44、狼男
「おっ、誰か人が、って……」
アシリアの気配に気付いた男が、凄いものを見たとばかりに目を見開いた。
「ははっ! 上玉だ!!」
男は頭を抱え、急に高笑いをし始めた。
同時に頭から背中にかけて、茶色の毛が逆立っていく。
(何この人? 高笑いし過ぎて、狂ってるとしか思えないんだけど……)
アシリアから見て、高笑いする男は異常者のように思えた。
仲間も男の狂った笑いに可笑しいと感じたのか、誘拐していた女性から目を離し、訝しげな目を向ける。
「いきなりなんだよ。気持ち悪い……って、女が居たのか?」
「あぁ。で、言っておくが、お前手出しするなよ?」
「はぁ? どういう意味だ」
「だから、先に目をつけたのは俺だ。俺の好きにする権利があるだろ?」
仲間が不満を言おうとする。
だが男は、仲間の不満を無視して、アシリアと対峙した。
どうやら男は、一人でアシリアの相手をする気のようだ。
舐めているとも取れる態度だが、数の利を活かそうとしない男に、アシリアは内心感謝した。
(一人ならまだどうにかなる……!)
覚悟を決め、アシリアはぎゅっと剣を握った。
鋭く神経を研ぎ澄ませると、気配を察した男が、またもや高笑いをした。
「あぁ、これはいい。狼男と知っても、俺に挑むんだな。ますます興奮しそうだ」
「…………」
挑発しようとしている。アシリアは冷静にそれを判断し、男の言葉に紛らわされてはないけないと、呼吸を整えることに集中した。
(相手は狼男。力の強い種族だけど、吸血鬼よりは、劣る。速度だって、それほどじゃないはず)
隙を作らないように、頭で剣を振るう自分の姿を、模擬的に何度も想像する。
一振り一振りの間隔を詰めれば、威力も落ちる。が、その分相手を斬ればいいだけだ。
(よし、最初は突きで、相手の腱を狙う。体の構造は、人間と変わらない。と、その前に……)
アシリアは邪魔だと言わんばかりに、ドレスの余分な裾を剣で切り裂いた。
走っているときも思っていたが、地面についてる裾は、はっきり言って枷になる。
ドレスを破るのに躊躇はあったが、格好など気にしていられなかった。
「ヒュー♪ なに、最初は色仕掛け? なかなか効果的かもしれないけど、もう少し露出してくれたら抜群だ」
「ふざけるな! その余裕、すぐに消してやる!」
余裕そうに構える男との距離を、アシリアは素早く詰める。
元から大きく広がる形のドレスでなかったこともあり、動きに支障はなかった。
「はっ!」
「……っ、と」
間合いに入ると同時に、男の顔に突きを牽制かわりに入れる。
男は後退して突きを避けるが、アシリアは突きの速度を緩めず、何度も繰り返した。
(っ、ここだ!)
