万緑叢中紅一点、降り注ぐユーグレナの雨-②
それでも晒菜と一寸木は二人でこの世界で生き延びなければならない。
こんな言い方をすると、まるで彼ら以外の人々が存在しないかのように思われることだろう。
――そう、実際のところこの町、椎葉町にまともに動ける人間は限られている。
「一寸木さん!! 学校に行きましょう! 学校! 僕一回行ってみたかったんです!!」
晒菜は声高々に提案した。この雰囲気をどうにかしたいということもあったが、晒菜は単純に学校という場所に行ってみたかった。十四歳の少年は、本来なら中学校というところに通って生活している年齢である。だからこそ晒菜は学校という場所に全く興味がなかったというわけではなく、もし外に出れるならば行ってみたい場所の第一候補として学校という場所を考えていた。
百聞は一見に如かずとういう言葉があるけれど、やはり実際の目で見て体験することに勝るものはないなということを彼らは今まさに感じていた。そしてここで晒菜はしばらくの間、学校という場を満喫することになる。
「うわー! 昇降口ですよ昇降口!! ここで上履きに履き替えるんですよね!!」
「そうでしょうけど、晒菜君上履きなんて持ってないでしょう?」
「ところがどっこい、持ってるんですねー!」
晒菜はニッっと笑い、背負っていたリュックサックから自分の上履きを取り出した。
「晒菜君、最初からそのつもりで……」
「さあ、一寸木さん行きましょう!!」
「そうね、行きましょうか……」
晒菜は人が変わったかのように意気揚々にどんどん進んでゆく。一寸木はその勢いに押し切られてしまい、従うほかなかった。
「僕の教室はどこになるんですかね?」
「晒菜君は何歳なの? 年齢でだいたい学年が分かるはずだけど……」
「今日で十四になりました」
「うそ!? 今日が誕生日だったの? とりあえずおめでとう!」
「ありがとうございます! まあ、雄山院長に言われるまでは忘れちゃってたんですけどね……」
「忘れるって……自分の誕生日でしょ?」
「それはそうなんですけど、一生あの檻の中だと思うとどうでもよかったって言うか、気にしてなかったていうか」
「…………」
なんなのだろうこの晒菜という少年は――妙に悟っているところがあると思えば、子供みたいに無邪気になったり。
一寸木は不思議に思う反面、ある種の不気味さを感じていた。まあ、古語で言えばあやしってのは不思議であり、怪しいでもあって、実際のところ不思議なのと不気味なのってのは表裏一体みたいなものなのだろうけど。
ガラララ……
晒菜が教室の扉を開ける。部屋の中は閑散としていた。
「やっぱり誰もいませんね」
「そりゃあ、夏休みだからね」
残念そうにしている晒菜を気にしつつ、一寸木はふと窓の外に目をやった。窓から外を眺めるも、だだっ広い緑の運動場が広がっているだけだ。
「……ん?」
広がっているだけ? 一寸木は気が付いた。なんてことだ、なんでこんなことに気が付かなかったのだろう。調査と銘打っておきながらずいぶんお気楽な事をしていたものだと、一寸木は自分の愚かさを呪った。まあ、呪うとまではいかないが盛大に後悔した。後悔先に立たず、後の祭りとはこのことだろう。
ああ、私の仮説が正しいのならば、正しいのだとしたならば……
「ねえ、晒菜君、ちょっといい?」
「……? いいですよ。どうかしたんですか?」
「ちょっと行ってみたい場所があるの……」
「いいですよ。どこに行きたいんですか? 僕は音楽室とか理科室とか行ってみたいんですよね! あと、屋上とかも行ってみたいです!」
相変わらず晒菜は放恣な逸楽にかまけている。
「違うの、晒菜君。私が行きたいのは……」
ガラララ……
一寸木は扉を開ける。そして、おそるおそる部屋の中に入った。そこは本来なら一言簡単な挨拶をして入室をするべき場所……用事のない生徒が立ち寄ることを禁じられている場所。
――職員室に。
「やっぱりね……」
「やっぱりって、何がやっぱりなんですか一寸木さん!」
晒菜は状況が掴めないでいる。だが、一寸木の顔色を見て事態がただ事ではないということは感じていた。ここで不羈奔放、縦横無尽の晒菜の行動に歯止めがかかった。
「教室と同じで誰もいないだけじゃないですか……」
「そこが問題なのよ……教室は無人で良くっても普通職員室が無人なんてあり得る?
――そんなこと、あり得ないのよ!」
「それは……」
「仮に学校の教員全員が出払っていたとして、晒菜君、君は病院を出てから私たち以外の人を見た?」
「…………」
晒菜は一寸木の言いたいことにやっと気が付いた。今まで何をはしゃぎまわっていたのだろう……晒菜は途端に恥かしくなった。
「僕、外に出れてすっかり羽目をはずしちゃってました……すっかり調子に乗っちゃってました……」
晒菜は分かりやすいくらいに意気阻喪していた。
「いいのよ、気にすることはないわ。問題はこれからどうするかよ……こうなると町のひとみんなが雄山院長のようになっていると考えるのが妥当なところよね……」
「ってことは遅かれ早かれ僕たちもやっぱり……」
「考えたくはないけどそういうことになるわね……」
「そんな、せっかく外に出れたのに……そんなの嫌ですよ!!」
「そのために今から何とかするんでしょ!!」
「すいません……」
晒菜も一寸木もお互いに焦っていた。死期が近づいている。正確に言えば死ぬというわけではなかったが、心臓が動いているだけの人生なんて二人ともごめんこうむるところだった。だからこそ、この状況を打開し打破し打ち壊す方法を探していた。
――最初に気が付いたのは、晒菜升麻だった。
次回は8月4日(金)7時更新です☆