38、対決するは、国一番のご令嬢??
ヴェールを掴まれたアシリアは、顔を見られると目を瞑った。
「…………??」
しかし、数秒経っても、ヴェールが顔の上から消える気配はなかった。
「──それ以上近づいたら、斬りますよ、ルイ宰相」
「オ、オーウェン?!」
さっきまでいなかったオーウェンの声が、部屋に響いた。
ハッとなって、目を開けると、オーウェンがルイの首元に、短剣を突きつけていた。
「凄いな……。誰かが近づいてきてるのは分かっていたが、まだ遠くにいる感じがした。それなのに、あの数秒で、ここまで来るなんて」
首元に剣を突きつけられたルイは、あくまで余裕そうだった。
「貴方様がここできて、何をしているのか気になりますが、まずは約束をして下さい。ここに来たこと自体、秘密にする、と。それが出来ないなら、ここで息の根を止めましょう」
「……この短剣を避けられる、と言ったら?」
「それはどうでしょう。やってみますか?」
オーウェンの手に力がこもるのが分かる。
「「…………」」
両者の間に沈黙が流れる。
ルイは余裕な顔は崩さなかったが、一度だけ首を傾けた。
「やはり君は、普通じゃない。手合わせを願いたいが、今日は遠慮しておこう」
そう言ったルイは、アシリアの肩から手を退けた。
障害物が無くなったので、アシリアは急いで起き上がり、ルイから距離を置く。
「アシリア様、大丈夫ですか?」
目だけでそれを確認したオーウェンは、ルイの首元から短剣を退け、アシリアを庇うように立った。
「ええ、なんとか。ありがとう、オーウェン」
不細工な顔を見られるのは回避したので、アシリアは安堵の息をついた。
「邪魔が入ったし、これ以上ここにいても、何も出来なさそうだ。用事を済ませたことだし、帰ろうか」
なら、とっとと帰ってください。
もう来ないでほしい、とアシリアは思った。
「そうですか。なら、窓からお帰りください。アシリア様に変な噂が立ったら、面倒です」
オーウェンの言葉に、うんうんとアシリアも頷いた。
「分かっているよ。でも…………」
ルイは、濡れた髪を一度片手でかきあげ、口の端をつりあげた。
「っ?!」
ルイの姿が一瞬で消えた。
しかし次の瞬間、アシリアの耳元で、「明日手を抜くのは許さない」と言う声がした。
吸血鬼の身体能力は、人間を遥かに上回るという。
ダクバート公爵を見て忘れていたが、吸血鬼は生粋の戦闘種族なのだ。
相手の気付かぬうちに、殺すなんて動作もない。
「では、夜分遅くに失礼しました。良い夢を」
そしてその次の瞬間、ルイは窓の前に立っていた。
窓から出たルイは、ニコリと笑って、一瞬で姿を消した。
(最後までほんと嫌な人だわ。まぁ、去ったからいいけど)
巨大な台風が、やっと去ったと思った。
「アシリア様……あの方に、何か言われましたか?」
「な、なんでもないわ。それより薬草を頂戴」
ルイは去ったが、オーウェンは腑に落ちないという顔をしていた。
それでもアシリアに催促されれば、素直に薬草を渡してくれた。
アシリアは薬草を貰って、棚に置かれていたすり鉢に全部入れる。
薬草の汁だけでも、睡眠作用を持っているので、それを飲んで寝るつもりだ。
それをアシリアがやっている間、オーウェンは窓の鍵を閉めていた。
「今日の警備は、隙だらけでした。朝まで見張ります」
浸入を許してしまったことに、オーウェンは負い目を感じている。
それがすぐに分かった。
「オーウェン、あなた帰っていいわよ。あの人が異常者なんだし、鍵を閉めなかったわたしにも非はあった。それに別に何もなかったのだから、気にしなくていいじゃない?」
アシリアは笑った。
そうだ、何もなかったのだ。
明日に変な予定が入ってしまったが、それさえなんとかすれば、問題ないと思った。
「しかし、アシリア様っ」
「オーウェン」
