36、眠れぬ夜
二日目の夜会が終わった。
屋敷に帰るとアシリアは、立ってもいられないほどの疲れを感じた。
(今日は色々なことがあったなぁ。普段見ない人集りとか、気持ち悪い人がいたとか……)
今日のことを思い出しながら湯浴みをし、家族とともに夕食を食べたあと、アシリアは眠ることしか考えられなかった。
自室に戻って寝ようと席を立ったとき、父に声をかけられた。
「アシリア? もう寝るのか?」
「はい、疲れたので」
「そうか。あと二日だけの辛抱だ」
「気を抜かず頑張ります」
「あぁ。だが、顔を隠すヴェールくらいはつけておけ。こっちの屋敷はそれなりに人目がある」
「わかりました。ふあぁ、おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
食堂を出るとき、領地の屋敷からついて来た侍女から顔を隠すためのヴェールを貰った。
歩いたりしても取れないように、紐を頭の後ろに手慣れた手つきで結ぶ。
ヴェールの布の織り方によるものだと思うのだが、外から見ると、アシリアの顔は本当に見えない。
アシリアの方から見ると、景色がばっちり見えるのだから不思議だ。
「ふあぁ、はやく寝よ」
欠伸をしながら、アシリアは自分の寝室に向かった。
王都のある自分の寝室は、領地のものよりも少し大きい。
王都の方に来るのはかなり久しぶりであったが、部屋は綺麗に掃除されていた。
アシリアはベッドのところに向かい、飛び込むようにして、上に転がった。
目を瞑ったら、意識が沈むように眠ることができた。
◇ ◆ ◇ ◆
「さ、最悪……」
このまま眠りつづけられると思ったが、眠ってから一時間くらい過ぎた頃に、アシリアは目が覚めてしまった。
それから何度目を瞑って眠ろうとしても、眠ることが出来なかった。
「駄目だ、眠れない。もう、風でも浴びよう」
仕方なくアシリアは起きることにした。
部屋にある大きな窓を開けると、そこは庭が見渡せるテラスがある。
外は寒かったが、それを忘れさせるくらい、夜空には無数の星々が浮かんでいた。
王宮のシャンデリアはキラキラとしているが、儚く輝く星の方が綺麗だと思う。
夜空に手を伸ばし、星々を追いかけいると、声をがした。
「何してるんですか? 風邪ひきますよ」
「……オーウェン?」
暗すぎてよく分からないが、オーウェンの声だと思う。
「そこからだと見えないんですね…………」
「そうだけど……ん? オーウェン? おーい」
テラスの下を覗き込むが、オーウェンから返事はなかった。
人が話している最中にいなくなるなるなんて、失礼な使用人だなと思った。
「ほんと、なんなの? 少しはわたしを敬うって、ひゃあっ」
「ブツブツと何を言ってるんですか?」
いなくなったと思っていたオーウェンにいきなり肩を叩かれた。
「う、うわっ、びっくりした。いきなり近くで声かけないでよ」
オーウェンはさっきまで下にいた。
なのに今は、アシリアのすぐ側にいる。
ここ三階なんだけど……と思ったが、オーウェンは息ひとつ乱していなかった。
護衛者だと、このぐらい歩くのと同じ気持ちでやらないといけないのだろうか。
「それで、アシリア様。何をしてるんですか?」
「ね、眠れないのよ。体は疲れてるんだけど」
「なんですか、それ」
オーウェンは呆れ声だった。
「眠れないなら、睡眠作用のある薬を服用して寝ればいいんじゃないですか。作れるんですから」
「あっ、確かにそうね」
言われて気付いた。確かにそうだ。
材料さえあれば、アシリアには薬を作ることができる。
ここは、薬師の名にかけて、朝まで眠れるクスリを作ろうじゃないか。
「では、結論が出ましね。私は見回りに戻りま」
「待って、待ってオーウェン。どうせなら、今から紙に書く薬草、薬草園に行って取ってきてくれない? ついででいいから」
「…………お断りします。面倒です」
「そう? なら、わたしが行かないとね」
オーウェンが断るなんて、アシリアには想定済みなので、自ら行くしかないようだ。
やれやれと思いながら、アシリアは部屋から縄を取ってきて、テラスの欄干に縛りつけようとした。
「…………どうして貴方はこうも……もう、分かりました。私が行きます。必要なのは、なんの薬草ですか」
しかしオーウェンに肩を掴まれ、止められた。
オーウェンが渋々頷いたのを見て、アシリアは内心微笑んだ。
(甘いわ、オーウェン。よしっ、薬草の名前を書こうかしら♪)
部屋にあった紙に、薬草の名と、分からないときのための特徴を書いていく。
それをオーウェンにアシリアは手渡した。
「はい、これ。多分オーウェンが知ってるやつだと思うんだけど、特徴も書いといたから」
受け取ったオーウェンは紙を見て、「確かに見たことありますね」と頷いた。
「じゃあ、取ってきますから、待っててください。もちろん、部屋の中でですよ? ちゃんと、部屋の扉から届けますから」
「ありがとう。暗いから気をつけてね〜」
オーウェンは欄干に手をかけると、直ぐに飛び降りた。
三階から落ちて、着地したときの音が聞こえないと言うのは、異常なのでは? とアシリアは思った。
(まぁ、オーウェンだからなぁ。何にも思わず、やっちゃうんだろうけど)
クスクス笑いながら、アシリアは部屋の中に入った。
オーウェンが来るので、部屋に明かりをつける。
ベッドに腰掛け、オーウェンが来るのを待っていたら、テラスの窓ゆっくりと開いた。
オーウェンは部屋の扉からくると言っていた。
そしてアシリアは、先ほど窓の鍵を閉め忘れてしまったことに気がついた。
「ッ?! だ、誰!!」
アシリアは咄嗟に立ち上がり、窓の方を見た。
侵入者が入ってきたかもしれなかった。
「…………見つけた」
男の声がした。
足音を鳴らして、部屋の中に入って来る侵入者。
灯りが侵入者を照らすと、一人の青年の姿が浮かび上がらせた。
「な、な、なんで、貴方がここにいるのよ!」
予想外の人物にアシリアは驚嘆した。
銀髪で赤い瞳の青年。
夜会では仮面をしていたが、今現在、彼の顔を隠すものはなく、冷ややかな印象を受ける美貌を余すこなとなく晒していた。
(宿敵っ! なに我が物顔で、婦女子の部屋に入って来てんのよ!)
