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おとぎ話シリーズ

This is a fairy tale. ― いばら姫 ―

作者: 柘榴石

 ある処に、濃い緑の草や樹に百花が咲き乱れる美しい王国がありました。

 その王国は王の補佐官として神通力を持った七人の仙女が住み、人々を祝福し、病気を治し、色々な予言をして暮らしている魔法の王国だったのです。


 ―――――― かつては。


 そう、かつての魔法王国は、今ではその魔法力も消滅し、七人の仙女も姿を消し、普通に人である王が民を治める自然豊かな美しい王国になりました。

 ただ一つ、魔法王国の名残のように、国の中心の深い森の中に魔法の薔薇垣で覆われ、決して人の入り込めない場所がありました。人伝では、そこには蔦薔薇で覆われた城が隠されていて、その城には世界で一番美しい王女様が眠っておられるということです。王女様は誰からも愛されるほど心も容姿も美しかったのですが、そのことで悪い魔女に妬まれ死の呪いをかけられてしまったのです。ですが、それを不憫に思った王に仕える仙女達は力を合わせ、死の呪いを永遠の眠りに変えたのです。王女様を目覚めさせられるのは仙女の認めた運命の王子様だけだそうです。

 そして、王女様を目覚めさせることの出来た王子様は生涯の幸運を約束される、という言い伝えがあったのです。



 が――――



 実際、眠っていたのは美しい王子様だった。



「王子じゃなくて王女が起こしに来るとこういうことが起こるのかしら?」


 元魔法王国グリムワールの第一王女レイスローズは、寝台の上で眠る中性的な美青年を前にして呟いた。

 国の言い伝えの森の中には、確かに侵入者を阻むように薔薇が生い茂る場所があった。それは不思議な薔薇で、伐って進もうとしてもすぐに枝が伸び道を塞いでしまう。まさに魔法の薔薇だ。

 そうした古の魔法がかけられているのは分かったが、レイスローズにはそれで引くわけにはいかない理由があった。なんとしても眠っている王女様を探し出さなければならない。その話が嘘でもとにかく中を確認するまでは帰れない。幸運を手にする希望が少しでもあるのなら、確かめてみなければ諦められなかった。

 その思いだけで、ぐるぐると薔薇に覆われた場所を観察して回り、ようやく先に進めそうな隙間があるのを見つけた。大丈夫なのかと懸念もするが、先に進まなければどうにもならない。とにかくそこに入ってみた。

 レイスローズが入った途端に、その隙間すらもまた薔薇に覆われて、護衛の騎士と分断されてしまった。一人にされ怯えなかったわけではないが、それでもレイスローズは自分を奮い立たせた。安否を問う声を上げる騎士達に「大丈夫だから待っていて」と返事をして、奥へと足を進めた。

 結果、割合簡単に隠された城を見つけることが出来たのだ。

 目の前に現れたその城は、自分の住む城と比べれば小さいが、造りはとても立派だった。この薔薇の隔壁のことが伝えられているのは百年以上昔から。本当に百年も誰にも見つからずにここにあったのだろうかと思うほどに綺麗だった。

 けれど、その城には人の気配も動物の気配も不気味なほどに無い。森の中なのに鳥の囀りすら聞こえない。あるのは静寂だけで、美しい城だというのに感じるのは恐怖に近かった。

 それでもレイスローズは拳をぐっと握ると足を進め、城に入る。城の内部構造は自分の住む城と似ていた。王女様が眠っているとしたら奥の一番いい部屋かとあたりを付けて、一応警戒しながら歩くが、どこまで行っても自分の足音しかしない。それがかえって怖いが、とにかく進む。そして、何となくここかと思って開いた扉の中。


 寝台の上には、こうして綺麗な王子様(だと思う)が眠っているのだった。


「綺麗なホワイトブロンド……いえ、白髪なのかしら……」


 眠っている人物は、とても綺麗なホワイトブロンドに抜けるような白い肌。瞳を閉じているのではっきりとはしないが、女性のような柔らかな顔立ちをしている。けれども、服は男性の物であり、身体つきも女性とは違うので男性だろう。歳は十六の自分とそう変わらないように見える。

 でも、百年眠っていると言うのだから自分の祖父以上に高齢なはず。だが。


「どうでもいいことね……男性には用がないわ」


 そう、どうでもいいのだ。王子の妻になれる、幸運を与えてくれる王女様でなければ意味がない。魔法で眠っているのなら時期が来れば目覚めるのだろうし、放っておいてもいいだろう。期待外れだったとレイスローズは溜息を吐いた。


「随分と勝手を言ってくれるね」

「きゃあ!?」


 部屋を出ようと背を向ければ、涼やかな声がかかって身体が飛び上がった。恐る恐る振り向けばついさっきまで静かに眠り込んでいたその青年が、寝台の上で半身を起こしていた。


