24、吸血鬼少年は、ある意味危険です 其の二
今から会いに行くヨシュアの部屋は、アシリアの私室がある建物の反対側に設けられている。
つまり、今いる建物から、厨房の集中する隣の建物の中を通って、移らなくてはならないのである。
途中で使用人に見つかって、面倒事になるのも嫌だったので、アシリアは慎重に移動した。
(うーん、来てはみたけれど、入ったら、変な目で見られるわよね……?)
こっそりと移動したアシリアは、ヨシュアがいると思われる部屋の前に来た。
中の様子が気になるものの、唐突に入って行けば、邪魔だと言われ、追い出されるかもしれない。
暴れていると聞いたので、心配してきてみたけれど、中から叫び声など聞こえてこなかった。
(静かだしなぁ)
アシリアは、今の自分に合う役目はないような気がした。
いや、むしろ邪魔になるかもしれない。
ヨシュアが落ち着いている今は、思う存分休ませるべきだと判断し、アシリアは踵を返した。
部屋に戻っても暇なので、書庫から本を何冊か借りようと考えていたとき、
「ゔぅぁぁ………!! い、や……くるなぁッ!」
突如、叫び声が廊下に響いた。
「えっ」
穏やかでない出来事に、アシリアの足は止まった。
嫌でも耳に入ってくるのは、鼓膜を切り裂くような鋭い少年の声だ。
恐怖、絶望、拒絶…………まるで、命を削って出すような声だった。
そんな声に、アシリアは胸を強く締め付けられた。
「……っ!!」
この声の主を救わなければならない。
アシリアは、叫び声が聞こえてくる部屋の扉を勢いよく開け放った。
そして、中の光景に目を見張った。
「助けが来たかッ?! なら、そこに突っ立ってないで、手伝ってくれ!! これじゃあ、薬も飲ませ……あ、アシリア様ッ!?」
「はぁ? 何を意味不明なことを言って……お嬢様っ?!」
目の前には、ヨシュアの体をベッドに押さえる五、六人の使用人たち。
アシリアの姿を見て、さぁっと顔を青くしていた。
ヨシュアの身体を押さえるのは、暴れて怪我することを防ぐためだろう。
だが、今のヨシュアの精神状態からいえば、使用人たちの行為は逆効果だった。
「なにを、してる、の……。やめなさいっ!! その手を、離しなさいッ!!」
アシリアはその場にいた使用人たちに、強い声で命令した。
いつもはないアシリアの命令口調に、使用人たちは何かを感じる。
反射的に命令に従うように、すぐにベッドから離れた。
「っ……」
押さえる力が無くなったためか、ヨシュアはシーツを被って、ベッドから飛び上がった。
そして、部屋の隅の方に逃げてうずくまった。
相当怖かっただろう。
部屋の隅にある白いシーツのかたまりは、小刻みに揺れていた。
「…………」
「あ、アシリア様。私達が彼の面倒をみますので……」
黙るアシリアに使用人の一人が、震える声で話しかけてくる。
ヨシュアの精神状態を考えてみれば、先ほど行為は愚かだ。
それも気付かなかったのか? と責め立てたくなるのを我慢して、アシリアは言葉を返した。
「いいえ、わたしがやります。貴方がたは、部屋から出てください」
静かな声だけれど、その声には氷のような冷たさも含まれていた。
「し、しかしっ」
「ヨシュア君のためにしていたのは、分かりますが、今は異論を認めません。手伝って欲しいときは呼びます。これは、お願い《、、、》ではないのです。そこは間違えないでください」
なお食い下がろうとする使用人を、命令という言葉で捩じ伏せる。
命令をして、従わせるようなことは、本当はしたくはない。
でもヨシュアにとって使用人たちがしたことは、苦痛を呼び戻すものだった。
おろおろとする使用人たちは、アシリアが口を開かず、ただ黙っているのをみて、自分たちの過ちに気付いたようだった。