部屋の主人のような顔で、椅子に座るルイは、不敵な笑みを浮かべていた。
「なんで、か……。それは、君が一番知ってると思うが?」
答えをはっきりと言わないルイに、アシリアは苛立ちを覚えた。
(宰相の人って、みんなこんな感じなの? お父様もわたしに考えさせるし……)
答えを出さず、相手に考えを言わせる。
アシリアの父も、よくこの手口を使っていた。
(まぁ、いいわ。考えてやろうじゃない。確かミューレお姉様も言っていたけど、この人はお父様の娘であるわたしを狙っているはず。でもそれなら、こんな直接的な方法、阿呆なんじゃないの?)
ここは一つ、父に助言を求めようではないか。
声を出して、使用人が駆けつけてくれれば、父が事態を収拾してくれる。
早速叫び声を出そうと、アシリアは大きく息を吸った。
「声、出さない方がいいよ」
しかし椅子に座っているルイが、にやりと口の端をつり上げてそう言った。
「はぁ?? 出すに決まっ」
「私に、王国の貴族たちが考えることなんか分からない。けれどこの場合、私は君に夜這いした、という事になるんじゃないか?」
「よ、夜這い??」
ルイの予想外の言葉に、アシリアは眉を顰めた。
(夜這いって、男性が女性の寝室に求婚しにくることよね。分かるけど、わたしの元にくるのは、意味不明なんですがっ)
黙ったアシリアに、ルイは言葉を続けた。
「そう、夜這い。夜這いをされるのは、女性にとって致命的な傷になる。君の評判は落ちるだろうね」
「はぁ? 評判? そんなの昔からずっと悪いわよ!」
「うん、知ってる。でもそれに、夜這いをされた、という事実が加わったら、ギルバートという名にも泥がつくよ。君の家に難癖をつけたい貴族は沢山いるんだから」
確かにルイの言う通りだ。
王から絶対的な信頼を寄せられるギルバート家を、よく思わない貴族は沢山いる。
娘に夜這いが起きたなんて知れたら、騒ぎ立てる人も出てくるだろう。
しかし、ギルバート家ばかりに不利益が生じるわけでなかった。
「あの、お忘れかもしれないけど、貴方にも責任があるって、追及されるかもしれないのよ! わたしみたいな不細工を娶れってなるわ!」
ルイは貴族だ。
それも帝国では、宰相という重職にある。
父以外の適齢期の娘を持つ貴族だったら、ここぞとばかりに、名誉と純潔を傷つけた責任をルイに取らせようとするだろう。
このことを突きつけたら、ルイは嫌な顔をするとアシリアは思っていた。
不細工な自分を娶れなんて言われたら断るだろう、と。
「あぁ、その手があったか。なら是非騒いでくれ」
けれど、ルイの反応は違った。
そんな方法があったんだとばかりに、ルイは笑った。
その反応は、アシリアの期待したものではなかった。
「あ、貴方、変人なの? 娶ったら、貴方の将来が無くなるかもしれないのよ!!」
「無くなる?」
考えられる未来を想像してアシリアは言ったのだが、ルイは何を言っているのか分からないと首を傾げた。
「いい? 貴方も貴族なんでしょ。顔は貴族にとって社交界での武器よ! つまり貴方が頑張ったところで、不細工なわたしのせいで嫌な思いをするってわけ」
両親や兄は自分に何も言わないが、社交界の陰で、アシリアの顔の悪口が噂されているのは知っていた。
「フッ、馬鹿な。嫌な思いする前に、相手を絶望に落とせばいいだけだ。むしろ私としては…………アシリア、君が手に入られない方が辛い」
「なっ」
しかしルイは、不利益になるとアシリアが何度言っても、余裕の笑みを崩さなかった。
さらに今まで言われたこともないような告白じみた言葉まで言われ、アシリアは赤面した。
(何この人?! 自信の塊なの?? 言われて焦る事とか無いんじゃ……)
アシリアは口をパクパクさせて、目の前のルイを凝視した。
すると、突如ルイが椅子を立った。
ルイは、錯乱しているアシリアをみて、艶然と微笑んだ。
「しかし、君にそこまで言わせる顔は気になるな……。ねぇ、見てもいい?」