「あら……? 起きたの?」

「起こしに来られれば起きるさ。君、名前は?」


 おいでと手招きされたが、なにしろ得体の知れない相手、レイスローズはその場から動かずに答えた。


「レイスローズ」

「ふうん。“いばら”か。永い時を眠っていた僕に手を貸して、心優しい王女のレイスローズ」


 彼は柔らかくにこりと微笑む。それはとても魅力的な表情だった。

 その要求になぜか抗えず、レイスローズは警戒しつつも傍により手を差し出した。重ねられた彼の白い手からは人並みの体温を感じられ、そのことにほっとした。


「……どうして私が王女だと分かるの?」

「右手の薬指の指輪。国との婚姻、王族の証拠」


 確かに、この国の王の直系者は右手の薬指にその証拠として王家の紋章入りの指輪を填める。彼が手を重ねているのはレイスローズの右手、それを見たということか。だが……。


「……手を貸す前に王女と言ったわ」

「雰囲気と血でなんとなく分かる」


 いまいち良く分からない返事。釈然としない顔をするレイスローズに、青年はまた綺麗な笑顔を作る。


「僕はガブリエル」


 重ねていた手をすくい上げ、ガブリエルという彼はレイズローズの手に優雅に口付けを落とす。態度も所作も教養ある貴族青年そのものだ。


「……言い伝えでは、あなたは百年以上眠っていたことになるけれど、本当に?」

「今がシャムス暦で1812年なら」

「1832年よ」

「では百二十年だね」

「百年以上も寝ていられるものなの?」

「可能だよ。君も王族なら、この場に漂う魔力の片鱗くらい感じることができるだろう?」


 できる。

 この国はかつて魔法王国だった。王族は魔法力こそないが、魔力を感じ取り、また抑制できる力を持っている。それがゆえに、強力な力を持つ仙女と呼ばれる魔女七人を腹心の部下として配下に置いていた。

 すでに仙女がいなくなり、魔法力の廃れた今では、その抑制力があるのかすら確かではないが、魔力を感じ取る事はできる。なぜなら国の至る所に魔法の痕跡があり、それを感じ取る事のできない者には分からない秘密の入口や部屋、そして罠などを見破ることが出来るからだ。

 そして、今、レイスローズが感じていること。この場に漂う魔力、そしてその源は目の前のガブリエルという青年だということだ。

 白い肌にプラチナの髪。涼やかな風のような印象を受ける美青年。けれども、彼の瞳からは何か異質な輝きを感じる。


「綺麗な紅い瞳ね」


 異質とは思うが、彼の瞳はとても澄んだ紅い色をしている。澱みなどまるでなく、どこまでも透き通り、なのに底はまるで見えないような深い紅。宝石でもこれほどの色は見たことがない。

 言われた彼のほうは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにまたふっと微笑んだ。


「これを綺麗というとは、変わっているね」

「どうして? 本当に綺麗よ?」

「僕は君の新緑のような瞳が綺麗だと思うよ。僕と対極の色だ」


 レイスローズの緑の瞳も確かに希少な色だけれど、他に無いわけではない。だが、この紅色は、きっと他には無い色だ。


「……目を逸らさないんだね。赤い瞳はね、魔法使いの証だよ」

「そうなの?」

「ああ、僕は魔法使いだ」


『パチンと指を鳴らすと、止まっていた時計が動き出すように、眠っていたお城の人たちが目を覚まし、動物達も声を上げはじめました。

 お城を覆っていたイバラはあっという間に消え、お城を守るようにあった深い森も、広い庭へと変わっていったのです』


 そんな物語の一幕が目の前で起こる。

 まさに彼が指を鳴らすと、閉じていた窓がひとりでに開き、外の爽やかな風が部屋に入る。同時に、鳥の鳴き声も葉擦れの音も聞こえだした。


「ガブリエル様」


 背後の扉が開き、聞こえた声に、レイスローズはびくりと肩を跳ねさせた。そこには壮年の男性が礼儀正しく頭を垂れて控えていた。


「ああ、ヨハン。付き合わせて悪いね。言っていた通り百年後、いや、正確には百二十年後の世界だ。彼女はレイスローズ王女。お茶の用意をしてくれ」


 ヨハンと呼ばれたその男性は、何かを追求することはなく「かしこまりました」と部屋を出て行った。


「彼はね、僕の侍従のヨハン。起きた時に世話係がいないと困るから、彼を含めた従者四名も同意の元で一緒に眠っていてもらったんだ。コックが一人に、護衛の騎士が二人。あとでゆっくり紹介しよう」


 こっちへと、レイスローズはガブリエルにエスコートされ、窓辺に置かれたテーブル席へと座らされた。

 開かれた窓から爽やかな風が入り、彼のホワイトブロンドを揺らす。窓の外を見やる彼の表情になぜか目が惹きつけられて、レイスローズは視線を下ろして瞳を閉じた。


「……長居する気はないの。もう帰るわ」

「どうやって?」


 ガブリエルはレイスローズに向き直りにこりと微笑んで、またパチンと指を鳴らす。するとひとりでに扉の鍵がカチャリと掛かった。


「……」


 どうやら簡単に帰してくれる気はなさそうだ。

 レイスローズは、閉じられた扉からガブリエルへと視線を戻した。


「……もし、貴方が私を盾にして王位や王配の地位を望んでいるのだとしたら、残念だけど無理よ。私に王位継承権はないわ」

「そう。この国の王位継承権は未だに男子のみなのか」

「そうよ。私には弟がいるの」

「そう。なら何の問題もないね。君はこのまま此処に住めばいい」

「どうしてそうなるのよ!!」

「ここは僕専用の城だから小さいけれど、夫婦で住むには十分だろう? まあ、箱入りなのだろう王女様のために使用人は増やしてあげるから」

「そうじゃなくて! どうして結婚する話になっているの!? 結婚するなんて言ってないわ!」

「なんで?」

「なんでって、そう訊くほうが不思議よ!」

「だって君は僕を目覚めさせたのだから責任を取らないと。物語ってそういうものだろ?」


 どうやらレイスローズが王女であるからここに監禁し何かを要求しようとした、というわけではなさそうだ。

 けれども、本当になんの前触れもなく、当たり前のように結婚することが決めつけられている。おとぎ話では、出会った王子様とお姫様は何の疑問もなく結婚するけれど、現実がそう簡単にいくものではない。なのに彼はそれをあまりにも当然のことのように言うので、こちらが不思議に思うことのほうが可笑しいのかと思ってしまいそうになる。


