2、不細工公爵令嬢と美貌揃いの家族
執務室に連行されたアシリアは、父の説教の真っ只中だ。
かれこれ一時間位は経ったと思う。
長過ぎてなんだが白目を向きそうだ。
(ああ、長いわね…………どうして声も枯ずに、喋り続けられるのかしら?)
呆れると同時に、怒られているというのに無性に苛立ちも感じてきて、眉がピクピク動く。
(ほんと苛だたしいわ。アーニャが黙っていれば、こんなことにならなかったわよね。厄病神かなんかなの?!)
アーニャが言っていたのは、外でアシリアがのんびりと本を読んでいたことに対してだった。
別に外で本を読むぐらい良いじゃないか、と思ったが父には逆鱗だった。
アシリアの父は職業柄、顔に表情が出ないことで有名なのだが、目の前にいる父からはバシバシと感情が伝わってくる。
(新人の使用人の一人が、お父様の無表情が冷血漢みたいで怖いと言っていたけど、全然違うわよ。これは、熱血漢よ!)
現在進行形で宰相の職を承っている父は、無表情で何を考えているのか分からず、怖い人だと言われている。
宰相という人は、外交において相手に弱味を悟らせないため、感情が顔に出ないことが多い。
父もその一人であるはずなのだが、目の前にいる人からは、一目で怒ってます! と伝わってきた。
「お父様、感情が顔に出ていますわ。それでは宰相という職も務まりませんよ?」
少しはおさまるかなぁ? と思って、指摘してみたが、効果はなかった。
「誰のせいで怒ってると思ってるんだ?! おまえが外でノコノコと本など読んでいるからだろ?! どうして顔を隠して出歩かない! 自分の家の敷地内だからと言って、他人に顔を見られたら、どうするつもりだ!!」
父は額に走る血管を、今にも破裂させる勢いで、アシリアを怒ってきた。
太陽のように輝く金髪が重力に反してさか立ち、サファイアのような青い目が赤い炎にようにユラユラと燃えている。
そんな幻影が見えてしまうのは、視界がぼやけているせいだと考えたが、目をこすっても状況は変わらない。
さらに悪いことに、なんだが父から湯気…………いや、陽炎みたいなものまで、立ちこめているように見えきてしまった。
(どっかの本で読んだ状態よね。確か……覚醒と呼ばれるものに酷似してるわ!)
若い頃から『神童』と言われ、どんな場面においても無表情で、感情を露わにすることのなかった父。
そんな父には、娘のアシリアの前だと豹変するという特徴があった。
仮に大きく捉えてみて、一種の愛情表現だと言われれば、納得がいくかもしれないが、父のこめかみの血管が膨張し続けるのをみて、アシリアは顔が青ざめた。
今にも破裂しそうに見えてしまうのだ。
「お父様、まず落ち着いて下さい。そのまま怒り続けますと、血管がパァーッと破裂して、大量出血で死にますわ」
アシリアとしては、落ち着いて欲しくて言ったのだが、火に油だった……
「なんだとっ?!」
ブチッ!
切れてはいけない何かが、切れる音がした気がした。
「お、お父様……?」
恐る恐る父の顔を見ると、血だらけになっていないので、重要な血管が切れたわけではないと、ひとまず安心する。
むしろ勢いを失って、父を取り巻いていた空気が冷めたような気がした。
「…………っ?!」
だが次の瞬間、ニヤリと効果音が聞こえてきそうなほど、父が口の端を吊り上げたので、嫌な予感がしてアシリアの心臓がはねた。
(怒った次は笑うのね! なんだが怖いわ。でも、こういうときのお父様はいつも意地悪なことを聞いてくるのよね……)
アシリアに意地悪な質問をしてきたり、返答に困るような話をふるとき、父はいつも笑う。
だからそのパターンだと、アシリアは身構えた。
「ふっふふ、それなら、おまえの見解を聞こうじゃないか。外で本を読んでいたのは何故だ? 納得のいく理由があったんだろう?」
案の定、父はアシリアに嫌な質問をしてきた。
「り、理由ですか……?」
外で読書したい気分だった、とだけ言えば、絶対文句が返ってくるだろう。
顔を隠さないで読書していたのは、頭の隅になく、忘れていただけなんです、なんて言えば、もっと怒られるに違いない。
(ここは、理由の偽造しかないわね……そういえば、今日は春祝祭の前日だわ……よし、いいことを思いついた)
アシリアは、父に向かって自信げに「ええ」と返事をした。
「今日は春祝祭の準備などで、みんな忙しいですよね?」
「ああ、そうだな。それで?」
「実は私、お外で本を読みたかったのです。春の風が気持ちいいでしょ? これはぜひ全身で感じたいと思いまして。みんな忙しくしているし、誰も来ませんよね? 今日のような日は」
春祝祭は、寒い冬を無事に過ごし、春の訪れを祝う祭りだ。
皆が皆、忙しくしていて、外で顔を隠さず読書しても大丈夫だと思った……という話にしておく。
(フフフ、やったもん勝ちですわ!!)
