46、試験官の正体(ルイ視点)
広間いる貴族たちの喧騒が、聞こえ始める。
無音の世界から、雑音に溢れる元の世界に、少しずつ息を吹き返していくかのようだった。
(浅ましい……)
手の裏を返した貴族たちの言葉が、ルイに苛立ちを与えた。
真実を知らず中傷ばかり繰り返した者は、深青色のドレスに身を包んだ彼女を見て、どう思ったのだろうか。
彼女の価値に気付けなかった自身の愚かさを、悔いているだろうか。
それとも、彼女がずっと抱えてきた苦しみを理解しようとせず、媚を売る準備でもしてるだろうか。
――ふざけるな……そう言いたい気分だった。
「ここにいらしたのですね、ルイ様!!」
ルイを見つけたエヴァンが、こちらに近づいてくる。
何かしらの事態が起きているのなら、宰相として自分は、収拾する義務がある。
すぐにでも動かなければならないと分かっているのに、ルイはその場から動けなかった。
(彼女の姿が、脳裏から、離れない)
悲しく歪んだ顔が、涙で潤んだ青の瞳が、揺れる金色の髪が――。
アシリアと言う少女を作る全てが、浮かんでは消え、それをずっと繰り返す。
自分にとって彼女は、守らなければならない存在であり、運命を感じさせる相手であった。
「はぁ、どこにいるのか分からなくて焦りましたよ。ご存知かと思われるのですが、広間が大変なことになっています。まぁ、それよりも予想外のお方が…………ルイ様?」
黙り続けるルイを不審に思ったのか、怪訝そうな声が聞こえた。
「あ、あぁ、すまない。もう一度言ってくれ」
「構いませんが……何か、怒ってます?」
「…………何故?」
何を根拠にそう言っているのだろう。
不思議に思い尋ねると、エヴァンは手で靄のようなものを払う仕草をした。
「妖力が漏れてます。気持ちに起伏がある証拠です。原因として考えられることは、広間の騒めきの内容だと推測してます」
エヴァンは片方の耳に手を当てて、「ほら、アシリアの様の噂で、広間は持ちきりですから」と言葉を続けた。
「私はまだ、アシリア様のお顔を拝見しておりませんが、沢山の方がご覧になった様子です。いや、あり得ないと思うのですけど、もしかして、ルイ様が、嫉妬とか、思ってしまったわけですよ。あははは、あり得ませんよね〜」
「…………そうか。この苛立ちは、嫉妬から来るものなのだな」
無性に苛立ちが隠せなかった。
だが改めて言われてみると、彼女の顔が大勢の人に見られたと言うのは、不快感を示す要因の一つだった。
「ですよね。怒ってるのは嫉妬から……えッ?!」
信じられない言葉を聞いてしまったとばかりに、エヴァンが目を見開く。
「す、すみません、き、聞き取れませんでした! もう一度お願いします!!」
「……聞こえていただろう」
この距離の呟きなら、絶対に聞こえているはすだ。何故もう一度言わなければならないと、顔を顰める。
「い、いや! なんかルイ様の口から出たとは信じらない言葉でした。確認のために、もう一度! さぁっ!」
「…………」
「黙るのですね。でもずっと、聞き続けますよ!」
もう一度は答えたくないと思うのに、エヴァンはしつこく聞いてくる。
黙っているつもりだったが、このまま聞き続けられるのは堪らないため、渋々答える。
「嫉妬という感情を、抱かざるをえないほどに、綺麗だったんだ」
「…………………。すみません、もう一度仰って下さい。誰かを褒める言葉が、聞こえたような気がしました。これは空耳だと思うのです」
エヴァンはふるふると体を震わせる。
何かとんでもなく恐ろしい言葉を、主から聞いてしまった、そう言いたげであった。
「貴様は、私のことをどう思ってるんだ」
エヴァンの態度にムッとする。
ルイだって、本当に美しいものだったら褒める。
滅多に口に出さないのは、姿だけを着飾った美女の多くは、歪んだ性格をしているからだ。
褒める前に、興ざめしてしまうことが多かった。
「私の思うルイ様ですか…………、色んな美女を、手篭めにし、煮え切らない気持ちにさせた挙句、半殺しにしてきたお方だと認識しております」
エヴァンは真面目な顔をして言い切った。
その認識に、ルイは頭を押さえた。
「語弊を生む言い方をするな。手篭めになど一度もしていない。あちらから寄ってくるんだ」
ルイに女性を口説いた経験などない。もちろん口説く気になればやっているだろうが、そんな気などおきなかった。
「寄ってきていますけど、私としては、追い払おうともしないから、満更でもないのかと思ってました」
「本気で怒るぞ」
故意的やっているのかと思うくらい、盛大に誤解するエヴァンに段々と怒りが湧いてくる。
何か過酷な任務でも頼んで、反省させてやろう。
それを口にしようとしたとき、エヴァンはその空気を察し、すぐに話をすり変えてきた。
「さてさて、これからどうするつもりなのですか? アシリア様は広間におりません。彼女が逃げたら、選定の儀がエレオノーラ嬢の勝ちに?」
「…………」
「ほら、早くしないと、手遅れになりますよ」
ジト目でエヴァンを見る。
危機管理能力が無駄に高過ぎるエヴァンに、ルイは脱帽した。
今は言わないが、あとで問いつめることにして、ルイは別の問題を考える。
(アシリアは、どうしているだろうか……)
本当はすぐにでも、アシリアを追いたい。
しかし、選定の儀がどうなるのか分からないため、下手に動くのは良くない。