やってしまったと顔を歪ませが、今更なかったことにはできない。
苦々しい声で、アシリアに「お願いします」とだけ言って、部屋を退出していった。
「…………」
部屋の中には再び沈黙が流れる。
その沈黙を破るようにして、アシリアは口を開いた。
「ヨシュア君。使用人たちは全員下げた。さっきはごめんね。かわりに、わたしと話せないかな」
「…………」
返事は返ってこない。
「近寄るからね。嫌だったら言って」
「…………」
返事はないが、アシリアが近づくたびに、白いシーツの塊が ピクッピクッ と動く。
それがアシリアを苦しくさせた。
あと五歩近づいたら手が届くというところで歩くのをやめ、アシリアはしゃがみ込んだ。
「ねぇ、ヨシュア君。わたしは、ヨシュア君に危害を加えたりしないよ? 折角君を助けたのに、なんで酷いことなんかしなくちゃいけないの? するわけない」
アシリアの言葉に、白い塊はもぞもぞと動いた後、シーツの隙間から二つの赤い目を見せた。
「たす、け……た?」
「うん。捕まっていたヨシュア君を助けたのはわたしだよ。血を与えたのもわたし」
アシリアは袖をめくって、包帯に巻かれた腕をヨシュアに見せた。
包帯が巻かれる腕を確認したヨシュアの瞳に涙が浮かんだ。
「ごめん……なさい……いたい?」
心配そうにヨシュアは聞いてくる。その時のうるうる目のヨシュア君が可愛いと不覚にも思ってしまった。
「うーん、少しだけ痛かったかな。でもわたしは、ヨシュア君が助かってくれたことの方が、何倍も嬉しかった」
心配を打ち消すように、アシリアはヨシュアに向けて笑った。
すると、ヨシュアの顔から負の感情が消えたような気がした。
「助けてくれて、ありがとう、ございます。あの、手を貸して? 僕治すから」
「え?」
言葉の意味が分からなくて、アシリアは首を傾げた。
しかし、ヨシュアに促され、腕を持ち上げた。
腕を向けると、とぼとぼと近づいてきたヨシュアによって、包帯を取り去られた。
噛み痕から血は流れていないものの、深いせいか痛々しく見える。
ヨシュアは顔を歪ませた。
「深い……思いっきり、噛んじゃってる」
また泣きそうになっているのを見て、アシリアの方が逆に焦った。
「だから、大丈夫だって。それより、体調は大丈夫なの?」
「僕は平気だよ。それじゃあ、治すよ」
ヨシュアは、アシリアの腕の上に白い小さな手をかざした。
どうしてそんなことを? と聞こうしたとき、ヨシュアの手から光が溢れ、暖かい何かが流れて来た。
(なに、これ……?)
戸惑いながらも、ヨシュアの指の隙間を見ると、深かったアシリアの傷はみるみると塞がっていった。
(すごい、これがヨシュア君の特殊能力なんだ)
一握りの吸血鬼の中には、特殊能力を持った個体がいると聞く。
ヨシュアは高位貴族の出であるから、これも特殊能力の一部なのかもしれない。
「ねぇ、それはヨシュア君の特殊能力なの? みんな使えるの??」
「ううん。癒しの力は、僕しか持ってないよ。この力は、僕のお父さんとお母さんが、死んじゃったときに目覚めたか」
「そ、そっか……」
凄く気まずいことを聞いてしまった。
特殊能力の存在は知っていたけど、力が目覚めるには、何かきっかけがないといけないらしい。
ヨシュア君の場合、大切な人の死が引き金で、アシリアは素直に凄いと言えず、複雑な気持ちになった。
「そう言えば僕、お姉ちゃんの名前を知らない。この家の人なの? さっきの人たちはお姉ちゃんの何なの?」
首をこてんと傾げるヨシュア君の様子が本当に可愛い。
そういう趣味はないのだけれども、悶絶しそうになるのをアシリアは抑えた。
「自己紹介がまだだったわね。わたしはアシリア。さっきの人たちの主人にあたるのかな」
