アルラウネとエルフ
とある、雨の日。
珍しくシャイニーに叩き起こされる前に、起きていたスノゥは――とはいえいつも屋外で寝ているので、嫌でも雨が降れば起きるのだが――、いつものように、食材を取りに、森にいた。
「さてさて、今日は何が取れますかね?」
背には最先端の技術の矢五種。三セット、計十五本が入った矢筒。値段は一セットあたり一万レミ。しかも、使い捨てと来た。
物凄い高価な代物である。
利き手ではない左手には――否、スノゥは両利きであるため、この場合、より器用じゃない手というべきか――最先端の矢とは、対称的に、歴史を感じる弓が握られている。
その弓は、月とスズランのレリーフが彫られているのが印象的である。
材質は頑丈でしなりも効く、そのうえ、燃えにくく、腐りにくい残すということのためだけに特化している【千樹ルーナスレスケンス】の一番太い枝。
先ほども言ったように、千樹ルーナスレスケンスという樹は残すためだけに使われることが多い。そのため、あまり使うことは考えてはいない。何が言いたいかというと、恐ろしく重いのだ。
使用するのは、あまり実用的ではない。ただ一つの武器を除いては……。その武器こそ今、スノゥの手にある弓である。
弓は構えて構えて……。待って待って、獲物が来た瞬間に射つというものがセオリーである。
だが、弓の重さは十キロを優に超える。到底女性が片手で軽々と持てる代物ではない。
スノゥはそれをかれこれ四百年も使っている。もう慣れたものだ。
慣れというものは恐ろしい。とくにスノゥの場合は百年単位の慣れは……。
現に、スノゥは実のところ古書堂の店主を継ぐまで、生活能力も、知力もサバイバル力も、何もかも一般の人達より低かった。それが、今ではエスペランサの人たちからは慕われ、古書堂を営み、毎日狩りをしている。
スノゥが、手に持つ月とスズランが彫られている弓――名は【クレセント】――だってそうだ。始めは重くて狙いを定めて一発射つのが精一杯だった。それが今では、一日十数発射てるように成長したのだ。
本当に慣れというものは恐ろしい。そして、それが百年単位で出来るエルフはなお恐ろしい。
「あ、あれは……」
スノゥが森を歩いていると、見つけたのは四肢と頭髪が、蔓で出来た人がた生物を見つけ、小さく息を呑む。
右手を上げ、ほの人物の名を呼ぶ。
「アヤメさーん お久しぶりですねー!」
その声でスノゥの接近に気がついた、四肢と頭髪が蔓の人形生物は、怯えるように肩を一度ひくつかせる。
その後、振り返りながら何事もなかったかのように、声。
「スノゥ様! 久しぶりね……」
「はい。お久しぶりです。えっと、十年振り。といったところですかね?」
「そんなところじゃない? あまり詳しい年は、年月を気にしないワタクシと、あなたでは分からないでしょうけど……」
若干の皮肉を込め、冗談混じりに肩をすくめた謎の人がた生物。
彼女は、アルラウネのアヤメ。
スレンダーな体型のスノゥとは違い、豊満な身体を持ち――顔は今もうねうねと蠢く蔓に、覆い隠され見えないが――夏に青々と育つ草々のような、深緑色の虹彩を持ち、大人の色気、という言葉が良く似合う顔立ちをしている彼女。
アルラウネという種族は、身体こそ動物のそれに近い。彼女は生きるのに、食事も睡眠も必要としなく、水分と太陽による光合成で、活動エネルギーを得ているためにその実、植物に近い。
故に、アルラウネは人とは認めていない街町が存在する。否、それだけではない。アルラウネの蔓は滋養強壮に良く、古くから薬として重宝されている。そのうえ、その蔓は甘く、料理にも使われることが多い。
という観点からも、アルラウネを人扱いしたくない理由となっている。それと、同じような理由で、根が人形なマンドラゴ。頭髪が茨なドリアード、着いた実が感情を持って動く、バロメッツなどもまた虐げられている。
感情があるから人なのか。食事や睡眠をするから、人間なのか。それは難しい問題だ。
エスペランサではもちろん、彼らあるいは彼女らを人間として見ている。そして、この森はエスペランサ領なので、差別なんて起き得ない。
第一、この森は、【聖者の森】と呼ばれ、悪党達には恐れられているのだ。この森には不届き者を決して赦さない、怪物が住んでいると噂されている。この森でアルラウネ達を誘拐しようとするものならその怪物に喰われてしまう。とまで噂されているのだ。
故に、この森にはアヤメ達アルラウネらの数少ない安らぎの場なのだ。