珍しく狼狽えるオーウェンを黙らせる。
いま騒いだとこで、もう過ぎたことだ。
なら次に進むだけ。
「あなたが気に病む必要はありません。むしろわたしは、あなたにお礼を言いたい。助けてくれてありがとう。さぁ、帰った帰った」
オーウェンを部屋から叩き出したアシリアは、ベッドに座って薬草の薬を飲み干す。
口に苦味が広がるが、次第に眠くなる感覚に、アシリアは身を任せた。
本来なら、今日起きたことは寝るのも惜しんで、深く考えなければならない問題だと思う。
でも今は、一刻も早く解放されたいと思わずにはいられなかった。
◇ ◆ ◇ ◆
夜会が開かれてから三日目の朝、アシリアは父に呼び出された。
昨夜のことだと、予想はついていた。
「アシリア、お前にこんな招待状が来たが、どういうだ?」
父は一枚の招待状を手に取って、アシリアに見せた。
それを黙って受け取ったアシリアは、重い口を開いた。
「昨夜……ルイ様が、来ました」
「っ?! なぜそれを、昨夜のうちに私に言わなかった?!」
父は、選定の儀を知っているのだろう。
そしてそれに、アシリアが呼ばれたことも。
しかしアシリアの口からそれを聞きたかったのかもしれない。
(焦ってる……。もう、どうしようもないのに……)
置かれた状況を把握し、父は事態を変えようとしとている。
でも今回は、流石に父でも事態は変えられない。時間が無かったから。
「お父様に言ったところで、事態は変えられないと思ったので」
「少しはっ」
「変えられないと思います」
動揺する父に、アシリアは強く言った。
「あちらがこの選定の儀を決めたのは、昨日の時点です。お父様に時間は無かったのです」
「なら、断れ! 私から話をする!」
「そういうわけには、いきません! ルイ様がわざわざ昨夜、わたしの元に訪れて言ったのですよ? わたしの我儘で、国を存亡の危機に落とすわけにはいきません」
「し、しかしっ!」
「それに、まだ選ばれたわけではありません。出さえすれば何もしないと、ルイ様は仰せになってました。つまり、わたしが出さえすればいいのです! だからお父様……」
一気に言ってしまった方が、良いと思ったから、父の前でも強気な姿勢を崩さなかった。
でも最後の方では、父に縋りたいと思ってしまう。
父なら変えてくれるんじゃないか? と、心の何処かで思ってしまう。
(駄目……。わたしが、弱気でどうするの? 今回は、国同士の問題に繋がっている。わたしがやらなくちゃいない)
国に義理立てする気持ちなんて、自分には無いと思っていた。
けれど先祖が、代々宰相と言う重職を務め、必死に守ってきた国。
国に忠義を尽くし、他国からも恐れられるギルバート家。
誇り高きギルバート家に生まれたことに、アシリアが後悔を抱くはずなどないのだ。
むしろギルバートの名を背負っていることに、誇りしかなかった。
「わたしは行きます。ギルバート公爵令嬢として、この危機、絶対に乗り切ってみせます」
その思いがあるからアシリアは、はっきりと言い切ることが出来た。
そんなアシリアに父は、目を見開いたが、やれやれと笑った。
「お前がそこまで言うなら、行ってこい。だが気をつけろよ。呼ばれてるのは生粋の貴族令嬢たちだ。嫌な言葉や視線を浴びるかもしれない」
「それは大丈夫ですわ。なんたってわたしは、いつもお父様たちに言われ慣れておりますから」
「そうか。くれぐれも無理はするなよ」
「はい」
父に背中を押されて、決意を固めることが出来た。
アシリアは父に向けて、一つだけ礼をして部屋を出た。
そのときアシリアした礼は、ギルバート公爵令嬢に恥じない、毅然とした礼だった。
◇ ◆ ◇ ◆
「あの有名な公爵令嬢様が来てるわよ」
「おかしなこと……クス、何かの手違いかしら」
「顔を隠してしか、出てこれないような方は、出てこなければいいのに」
