2話
小さな田舎町ティランは復興を急いでいた。先日突然、魔王軍が町奇襲をかけ、町が破壊されてしまったからだ。
魔王軍はなぜか途中で消えていたものの、残された爪痕は大きかった。住人は総出で町を直さなくてはいけなかった。
春の暖かい日差しの中、町の住人は慌ただしく家を直している。
そこへ一人の女騎士が訪れた。
「……ここが魔王軍に侵攻された町……」
歳は16ぐらい、燃えるような赤髪を後ろで束ね、上等な鎧を身に着けていた。
女騎士は人形のように整った顔を怒りと悲しみでゆがめ、焦げ臭い町を見渡した。
「なんてひどい……魔王軍……!」
女騎士の顔にはただ怒りではない、並々ならぬ憎しみが詰まっている。
重い足取りで前へ進むと、数歩といかずに立ち止まった。
「あ、大丈夫? おばあさん」
女騎士の視線の先には老婆がひとり、重そうな荷物を馬車から降ろそうとしていた。
すぐさま駆け寄り、それを手伝う。
「ああ、ありがとのぉ、お嬢さん」
「ううん、このくらい、私に任せて」
「おお、その恰好は『冒険者』かいな?」
「そう」
「名前はなんていうのけぇ? クラスは?」
女騎士が少し照れくさそうに言った。
「シルバークラスよ。名前はシルファ」
「あんれシルバークラス! 王国に二十人といない精鋭の冒険者じゃろう? こんな田舎のために来てくれたのかい。ありがたや、ありがたや」
老婆が手を重ね、祈るように女騎士を見つめた。
「そんな、当然のことよ。みんなを守るのも冒険者の仕事だもの。何より魔王軍が来たというならなおさら、ね」
「ほんで、お嬢さんは魔王軍と戦いに来たのかい?」
「いえ、調査の依頼できたの。でもこの場に魔王軍が来るのなら蹴散らしてやるわ。必ず」
女騎士、シルファは老婆に見えないところで決意を確かめるように拳を握った。
「そら頼もしいのぉ。そうじゃそうじゃ。調査いうんなら……」
老婆は袋から大きな角を取り出す。
「これは……?」
「崩れたわしの家に落ちてたもんじゃ。これが役に立つんじゃないかの」
そういって老婆は角を渡した。
黒ずんだ角を見つめ、シルファはハッと息をのむ。
「これ……!」
(魔物の角! それもかなりレベル……角の持ち主は強力な魔物に違いないわ……)
シルファは唇をかんだ。
「どうかね? 役に立ちそうかね?」
「うん、ありがとう。おばあさん。これもらってもいい?」
「そのために見せたんじゃよ。さてワシはもう行くとしようかの」
「気を付けてね……」
老婆を見送ったシルファの顔は暗かった。
(これほどのレベルの魔物がこの町を襲っていたなんて……! 私じゃ勝てない。でも魔物の死体があるってことは誰かが戦っていたってこと……?)
「誰が……?」
シルファは静かにつぶやく。視線の先には大量の魔物の死体が散乱していた。
☆
「なんにしてもここは衛兵を増やす必要がありそうね……それを決めるのは、私の仕事じゃないけど」
町の中心地まで来たシルファは羊皮紙に現状のまとめを書く。
「要……増援っと……ん? 地震?」
ドォン……ドォン……。
郊外から響き渡る爆音に顔をしかめる。
「いえ、このねばりつくような殺気……! 魔王軍!? まさかここに!?」
ドォン!