因みに、アルラウネら植物由来の種族は、平均寿命二千のエルフに続く長命である。中でもアルラウネは平均寿命千六百。
スノゥとアヤメは、三百年来の付き合いで、アヤメは長命なスノゥの今生きている中で、数少ない旧友である。
「最近見掛けなかったから寂しかったんですよ」
「そりゃ、あなたのことを避けて生活していましたからね……」
アヤメは口の中でそう愚痴る。それに、スノゥは獲物を策的する時に鍛えられた地獄耳で、聞き返す。
「はい? なにか言いましたか?」
慌てて頭を振るアヤメ。
「い、いえ、何でもないわ!」
「そ、そうですか? それでアヤメさんは何をしてたのですか?」
「ワタクシはアルラウネだから、森からは出てないわ」
「アヤメさん。エスペランサの人たちは、あなたのことを見てもどうも思いませんよ?」
優しく説くスノゥ。それに、アヤメはやや視線を落とし、恥ずかしながら答える。
「そ、それは心配していないわ。現に、森の中でお茶会をしているもの。ワタクシが心配しているのは、ワタクシと仲良くやって、町の人が、観光客に色物を見る目で見られるんじゃないから。ほら、エスペランサって、行商人とか、貴族とかが来るじゃない? どこぞのエルフのお店のせいで」
「あはは……耳が痛いです」
「別にあなたを攻めている訳ではないわ。エスペランサの町の発展としてはワタクシだって喜ばしいことだもの……。ワタクシはあの町の人が好き。だからこそ、町の人がワタクシのせいで色物で見られるのが耐えられないの。ワタクシはそういう目を向けられるのは慣れているし、仕方ないことだと想うわ。だって、アルラウネだもの。でも、あの町の人があの目に晒されるとなると、ダメ。耐えられない。観光客達を襲いかねない。そうなれば、あの町が、あなたが積み上げてきた物が台無しになる……。って、なに笑ってんのよ」
アヤメはそこでようやく、スノゥが口に手を当て、上品に笑っているのに気がついた。
「すみません。あなたは、そういう人だったなと、思いまして……」
アヤメはふてくされるように、恥ずかしがるように、言葉を濁した。
「うっさい……」
「ですが、アヤメさん。あなたは町に一度訪れるべきです」
「な、なんでよ……?」
「それは、アヤメさんが誤解してるからです」
「誤解?」
こくりと頷くスノゥ。
「ええ、誤解です。あなたはエスペランサの掲げる謳い文句を知っていますか?」
数秒間の思考の後、アヤメは首を振り答える。
「知らないわ……」
次の瞬間、アヤメは、スノゥの口から告げられる、エスペランサの謳い文句に驚愕することとなる。
「差別する者は入るな。差別する者には、鉄拳制裁。他の街町で如何なる身分だろうと知ったことか。ここは自由と平等の町エスペランサ。町に入るならその町のルールに従え……。です」
「な、なによ、それ」
アヤメは思考停止に陥りそうになるも、なんとか、言葉を喉から押し出す。
「はい。実際に、とある貴族らを何人かぎったぎったにしています。それでも、町は発展を続けています。それはなぜでしょう? そう、そんなことをしても、町には自由と平等を求め、この町にやってくる人が多いからです。ですから、エスペランサに訪れる人たちは、アヤメさんも受け入れる心の広いばかりです」
その言葉を聞いたアヤメは、今まで自分のしてきたことはなんだったんだろう。と、急に馬鹿馬鹿しくなって、高らかに笑う。
「…………。そうなの。じゃ、今度、町にいってみようかしら?」
「それが良いと思います。町の人達も大変喜ばれることでしょう」
「そう、だといいわ……」
「ええ、ですから――」
この時、アヤメの背筋には冷たいものが走った。悪寒である。それは直感から来る物ではなく、三百年の付き合いから見出だせる経験によるものである。
従い、この悪寒は、的中することとなった。
「――その前に、延びきった前髪を切り揃えて上げましょう」
「え、遠慮するわ……」
後ずさるアヤメ。それを赦さないと言わんばかりの笑みで、スノゥはどこから取り出したのか分からないハサミも持ち、詰め寄る。
「遠慮なさらずに。アヤメさん。あなたは顔が良いんですから、髪を切ったほうが、絶対に良いですよ?」
「む、無理よ。ワタクシは人見知りなの。前髪が無かったら、人と話せないの」
「慣れれば平気だと思いますよ?」
「無理よ。絶対無理! やめて!」
そんな、心からの叫びを効く良しもなくスノゥは、アヤメの前髪を容赦なく洗髪し始めた。