「私は用があってここに来ただけよ! 用が済めばここに居る必要はないわ!」

「じゃあ、用って?」


 興味などないくせに、と言いたくなるほどの態度で彼は訊いた。


「弟の花嫁を探しにきたのよ」


 だから男には用はなかったのだ。


「姉王女が弟王子の花嫁探し? ははっ。今代の王子様は随分とご立派だね」

「そうしなければならない理由があるのよ!!」


 魔法使いは軽蔑を隠そうともせずに笑う。レイスローズは反論した。


「ふうん。そう。まあ、どうでもいいし、どうしようもないね。眠っていたのは僕だし、お姫様は諦めて」

「どうでもよくないわ! 眠っているのは王女様のはずなのに、どうして男の、しかも魔法使いが眠っていたの!?」

「悪い魔法使いだから眠らされていたんだよ」

「誰に?」

「良い仙女達に」

「どうして!?」

「今説明したよ」

「だからどうして!? 言い伝えでは眠っているのは王女様! 彼女を目覚めさせ娶った者は生涯の幸せを約束されるって!」


 だから確かに王女様が眠っているのが分かれば、背負ってでも弟をここに連れてこようと思っていたのに。

 レイスローズがガブリエルを睨みつけて言ったとき、扉がノックされた。閉められた鍵と扉がまたひとりでに開き、ワゴンカートを押したヨハンが入ってきた。ヨハンは「失礼いたします」と言うと、テーブルの上にお茶の支度を整え、何を言うでもなくまた静かに部屋を出て行った。

 淹れたての紅茶の湯気と芳香、美味しそうなショートブレッド、テーブルの中央には薔薇を生けた小さなクリスタル花瓶が置かれた。

 それらは、レイスローズの逸る心を少しだけ落ち着けてくれた。


「ヨハンは優秀だろう? 君のために薔薇の花まで用意してくれた」


 ガブリエルはそう言って、薔薇の蕾に指で触れる。するとその薔薇は瞬く間に花開かせた。


「……ごめんなさい。捲し立てて。でも知りたいの」

「うん。じゃあ、落ち着いて話をしようか。僕も少し今の状況が知りたい」


 お茶も食べ物も口にしても大丈夫なよう魔法を施しておいたからと、ガブリエルはそれらをレイスローズに進めた。


「それにしても、さっきの話、そうやってねじまがったのか」


 彼のほうが先に紅茶に口をつけ、話を進めだした。レイスローズもお茶を飲む。それはとても美味しいものだった。


「ねじまがったって……真実は……?」

「御覧の通り、眠っていたのは悪い魔法使いである男。ここに辿り着き、魔法使いを目覚めさせられるのは、その妻となり彼を良い魔法使いとして更正できる女性だけ」

「……男が来たら?」

「来れないよ。そういう魔法がかけられている。現に君の護衛はいまだここに辿り着けていないだろう」


 レイスローズの護衛の者は少数だが、忠誠心も厚く真面目で、レイスローズ自身も彼らを信頼している。彼らはきっと今もどこからかレイスローズを追えないかと道を探していることだろう。そんな彼らが未だに辿り着けないということは侵入不可能な魔法結界はそのままなのだろう。


「女性も君しか来られないけどね」


 魔法使いは笑って言う。

 百年以上の間、何人も寄せ付けなかった魔法の城。レイスローズが辿り着けたのは、偶々でも百年の期限でもなく。


「……魔法使い……の花嫁だから? ……私が……?」

「そう」


 つぶやくように疑問を口にすれば、あっさりと肯定された。


「嫌だと言ったら?」


 別に彼自身に嫌悪感を抱く訳ではない。けれども、簡単に納得できる話でもない。


「僕の機嫌を損ねない方がいい」

「損ねたらどうなるの?」

「どうとでも。国を滅ぼすことも出来る」


 魔法使いはそう言って、掌の上に力を凝縮させ球体を作って見せた。球体の中には閃光が渦を巻いている。まるで大きな嵐を凝縮したような禍々しさ。それが弾けてしまえばと想像すると、背筋が凍る思いがした。


「だめ……やめて……」


 声にも表情にも恐怖が表れていたと思う。王族に魔法を制御する力があるといっても、その力の使い方も今では分からない。それに、これほどの大きな力、制御できないとすぐに分かる。