刹那、大量の土煙があがり、体にまとわりつく空気が変わる。
地響きとともにシルファの目の前に巨大な怪物が姿を現した。
「オーッホッホッホ!」
魔物の姿は目をつむりたくなるようなおぞましさだった。赤い球体に目がいくつもついていて蜘蛛のように六本足で立っている。
「魔物!? どうやってここに!? くっ!」
シルファが剣を抜くと赤い怪物はギョロりと目を向けた。
「これはこれは……四天王フーブラが死んだと聞くのでどんな勇者がいるのかと思ったら……」
怪物はシルファの頭上をにらみつけた。
「可愛らしい小娘ではありませんか。レベル35。人間にしてはまぁまぁといったところですか。しかしこの程度ということは『勇者』ではありませんね。誰がフーブラを討ったのでしょう? どちらにしても情けない話です」
怪物は目を細める。
「やつは四天王最弱とはいえ、面子は保たなくてはなりません。手始めに、この町の住人を皆殺しにしてやりましょう」
「そんなことさせないわ!」
高さ3メートルはあるであろうその怪物を見上げ、シルファは叫んだ。
「あんたはここで私に倒されるのよ!」
「オ―ッホッホッホ! 実力差もわからないとは哀れなものです。そこまで死にたいならいいでしょう。血祭りにして差し上げます! この四天王がひとり、ドルブラがね」
丸っぽい体を震わせて笑う怪物にシルファが唇をかむ。
(間違いなく実力はあっちのほうが上……でも町のみんなが逃げるまでに時間を稼ぐぐらいならできるはず……)
シルファは怪物の頭上に意識を集中させると、相手のレベルが『表示』された。
思わず息をのむ。
レベル75! こんなの勝てっこない! でも私が逃げたら町の人が……
「ここで食い止める……!」
シルファは剣を掲げた。
「フレイムソード!」
剣がみるみるうちに炎に包まれ、脈打つようになる。
シルファは剣を構えた。
「おや、魔法剣士でしたか。では私も対抗して魔法で遊んであげましょう」
怪物が手をパンと叩くと強烈な突風がシルファを襲った。
「がっ!」
一瞬にして後方に吹き飛ばされたシルファは体を震わせながら立ち上がる。
(なんて攻撃……!)
「オーッホッホッホ! まだまだ序の口ですよ」
☆
町はまた騒然となっていた。
前回の魔物の襲撃からわずか数日で、また新たな魔王軍か来たというのだ。
「逃げろ! もうこの町はもうだめだぁ!」
「冒険者組合に連絡を! いや王国へ連絡して勇者に来てもらうんだ!」
住人は避難所からも我先にと逃げ出し、王国を目指して駆け出していた。
そんな中、黒髪の男が人々が逃げる方向とは逆に歩いていた。
男は住人の逃げ惑う姿を見て、素っ頓狂な声を上げる。
「どったのみんな? 今日は祭りか何か?」
男が不思議そうに立ち止まっていると、ガタイのいい大男が声をかけた。
「おい、あんちゃん! そっちは魔物がいる方向だぞ! 逆だ、逃げろ!」
「魔物? また来たの?」
「ああ、役人によると今シルバークラスの冒険者がひとりで戦ってるらしい! それでも相手はすげー強い魔物らしい」
「マジでか。やべーじゃん」
「ああ! この町は終わりだ。あんちゃんも今のうちに―― あんちゃん?」
黒髪の男はすでに消えていた。
☆
怪物の猛攻にシルファは膝をついた。
もう立てない。レベルが違いすぎる。
シルファの持てる全ての技、魔法は通じなかった。加えて剣も歯が立たず、一方的に魔法を食らうだけだった。
(このままじゃ……いや、もう逃げる力も残ってない……)
シルファは悔しそうに唇をかむ。
こんなところで。まだ自分は死ぬわけにはいかないのに。
四天王・ドルブラは今だ力の底を見せていない。いや、十分の一も出してないだろう。
今は自分を痛めつけるために手を抜いてる。
これが『遊び』から『攻撃』に変わればひとたまりもないだろう。
「オーッホッホッホ。威勢がよかったのは最初だけですか。全く歯ごたえのない。では死になさい」
ここまでか。
シルファが目を閉じたその時。
「おっいたいた。ダイジョブ?」
気の抜けるような声がした。
「え?」
振り向くと男が無表情で後ろに立っていた。
ボサボサの黒髪、茶色のチュニックを着た普通の男だ。
「間に合ったみたいだな」
「誰ですか? まったく。また死にたがりのお馬鹿さんが増えたのですか。はぁ面倒な」
怪物は煩わしさからか身を震わせている。
聞きたいのはシルファも同じだ。かすれた声で男に話しかける。
「あ、あんた……だれ……?」
「助けに来たぞー」
「は?」
この町に今、自分以外の冒険者はいないはず。応援がもう駆けつけてくれたのか……?
