を見透かされないように、言葉を畳み掛けるように、宣言した。
「さぁ、女子会を始めましょ?」
* * *
女子会は大にぎわいだった。
最初こそは一つのグループだったが、次第にいくつかのグループになり、そこで楽しく会話をしている。
いつもならアヤメの取り合いになるのに、今日は一つのグループが独占している。そのグループというのは、言うまでもなく、老婆のいるグループである。
* * *
「それにしても、本当にここきれいよね~」
「そうですね~。あまりにキレイすぎてステンドグラス風のカモウサまでいますしね~」
「カモウサと言えば、アヤメちゃんが羨ましくない? アヤメちゃんには、あの警戒心が強くて懐かないカモウサが懐いてる。あたしももふりたい!」
「まぁ、仕方ないことじゃない? アルラウネは食事捕らないし、匂いも植物と聞くわ。それにほら見て」
「…………食べられてますね」
「食べられてるわ……」「うん」
* * *
「レミントンさんのとこの旦那さんが羨ましいわー。家事も育児も手伝ってくれるし」
「そうねー。うちのは家事も育児もダメで、子供が産まれて手の掛からなくなるまでこの会お休みしていたし。今日の朝出掛けて来るときの一言なんか、『俺の昼飯は?』よ? まったく少しは気の効く言葉をかけられないのかしら?」
「あら、声を掛けてくれるだけまだ良い方よ。あたしんちなんか、無言よ無言。まったく……」
「「「ねー」」」
「み、みんなが思うより、アムは良くないわよ」
「そうかしら? だって、レミントンさん。結婚して十年も経つけどあだ名呼びじゃない。それが夫婦円満の証拠よ」
「そうよ、そうよ」
* * *
「本当にシャイニーちゃんのご両親残念だったわね…………」
「ええ、そうね。ねぇ、知ってる? シャイニーちゃんのひいひいおばぁちゃんぐらいが、この会の設立者の一人なんだって」
「へぇ、そうなんだ。それで、シャイニーちゃん、いつこの会に呼ぶ?」
「そうねぇ……。あの子はしっかりしているけど、しっかりし過ぎてるわ。きっと、この会より仕事を優先してしまった自分を責めてしまうとおもうの」
「そうねぇ。なら、やっぱり、シャイニーちゃんがもうちょっと、柔らかい頭になってからで良いんじゃない?」
「それもそうね。それより、聞いた? シャイニーちゃんって…………」
* * *
「ちょっ! ワタクシは美味しくないわよ!?」
アヤメは自身の四肢を構成している蔓を、齧っているステンドグラス風の保護色のカモフラウサギに叫び、追い払っていた。
そんな光景を見て、クスクスと笑っている、老婆と、その娘と孫、三世代。それと、空気の読めない猫人一人。の計四人。
「あなた達も追い払うの手伝いなさいよ!?」
「あ、それ、アヤメさんがわたしを楽しますためにやっている余興じゃなかったんですか?」
「わたしもお母さんと同じことおもってました」
「同じく♪」
三世代による息の合ったいじりを受け、アヤメを涙を潤ませ怒声。
「なわけないしゃないの!? 余興で自分が餌にするやつがいたら引くわ!!!」
「かわいいよー、アタシもアヤメちゃんにかぶりつきたいよー」
と、一人だけ、違うことを口の中で呟いている猫人は、にやにやしながら、それを見守っていた。
この四人には頼りにならんと判断した、アヤメはなんとか自分一人でカモフラウサギの群れを追い払うことに成功した。
その刹那、老婆が唐突に口を開いた。
「それにしても、今日は本当に運が良かったですねー」
「な、なにがよ?」
「アヤメさんの顔を見ることが出来てに、決まってるじゃないですか?」
「……」
「ですが、欲を言うならアヤメさんともう一度、目と目を合わせてお話したかったです」
「ッ!?」
そんな老婆の一言により、アヤメは気づかされることとなった。いや、気がついてしまった。自分が今日、一度も誰とも顔を見て話せていないことを……。
前髪に顔が隠されている時には、顔を見て話していた。それを相手も感じていたのだ。
皆には、こういう経験が無いだろうか。背後から視線を感じ振り返ったことが……。
要するに、人間の触覚は視線に鋭い。
「ち、違っ!」
アヤメは咄嗟に否定し、老婆の顔を見た。
そこまでは、良かった。しかし、そこからアヤメの顔は途端に青ざめ、全身は震え始める。
その光景を見た老婆が穏やかに言う。
「無理はしないで良いですよ。アヤメさんは悪くはありません。悪いのはあなたにトラウマを植え付けたイデアルかエルムの人達です」
違う。ワタクシのはトラウマじゃなくて人見知りよ。こんなものがトラウマって言ったりしたら、スノゥのアレはなんだって言うのよ。これぐらいの人見知り、治して見せる。じゃないと、スノゥのトラウマは一生無理だって、言ってるようなもんじゃない……。
アヤメは心の中で強く反論する。
しかし、その反論とは裏腹に、声が出ない。
悔しい。アヤメそれが悔しくて堪らなかった。脆い自分の心を呪った。
そして――
アヤメ、良いかい?
良く聞くんだ。ここでの出来事を忘れるということは無理かも知れない。でも、いつかは他の人と笑い合い、楽しく話しておくれ。
それが、ぼくの夢だからね。
ずるいかも知れないけど、ぼくの夢、キミに託したよ。
――という声が脳内に響いた。
いったいいつ言われたことだっかしら?
………………あ。あれは確か。
アヤメの思考は思い出したくもない、暗く辛い過去に潜る。
そんな泥のような過去でも、光があったのだ。その光を頼りに真っ暗な過去に深く。深く潜っていく。