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べストーン王国、辺境クラーブ。
スレイの兄、バルガス・グラマンドは悶々としながら、辺境領主として生活を送っていた。
このクラーブは決して悪い領地ではない。土地は広く、気候が穏やかなので食料も良く取れるため、人口も多い。滅多に災害も起こらないため、トラブルが発生し辛い。辺境にあるため他国との国境に面してはいるが、最近べストーン王国は周辺国と良好な関係を築いているため、兵が侵入してくるなどと言うことは現時点ではない。
国王は、バルガスに厳しい処罰を下したが、最低の土地に送らなかったのは、親心というものだろう。ただ、それはバルガスには伝わっていなかった。
多少いい土地に送られたところで、跡継ぎでなくなるというショックを拭う事など出来るはずもない。国王になるということはこの国を統べるという事である。それに比べれば、クラーブ領主の立ち位置などちっぽけなものだ。辺境に飛ばされたことで、国政に口を出す機会も少なくなった。
飛ばされた当初は、何度も父に赦免を求める文章を送ったり、貸しのある有力貴族に働きかけ、自分を許すよう進言させたりもしたが、国王の気が変わることはなかった。
数か月経過し、バルガスは許しを得るのは無理かと、諦めの気持ちを抱いていた。
そして、クラーブ領に王都からの使者がやってきた。
その使者は国王である父が死んだという事を、バルガスに伝えた。
すぐに葬儀が行われた。当然バルガスもそれに出席した。
今まで見たことの無いような豪勢な葬儀は終了した。バルガスの目に涙はなかった。父が死んだことは悲しかったが、辺境に送られたという思いがあったからか、涙が出るほどの悲しみはこみあげてこなかった。
葬儀のあとすぐ次男ルドーの、王位継承の義が行われた。
国王の間に重臣たちが集合する。部屋の中央に新国王の歩く赤いカーペットが敷かれており、その先には空席となった玉座があった。
国王の間の扉が開き、ルドーが入ってきた瞬間、中にいた家臣たちは一斉に跪いた。
その場にいたバルガスも、一緒に跪く。弟に頭を下げるのは屈辱の極みであるが、仕方のない事であった。
上目遣いで、ルドーの姿を確認した。
青白い顔に、細見の体。国王が羽織るマントや、豪華な衣装を来て、精いっぱい着飾っているが、貧弱な印象は拭えなかった。国王に必要な覇気というべきものが、ルドーには全く備わっていなかった。
国王の器ではない。ルドーの姿を見て再認識した。
今に思えば国王として一番大きな器を持っていたのは、自分でもなければ、ルドーでもなく、三男のスレイだったと、バルガスは思った。心の中のどこかでそう思っていたからこそ、ルドーより先にスレイを追い出したのだと、今更ながら理解した。
儀式は滞りなく終了した。
ルドーが国王になるのを見てイラ立ちが頂点に達していたバルガスは、一秒でも早く王都を出ようとした。
そんな時、ルドーがバルガスに声をかけてきた。
「やあ兄さん。何とか儀式を終わらせられたよ」
含みのあるような笑みを浮かべて声をかけてきたルドーを、バルガスは睨む。相手は今や国王なので不敬な行為だが、冷静に考えられる状態ではなかった。
「怖い顔だなぁ。僕はもう国王なんだけど。忘れてない?」
「何のつもりで来た。私を笑いに来たのか?」
「ははは、そんなつもりじゃないよ。お礼を言いに来たのさ。勝手にヘマをしてくれて、ありがとう」
あざ笑うような表情でルドーは言った。
「兄さんには昔から敵わなくてさ。国王になってみたかったんだけど、無理だろうなぁって諦めてたんだよ。それがこの結果だ。最後の最後でらしくないヘマをして、僕に国王の座が巡ってきた。お礼を言わないと失礼だと思ってね」
ルドーが口を開くたびに、怒りがふつふつと湧いてきた。しかし、ここで殴りつけたら追放されるか、下手をしたら処刑されてしまう。拳を強く握りしめ、何とか我慢をした。
これ以上この場にいたくなかったので、くるりとルドーに背を向け立ち去ろうとした。背中から、「もう帰るの? 辺境生活楽しんでね」と腹の立つ言葉をかけられたが、振り向くことなく一目散に馬車へと歩き、クラーブに戻った。
数日後、クラーブ領主の館に到着。急いで、自室に入った。
「ああああああああ!!!!」
