34、夜会 其の三
(お父様……宿敵に会ってしまったわたしは、どうすればよいのでしょうか……)
手を伸ばせば、触れる距離にいるルイに、アシリアの思考は停止する。
都合よく別人であったら……と思ったが、回りの反応を見るに、ルイ本人に違いなかった。
「あの方は、ルイ様じゃないかしら……えぇ、やっぱり、あの凛々しい雰囲気はルイ様だわ」
「あぁ、私もルイ様に助けて頂きたかったわ」
「顔を隠していても、本当お美しい。雰囲気で分かってしまいますわね」
「こちらを向いて頂けないかしら……」
あちこちの女性から、賞賛の声が上がる。
社交界に疎いアシリアでさえ、目の前の人物が誰なのか、嫌でも分かった。
(やっぱり、ルイ様であってるわよね……。も、ものすごく逃げたいんだけど)
義姉のミューレに、要注意人物だと言われたことも思い出し、無意識に腰が引けてしまう。
逆に、アシリアが助けた女性はというと、熱い目をルイにむけて、お礼をいい続けていた。
(まぁ、普通はそうなるわよね)
窮地を救ってくれた男性なのだ。
アシリアには理解出来ないことだが、彼に惚れているのかもしれない。
(惚れるとか、意味わかんないけど、でもこれって、わたしには好機よね?! ルイ様が、彼女の対応をしてるうちに逃げられそうッ)
熱心にお礼を言っている女性に、ルイはかかりっきりだ。
その間に退散すべく、アシリアは近くにいた彼の部下に声をかけた。
助けてくれた人に、本来はお礼を言うべきなのだが、二人を邪魔するのは忍びないということにしておく。
それを説明すると、部下の男性も笑いながら、「あとで伝えておきます」と言った。
アシリアは、この窮地を脱したと思った。
「本当に、ありがとうこざいました。では、わたくしはこれで……」
「あ、待って……」
最後にもう一度、お礼だけ言って、去ろうとしたら、何故か行き先をルイに塞がれた。
故意に行き先を塞いだのは分かるが、気づかないふりをして、避けて歩こう思った。
しかし、片手で腕を掴まれ、完全に逃げれなくなってしまう。
(あ、あの状況で、わたしのことを見てたの?!)
アシリアは内心舌打ちをした。
自分など蚊帳の外でいいから、二人だけの世界にいて構わなかった。
(早く立ち去りたいんですけどッ。第一、彼女はまだ貴方と話し足りないようなんですがっ)
話をやめたルイのせいで、アシリアは助けた女性にキィッと睨まれた。
不本意だと言わんばかりに睨まれるが、アシリアの方がずっと不本意だ。
それが伝わるようアシリアは、一度女性を見てからルイの方を見た。
「あら、気付いていらしたのね。お二人が折角楽しそうに話しているのを、邪魔してしまったら申し訳ないと思って、声をかけませんでしたの。だから、わたしなど構わずに、まだ沢山お話していて下さいな」
そして、逃亡を妨害するルイの手をはずそうとしたが、アシリアの本心に気付いているのか、腕を先ほどより強く掴まれた。
若干痛いので、顔を歪ませるが、力が緩む気配はなかった。
「助けたのに、すぐに帰ろうとするなんて、あまりにも冷たくはありませんか?」
「あはは……に、逃げようなんて。ただ、邪魔者は退散しようとしただけですから」
「邪魔者ですか……? なら、誤解を解いておかないといけませんね。私は、あの場で声を上げられた貴方の勇敢さに、是非お礼をしたいと思っています」
ルイににっこりと笑われて、アシリアは口から「げっ」という声がでそうになった。
(この人、絶対あそんでる。というか、お礼なんていらないし! この場から立ち去らせてくれれば、それで満足なんですがっ)
アシリアは、心の声を大声で叫びたい気分だった。
もちろんそんなことをして、相手の思う壺になるのも癪なので、やらないが、この場から逃げるための方法を早急に考えなくてはならなかった。
(下手に別れれば、絶対に追ってくるわねこの人。じゃあ、一方的に話してさよならすれば……いや、これも駄目よ。この人かなり口回りそうだもの。逆にわたしが押し負けるわ。ど、どうすれば……)
アシリアは、脳を必死に動かして、最善の策を考える。
そして、焦ったアシリアが、考えた策は……
「お、お礼なんて。助けて貰ったのはわたしの方で、むしろわたしがしなくてはいけませんわ。しかし、貴方様がどうしても仰るのなら、ここはおあいこということにしませんか?」
「お、おあいことは」
「なかったことにするのです。貸し借りなしですわ」
……自分でもかなり苦しい言い分だと思う。
でも、この場から離れられるなら、何が何でも通そうと思った。
「一番良い方法だと思いますの」
「確かに、それだとお互い気を遣わなくてすみますね」
「え、えぇ」
ルイはアシリアの言っことに納得した。
納得したこと自体、かなり意外だったが、逃げられる座談がついたので、アシリアは大いに喜んだ。
「やっぱり、そうですよね!! じゃあ、わたしはこれでさよな」
「あっ、すみませんが、もう少しだけ、時間を私に下さいませんか」
「……は?」
何故時間を? とアシリアが問う前に、ルイは目の前の床にしゃがみ込み、片膝を立てた。
「……は?」
アシリアは目の前が真っ暗になった。
ルイがやったのは、男性が女性にダンスを申し込むときにする動作である。
古風ではあるが、格式が高いぶん、女性が断れば、申し込んだ男性の恥になる。
つまりアシリアの私的な気持ちだけで、断るのは出来なかった。
(ダ、ダンスとか意味が分からないんですけど。てか、余計周りが煩くなったじゃないのよっ!)