「…………」
聞こえてくる悪口に、眉をひそめるが、アシリアは全部無視した。
王宮に呼ばれ、応接間に通されたアシリアは、同じく招集された令嬢たちに、聞こえよがしに悪口を言われた。
酷い言われようだが、物心ついた頃から、言われていることだ。
今さら言われても、辛くは感じなかった。
選定の儀が始まるまで、一人で耐えてみせると思っていたとき、アシリアの横に栗色の髪の女性が立った。
「ねぇ、少しは黙ったらどうなの? 品が疑われるわよ」
「ハ、ハルティス様!」
女性っぽくない声が辺りに響く。
その声には怒気が含まれ、悪口を囁いていた令嬢たちは口を噤んだ。
「ふん、口先だけの連中。あんなのほっといた方がいいよ、アシリア。人の悪口を言ってないと、気が済まない人たちだから」
「ハルティス……。本当にありがとう」
ハルティスは、ミューレお姉様の妹で、アシリアと同い年の侯爵令嬢だ。
小さい頃から遊んでいた友達の一人で、親友が呼ばれていたことに、何とも言えない感情が襲うが、心強い存在だった。
「ハルティス。貴方も呼ばれていたのね」
「うん。決闘を申し込まれたから」
「け、決闘??」
ただ自分とは何かが違うような気がして、意味を尋ねようと思ったが、周りが煩くなった。
何? と辺りを伺うと、扉の周りに人だかりが出来ていた。
「エレオノーラ様よ! はぁ、今日もお美しいわ」
「女神様のようだわ」
どうやら、アシリアと選定の儀で競う相手が来たようだ。
「ごきげんよう、皆様」
鈴のような声がしたと思ったら、漆黒の髪の美少女エレオノーラが現れた。
エレオノーラはアシリアを見つけると、此方に来てにっこりと笑った。
「エレオノーラ様、お久しぶりです」
「お久しぶりでございますわ、アシリア様」
マナー上、身分が上のアシリアから声をかけねば、エレオノーラが声をかけること自体許されない。
だからアシリアが先に挨拶をすると、エレオノーラも挨拶を返した。
(誰かも好かれる太陽な少女みたい。わたしとは正反対ね)
軽く落ち込むが、黙っているのは気まずいので、何か話そうとアシリアが悩んでいると、エレオノーラが先に口を開いた。
「お父様に聞かされたのですが、アシリア様とわたしくしは、花嫁の一つの座をかけて、勝負するとか」
エレオノーラはあくまで笑顔を崩さない。
しかし周りが、それに食いついた。
「ふふ、ざまぁないわね。エレオノーラ様相手なら、不細工公爵令嬢はこてんぱんにやられてしまうのでしょうね」
「無様に負けましたら、笑いが堪えられるか、不安で仕方がないですわ。今のうちに顔の筋肉鍛えておかないと」
わざと声を聞こえるように言っている。
それはもちろんわかるが、相手にするつもりなどなかった。
「ええ、そうですわね」
顔はヴェールで隠されているが、アシリアは笑いながら言った。
声もそれにつられ明るくなるので、自分は気にしていないと周りに伝わっているだろう。
「お互い頑張りましょうね!」
本当に噂に違わず、素晴らしい方だと思った。
ニコニコしながら握手を求めてきたエレオノーラに、アシリアも手を差し出した。
「っ?!」
しかし突然の痛みに、アシリアは顔を歪めそうになった。
(この子、わざと……っ?!)
握手した手を握りつぶすような勢いで握られる。
不審に思いアシリアは、目の前にいるエレオノーラを見上げた。
(ヒィィイ、笑いながら握ってる。でも申し訳ないけど、案外痛くないのよね)
剣を握るアシリアにとって、エレオノーラの握力など微々たるものだった。
それよりもエレオノーラは、天使のような笑みを浮かべている。
その笑みに少し恐怖を感じたが、絶対に負けないんだから!! という負けず嫌いな性格まで見えたような気がして、健気で可愛い少女だなぁ、と思ってしまった。