 ガブリエルはそんなレイスローズにふっと微笑んで、その球体を消した。

 見せつけられた恐ろしいほどの力に動悸がする。なのに目の前の魔法使いは、何事もなかったかのように静かにお茶を飲んでいる。

 彼は本当に出来るのだ。簡単にこの世界を滅亡させることが。


「魔法使い……」


 意を決めて、レイスローズはガブリエルに問いかける。


「あなたが出来るのは破壊だけなの?」

「さあ? 何が出来るかな」


 はぐらかすつもりなのか、それとも実は本人もよく分かっていないのか。魔法使いは飄々としている。


「弟が病気なの。……治せる?」


 王位継承者であるレイスローズの弟王子は重い病に侵されている。すでに医者の手には負えず、命の灯が消えてしまうのを待つしかない状態。

 父である現在の王に男児はその弟だけ。弟が亡くなれば、王位継承権は叔父である王弟に移ってしまう。

 王弟は自分の快楽を最優先させるような暗愚な男。汚職や腐敗ですぐに国はその機能を失うだろう。王になどさせられない。

 現王もそれを分かっていて、継承法を改訂しようとしているが、王弟一派の抵抗もありとても間に合いそうにない。

 レイスローズも王女としてそれだけは阻止したい。

 この豊かな国を壊していいわけがない。

 レイスローズの弟は病弱ではあるが、優しく先見の明もあり、丈夫でさえあれば優れた王になれる人物だ。

 だから、藁にも縋る思いで幸せを授けてくれる姫を探しにここに来た。

 だが、眠っていたのは悪い魔法使いで。

 でももう、どちらでもいい。


「弟を治してくれたら私をあげるわ」


 レイスローズは魔法使いを真っ直ぐに見て言った。

 所詮、王女など国の駒。国の為にいずれかに嫁がされる運命なのだ。

 この魔法使いが善王となれる弟に未来を与えることができるならば、この魔法使いにこの身を差し出すのが間違いであるはずがない。

 レイスローズには王女としてこの選択を選ぶ。


「いいだろう」


 魔法使いはふっと微笑んで答えた。


「寝起きでゆっくりしたかったのだけれど、花嫁はそうはさせてくれないらしいな。行こう」


 魔法使いが立ち上がり差し出す手に、レイスローズは自分の手を重ねた。

 次の瞬間に自分が居たのは、王城の弟の部屋だった。レイスローズ自身も驚いたが、それ以上に部屋にいた侍女や医師がこちらを見て驚きの表情で絶句している。当たり前だ。なんの前触れもなく王女と、そして見知らぬ男が部屋の中に立っているのだ。特に、王女の手を取る見知らぬ男を目にして、今にも叫び声を上げそうな人々に、レイスローズはばっと手を広げた。


「騒がないで! 大丈夫。この人は悪い……」


 人ではない、という言葉は続かない。なにせ悪い魔法使いなのだ。

 言葉に詰まるレイスローズを見て、ガブリエルはまたくすくすと笑った。そんな彼を一睨みして、レイスローズはまた人々に向き合う。


「悪いことはしないはずよ!!」

「ははっ。説得力のない説明」

「だって! あなたが!!」


 揶揄うように言う魔法使いに、レイスローズはついその挑発に乗りそうになる。


「姫様、この方は……?」


 それを遮ってくれたのは、侍女頭だった。


「えっと、だから、弟の病気を治せる人よ。大丈夫だから心配しないで」

「分かりました。姫君にお任せいたします」


 侍女頭はそれだけですぐに同意してくれた。そして他の者にもそうするよう視線で促す。


「レイスローズ王女は、しっかり臣下の信頼を得ているようだ」


 魔法使いの皮肉な言い方に、ずいっと侍女頭が前に出る。


「どなたか存じませんが、姫様を侮辱するような真似はお止めください」

「申し訳ない。誉め言葉だよ」


 そう言って、彼がにっこりと微笑めば、それだけで彼を遠巻きに見ている年若い侍女達は頬を染めた。それほどに彼の容姿は魅惑的だ。ただ、間近で魔法使いを見上げた侍女頭だけは、一瞬身を強張らせた。それでも、彼女はその場から動かずに視線だけをレイスローズに向ける。レイスローズが再度大丈夫だというように頷いたのを見て、侍女頭も身を引いた。魔法使いは寝台に近付き、伏せる王子の顔を覗き込んだ。


「なるほど。余命幾許もないというわけか」

「治せるの!?」


 レイスローズも傍により、急き立てるように訊いた。


「勿論」

「じゃあ……!」

「約束、違えないように」

「……分かっているわ!」


 レイスローズの決意に、魔法使いは笑みを返し、弟王子の胸に手を置く。ゆらりと、魔法使いの身体から陽炎が立ち上る。それは魔法使いの魔力なのだろう。そうして弟の胸から浮かび上がったのは、澱みを集めたような球体だった。