アシリアは息まいていたが、残念ながら父は納得しなかった。
「甘いな。私はこの国の宰相で、急な知らせなどで人が来る可能性はあるぞ」
「ぐっ……」
そう来たか、と思ってしまった。
確かに、冷静に考えれば父の言う通りだ。
「なんだ、それだけなのか? おまえは本当に甘い。十年前の事件、まさか忘れてはいないだろうな?」
「あ、あれですかぁ?」
何十回も聞いた話に、アシリアは白目をむきそうなる。
アシリアは十年前、人攫いにあって行方不明になったことがあった。
お父様の使いだと言われて、信じて付いて行ったら、実は誘拐だったのだ。
そのまま船に乗せられ、どうして領地から出るのだろうか? と思っていたら、家の有能な護衛者に救出され、助かった。
助かったあとで、父が犯人に問いただすと、『娘の顔は不細工過ぎて、見世物屋などで金になると思った』と供述したらしい。
(まぁ、確かに誘拐されたけど、まだ七歳だった頃の話よ? 今じゃあんな見え透いた嘘に騙されたりしないわよ)
アシリアが七歳とまだ幼い頃のことで、騙されて付いて行ったら、いつの間にか誘拐と言う形になったようなものだ。
今なら、阿保だったな、と笑える話だ。
「お父様。それは、十年前のお話で、今のわたくしには防げる事件でした」
本当にそう思えるので、アシリアは淡々と答えた。
「ふむ、そうかもしれないが、予測できないような事件は生涯において必ず起きる。そうならないように、対策をしておくことは大事なことだと思うが?」
「確かに、その通りですね」
否定するようなことではないので、素直にうなづくと、父は安心したようだった。
「と言うことで、その不細工な顔は常に隠しておきなさい」
「………………かしこまりました」
娘のことを、とっても心配してくれる良い父親だなぁ、と思っていたら最後に裏切られた。
結論、アシリアは不細工という話になっているのだ。
(お父様って、ほんと過保護ですけど、今不細工って。さりげなくですけど、ちょっと傷つきますからね)
アシリアは心に小さい傷を負った。
「で、お父様、話は終わりですか? もちろん終わりですよね。なら、部屋に戻りますからね」
そそくさと出て行こうとすると、呼び止められた。
「おい、なんだその態度は? 私はまだ戻ってよいなど行っていないぞ」
「げっ……」
なんでもいいから早く自室に戻って、本を読みたい。
早く終わらせて欲しい、と遠回りに伝えてみると、本当に反省しているのか? と言う目を向けられた。
(うーん、疑ってるわね……心から反省してますよ、って涙目で訴えてみようかしら)
疑っているのがわかったので、アシリアそれらしく見えるように、目を潤ませるべく、まばたきをするのをやめる。
痛くなるのを我慢し、目を開けていると、自然と涙が浮んできた。
アシリア命名、涙ぽろり作戦である。
「むっ……そ、そう泣くな。お前が反省しているのはわかった。許そう」
「ありがとうございます、お父様」
作戦通り父はあっさり許してくれた。
(ちょろいですわ、お父様。宰相という仕事は、疑って嘘を見抜くのも大切な力のはずじゃなかったかしら? 帝王学の先生がお父様を賞賛していたけど、簡単に騙されてるわよ。まぁ、都合が良いのでほっときましょう)
父は、王宮内で他人の嘘をみにく『鷹の目』を持っていると評されるくらいの審眼があると言われている。
ただその目は、アシリアの前では、目はただの点と化としていた。
これぞ、娘の特権だ。
不細工な娘でも通じると立証された。
「では、お父様。わたし部屋に戻りますね」
「いや、待て。忘れていたが、おまえに言っておくことがあってな」
まだ終わって無かったの? と思いながら、アシリアは悪態をついた。
そんなことなど知らない父は、机の引き出しから数枚の紙を取り出し、それをアシリアに渡した。
「これだ」
はぁ、何だろうか? と思って、一枚目の紙を見ると、見出しに『吸血鬼に関する事件』と書かれていた。
「吸血鬼ですか?」
「ああ。ここ最近、吸血鬼に関する事件が増えてな。その報告書の一部だ」
父に説明を受けながら、アシリアは事件の内容を見ていく。
吸血鬼に関する事件の大半は、吸血鬼が人を襲い、致死量の血を吸って殺してしまう、という内容のものだった。
だが、どうもここ最近の事件は違うらしい。
「逆なのね」
驚くことに、吸血鬼が人間に襲われているのだ。
人よりも優れている吸血鬼をどのように襲っているのか疑問であるが、犯人の目的はきっと吸血鬼の血だろう。
よく知られているのだが、吸血鬼の血には、人間の生命力を高める効力がある。
