ダメルフ
「ほぉら、起きてよ~。お姉ちゃん!」
そのような言葉が立派な大樹をくり貫いて作った、文字通りのツリーハウスの裏手から聞こえる。
根と根の間にすっぽりと収まるように、寝ているレモン色の髪のエルフこと、スノゥ。
それをたたき起こそうとしているのは、栗色の髪の可愛らしさが内面から出される少女こと、シャイニー。
齢にして、九つ。
そんな少女に課せられた命は主に二つ。
一つは仕事中、店主にどんなに腹をたてても、言うことを聞くこと。これは先日、店主との商談で取り決めたことである。
そして、もう一つ。
これは彼女が自身で課した命。
これが、成功しないとシャイニーの仕事はない。
仕事を貰うために、なんとしてもなし得なければいけないシャイニーの使命。
それこそが、なかなか起きないスノゥを叩き起こすことである。
「起きてよー。お姉ちゃーん」
更に揺する力を強くするシャイニー。
しかし、スノゥは変わらず、すぅすぅと、気持ち良さそうに、寝息を立てている。
人の気を知らずに、寝ているスノゥにだんだん腹だたしくなってきたシャイニーは、いったん立ち上がる。
「いい加減――」
照準を合わせるように、肘を突き出す。
そのままシャイニーは、軽くジャンプすると、膝を曲げ落下。
「――起きろー!! このダメルフ!!!」
落下の威力を伴った肘撃ちが、スノゥの無防備な腹にグリーンヒット。
これにはスノゥも、
「ケホッ……」
と、軽く嗚咽。
したのだが、それだけだ。
スノゥは、何事もなかったかのように再び、気持ち良さそうな寝息を立てる。
それも、その筈で、スノゥは森で毎日のように、狩りをしているのだ。腹筋こそ割れていないものの、全身には質の良い筋肉で覆われている。
健気な少女の《小さく飛び上がり肘撃ち》ぐらいならさきのように、むせるだけでどうさもないのである。その事をシャイニーはもちろん知っていた。
知っているからこそ、姉のように親愛し、いつかそう成りたいと敬愛し、すがるように溺愛しているスノゥに肘撃ちが出来たのだ。
今の肘撃ちが起きる確率がもっとも高い――と言っても確率は五割を下回る――起こしかただ。
……。……………………スノゥは起きなかった。
「はぁ…………」
一向に起きる気配がないスノゥにシャイニーは、ため息を零すしかなかった。
「起きない……。起きているときは、カッコいい、ザ・エルフみたいな感じだけど、寝ているときは、どうしてこうもダメダメなエルフ。ダメルフなの? こうなったら……」
シャイニーは肩をさせながら、そこまでを言うと、小さな握り拳を作る。
先ほど、さきの肘撃ちがもっとも起きる確率が高い。と言ったが、実は百パーセント起きる方法が、存在する。
その名も《大きく飛び上がり肘撃ち》である。
あれなら、確実に起こすことが出来る。
その日、シャイニーは、なかなか起きないスノゥに、イライラして、いつもより高く飛んでしまった。
雪のように白い無防備な腹に少女の肘がめり込み、スノゥは甲高い悲鳴を上げながら飛び上がった。
と、まぁ、ここまでならシャイニーは、なんの躊躇いなく繰り出せたであろう。
しかし、問題はそのあとだ。事
跳起きたスノゥは嘔吐したのだ。シャイニーの頭の上で……。
それ以来、シャイニーはトラウマとなり、一度も使っていない。
一回使って一度起きた。たまたまかもしれないが、確率としては百パーセント。というのが、この百パーセントのロジックだ。
そして、そのトラウマが、シャイニーの脳裏にフラッシュバックする。
別に、頭にスノゥの胃の内容物がかかったのがトラウマではない。スノゥを吐かせてしまったことがトラウマなのだ。
寝ている時は、どんなにダメダメなエルフでも良い。むしろ、自分だけが知っている一面で、むしろ背徳感を覚える。