シルファは首をかしげるも、男の頭上を見て息をのんだ。
「レベル……1……!」
男の頭上にあるレベルは1と表記されていた。そこでシルファはすべてを理解する。
しまった。この男は逃げ遅れた住人だ。
どれだけ騒ぎになっても、逃げ遅れてしまう人は必ず一定数いるという。突然現れた一般人に、シルファの瞳が激しく揺らぐ。
「オーッホッホッホ。なんとレベル1! とんだ増援ですね。死体が一つ増えるだけだ」
怪物も男の正体に気が付いたのか、笑い出した。
……あいつの言うとおりだ。このままでは助けるべき一般人まで巻き添えにしてしまう。
シルファは体にムチを打ち立ち上がると男の前に立った。
「は、早く逃げなさい……! 私が時間を稼ぐから、あんたは今のうちに……」
「え、いやだから助けに来たんだけど……」
(恐怖で錯乱しているんだわ……どうしよう、一刻も早くこの場を離れてもらわないと……!)
シルファは腰から短剣を取り出した。
残った魔力をすべてつぎ込む。
広範囲の炎で敵の周りを包み込み、視界を奪う。その間に逃げる。これしか道はない。
(この人を守りながら戦えるか……? いえ、私が囮になれば……とにかくやるしかないわ)
「じゃあ君は休んでな。俺がなんとかすっから」
男が信じられないようなこと口にする。
「何言ってるの! 下がって何もしないで! そ、そうだわ、助けを呼んできてくれる?」
「俺がその『助け』なんだが」
だめだ。やはり男はパニックを起こしている。
「も、もういいわ」
「え、まだ戦うの君。ボロボロじゃん」
「お願い。大人しくしてて」
シルファは短剣を前に突き出し、短い呪文を唱える。
「おやおや、まだやるつもりですか? 哀れな女だ。よほど苦しみたいと見える」
「火熱波!」
炎の壁が怪物を包み込んだ。
一見業火に焼かれているよう見えるが、壁は薄い。圧倒的に火力不足だった。
「なんですかこれは? 暖房にはまだ早いでしょう。ふっ」
怪物が一声あげると、炎の壁が弱々しく消える。
「くっ」
シルファは間髪入れずに呪文を唱える。
「火熱波!」
丸い怪物を包みこむように炎をだす。
「何度やっても」
「フレイムソード!」
「む」
炎に紛れ、敵に近づくとシルファは剣撃を与える。
(このまま動き続けて……相手を翻弄する……!)
「児戯ですね」
怪物が指を鳴らすと炎は一瞬で消え、さらに突風がシルファを突き放した。
「が、は……」
やはりだめなのか。レベルが違いすぎる……。
「オーッホッホッホ! あなたがそんな様子ではレベル1のお友達が…… ほら!」
怪物は手から雷撃を生み出すと躊躇わずにあの黒髪の男に投げた。
「し、しま……! やめて!」
ババババ!