 どう見てもそれがいいものには見えない。

 球体を取り除かれた弟を見れば、これまでとは全く違う穏やかな顔をして眠っている。


「で?」


 ほっと息を吐いたところで、ごく短く魔法使いに訊ねられ、何のことか分からずレイスローズは同じ言葉で訊き返す。


「で?……って?」

「誰が肩代わりするの?」

「え!?」

「当然だよ。物事には道理というものがある。この病気で苦しみ死ぬ人が居なければ、彼は助からない」


 弟の代わりに他の誰かを犠牲にしなければならないと、魔法使いは事も無げに言う。

 人の生き死には、その人の運命だ。勝手に捻じ曲げていいものではない。だから、その報いも当然。そういうことだろうか。


「……じゃあ、私が!」


 魔法使いに頼んだのは自分。その付けを他人に押し付けるなど出来るわけがない。


「ありえない。君は僕の花嫁だ。死んでどうする」

「花嫁は違う(ひと)を探せばいいでしょう!」

「僕は君がいい」

「~~~~~!」

「姫様。わたくしが」

「駄目!! 他の人を犠牲には出来ない!」


 侍女頭の申し出を、レイスローズはすぐさま却下する。


「王子に戻す?」

「!? 駄目に決まっているでしょう!!」

「別塔の地下牢にいる罪人でも連れてくる? それくらいなら待っててあげるけど?」

「そういう問題ではないでしょう!!」


 悪者だから死んでもいい、なんて事はない。

 それが綺麗事だというのも分かる。罪人と王子、どちらかの命を選ぶのなら、王子の命を選ぶものだ。それも分かる。

 だが、唐突にそんなことを突き付けられて、すぐに決められるものではない。

 人の生死を自分が決めなければならない、それはこんなにも怖いことなのだ。

 なのに、目の前の魔法使いはあまりにも淡々としていて。


「……何とも思わないの?」

「仕方のないことだと思うよ。だから、君の最善を選べばいい」


 最善など当然王子の命だ。

 それでも、その最善はレイスローズ個人の最善だ。

 罪人にも、例えば家族があり、その者は罪人の命を尊く思っているに違いない。

 死んでも仕方がないというほどの悪人もいる、とは思う。

 それでも、自分の勝手で人の命を切り捨てることは、こんなにも怖く覚悟のいることだとは。

 どうしたらいいのかと爪を噛むと、心底呆れたような溜息が聞こえた。


「本当に仕方がないなー……」


 そう言って、魔法使いは球体を持たないほうの手をパチンと鳴らす。すると魔法使いの足元にぱっとネズミが現れた。何事か小さく呟くと、球体がふわりと浮いてネズミの体に入っていった。と同時、ネズミは鋭い鳴き声を短く上げて、ぱたりと横たわり動かなくなった。

 その光景に、部屋中がしんとした。


「苦しみは一瞬で済んだようだね」


 魔法使いの静かな声に、ばっとレイスローズは彼を振り向いた。


「ネズミでいいなら!」

「次はもう駄目だよ。人の命は人の命でしか代償にならない。今回は死なない程度に僕が貰ってあげたんだ」

「え……」

「看病頼むよ?」


 そう言うや、魔法使いはレイスローズに凭れ掛かるようにして倒れ意識を失った。


 *


 空の色がだんだんと闇の色に変わる頃、寝台の上に横になる魔法使いの瞼が僅かに震え、苦しそうな声が漏れた。


「何が必要なの!?」


 横たわったまま微かに瞳を開いた魔法使いに、レイスローズは身を乗り出して訊ねた。魔法使いはぼんやりとした視線を寄こしてレイスローズを確認すると、「開口一番それか」と掠れた声で苦笑した。

 彼が昏倒して、もしかしたら目が覚めた時にはもうけろりとしているのではないかというレイスローズの考えは、本当に楽観的過ぎたのだ。彼の顔色は今も非常に悪い。額に浮かぶ汗や耐えるように寄せられた眉からも、苦痛に耐えているのが一目瞭然だった。

 魔法使いはぐっと眉を寄せた後で、息を吐き、視線をレイスローズに戻した。

 自分はどんな表情で彼を見ていたのだろう。魔法使いはまた小さく苦笑した。


「し、心配しているのよ!」

「分かってるよ。だから笑いたくなった。……吐き気止め、ある?」

「吐いたほうが楽なら!」

「吐いても良くならない。体内で徐々に毒素を消している。その間は気分が悪いままだ」


 寝台横に置かれたテーブルには各種の薬を用意しておいた。レイスローズはその中から吐き気止めの丸薬を選び出す。


「起きれる?」

「ああ……」


 億劫そうにしながらも身を起こした魔法使いに薬と水の入ったグラスを差し出すと、彼は薬を見た後でレイスローズに視線を移し、弱々しいながらも少し意地の悪いような笑みを作った。


「薬は口移しで、じゃない?」

「嫌よ! 起き上がれるし、そんなことを言うのなら大丈夫でしょう! 自分で飲みなさい!」


 揶揄いに、反射的にそう返してしまう。


「はは……。お姉さんって感じだね……」

「姉なのよ! そんな話ではなくて、……! ……そんなに心配しなくていいと言いたのなら、そう言えばいいでしょう……」


 やり取りの途中、彼の軽口はそういうことなのだと気付き、呆れたようにレイスローズは言った。


「そんな言葉ではますます心配させてしまうかと思ってね。それに、王子を助けたら君をくれると言ったよね?」

「……じゃあ、飲んだらキスしてあげるわ」


 魔法使いはくっと小さく笑って、薬を呑んだ。グラスをレイスローズに返し、にこりとまた笑う。レイスローズは眉を寄せながらも、彼の頬に口付けた。


「……頬?……」

「妥当でしょ!」

「……まあ、いいや。もう少しかかるから寝る」


 それだけ言って、魔法使いは掛布に潜ると瞳を閉じた。やはりまだ具合はだいぶ悪いのだ。それでも人を揶揄えるくらいの気力はあるのだと、彼の思惑通りに安心できる。


「ありがとう、ガブリエル」


 口を衝いた感謝の言葉に、ガブリエルは少しだけ身動ぎした。


 *


「ん……」


 ふわりと何かで身体が覆われる感覚と、身近で動く小さな物音で、ふっとレイスローズの意識が浮上した。夜だったはずなのに、部屋の中が薄明るい。どうやら夜明け近くのようで、寝台に伏して眠ってしまっていたらしい。身体を覆ったものは肩に掛けられた毛布であったようだ。誰か部屋に入ったのだろうかと思いつつ、はっとして寝台を見るとそこで寝ているはずの魔法使いの姿がなく、慌てて身を起こす。どこに、と思い振り返った時、窓辺に立ち、外を見ている彼の姿が目に入った。ほっとして、レイスローズは彼の傍に寄った。