だが、一度起きたら、スノゥに完璧でいてほしいのだ。スノゥは起きていたら、シャイニーにとっては、まさに才色兼備の存在。
そんな完璧な存在のスノゥを自分は吐かせてしまった。汚してしまった。そんな自分がシャイニーは赦せない。
そのことがトラウマになって、シャイニーの心奥に根付いているのだ。
シャイニーはそこまでを脳内で巡らし終えると、力なく首を横に振る。
「ううん。やっぱり、ダメ……。あたしには出来ない……」
とはいえ、最後の手段を使えないとなると、シャイニーは手詰まりである。しかし、シャイニーの心に諦めの文字はなかった。
シャイニーは可愛らしい眉を寄せ、足下を通るアリの行軍を見るかのように屈む。
再び揺すり起こそうと、スノゥの肩に手を掛けた。
「ほぉら、お姉ちゃん。いい加減に起き……。ってワッ!」
その時だった。シャイニーの手をスノゥが掴み、引っ張った。
弓と矢をつがえて多い日には十数本射つ、スノゥの腕力に引かれては、華奢なシャイニーは抗うのは不可能である。
スノゥは引っ張ったシャイニーを抱き枕のように、抱擁。
「お姉ちゃん!?」
「んー、シャイニー。一緒に寝よー」
「ダメに決まってるじゃん!? もう、お客さん来ちゃうから!」
「たまには店を休みにしてもバチは当たらないと思うなー」
「たまにはって、三日間連続空けたことないじゃん!?」
「そうだったー? 細かいことはいいじゃーん? 今日は休もうよー。ね?」
「もう、お姉ちゃんは本当に、ダ、メ。ル…………」
端的に言おう。スノゥに抱き枕にされた時点で、シャイニーの負けは確定である。
スノゥは、いつも屋外で寝ているので、その身体からはポカポカとしたお日さまの香り。
ただでさえエルフの肌は、シルクのような触り心地で有名――実際そう――なのに、そのうえ、優しいお日さまの香りがしてくるのだ。そんなモノに木漏れ日が射す木陰で包まれたら、もう、抗いようがない。
挙句の果て、この時のスノゥは、いつもの何とかしてくれそうで猛々しく、回りの人がしゃんとしておかないと、というプレッシャーがまるでない。
むしろ、全てを優しく包み込んでしまい、ふわふわしてて、回りの人を堕落させる、そんな雰囲気を纏っているのだ。
そんなスノゥに優しく抱擁されるように、捕縛されては眠らないはずはない。
現にシャイニーもものの数秒で眠りに落ちてしまった。
シャイニーは、この抱擁攻撃に勝てたことは一度もない。それを知ってか知らずにかスノゥは、よくこの反撃に出る。
* * *
「シャイニー、シャイニー。起きてください。シャイニー」
自分の名前を呼ぶ、聞き慣れた安心感のある声でシャイニーは、覚醒する。
「うぅん……」
可愛らしい唸り声を上げ、起き上がるシャイニー。
この時点でまぶたはまだ上げいない。
まだ、頭が起きていないらしく、シャイニーは、目を擦りながら、
「おはよー。お姉ちゃん。さ、お店開けよっか?」
「いえ――」
シャイニーは、そこで目を開ける。次の瞬間、飛び込んできた光が、青空の光ではないことに絶句することとなる。
目に飛び込んできたのは、青や白の光ではなく、茜色の光だった。そう。
「――もう、夕暮れですよ。私もちょっと寝すぎてしまいました。シャイニー。お腹すいたでしょう? 夕食食べてから帰ったらどうです?」
悪びれることもなく、当たり前のように提案するスノゥは、シャイニーが尊敬する、凛々しく、パーフェクトなスノゥだった。
そのスノゥも、オレンジ色の光に包まれ、より神秘さが増している。そんなスノゥに見とれていると、次第に辺りは藍色に変わろうとしていく。
ふとした表紙にシャイニーは、我に返った。
そして、全身を震わせる。
刹那、絶叫に似た怒声が響き渡る。
「この、ダメルフーーー!!!」