光の速さで雷撃は男へと届き、引き裂くような音と衝撃が走った。
「あ……あ……」
周囲に焦げた臭いが漂いだす。
あの雷撃は上位魔法だ。自分とて食らえばただでは済まない。何の装備もしてない、ましてはレベル1の男となると……希望はない。
「くっ……守れなくてごめんなさい……」
シルファは拳を握りしめる。
すぐ近くにいながら市民を守れず、さらに仇も取ることもできないだろう自分は、冒険者失格だ。
シルファはフラフラと立ち上がる。
せめて……遺体だけでも回収できないだろうか。
しかし――
「おー……なんかピカってなったぞ」
「なっ!」
男は生きていた。それもピンピンしている。
「あ、服が焦げてる! 何しやがる! 直すの高いんだぞ!」
男がぎろりと怪物を睨んだ。
予想外の事態にシルファは口をパクパクさせる。
「あ、あんた……いったいどうやって……」
「え、何? どしたの?」
「だって、今、魔法が……」
「オーッホッホッホ!」
二人を遮るように怪物が声を上げた。
「何のまぐれか知りませんが、雷撃が外れたようですね。レベル1の分際で生意気な」
「生意気って……それレベル関係ねーだろ。というか外れてないし」
「バカなことを言うんじゃありません。レベル1の雑魚があの魔法を食らえば即死のはずです」
「お前の魔法が大したことないんだろー」
「ああ!?」
怪物は豹変し、口調が変わった。無数に体についた目がすべて男に向けられる。
「なんだと!? 大したことがないだと!? この四天王である俺の魔法をぉぉ!」
「え、なにお前」
怪物は手で三角形を描いた。
「ならば俺の本気を見せてやる。この四天王である俺の本気をな! エクスプロッシブ・ライトニング!」
怪物の頭上から五メートルはあろうかという球体が現れた。球体はバチバチ唸り、それが電撃のかたまりであることを物語っている。
「エクスプロッシブ・ライトニング!?」
シルファが声を上げる。
「まさか、魔物が最上級魔法を使えるなんて!」
雷属性の魔法で最強の攻撃魔法、エクスプロッシブ・ライトニング。
球体上の電撃が一気に爆発し、周辺の敵をすべて壊滅させる最上級魔法。強力な魔法使いでも使えるのはほんの一握りだという。
「逃げて!」
シルファは迷わず叫んだ。
この魔法は全体攻撃。次は外すなどという幸運は起こらない。
逃げなければあの男は間違いなく死ぬ。
「早く! こいつは全てを焼き尽くすつもりよ!」
「オーッホッホッホ! 左様! 二人まとめて……ぶっ殺してやる!」
怪物は電撃の球体を投げつける。
「おっ?」
電撃は黒髪の男に向かってまっすぐ進み、男に触れた瞬間爆発――
「そい」
しなかった。
雷撃の球体は一瞬で弾き飛ばされ、空中でしぼんで消えた。
「……は?」
世界が一瞬凍りつく。
「な、なんですと……」
怪物は全ての目を文字通り点にした。
「な、なぜ……? お、お前は何者だ……?」
「よし、じゃあ、しねー」
「な、舐めるなニンゲ――ぎゃああああああああ!」
ザクりという音とともに怪物の胴体が真っ二つになった。
上半身はベチャッと地面に落ち、下半身は力なく崩れ落ちる。男の粗末な剣が、まるで空間ごと切断したかのように怪物を両断したのだ。
あの四天王が、鮮血が吹き出し、地面に横たわっても男は無表情だ。
まるで邪魔な小石を蹴り飛ばしただけかのように。
あまりにも速かったため、一連の動作をシルファは目で追うことができなかった。
しかし結果を見ることは叶った。最も信じられない結果を。
「倒……した? あの四天王・ドルブラを? 嘘……」
男はきょろきょろと周りを見渡す。
「よーし敵はあいつ一人だけだな? んじゃ、俺は帰るわ。役所言っても誰もいなそうだし」
この言葉にシルファはハッとする。
「ま、待って!」
「おん?」
「あ、あんた何者……?」
「え? うーん……日本のフリーター? ……いや今は、木こり?」
「……木こり!? じゃ、じゃああんた冒険者じゃないの?」
「んーまぁ……今は違うな」
「ってことはどこかのパーティにも入ってない」
「パーティって何のパーティ? バースデーパーティみたいな?」
なら……!
「ねぇ!」
シルファは力強く、決意に満ちた声で叫んだ。
「私のパーティに入って!」