「……もういいの?」


 レイスローズの声にガブリエルは振り返り、穏やかに微笑んだ。昨夜までの苦しみの表情のない笑みに、レイスローズは心底安堵した。


「とりあえずは。寝ているのも流石に飽きた。君こそずっとここに居たの?」

「だって、離れられないじゃない」

「お姉さんは責任感が強い」

「それだけじゃないわよ」

「そう。それは良かった。……王子様はどう?」

「ええ。もう大丈夫。あなたにお礼を言いたいと、父も母も弟も言っているわ」

「報酬はしっかり貰うんだから必要ない」


 ここで言う報酬とはレイスローズのことなのだろう。それは人道に外れた申し出ではあるのだけれど。


「私は貴方の妻となることに嫌悪感はないわ。私が選んだことよ。それに弟を助けることは、貴方にしか出来なかった。それはこの国をも助けることよ。なにより貴方自身が辛い思いを買ってくれた。ほかに言える言葉はないわ。本当にありがとう」


 心からの感謝に、自然とレイスローズの瞳が優しく細まる。

 ガブリエルはそれには何も返さず、窓の外へと視線を戻した。レイスローズも彼の横に立ち、外を見る。

 開け放たれた窓の外は、快晴の青い空が広がりつつあった。まぶしい朝陽に照らされて、緑の大地と城下の街並みが露わになっていく。


「この景色は変わらないな。この国は美しいままだ」

「変わらない?」


 彼の物言いを不思議に思い、隣のガブリエルを見上げると、彼はレイスローズに笑みを返して身体の向きを変え、窓枠に背を凭れ掛けさせた。そして、しゃらりと首にかけた鎖を襟元から出した。レイスローズの目前に晒されたペンダントトップ……いや、鎖に通されているのは指輪で、それは王族であることを示す紋章入りのものだった。


「僕はもともとこの国の王子で世嗣だった。当時は魔法力の全盛期で、まあ、過ぎた力というものは人を狂わすとでもいうのか。物語的に言うと魔王が魔女を束ねだした。国王軍と魔法使い達の戦いの果て、全ての悪い魔法使いの力を、強い魔法抑制力を持っていた王子はその身に封印した」


 とん、っとガブリエルは自分の胸に手を置いた。

 彼がこの国の王子であったというのは本当だろう。王族の指輪を持つことだけでなく、別塔の地下牢をことを知っていたことは、それを指示している。

 それに、この国の魔法力が著しく減反したのは確かに百年ほど前のことだ。


「それは比喩的な物語だと思っていたわ。単純に、生活様式が豊かになるにつれ薄れてしまったのだと、そう教わったわ」

「そうしたんだよ。謀反なんて王家にとってもいい話じゃない。魔法力が悪用された歴史など無かったことにしてしまったほうがいい。それに、魔法力が薄れた後の時代には必要のない話だ」

「……続きを教えて」


 今の時代、魔法などもう昔の話で、人々の生活はそれなしに成り立っている。魔法などもうお伽噺だ。だが、世間には必要のない話でも、レイスローズには必要な話。それに、レイスローズ自身がそれを知りたかった。

 「楽しい話ではないけれど」と前置きして、ガブリエルは語りだした。


「国が落ち着き暫くして、魔法使いの力を身に封じた王子に異変が起こる。魔法力は持たないとされる王族である王子自身が魔法を使えるようになったんだ。王子の紫だった瞳は赤く変わった。魔法力が強いほどに瞳は赤く濃さを増す。王子の深すぎる紅色、その異質さは人々に必要以上の畏怖を感じさせた」


 ガブリエルの紅玉ような瞳。この瞳を覗き込んで、侍女頭はぎくりとした顔をした。人から見れば、それは恐ろしい色なのだろうか。確かにアルビノの、虹彩の色がほぼないような淡紅色とは程遠い、虹彩が鮮やかな濃い赤。あまりにも普通とは程遠い色はやはり受け入れがたいものなのかもしれない。だが、レイスローズにはただ美しくしか見えない。

 レイスローズはガブリエルのその瞳をまっすぐに見つめた。ガブリエルもその視線を受け止めて、話を続けた。


「さらなる異変もあった。封じた悪の気が強すぎて、王子も善悪の境界線が歪んだ。人が死んでも何とも思えなくなった。大の幸福のために小を見捨てるのを何とも思えない。怖いよね?」

「怖いと思うのならば大丈夫じゃないの?」

「怖いと思うのは王子ではなく周りだよ」


 ガブリエルは自嘲気味に言っているのに、レイスローズには彼の表情が悲しそうに見える。

 ガブリエルはそこで一つ、息を吐いた。


「王というものにはやはり情が必要なんだよ。情のない者には人はついていけないんだ。付いていけなければ反発し離反する。そうなった時、僕はまたそれを淡々と処分するだろう。必要のないものを存在させておく理由はないからね。否応なくそれが出来る力もある。そんな僕に誰が意見できる? そうして残るは、僕に従順な臆病者の集まり。―――そして、独裁政権の出来上がりだ」


 さわり、と早朝の風が薄地のカーテンを揺らす。窓の横に置かれているキャビネットの上には花を生けた花瓶がある。ガブリエルはその中の一つの花に手を伸ばすと、小さな赤薔薇を抜き取った。


