26、世界を照らす光(オーウェン視点)
「はぁ……」
自室でオーウェンは、仕事用の黒の外套に腕を通していた。
足元に落ちているのは、外に出る際に着る皮のベストと白いシャツ。
ついさっきまでウィルターナ商会にいて、事業の進め方や書類等の説明を仲介人としてやってきたところだ。
アシリアから言われたことを彼らにそのまま伝えるだけの簡単な仕事。
とはいうものの、普段使わない頭まで使った。
まともに考えられないくらい頭を使った、と自分では思っていた。
けれど着替えながら、この屋敷に滞在する吸血鬼宰相のことが頭によぎった。
──どうしてあの人が……?
オーウェンでさえ、そんなこと分からなかった。
ただ心当たりがあるとすれば、三日前の対面でのことだろう。
(もしや、気付かれたか? いや、気配は全部消している。いくら、能力が高い吸血鬼とはいえ、気付いているはずが、ない)
自分にそう言い聞かせるが、脳裏に浮かぶのは、嘘を見抜くように澄んだ紅い瞳と縦長の瞳孔。
あの瞳に見つめられた時、自分の秘密が知られてしまったような気がした。
アシリアにでさえ、明かしたことのない秘密が──
(大丈夫だ、気付いているはずない。第一、あの対面から相手からの接触はない)
気付いていれば、事実を確認しに必ず自分に会いに来る。
相手の興味をひくくらい、自分が珍しい存在だという自負はあった。
(注意さえしておけば、今後ばれることもないはずだ)
なるべなく接触しないように心がけたため、相手側に手がかりも掴ませていない。
そう思うのに、心の何処かで不安がぬぐえなかった。
オーウェンはその不安から逃れるように頭をふって、はぁー、と長い溜息をついた。
「こんなことしてる場合じゃない。あの方を探しに行かねば……」
黒ずくめの服に着替え終えたオーウェンは、しばらくの間じっとその場に佇み、そして部屋を出た。
◇ ◆ ◇ ◆
屋敷を出てから少し歩き、風が通る森の中にオーウェンは立った。
爽やかな風を感じ、目を瞑って考えるのは、太陽に輝く少女のこと。
(本当に、期待を裏切らない方だ……)
呆れるほど活発なアシリアが、長い間、部屋に居続けられるはずなどがないのだ。
案の定アシリアは、朝から姿をくらましている。
それにルイ宰相の甥にあたるヨシュア様まで、一緒に逃げているそうだ。
暇な使用人が駆り出され、二人を探し回っているのだが、昼前になった今でも見つかっていない。
それで、丁度仕事が片付いたオーウェンも捜索に駆り出されることになった。
(まぁ、私が探すのが一番早いからな……)
吹きわたる風が、自分の頰を撫でるのを感じながら、オーウェンは、
「風たちよ、さがせ……」
と小さく呟いた。
ヒュオォォー
オーウェンの背後から、意思を持ったような風が森全体に広がっていく。
風が通る場所なら現地に行かなくても、そこに誰がいるのか、どんな状態なのか、風たちが教えてくれる。
「『ココカラ、北西、木ノ上』」
高く軽やかな声が、耳に聞こえた。
「ここから北西の木の上だな。フッ、あの方も木登りが好きだな」
見つけたとき必ず驚いて目を見開く少女。
その顔を想像して、オーウェンは笑みを浮かべた。
◇ ◆ ◇ ◆
木々の上を飛ぶように移動していると、艶やかな金髪が風になびいているのを見つけた。
その横には、銀髪の小さな少年が寄り添うように並んで座っていた。
「見つけまし、た…………え?」
二人がいる木に近づき、声をかけると、銀髪の少年──ヨシュアが人差し指を口の前で立てていた。
「しーっ! お姉ちゃん、寝てるの」
どうもアシリアが寝ているらしい。
起こさないで欲しいという意図を汲んで、ヨシュアにだけ聞こえるように小さく話しをする。
「わかりました。でも、そろそろ戻らなくてはなりません」
「うん。でも、お姉ちゃんが起きるまで、待てないかな?」
「それだと、あと何時間も寝てしまいます。春とはいえ、まだ肌寒い。風邪を引いてしまうので、私が運びます」