バルガスは叫びながら、部屋にある物を投げつけたり、押し倒したり、蹴り飛ばしたり、殴り飛ばしたり、暴れまわった。ふつふつと溜まっていた怒りは限界に達し、発散しないと気が狂いそうだった。散々暴れまわり、部屋がめちゃめちゃになったところで暴れ疲れ、その場に座り込んだ。
「ちくしょう……」
力なくバルガスはそう呟いた。
コンコンと部屋がノックされる。
「ブラッグです」
執事のブラッグだった。声も出したくない気分だったので、無視をしていると、彼は報告を続けた。
「レーノン王国のルバス領から使者が参られておりますが、お会いになりますか?」
レーノン王国は隣国だ。ルバス領というと、ちょうどクラーブ領と接している領地である。
互いの領地の平和と安定のために、何度かやり取りはしてきた相手だ。今回は国王が変わったという事で、訪ねてきたのだろうと推測した。
今は誰にも会いたくない気分だったが、これが自国領の誰かなら、無視するのは失礼ではあるが可能ではあったが、他国の使者となると無視をするわけにはいかない。
仕方なくバルガスは部屋を出た。ブラッグの話だと応接室に通したという事だったので、バルガスは憂鬱な気分を抱えながら向かった。
使者は若い男だった。いつもきている使者とは違った。使者は、笑顔で握手を求めてきた。
笑いたい気分ではないが何とか表情を変形させて、握手に応じた。
「初めまして、レップ・バードンと申します。領主アラン様の使いで参りました」
「バルガス・グラマンドです。今日は我が屋敷へようこそ」
バルガスはレップに座るように促した。
そのあと、予想通り新王誕生の話をした。バルガスの予想では、この後、新王になってからも平和を維持したいという会話になると思っていたが、話は予想外の方向へと向かっていく。
「ここだけの話……バルガス殿はルドー殿が国王になることを、快く思ってはいないのではないでしょうか?」
「……」
「元々はバルガス殿が継ぐはずだった国王の座だったはず。それを国王が死ぬ直前に覆したなど、納得のいく話ではない。違いますか」
「納得の良くいかないの話ではありません。もう決まったことなのです」
相手の質問の意図が見えないため、本心を語ることはしなかった。
「恐れながら申し上げるのですが……ルドー殿は人望がある方とはとてもではないが思えません。その反面、バルガス殿を支持している者は大勢いらしたとか……今、反旗を翻したら、勝てるのではないでしょうか?」
使者の言葉を聞いて、バルガスは目を見開いた。
確かにバルガスは、慎重に色んな貴族に根回しをしてきた。
自身を有能だと認めていた者たちは大勢いたし、色んな貴族に貸しを作ってもいた。その反面ルドーは人望はなく、貴族たちからは嫌われていた。実力を疑問視する者も少なくない。仮に反旗を翻した場合、味方をする者は少なくはないだろう。
しかし、それでも勝てないと冷静に分析した。それだけ前王の言葉は大きい。
「無理だと思っていますか? しかし、反旗を翻さなければ……あなたは殺されますよ?」
「な、何ゆえだ」
「危険な兄の存在をいつまでも許しておかれるとはとてもじゃないが思えません。何らかの方法であなたは殺されるでしょう。それを可能にする権力が、ルドー殿には備わっている」
あり得ない話ではない。いや、高確率でそうなるとバルガスは思った。少なくとも自分ならそうする。
殺されると考えた瞬間、恐怖が頭を支配した。怒りで考えが鈍っていたが、現在かなり危険な立ち位置にいるという事を初めて理解した。
どうすればいい? 反旗を翻すか? しかし、勝ち目は薄い。バルガスは必死で考えを張り巡らせるが、答えは出ない。死ぬくらいなら逃げるのもあり、そう思ったとき、
「勝ち目が薄いのなら、力をお貸ししてもいい……そう我が国の国王はおっしゃっておりましたよ」
レップが囁いてきた。
それを聞いた時、レップの狙いを悟った。国王になる手助けをし、自分が国王になった暁には、領地かもしくは資源か軍事力か、何かを見返りとして貰おうという魂胆なのだろう。
「興味がおありなら詳しいお話をさせていただきますが、どういたしますか?」
他国に大きな借りを作ることは極めて危険であるが、バルガスにはほかに選ぶ道がなかった。
「詳しい話を聞きたいです」
間を置かずにそう返事をした。
その返事がべストーン王国を壊滅に導くことになると知るのは、これより数か月先の話であった。