「アシ、リア……? 主人……?」
「ああ、名前は合ってるけど、わたしのことは、さっきみたいにお姉ちゃんって呼んでいいよ。で、さっきの人たちはギルバート家の使用人さんたち。悪気があった訳じゃないから、許して上げて」
訂正します。
趣味はないと言ったけれど、こんな可愛いヨシュア君に「お姉ちゃん」と言われるのは、案外嬉しいものだった。
「う、ん。お姉ちゃんが助けてくれたから気にしてないよ」
「ありがとう。それでね、ヨシュア君に約束して欲しいことがあるの。わたしが、ヨシュア君を助けたのは秘密にしてくれない? 貴方の叔父さんにも」
「秘密? なんで??」
「えーと、わたしが助けたってことになると、面倒くさいことがいーっぱい起きるからかな」
「面倒なこと?」
「これでもわたし、公爵令嬢だからね。貴族って面倒くさいでしょ。あぁ、でもわたしは不細工だから、令嬢には見えないでしょう」
「へ? お姉ちゃんはとっても綺麗だよ?」
「フフ、ありがとう。胸に大切にしまっておくね」
子供は失礼なことをはっきりと言う純粋さがあるが、ヨシュア君は気を使ってお世辞を言える子供らしい。
生まれてこのかた一度も言われたことがない言葉に、アシリアは歓喜した。
しかし、ヨシュア君がまだ病み上がりである事を思い出して、寝せねばと思った。
「まだ沢山話したいんたいんだけど、ヨシュア君はそろそろ体を休めないとね」
「嫌だ!! まだ眠くないもん。お姉ちゃんといっぱい話すもん。い、やだってばっ……」
嫌がるヨシュアを抱えて上げて、アシリアは問答無用でベッドに運んだ。
「それは駄目。ヨシュアくんが思っている以上に体は疲れてるんだよ」
「じゃあ、お姉ちゃんも一緒に寝ようよ。一人は嫌だ」
ぷくーっと顔を膨らませるヨシュア君。
そして、離れたくないとばかりにヨシュアはアシリアの腰に手を回してきた。
その可愛い動作と、言葉に頷きそうになるのを、アシリアは首を振って必死に止めた。
「駄目だよ、ヨシュア君。わたしは、ここにいちゃいけないの」
「嫌! お姉ちゃんも寝るの!」
アシリアがどんなことを言っても、ヨシュアは顔を赤くして駄々をこねた。
可愛いヨシュア君を見捨てることも出来ず、アシリアは本当に困った。
(寝なくちゃいけないのに。どうすれば……あっ、そっか。ヨシュア君を寝させればいいんだ)
ヨシュアを寝させて、その間に部屋を出れば、目的を達成するし、可愛い寝顔も拝めて一石二鳥ではないか。
「ヨシュア君が寝るまで、一緒にいてあげる」
「本当に!!」
喜んだヨシュアは、アシリアの腰にくっ付き、突っ伏す姿勢で寝る気のようだ。
寝ている間に、アシリアが離れないようにするためだろう。
(本当可愛いなぁ。こんなことをお願いされたら、普通断れないよ……)
太ももの上に乗っかるヨシュアの銀の髪を、アシリアは何度も何度も撫でた。
サラサラとした髪は柔らかくて、自分に弟がいたらこんな感じなのかな? と思った。
(ん……?)
しばらくの間、頭を撫でてあげると、腰に回るヨシュアの腕の拘束が緩んだ。
ヨシュアの顔に自分の顔を近づけると、静かな寝息が聞こえてきた。
(やっぱり、疲れてた。本当は起きるまで、いてあげたいけど、ここにはいられないから……)
ゆっくり腰に回る手をほどき、起こさないようにヨシュアをベッドに横たえた。
そして、アシリアはゆっくりと立ち上がり部屋を出た。
「ヨシュア君は寝たから、起こさないでね。じゃあ……」
外で控えていた使用人に、ヨシュアが寝たことを告げて、アシリアは時間潰しに書庫へと足を向けた。
※お久しぶりでございます。
ここ最近忙しかったので、投稿が遅れました。だいぶ落ち着いたので、遅れを取り戻していけたらと思います。