「でも、下に落ちたら、反動でお姉ちゃん起きちゃうかも……」
「大丈夫ですよ。先に降りててください」
心配するヨシュアの頭をオーウェンは撫でる。
安心してください、と伝えるように。
それでもヨシュアは不安そうにしていたが、渋々木の上から降りてくれた。
木の上から地面まで、屋敷の二階分くらいあるのだが、子供とはいえ流石吸血鬼だ。
ヨシュアは音もなく着地し、不安そうに上を眺めていた。
(懐いているな。会って数日しか経っていないというのに。まぁ、この方に懐くなという方が、難しいか……)
オーウェンは苦笑しながら、少女の前に屈み込み、起こさないように、ゆっくりと抱えあげた。
(結構高さはあるが、このくらいなら大丈夫そうだ)
抱く腕に力を少し入れて、オーウェンは木の上から静かに降りた。
着地した際、衝撃を流せばいいと思って飛び降りたのだが、風がオーウェンの体を纏った。
頼んだ訳ではないのに、落下速度を落とそうと、風たちが勝手に纏わり付いたのだ。
下にいるヨシュアに気付かれないためにオーウェンは力を使わなかった。
しかし、風たちが心配して纏わり付いてきてしまった。
(怪しまれるな)
案の定ヨシュアは、ゆっくりと着地したオーウェンを、不思議そうに見つめてきた。
「?? 今、風の精霊たちがいた。何で? お兄さんって、魔法使いなの??」
「…………はぁ〜〜」
ヨシュアの疑問に、オーウェンは頭を抱えた。
この世界には精霊と呼ばれる存在がいる。
火、水、風、土──それらの四大元素に宿る力のことを指しているのだが、普通の人間に見えない。
吸血鬼や狼男などの妖力を持つ種族には、光の玉のように見えるそうだ。
意思もなく、ただ空中に漂う光の玉に。
(本当は違うのだがな……言ったところで、分からないだろうが)
オーウェンは不思議そうに首をかしげるヨシュアに、ニッコリと笑った。
「魔法使いではないですが、そのようなものです。気まぐれに力を貸してくれるのですよ」
「気まぐれ?」
「ええ。魔法使いのように呪文を唱えても精霊は力を貸してくれません」
「ふーん。お兄さんは、精霊が意思を持って動いているかのように言うんだね」
「自分でも笑えますが、意思を持っていると思いますよ。ほら、精霊が力を貸してくれましたから、この方は起きませんしね」
腕の中にいるアシリアをヨシュアに見えるように屈む。
「ほんとうだっ!」
静かに寝息を立てるアシリアを見て、ヨシュアは嬉しそうにした。
「じゃあ、屋敷の方に戻りますよ」
「わかったけど、ゆっくり帰ろう!」
「あなたの叔父上も、きっと心配していますよ?」
「ルイ? ルイなら皇帝から手紙が届いて、忙しいから、僕のことを気にしてる暇なんてないよ?」
「手紙??」
「うーんと、国で何かあったんだと思うんだ。今日の夜には戻らないといけないんだって」
「そうですか……なら、ヨシュア様も支度などしないといけないのでは?」
「ううん。僕はここに残ってもいいって。もう少しここにいたいって言ったら、許してくれたんだ」
「それは、良かったですね。アシリア様が喜びそうです」
ここ最近のアシリアは、弟が出来たようだと喜んでいた。
生き生きとしているアシリアを見るのはオーウェンも好きだった。
「それにしても、アシリア様とは何をしていたのですか?」
「ここにある薬草とか、教えて貰ったの! ほんとお姉ちゃんって凄いの! 色々なものを知っててね。食べれるのとか、食べちゃいけないものとか──」
楽しそうに色々話すヨシュアに苦笑しながら、オーウェンは耳を傾け続けた。
「それと、森の中にいる鳥が綺麗で!!ここにしかいないんだって」
「それなら、私も知っていますよ」
「ほんとー!? なら、いま鳴いてる鳥の名前は何て言うの?」
「それは──」
屋敷に着くまでの間、オーウェンとヨシュアの会話が、途絶えることはなかった。