「何もかもを手にしていると我慢する事がひどく困難になる。劣ったものや必要のないものは邪魔になってしまうんだ。だって自分さえいれば全てが叶うのだから。助けなど必要ない。いつか僕は自分の手でこの国を滅ぼすだろう、そう思った」


 赤薔薇を持った手をぐっと握り、また開く。彼の掌からはらはらと赤い花弁と緑の萼が零れ落ち、足元に散らばった。


「だから僕を制することの出来る人が現れるまで眠ることにした。魔力の強い僕を封じるのに仙女七人の力を全て注ぎこませた。そして、この国から魔法使いはいなくなった」


 外から入った風がガブリエルのプラチナブロンドを揺らす。紅い瞳も揺れているように見えるのは気のせいだろうか。


「……悪い魔法使いを制することのできる人?」

「君」


 ガブリエルは前かがみになって覗き込むようにレイスローズを見て答え、


「暴君っていうのはね、愛する女性の言う事じゃなきゃ聞かないよ」


 揶揄うように言って、瞳を閉じた。


「そして僕は君を待ち続けた」


「眠ってだけれどね」と彼は笑った。


「……好きな人いなかったの?」

「君があの時代に居なかった」

「どうして私なの?」

「僕の好みの女性じゃなきゃ、あの薔薇の道を通れない魔法をかけた」

「好みって?」


 “金の髪に新緑のようなの瞳の、可愛く美しく、気高く優しい心の持ち主”


「って、魔法をかけるときそう浮かんだ」

「沢山いそうよ?」

「居ないよ。僕にとっては君だけだ」


 ガブリエルの手がレイスローズに伸び、頬にそっと触れる。レイスローズはそれを拒むことなく、彼の手に自分の手を重ねた。


「僕の運命の相手は君で、君に出会えるまで百年以上の月日が必要だった。それだけのこと」


 彼は静かにそう断言する。彼の、常人のものではない紅い瞳。この色は、危険、残虐、そういったものを連想させるのだろうか。こんなにも穏やかに凪いでいるのに。


「この国が滅びようとそれはただの結果だとしか思わないが、君に何かあるのは耐えられない。そう思うんだ。それを愛ではなく何と言うのだろうね」


 レイスローズの頬から手を放し、彼はその掌の上に小さな緑の植物を作り出す。


「誓いをたてよう。君自身に関すること以外、僕は君に生涯服従する。胸に鋳薔薇を絡ませよう」


 掌の上でしゅるりと伸びた棘が、ガブリエルの胸の中へと消えた。


「誓いが破られた時には、鋳薔薇が心臓を刺し破る」


 可笑しなことだ。理不尽ともいえる契約で結婚を迫ったのは魔法使いのほうなのに、その妻に絶対服従を誓うなんて。


「私に関することって?」


 首をわずかに傾げて、レイスローズは面白そうに訊ねた。


「身体触れることを拒んでも僕はそれに服従しないとか」

「あのね!」

「君がこの間のように誰かの身代わりになろうとしても認めないとか、ね?」


 試すように瞳を覗かれて、レイスローズはぐっと言葉に詰まった。


「でも! そもそも、私があなたを好きになるとは限らないじゃない」

「なるよ。というか、好きだろう?」

「なによ! それ!」

「あの魔法の垣根を越えられるのは僕の運命の相手だけ。その相手が僕を好きにならないわけがない」

「随分と自信家なのね」

「だってそうだろう? これは運命だから」


 あっさりと男性が運命などと口にするなんて。でも、なぜか否定も軽く返すことも出来なくて、レイスローズは黙って彼の話を聞いていた。


「君も感じただろう。対峙した時の、自分の満たされない何かが満たされる感覚。“ああ、やっと出会えたんだ”って」


「君は僕の為に生まれてきた女性だ」


 彼の声は心に沁み込み、紅い澄んだ瞳にまっすぐに捕らえられてしまうようだ。


 本来 人は不完全な生き物で。

 生きていく上で色々な事を学び、色々な事を得ていく。それでも完全な個体になることはあり得ない。

 けれども、この人は突然何もかもを手にしてしまったのだ。

 もともと生まれながらに美貌と知性はあったのだろうけど、そこに畏怖される程の力が加わった。

 そして、その代償(かわり)に心の一部を失った。

 それはきっと彼も言っていた“我慢する”ということなのだろう。

 多分、彼はこの国も人も大好きで、なのに大切に思えなくなってしまった。

 自分に要らないものの存在価値が見出せず、一時の感情で始末したくなってしまう。

 それを誰かに制して欲しかった。

 そう思う彼は、きっともともとは良心的な心の持ち主だったはずだ。

 だからこそ、自分を制する人が必要だと思ったのだろう。

 でも、制する人をも邪魔に感じてしまうから。

 邪魔だと思うよりもいっそう強く愛していると思える相手が必要だった。

 それがレイスローズなのだ。


 レイスローズは瞳を閉じて、それを受け入れた。


「ええ、そうね」


 今度は、レイスローズがガブリエルの頬に手を伸ばした。

 温かい。魔法使いの白い肌は、自分たち普通の人と同じように温かいのだ。


「本当になんて綺麗な紅い瞳。……悔しいけれど、私はあなたのことが好きよ」


 整った顔も憂いを湛えた瞳も、女性を惹きつける。

 けれども、レイスローズはそんな一般論以上に彼に魅力を感じている。

 一目見たその時からだ。

 ガブリエルは先程のレイスローズのように手を重ねる。そして彼は力を抜くようにして、瞳をも閉じた。

 こうしてこの人が寄りかかってくることが、嬉しい。


「結果論なんて嘘ね。あなたは国を滅ぼしたくなくて眠りについたのでしょう」

「滅ぼしたくないんじゃない。人が生活している以上、僕が勝手にそうしていい訳がないと知っているだけだよ。人として王子として生きて学んできたから頭で分かる。でも、たとえ滅んでしまっても心が痛まないんだ。仕方がないで済むんだよ。……罪人の命すらに葛藤する君の心が羨ましいくらいだ」

