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強い屈辱感を抱えながら、シラファは三人の後ろを歩いていた。
戦う事にはなれていたつもりだった。命のやり取りも何度もしてきた。ただ、死んだ経験だけはなかった。致命傷を負わされたときの強烈な痛み。血が徐々に流れ出し、自分の命が失われそうになる感覚。すべてが初体験のものであった。
頭では恐怖を振り払っているつもりだった。器は残っている。まだ死ねる。痛みも、今受けている屈辱感を考えれば、我慢できないほどではない。シラファは何度も自分に言い聞かせたが、どうしても体が言う事を聞いてくれなかった。敵を前にすると、自然に体が震え、身がすくみ上ってしまう。
(私が……他人なんぞを頼らないといけないとは……)
シラファは重度の人嫌いだった。
他人を頼ることを嫌う。それ以前に他人を一切信用していなかった。
彼女が重度な人嫌いになったのは、幼少期に体験したとある出来事が原因であった。
(何でこいつらは私を見捨てないんだ。人間なんてどいつもこいつも自分の事しか考えていないような奴らなのに。今の私なんか見捨てたほうがいいに決まっているだろ)
人を信じていないシラファにとって、スレイたちの行動は解せなかった。足手まといを連れ、危険な場所を進むのは、命に関わることだ。彼女の知っている"人間"は、そんな何のメリットも無いような行動を取る生物ではなかった。
「あのシラファさん。もうすぐ出口見つかりますからね。それまでの辛抱です」
セリアが飛びっきりの笑顔で話しかけてきた。シラファが俯いて考えていたため、不安がっていると勘違いしたようだ。
何の屈託もない笑顔を向けられて、シラファの心は大きく動揺した。長い間、そんな人の表情を見ていなかったからだ。
動揺を隠すため、シラファは再び俯いた。
――もしかして、こいつらは信じていい奴らなのか?
不意にその考えが頭に思い浮かび、即座に否定した。
(あり得ない。どうせこいつらも裏切るに決まっている。私の父と同じように)
――――それは今から十年以上前、シラファが五歳の頃の出来事だ。
シラファはタンペス王国のバランズという村に生まれた。穀物を育てたり、狩りをしたりして暮らしている素朴な村だった。
五歳のシラファは、今とは打って変わってよく笑う子であった。今のように棘のあるような性格ではなく、素直でごく普通の五歳児であった。
普通と違うところは、父親が元冒険者というところであった。昔は冒険者としてアウターにいたが、戦うのが嫌になり故郷に戻った男であった。
「ねーねー、おとうさんー。今日もアウターのはなししてよー」
「またか、しょうがないな」
シラファは父親からアウターでの冒険譚を何度も聞いていた。
心躍る冒険の話を聞き、シラファは自分もアウターに行きたいと思った。しかし、父にそれを言うと、絶対にアウターには行くなと厳しい表情で言われた。確かにアウターには、魅力的な場所もある。ただそれ以上に危険な場所も多い、絶対に行ってはならない。いつも優しい父が、珍しく怒ったので、シラファはアウターに行きたいと思う事はなくなった。
アウターも面白そうな場所であったが、村での生活もシラファは好きだった。村人は良い人が多く、友達もいる。何より大好きな家族がいた。幸せな日々を送っていたため、別の場所に行きたいという思いは、あっさりと消え去った。
そんな幸せな日々に、突如終わりの日が訪れる。
武装した八人の集団が突然、シラファの家に入り込んできた。
「ようルーズリー。久しぶりだな」
シラファは入ってきた者たちの、異様な風体に恐れを抱いた。
男が六名、女が二名。全員が鎧を身に着け、剣や槍などの武器を持ち、武装していた。全員が只者ではない雰囲気を醸し出していた。中でも、父の名を呼んだ男は、別格の威圧感を放っていた。背が2m近くあり、顔中に傷がある。身に着けている鎧は黒く、分厚い大剣を背負っていた。目つきが猛禽類のように鋭く、五歳のシラファは男の顔を恐ろしくて見ることが出来なかった。
「リーダー……」
シラファの父、ルーズリーは、信じられない者を見るような表情で、家に入ってきた者たちを見た。