「なっ?!」
後退するのをやめ、男が横に避けようとしたのも見て、アシリアはすぐに剣を横に払った。
男はいきなりの横払いに驚き、すぐに後退するべく足を動かした。
だがアシリアの横払いの一撃は、男の首を掠めた。
「うわっ。突きばかりと思ったら、横払いかよ。思った以上に鋭いな。避ける前に斬られちまった」
斬られた首を男は撫でる。手応えがあったが、傷が浅い。
もっと深く斬ればよかったと後悔し、アシリアは唇を噛んだ。
このとき、アシリアは知らなかった。唇を噛む行為そのものが、男の嗜虐心を煽ってるなど。
「ククっ、遊びがいがあるなぁ。あぁ、燃える。ゾクゾクが、堪らない」
意味深な言葉を、男はブツブツと呟いた。
「……おい、いつまで遊んでるつもりだ。今夜は、吸血鬼共が町に出ないからいいものの、あまり時間がないぞ」
男の遊びとしか思えない行動に、仲間の頭的存在が、我慢できないと苛だたしげな声をあげた。
それでも男の興奮は、止まらない。
「分かってる。でも、なんか燃えね? 激しい女って、好きなんだよな……」
「ったく、本気でやらないなら、俺がやるぞ」
男よりも明らかに体格が大きい仲間に、アシリアは怯みそうになった。
だがすぐに男が、それを制した。
「手出すなよ。本気でやればいいんだろう。じゃあ嬢ちゃん、次は、俺の番ッ!」
宣言すると、男はアシリアとの間を一気に詰めてきた。
吸血鬼よりも遅いとはいえ、アシリアには十分速い。
(は、はやい……。でも、対応出来ないほどじゃ)
「甘い。嬢ちゃんの剣が、どんなに強かろうが、俺たちには通じねぇんだよ」
「えっ……」
間合いよりも近づかせないと思って剣を振るうが、それよりも男の移動速度が早かった。
背後を取られた、と思うよりも先に、首に鈍い衝撃が走った。
「っ……」
鋭い手刀を適確に入れられ、目眩が襲う。
倒れたくないのに、体が言うことを聞かなくなる。
「俺の勝ちだ……。でも、いいねぇ、その睨み」
朦朧とする中、アシリアは男を睨んだ。
だが、笑みを浮かべる男に、崩れおちる体をなすすべもなく受け止められたあと、アシリアの意識は深い闇へと落ちた。
◇ ◆ ◇ ◆
先ほどまで剣を持っていた少女が、今自分の腕の中にいる。
それは、男になんとも言えない悦びを与えた。
「ほんと上玉だぜ。俺好みなんだけど……」
少女の美貌に溜息しか出ない。
すっと通った鼻梁に、深い影を目もとにつくる睫毛。
形の良い唇は、先ほど少女が噛んだせいもあり、少し血が滲んでいるが、それが返って扇情的に見せている。
見ただけでわかる均整の取れた肢体も計算されたようで、少女の全てが完璧だった。
「どんだけ好み好み言うんだよ。俺も見るぞ……うわっ、まじか〜。俺が先に目をつけておけばよかった」
仲間の二人からも、感嘆の声が上がる。
「やべ、興奮してくる。どうせ抱くんだろ? 俺にも一回やらせろよ」
「はぁ? やらねぇし。こいつは俺のだ。俺が一人で愛でるんだ」
仲間の視線から隠すように、男は少女を胸に抱く。
慈しむなんて柄でもないと思う。
だが有無を言わさず掻き立てられる庇護欲が、そうさせてしまう。
さらに、この少女を壊してやりたいという嗜虐心も湧き上がり、男は二つの真逆な欲に翻弄される。
「今気付いたが、この女、服から言って身分が高いな。面倒事に巻き込まられなければいいが……」
一人葛藤していると、この四人の中で一番強い男──頭がふと不満を零した。
「あぁん? 手放せって言われても、俺は嫌だぞ。こいつは俺のものにする」
面倒ごとを回避するのに、少女をこの場に置いていけ、と言われそうで、男は半ば喧嘩を売るように言い返した。
そんな必死な男を見て、頭は鼻で笑った。
「こんな路地裏に来るような女だ。何か事情があるんだろう。別に好きにすればいい。それよりも、捕らえた女は何人だ」
「……七人ってとこだ。まぁ、こいつは俺のものだがな。ほんと今すぐベッドに……」
「いい加減にしろ。下品だぞ。少しは言葉を慎め、っ?!」
頭が興奮する男の言動を諌めようとしたとき、尋常じゃない殺気があたりを支配した。
男は興奮するのも忘れ、息を吸うのもやっとと言える圧迫感を、一瞬で作りあげた存在に、恐怖と警戒を抱いた。
(ぐっ……なんだ、これは……?)
まるで警鐘を鳴らすかのように目の前がチカチカと点滅する。
敵との圧倒的な力の差を、体が本能的に訴えているが分かった。
「汚いその手で、私の花嫁に触れないで欲しい。彼女が汚れる」
侮蔑を含んだその声は、氷のように冷たく、鋭かった。
声主が頭上にいるのに気付き、男は咄嗟に顔を上げる。
そこに居たのは、鋭利な美貌を限界まで研ぎ澄ましたような顔を持つ、一人の吸血鬼だった。