「……心が痛まないことには心が痛むのね」


 レイスローズはくすりと笑った。


「……一度、ヨハンを殺してしまおうとか思ったことがあるんだ。彼は僕が幼い頃から仕えてくれている侍従で、とても信頼している者だ。僕の記憶の最初から彼が()て、親兄弟よりも長く傍に居てくれた。そんな彼だからこそ、僕の変異を見逃さず、事あるごとに色々と忠告してくれた。僕はそれが煩わしくなって、『ああ、邪魔だな』と彼に手をかざしたことがある」


 ガブリエルはヨハンのことを優秀だと言っていた。事実、彼のすることには全て信頼が置けるという態度でもあった。

 そんな彼も制する人にはなれないのだ。

 彼の欠けた部分を補えるのが自分だということが、やはり嬉しい。


「……でも、しなかったのでしょう?」

「ヨハンがそれに動じず、どうぞと言わんばかりに瞳を閉じたんだ。その姿を見て、己がどれだけ愚かになったのか知った。だから、止めたのは理性だよ。僕の人としての心は壊れているんだ」


 もしかしたら、それが魔法使いという生き物なのかもしれない。

 ただの人と比べ、魔法使いとは我慢する心が少ない生き物なのかもしれない。

 だから、王族には魔法力を制御する力があったのかもしれない。


「僕に無くてもいいと思うものを処分する。それを行わないのは、やってはいけない事だと人として生きてきた頭が知っているから。でも、歯向かう者に容赦する心がない。無駄なものは捨ててしまえばいい。常にそう思う」


 魔法使いであり、王家の血を引く彼は、だからこそ葛藤するのだろう。


「僕の頭はそれが馬鹿な奴のすることだと知っている。僕に必要のないものでも、世界には必要なものもある。だから、僕はそんな愚かな者にはなりたくない」


 一人で何でも出来るからといっても、一人を望むかというと別の問題だ。

 彼が生まれながらの魔法使いでなかったからなおさら……。


「大丈夫よ」


 レイスローズはガブリエルの顔を両の手で包むと、まっすぐに視線を合わせた。


「私を愛していると思うのでしょう?」

「思うよ」


 レイスローズに多少なりとも魔法力を抑制する力があったとしても、ガブリエルの膨大な力を抑えることは不可能。でも、レイスローズはガブリエルを抑えることが出来るのだという。

 なぜならガブリエルがレイスローズを愛していて、失いたくないと思っているから。

 彼にとって、自分だけが―――。


「私はこの国を愛していて守りたいの。貴方はそれに力を貸してくれるのでしょう?」

「いいよ。君が僕のものになるのなら」

「ふふ。馬鹿ね」


 自分の国を愛する女性を運命の相手に選ぶだなんて。


「それほどにこの国を愛してくれる方ならば、私が好きにならないわけがないわ」


 そしてこの悲しいほどの寂しさを自分が埋めてあげることが出来るならば。

 そう思っているということは、すでに自分はこの人に恋しているのだろう。


 レイスローズは絨毯の上に散らばっている赤い花弁と緑の花萼を一つずつ拾いあげ、両手の掌に乗せるとガブリエルの正面に立ち、彼の目前に差し出した。


「元通りにして」


 ガブリエルはそれに手をかざす。次の瞬間に掌の中にあったのは、可憐な赤薔薇だった。


「綺麗ね」


 赤薔薇を自分の髪に飾ると、レイスローズはガブリエルと視線を合わせ、にっこりと笑った。


「私を待っていてくれてありがとう」


 こつん、とガブリエルはレイスローズの細い肩へと自分の額を預けた。


「ああ、君に会いたかった」


 レイスローズは自分より大きな身体をそっと抱きしめた。

 この人は自分の心の代わりになる人物を待ち続けていた。それが自分であったことが、こんなにも嬉しい。


「ねえ、ガブリエル。言い伝えでは眠っているお姫様を娶った者は生涯の幸せを約束されるのよ? それは王子を目覚めさせた私にも有効なのかしら?」

「さあ? 生涯をかけて確かめればいいんじゃない?」


 ガブリエルが顔を上げて、穏やかに笑う。


「どうであれ、王子と姫は恋に落ちるものだからね」

「ええ、それがおとぎ話だものね」


 笑い合い、そして、朝陽に照らされた二人の影が重なった。



 *****



 グリムワール王国には魔法使いがいる。

 その魔法使いは冷淡な性格をしているが、魔法使いの妻は情に厚く人々を愛していた。

 人々が簡単には入れぬ鋳薔薇の垣根に覆われてた城の中に、魔法使いはその最愛の女性とともに暮らし、今も彼女とともに陰ながら国を守り過ごしている。





 一目で恋に落ちた王子と姫は

 末永く幸せに暮らしました



 ――― This is a fairy tale. 


『おとぎ話シリーズ』もこれにて完結となります。

ここまで辿り着いて下さった方、ありがとうございました。


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