「な、何でここに?」
「お前を連れ戻しに来たんだよ。俺たち『スコーピオン』にな」
「スコーピオンは解散したはずだろ?」
「最近、4thで俺らの邪魔をしてやがったルドラが死んだ。これはチャンスだ。スコーピオン復活の時が来たんだよ」
「だから俺に復帰しろってのか?」
「理解が早くて助かる。まさか断らないよな?」
横で話を聞いていたシラファには、話のほとんどが理解できなかった。しかし、父親がいなくなるかもしれないと思い、不安な気持ちが沸き上がる。
「俺は……今の生活で満足している。だから、もう冒険者には戻らない」
ルーズリーの返答を聞いた瞬間、『スコーピオン』のメンバーは、声をそろえて笑い始めた。
「ハハハ、お前がこんな田舎暮らしで満足? 冗談だろ」
「冗談じゃない。俺は昔とは変わったんだ」
「ハッハッハ、これ以上笑わせるなよ。人間の本性がそう簡単に変わってたまるか。よし、思い出させてやろう」
"リーダー"とルーズリーに呼ばれた大男は、背中から大剣を引き抜いて、シラファと同じく突然の闖入者に怯えていた母を斬りつけた。
母の首はあっさりと斬られ、頭が宙に舞い上がり、地面に転がった。残された胴体は、首から鮮血を噴き出して力なく倒れた。
その光景を見てシラファは絶句した。何が起こったのか理解すらできなかった。
ルーズリーも同じく、茫然とした表情で、床に転がった母の頭を見つめている。
「思い出したか? こんな風に馬鹿な冒険者どもの首を何度もお前は刎ねただろ? 楽しい毎日だったじゃねーか? 何で今更まともな生活なんて望む」
「……お、俺は」
「こいつも殺すか」
大男はシラファを斬りつけようとした。その時、ルーズリーが必死の形相で叫んだ。
「戻る! スコーピオンに戻るから、シラファだけは助けてくれ!」
それを聞いた大男は剣を止めた。
「そうか。そう言うと思っていたぜ」
ニヤリと笑みを浮かべた。
ルーズリーを連れて、スコーピオンたちが家を出ようとした。今まで恐れで動けなかったシラファだが、父が連れ去られると思い、
「やめてお父さんを連れていかないで!」
叫びながら、ルーズリーの足を掴んだ。
スコーピオンのメンバーは困った表情を浮かべた。メンバーの一人の女がしゃがんで、シラファに笑いかけた。
「君、可愛い子だね。ルーズリー君の娘だとは思えないや。君のお父さんはね。こんな村にいていいような人じゃないんだよ。僕たちスコーピオンってのはさ。アウターで好き放題して生きてきた冒険者集団だったんだ。冒険者を殺して、痛めつけて、奪って、騙して、そんな酷いことをしてきたんだよ」
「……」
「君の父親のルーズリーは中でも一番残酷だったよ。僕でも引くくらいの事をしてたね。アウターは死んでも何回か生き返れるんだけどさ。とにかく色んな痛みを味わわせて、苦痛に苦痛を味わわせて殺したんだ。流石に呆れて、何でそんな事するんだって尋ねたら、楽しいからだって。いかれてるよね? アウターで君のお父さんは、そんな事ばっかりして生活してたんだ。そんないかれたやつがさ、普通の生活なんて楽しめるわけないんだよ。お父さんのためにも、行かせてやった方がいいと思うよ」
その女の話はシラファにとって衝撃的だった。とてもじゃないが信じられるようなものではない。ルーズリーがいつもシラファに話していたのは、楽しげなアウターでの冒険譚だった。残酷に人を殺すような話ではない。
「嘘、嘘をつかないで!!」
「本当だよ」
「嘘だよねお父さん!」
シラファはルーズリーの顔を見た。彼は何も言わなかった。少し悲し気な表情でシラファを見つめていた。
その時、理解した。本当の事なのだと。自分の父親は悪逆非道の限りを尽くした、悪党だったのだと。
父を掴んでいた手をシラファは離した。
「じゃ、行くぞ」
スコーピオンのメンバーは、シラファの家から立ち去った。
残されたのはシラファと母の死体のみ。
シラファはその時、ルーズリーに騙されていたと知り、人間を信用してはならない、どんなに良さそうな人間でも必ず裏がある、そう思い知った。
そして、母を殺したスコーピオンのメンバーを父を含め、全員殺してやると心に誓った。