さらに、体に取り込めば長生きできるとも言われていて、優れた万能薬だ。
だが吸血鬼は、自身の血を失い過ぎると、死に繋がる原因にもなるので、市場で出回ったとしても高額なお金で取引きされる。
確かに荒稼ぎにはうってつけであるが、悪行であるため、アシリアは顔を顰めた。
「残念な事件ですね」
「ああ、吸血鬼は我が国を軍事的な意味で支えている。それなのに、こんな忌々しい事件が続くのは、外交的によくない」
父も眉間に皺を寄せている。
父は普通、春祝祭の一週間前には領地に帰ってくるのだが、今年は二日前に帰ってきた。
きっとこれらの事件の後片付けに追われていたのだろう。
「それで、この事件がわたしに何の関係があるのですか?」
だがアシリアは、この事件はあまり関係がない。
自身の国と協定を結んでいる吸血鬼が、誘拐されて大変なのはわかったが、はっきり言って関係のない事件だった。
「別に直接関係しているわけではないが、世情を知っておくのは良いことだ」
「そうですね……それではわたしは部屋に戻ります」
「待て。先程からそうも帰ろうとするな。それより私は、これから何か起きる気がするのだ。だから、心にうちに留めて置け」
「お父様がそういうのなら、何か私に起きるのでしょうね。心のうちに留めておきます。で、これで終わりですか?」
「ああ、もう帰って良いぞ」
「ありがとうございます。では、失礼します」
やっと帰れると思い、扉の方を向かっていくと、誰かによって先に扉を開けられた。
誰だろう? と首を傾げていると、金髪の青年が中に入ってきた。
雰囲気は父に似ているが、冷たい顔というよりも、甘い顔という印象を受ける。
アシリアの瞳を海色のサファイヤというのなら、空色のアクアマリンの瞳といったところだろう。
(…………お兄様? それにしても、キラキラ輝いてるわね。なぜ私は不細工だって言われているに、お兄様は違うのよ! 兄妹なのに、理不尽じゃないかしら)
アシリアは、和かに笑う兄こと、ミカエルをじっと見つめる。
お兄様も不細工にならないかしらと思いながら……もちろん、意味はないが。
「おっと、アシリアか。久しぶりだね。フフフ、そんなに見つめられたら、穴が開いてしまうよ」
「…………本当に穴が開けばよろしいのに…………フフ、お久しぶりでございます、お兄様。いつに増して、憎らしいほどお美しいですわ」
「最初の方聞こえなかったんだけど…………まぁいいや。アシリアは……うん、いつも通りだね。アハハハ。ああ、もっと話していたいんだけど、もう部屋に戻るんだね」
わたしが何だよ! と突っ込みたくなるのを我慢する。
このとき、ミカエルがすんでで言葉を止めたのには理由があったが、アシリアは気づかなかった。
「ええ、戻りますわ。では、後ほど」
アシリアの背後にいる父が、ミカエルを睨んでいたなど、つゆにもしらないアシリアは、苛立ちながら扉を開ける。
早く自室に戻ろうと外に出たら、部屋の前に女性が立っていた。
質素なドレスを身に纏った女性は、アシリアと目が合うとニッコリと微笑んだ。
アシリアと同じく白が強い優しい金髪を、真珠のついた髪飾りで止め、顔の横に垂らしながら佇む姿は、絵画の一場面だ。
「あら、アシリアは部屋に戻るのですか? でも家族大集合ね」
「ええ、お母様」
クスクス笑う美女は、アシリアの母のシスティーナだ。
子供二人を産んだとは思えないほど若い。
「あら、アシリア。貴女また不細工になりましたね?」
ニッコリと笑って話す姿は、慈愛に満ちた女神そのものだが、口から出る言葉は、剣のように鋭くアシリアに刺さった。
「ぐっ…………お母様はいつにまして美しいですよ」
アシリアは、心にまた傷を負った。
「わたしは部屋に戻るので、お母様はどうぞ中に」
「ありがとう」
外に出て行くアシリアと、入れ違うように母が部屋に入る。
それから執務室の外に出て、自室に戻る廊下を、アシリアはコツコツと音を鳴らしながら歩く。
だがアシリアは、その途中で立ち止まって、自身の家族の事を振り返った。
どうしても、思わずにはいられなかったのだ。
(なんでわたしの家族って、美男美女揃いなのよ! わたしだけ浮くじゃないのよ!!)
アシリアの不満は心の底からどんどんと出てくる。
まるで底を知らない泉のように。
そして、その不満の最たるは………
「どうして、会うごとに不細工、不細工言うのよーーッ!! 何げなく言ってるけど、傷ついてるんだからっ!」
積み重なった不満が爆発して、アシリアの悲痛の声は、家中に響いた。