28、平穏の終わり
外からは春の鳥たちの声が聞こえ、ギルバート家の屋敷には穏やかな時間が流れていた。
そんな時間がずっと続くのだと思っていたとき、一人の女性の声が響き渡った。
◇ ◆ ◇ ◆
「アシリアお嬢さまーーッ!」
部屋の出窓に腰をかけ、ヨシュアと共に本を読んでいたが、アーニャの声が聞こえ、アシリアは顔を上げた。
「……? なに、アーニャ?」
扉の方を見ると、息を切らしたアーニャが立っていた。
「ハァ、ハァ……旦那様が、呼んでおりますッ! 急を要する話だそうで、急いでくださいませ!!」
「そ、そう……」
いつものくだらないことで怒られるのだと思っていたが、どうも違うらしい。
(急用ね……。やっとあの宰相が去ったというのに)
面倒だなぁと思いながら、アシリアは重い腰を上げた。
「ん?」
「……お姉ちゃん、いっちゃうの??」
自分の袖を引っ張る手の持ち主は、ヨシュアだった。
不満そうな声と、うるうるな目で見つめられて、アシリアは否定の言葉を紡ぎそうになってしまう。
(駄目駄目っ! ヨシュア君が可愛からって、お父様を無視したら、後が面倒よ)
喉から出そうになった言葉を、アシリアは自制心で打ち消した。
「うん、ごめんね。あ、そうだ。違う本、貸してあげるから自由に呼んでみて。分からないことあったら、後から教えてあげるから」
「そお? なら、分かった!! 約束ぅ!」
素直に喜ぶヨシュアを見て、アシリアの胸に温かい何かが流れ込んできた。
(いやぁ、ほんと可愛いなぁ)
ヨシュアを一人残しておくのは可哀想だったので、棚から出した一冊の本を貸す。
先ほどまで一緒に読書していて分かったのだが、ヨシュアは異国の本に興味があるようだ。
暇つぶしなればと貸した本は、異国の言葉で書かれているとはいえ、読みやすい本であった。
宰相の甥ということもあり優秀なヨシュアなら簡単に読める本だと思う。
「あの宰相の甥とは思えないほど、ヨシュア様は可愛いらしいです。私としては、懐かれているアシリア様が羨ましいですよ」
部屋を出ようとすると、眩しいものを見るのかのようにアーニャがヨシュアを見ていた。
しかし、いつもの小言もとんできて、アシリアは苦笑した。
「弟が出来たら、こんな感じなのかな? とは思っているよ」
「ええ、お二人を見ていると、血の繋がった本当の姉と弟にしか見えませんよ。こんな時間が長く続けば良いのですが……」
嬉しそうに本を抱きかかえるヨシュアを見ながら、アシリアはアーニャと共に部屋を出た。
◇ ◆ ◇ ◆
「で、話とはなんですか?」
父のいる執務室に入室した直後、アシリアは単刀直入に問い詰めた。
「私が話す前に、おまえを何故呼んだか見当がつくか? ヒントはこの部屋の中にある」
「…………はぁ」
直ぐに要件を済まそうとしない父に、苛立ちをかくせないが、アシリアは黙って部屋を見回した。
(顔に問題があるから、頭で補えってことね。いいとこを邪魔されて、苛立っているというのに……)
無言で部屋を見回している途中、テーブルの上にある住民の戸籍表が目に止まった。
(住民の戸籍表? こう言ったものは住民の管理をする機関とかに置いてあるはずなのに)
不思議に思いながら、また目を走らせていると、父の目の前にある机に奇妙な書簡が置かれているが見えた。
内容までは見えないが、書簡が入っていたと思われる筒に見覚えのある紋章があった。
(十字架に、巻きついた薔薇……? ヴァシリアン帝国の紋章がなぜここに……)
予想外の紋章に、アシリアは眉をひそめた。
(住民の戸籍表と、ヴァシリアン帝国の紋章……。吸血鬼に血を提供する人でも決めているのかしら?)
吸血鬼に血を提供する人間は、吸血鬼の要望で、16歳から20歳の女性と決められていた。
平民の中から、適合した年齢の女性を選出するのだ。
何でも、吸血鬼の血の好みがそのくらいの歳の女性らしい。
血を提供する者の条件を聞いたとき、男の血も吸え! と心の中で密かに思ったのをアシリアは覚えている。
(まぁ、それはさておき、吸血鬼に関することで呼んだのは明白ね。領民の選出には、関係ないと思うけれども……)
去年までなら、吸血鬼に血を提供する人の人選は、父と領の役人によって決められていた。
アシリアのような令嬢が、首を突っ込む事ではなかった。
(それに時期よね。もし、わたしに関係があるとすれば、貴族でも絡んでくるのかしら)
もし、ヨシュアの誘拐が関わっているとすれば、貴族の自分も関わってくるだろう。
なんたって誘拐の黒幕は、自国の貴族だったのだから。
いくら自分に関係がないと主張しても、国を背負う貴族の一人だ。連帯責任というものがある。
(社交界に顔を出していれば、噂くらいあったかもしれないけど、暫く出てないしなぁ。うん、分からない。お手上げだわ)
アシリアは王の計らいのおかげで、社交界に顔をあまり出していなかった。
貴族の義務などで、どうしても出席しなければない催しものは、顔をベールで隠し出席していた。
デビュー当時は、もちろん注目の的になったが、今では社交界公認となってしまっている。
「お父様。吸血鬼とこの国の貴族に関するなにか、と言うことは分かりましたが、何がわたしに関係しているのか、ということまではわかりません」
「ほぉ、この国の貴族と吸血鬼に関する事でおまえを呼んだと気づいたか。それは、正解だ」
父はアシリアの答えが期待以上だったのか喜んだ。
だが次の瞬間、綻んだ顔を真剣なものに変えた。
そして、おもむろに口を開いた。
「すまないがアシリア。お前には公爵令嬢として、吸血鬼が出席する夜会に出てもらう」
「え? 夜会ですか? それも吸血鬼が参加している?」
突然の言葉に、アシリアの頭は混乱した。
何故、今になって社交界に出なくてはいけないのか?
それもただの夜会ではなく、吸血鬼が参加する夜会に。
「お父様、詳しくお話しをお聞かせください。状況がよめません」
とにかく、どういう経緯で夜会を開き、自分が参加しなくていけないのか、父に聞こうと思った。