ルイが席を外している間に、勝手に決められてしまったら、計画が全て水の泡だ。
(エレオノーラ嬢ではなく、花嫁になるのはアシリアがいい。この際、多少は、権力を使うしか……)
干渉なしと言われているが、アシリア以外の令嬢が、花嫁になるのは考えられなかった。
エレオノーラの父である侯爵の弱味を握って、辞退でもさせるか? などを考え始めた矢先、突如背後に人の気配がした。
「誰だ!」
後ろを振り返ると、いつの間にいたのか、壁に寄りかかる青年が笑いながら見ていた。
「クククッ……本当にお前は、あの娘のことになると極論しか出せないのか?」
魅惑的な声が響く。それは、聞き覚えがあり過ぎる声だった。
「選定の儀は心配しなくてもよい。ギルバートの娘の圧倒的勝利だ、ルイ」
エヴァンが呆れた顔をして、「予想外のお方の登場です」と呟き、姿を確認したルイは盛大にむせた。
「っ、ゴホッゴホッ……っ?! なんで貴方様が」
「静かにせい。ばれるではないか」
ルイの動揺っぷりに、目の前の青年は腹を抱えて笑う。
「ばれるとか、そう言う問題じゃないですから、皇帝陛下!」
目の前の人物に非難の声をあげる。
サラサラの長い銀髪を夜風に流し、見た目が弱冠二十歳前半のの美青年。
見間違えるはずがない。紛れもなく、ヴァシリアン帝国の現皇帝――ジークファルト、その人であった。
「だから、そんなに声を出すでない。あと、影武者に代理を頼んできたから、ばれることはない。大丈夫だ」
「だ、大丈夫じゃありません! はぁもう、四鬼将が国にいないだけで、不安定なのに……。これを機に内乱が起きたら笑いごとになりませんよ」
元首が不在の国があるかと、ルイは頭を抱えた。
だが、ジークファルトはあせるそぶり一つ見せない。
「我が健在であるのに、内乱が起きるはずなかろう。そんな不穏な気持ちを抱いた者がいようなら、即刻潰すからな。それよりルイは、我がいないと不味いんじゃないのか?」
ジークファルトはニヤリと笑う。何か企んでいると言うのが、一目で分かる笑みだ。
「貴方様が、何をするつもりなのか分かりません」
「ふふふ、なら聞いて驚け! ギルバートの娘を、おまえの花嫁に認めてやろう。あの娘、なかなか素晴らしいぞ!」
「…………何で、会ったかのような口ぶりをしてるんですか?」
「んんん、嫉妬か? 嫌だのぉ。心の狭い男は愛想をつかれるぞ」
「分かりました。あとで仕事を沢山差し上げますね。どうせ逃げ出してきたようですから」
嫌だ嫌だと首を振って楽しむジークファルトに、冷たい視線を向ける。
この人がいつも抜け出すせいで、こちらの仕事が増えるのだ。
国に帰ったら、椅子に縛り付けてでも仕事をして貰おうと思った。
「待て待て。分かった。それよりも、話の続きを聞け。実はな、一個目の試験中に、試験官を装って彼女に会ったのたのだ」
「は?」
「あの娘、勘違いをしておったようだが、語学の試験で一番の成績を取った。あれほどだったら、お主も負けるやもしれんぞ」
色々衝撃的な言葉が続く。自分の知らないところで、何かが起きていたようだ。
「貴方様に聞きたいことは、山ほどありますが、まずそれは置いておきましょう。選定の儀ですが、最後の試験に彼女は不在です。それはどうなるのでしょうか」
「ふむ、結果が瞭然だろう。あの娘の顔を上回る女を探す方が、骨の折れる作業だ。ましてや、エレオノーラとやらでは、足元にも及ぶまい」
「何気なく言ってますけど、酷い言葉ですね。人前で絶対に言わないでくださいね。それに、貴方様がそう言うのなら、私は止めません。好都合です」
「ははっ、言うよったな。そもそもお前は、他の令嬢が選ばれた時点で、相手の弱味を握って、結果を捻じ曲げるつもりだっただろ。我の目は誤魔化せん」
「…………」
ルイは黙る。この人のまえで嘘を吐いても、意味がない。
むしろ開き直って笑ったルイに、ジークファルトは苦笑いを浮かべた。
「まぁ、それは良い。それより、あの娘を追わなくて良いのか? かなり、心が不安定だったが」
全てを見通す力を持つジークファルト。
彼がそれを心配するのなら、彼女はかなり危険な状況にあると言うことだった。
「皇帝陛下は……、彼女の心を、どのように見たのですか?」
「ふむ、真っ白な心をみた。悪意など持たないな。だが、壊れかかっている。家族の愛を信じられなくなっている」
「そうですか……。その原因はやはり顔に関してですか?」
「うむ、そうだな。顔に対する負い目は大きい。あと一つあるが、それは今言ったら面白くない。我の心のうちに閉まっておこう」
「…………嫌なお方ですね、貴方様は」
はっきりと言わず、この状況を楽しむジークファルトに、ルイは苛立ちを隠せない。
「ククク、焦っているおまえを見ると、我は楽しいぞ」
「はぁ、もういいです。では、お言葉に甘え、私は彼女を追います。事態の収拾は、貴方様にお任せします。が、くれぐれもバレないように、お気をつけください」
「分かっている。あっ、忘れておったわ。お前、娘の了承を得てないだろう。娘の家族が腹をたてておったぞ。説得は自分でやれ」
「分かっております」
ジークファルトに言われなくてもルイは、ギルバート公爵と対話をするつもりだった。
溺愛する娘を彼が手放す可能性がないのは分かっているが、絶対に説得してみせる。
(今のままでは、彼女は壊れる。私が彼女を守る。如何なるものからも……)
心に固く誓う。彼女の全てを守ろう、と。