アシリアとルイは、周りから脚光を浴びた。
いや、脚光を浴びているのはルイだけで、アシリアの場合は女性からの殺気だ。
「えっ?? ルイ様が女性にダンスを申し込んでいる? め、珍しいですわ」
「これをもし、あの女が断わったら、ルイ様の恥に……まぁ、断る女なんでいないと思うけど。はぁ、羨ましいわ。なんなのあの女。消えてほしいわ」
「ルイ様に長い間跪かせてなんかないわよクソ女。本当腹立たしいぃ!」
このルイとかいう人、かなり人気があるようで、周りの人、主に女性からアシリアは凄い勢いで睨まれた。
(そ、そんなに睨まなくたって、そもそもわたしのせいじゃないでしょ! 変わってくれないか、頼みたいのはわたしの方なんですけどっ!)
しかしこの状況で、ダンスを断るなんて出来るはずもなく、アシリアは仕方なく肯定の意として、ルイの手を取った。
そもそも最初から、選択肢は一つしかないのだ。
「初めにいっておきます。わたし、ダンスが下手ですの。貴女様の足を、勢いよく、踏みつけてしまうかもしれないわ。故意ではないので、お許し下さいね」
「女性をリードするのは、男性の役目です。つまり、貴方の足元が乱れるのは、私の責任ですので、お気になさらず」
意趣返しに文句を言うが、ルイにすんなりと返されてしまった。
「では、一曲お願いします」
「わたしこそ、よろしくお願いします。一曲だけ」
ルイは、アシリアの腰に自然に手を回し、音楽に合わせて踊り始めた。
このときアシリアは、ルイの足を思いっきり踏んでやろうと思っていた。
しかし悔しいことに、ルイはダンスが上手だった。
アシリアが踊りやすいようにリードしてくれるので、足が勝手に動いてしまう。
(す、隙が、ない……いや、終わりまで油断しては駄目よ。機会があるかもしれないもの)
諦めることなく、目を光らせるが、本当に隙がない。
なかば諦めの境地にはいっていると、ルイが突然話しかけてきた。
「こんなにダンスのステップが合うのは、久しぶりだ。是非お名前を伺っても?」
ごく自然に、名前を尋ねられた。
(あ、危なっ。でも、残念でした。貴方なんかに、名前を教えるわけないでしょ!! 他の女性が引っかかったとしても、わたしはおちないわよ!!)
警戒していなかったら、ぽろっと口から名前が出てしまったかもしれない。
「それは、不躾な質問ですよ。仮面の下では、名前や身分はいらないはずです」
絶対に教えるものか、と思いながら毅然と答えたアシリアに、ルイの動きは一瞬止まった。
ルイが止まるなんて、アシリアは微塵にも思っていなかったので、いつもの癖で、次のステップを踏んでしまった。
そのおかげで、アシリアはルイの足を踏むことに成功した。
「あっ、踏んでしまいましたね」
知らず知らずのうちに、声が若干明るくなってしまったのは、仕方ないだろう。
踏む隙がないと諦めていたのだから。
「い、いえ、今のは私の責任です。すみません…………。はぁ、仮面付きの夜会なんて、面倒くさい」
「?」
ため息をついたのは分かったが、最後の方、ルイが何を呟いたのか聞こえなかった。
何を呟いのか考えていると、ルイはアシリアの腰を強く引き寄せた。
「ひゃっ!!」
ステップの遅れで、離れてしまった体を、近寄せる意味でにやったのは分かる。
ただ、あまりにも近すぎのような気もして、アシリアは体を放そうとした。
(ち、近い……もう少し、距離間があったほうが……)
そう思ってはなれようとするが、アシリアの力を軽く上回る強い力で引かれ、抱きしめられているような格好になってしまった。
「ちょっ?!」
「……ごめん、嫌だと分かってるんだけど、君が初めてなんだ。自分の思い通りにならなかったり、意見したりする女性は……」
自分の思い通りにならかったり意見したりする女性? そんなの知るか。
アシリアはとにかく逃げるための策を考える。
すると、曲が終わるのと同時にアシリアは、運良くミューレを見つけられ、これを絶好の機会たと思った。
「ミューレお姉様! すみません、曲も終わりでしょうし、わたくしはこれで。待たせている方がいるので」
ルイの体を手で突き放し、アシリアは立ち去るようにその場を離れた。
アシリアが離れたのと同時に、ルイの周りには人垣できた。
話す機会を伺っていた令嬢たちだろう。
先ほどはよくも殺気を浴びせてくれたなと思ったが、ルイが此方に来なくて済んだ。
(た、助かった……。変なことは沢山ありましたけど、正体はバレていないでしょうから、大丈夫ですわね……?)
他人に睨まれたり、踊るつもりなどなかったダンスをしたり、とにかく色々あった。
でも自分の名前は、一切言わなかったので、バレていないとアシリアは安心していた。
そう、気付かぬうちに、ある一つミスを、してしまったことに……




