よりどり緑、どこを見ても緑‐②
とりあえず早く止血をしないと、早く傷口がふさがないと、そう考えてあわてて晒菜はシーツを手にあてがおうとした――その時だった。
「え……」
傷口から血液らしい液体が勢いよく噴出した。
晒菜は唖然とした、そして呆気にとられた。言っておくが、晒菜は噴き出す血液の様をみて驚いたわけではない。実際に怪我をしたことがなくとも、傷つけば血が出ることは知っていたし、こうやって勢いよく噴き出すということも知っていた。
問題は血液自体にある。晒菜の手首から放出された血液は血液かどうか怪しく、血液かどうか疑わしいものだったからだ。
「これが、晒菜升麻君の正体だ!」
正体だとかいうのは少し誇張された表現だと思うが、これはたしかに晒菜升麻という人間しか持っていないだろうと思われる、いわば個性の一つのようなものだった。まあ、個性と言うのはこれまた適切な表現ではないように思われるけれど、たしかにこれでは迂闊に外をうろつけたものではないなと思う。両親がこのことを隠して別の病だということにしておきたかった気持ちも分かる。
……それは実に不気味で不格好で、人外のものとも思えてしまうような、
――青い血だった。
信号の緑のことを青と言ったり、緑色の虫なのに青虫と言ったりするが、今回の青はそちらの緑という意味での青ではない。
正真正銘の青。
海の青にも空の青にも染まってしまいそうな、鮮やかな青。真っ赤な血潮ならぬ、真っ青な血潮。ヘモグロビンではなくヘモシアニン。
「…………」
まさか自分の血の色が青だったなんて誰が信じられるだろうか――自分がエビやカニ、イカやタコのような動物と同じ血液の色をしていたなんて誰が想像できるだろうか。
血の気が引いてゆくのが分かる。顔面蒼白なんてものじゃない、顔だけではなく、体内の血液が元から蒼白だった。血色の悪そうにしているのはろくに外にも出ていないせいだと決めつけていたが実際はそうではなかったようだ。晒菜は衝撃の事実に対して驚きを隠せなかった。
「…………」
腕から滴り落ちる血を一向に止める様子のない晒菜を見兼ねた雄山院長は晒菜の腕にハンカチを当てながら言った。
「こらこら、血が出たら止血しないといけないだろう……」
白々しく無感情なその物言いは、晒菜を激昂させるには十分だった。晒菜はこの訳のわからない気持ちをどこにぶつければいいのかわからなかった。
「……今まで、ずっと騙してきたんだな! 俺が生まれたときからずっと!」
晒菜がこんなに乱暴な口調で話すのは初めてだった。全ての事に蓋をして、何事にも意に介することはなかった彼ではあったが、今回のこの珍事をありのまま受け入れるだけの器は無かった。自分が何者であるのか、もしかしたら自分は人間ですらないのかもしれない。自分という存在が根底から崩される。晒菜はその中で苦しんでいた。
「今までこのことを隠してきたことは謝ろう。だけどこれも最初から決まっていたことなんだ。君が一四歳になったらこのことを告げるように言われていたんだ……許してくれとは言わないが、そういうことだと理解してほしい」
理解しろと言われて理解できるのならば、晒菜はこんなに苦しんでなどいないだろう。そして、許す許さないというより自分自身が何者なのか、そこが重要だった。青の血を持った人間なんか聞いたことがない。レアな血液型だとかいうそんなのとはわけが違う。きっと自分は常軌を逸した存在――人ならざる人なのだ、そう確信していた。
「俺は……人なんでしょうか」
傍からみればこんな質問するのは馬鹿げているように思えるかもしれない。でも、晒菜にはこの答えが知りたかった――知る必要があった。
「はっはっは、なんてことを聞くんだ君は。君が人だって? なんてバカなことを聞くんだ。そんなことも分からなくなってしまったのかい。なんなら仕方なく教えてあげるけれど、そんなの決まっているじゃないか。
――晒菜升麻君、君は人だ。紛れもない人だ。
――そして君は典型的な十四歳だ」
「…………」
雄山院長の言葉を聞いて晒菜は胸をなでおろした。自分が人なんだと、そのことが分かっただけでものすごく安心した。それと同時に晒菜の胸の奥の方で何かもやもやとした何かがつっかえている気がした。そこに、雄山院長が続けた。
「まあ、私から言わせてもらうと、晒菜君はひとつ勘違いしているんじゃないかい。僕はさっき君がずっとこの病院に入院していた本当の理由を提示した。そして、君はさっきの血、自分自身がの血が青いのを見た。その青い血を見て、もしや自分は人ならざる人なんじゃないかと思ったことだろう――確かにそう思うのも仕方ない。
だけどね、残念ながら、君は血が青いだけのただの十四歳の少年だ。
さっき本当は自分は特別で、何か人とは違った存在なんだといわれることを期待していたんじゃないかな。そして、そこから人ならざる人、晒菜升麻の冒険をスタートさせようとしていたんじゃないかな。
でも、残念だったね、
……君は特別なんかじゃない、君はただの人だ」
そう言われた時、自分の中で何かがつっかえていた理由が分かった。確かに自分は自分が特別だと言ってほしかったのかもしれない。自分は何か人とは違う何かを持っているんだ、そんな事実がほしかったのかもしれない。その考えが雄山院長に筒抜けだったことを考えるとなんだか恥ずかしくなってきた。
だから、晒菜は話題を逸らそうとした。
というか、閑話休題、話題を元に戻した。本来このことから話をするべきだった。もとはと言えばここが始まりだった。
窓を開けると広がっていた、
――この奇怪で奇抜な真っ緑の世界について……
次回は7月30日(日)7時更新です☆