プロローグ
ある日、ルーツィブルト王国の貴族たちの間に衝撃が走った。
それは今朝、王様が少数の貴族に言い渡した法令の異質な内容が原因だった…………
「おお、侯爵様! 王様からのご法令、ご聞きになりましたか?」
興奮した一人の男性が、高貴な服を身につけたふくよかな男性に近づき、話しかけた。
王宮の廊下であるため、二人以外にも多くの貴族たちがいるが、話す内容は全て共通だった。
「それなら、見ましたよ。不思議というか珍妙な法令でしたな」
侯爵は顎に手を当てて、話しかけてきた貴族にそう返した。
王様から出された法令は、今までの貴族社会にはない内容のものだったため、驚きが隠せない。
しかし、侯爵の顔に浮かぶのは、驚きの色だけでなかった。
「今聞いた話なのですが……あの法令、公爵様が王様に直接提案したものだそうですよ」
「ほぉ、そうなのか?」
噂好きな貴族によくある喜色が、両者の顔に浮かぶ。
「えぇ。なんでも娘の顔が不細工…………ゴホン。公爵様は、娘を公の場に出せないようなのですよ」
男は口が滑ってしまった、と咳払いをする。
いくら公爵の娘の顔が、不細工な分類に属するとはいえ、高貴な身分には変わらない。
不敬と取られかねない言葉だったため誤魔化しの咳払いをしたのだ。
「ふむ、公爵様の娘の顔の噂か。私も聞いているが、未だに信じられん」
男の様子に苦笑しつつも、侯爵は先日パーティで会った公爵夫妻の姿を思い浮かべた。
鼻梁の通った顔立ちに、美しい金髪の宰相と、社交界の華と賞賛される美貌の夫人。
二人が並ぶ姿は、まるで一対の芸術品のようだったと思う。
「同感です。あの見目麗しい公爵夫妻から生まれてくる子供が、公の場に出せない顔を持ってるなど、にわかに信じがたいですよね」
公爵夫妻を考えているのか、男は顔を赤くする。
性別は同じといえど、宰相の美しさは男の目にも毒だ。
夫人は尚更で、結婚し子供がいるとは思えないほどお若く、知らずに結婚を申し込む若者が絶えないと聞く。
「あぁ、それに、今年社交界デビューした公爵様のご子息を見たが、お二人に似た美貌だったしな」
先月、侯爵は社交界デビューした公爵のご子息に会った。
子供らしさが抜けないとはいえ、立ち振る舞いや言葉使いは、舌巻くほど洗練されていた。
男も思うところがあったのか、何故か身震いしている。
何か嫌な思い出でもあったのだろうか。
「もしや、ミカエル様のことですか?」
「あぁ、そうだが?」
「五歳とはいえ、油断ならぬご子息でしたね。舐めてかかると揚げ足を取られます。あれは、容貌に騙されると痛い目にあわされますよ」
苦虫を潰したような顔をする男を見て侯爵は、やはりな、と思った。
美しいものには棘があると聞くが、公爵のご子息がその典型的な例だ。
子供は自分の欲求に純粋だとされているが、あれは違う。
この言葉を言えば、相手がどう話し、困るのかと計算しながら、巧みに話をするのだ。
屈託のない笑顔であるため、よりタチが悪い。
しかし、あのご子息のような子がいれば心強い存在になるのも真実だ。
それで、公爵様の娘にも同じ期待をしていたのだが、顔の噂がいかんせんよくない。
残念なことだ。
「私には息子がおってな、公爵の娘との婚約を計画していたのだが、全て水の泡になってね」
最後に、顔の噂のせいでね、と意味あるげに付け足す。
貴族にとって身分は大切だが、社交界でやっていくには恥ずかしくない教養同様、容貌も重宝される。
皮肉なことだが、容貌が優れている方が、他方から声はかけられるし、なにかしら有利だ。
「侯爵様はそうでしょうが、公爵令嬢という身分ですよ? 私には喉から手が出るほど欲しいです」
と言っても、男のようにまだ身分が低いものには、高貴な血は貴重である。
不細工な顔だと言っても、普通は喜んで嫁に迎えるだろう。
……そう、普通ならばだ。
「私だって最初はそうしようとおもったぞ? だがあの公爵様が公の場に出すのを躊躇って、法令を出すほどの顔だ。周りから笑いものにされるわ、ククク……」
貴族には高いプライドがある。
侯爵も同様高いプライドがあるし、誰しもそれを傷つけられるのは、嫌なはずだ。
表立ってはないと思うが、裏で笑いものの烙印でも押されたら、どんなに高貴な女性を手に入れたとしても、プライドを木っ端微塵にされてしまう。
想像するだけで、嫌な汗が背中を伝う。
それなら、身分が落ちるとはいえど、美しい女性をもらった方が、プライドも守れて幸せな家庭が築けるはずだ。
「それにしても、公爵様の娘ってどんな方なんでしょうね。来年社交界デビューの年ですよね? 見たいですけど、顔を隠すでしょうし」
「ああ、公爵様が自ら進言して法令を作ってしまったのだから、もちろん顔を隠すだろうな。だからこそ、その顔には興味をそそるものがある」
「見たら夢の中に出てくるほどの顔のようですし、また、金縛りにもあうとききますからね〜」
どさくさに紛れて、顔を少しだけでもいいから見たいと思った。
隠されると、余計見たくなってしまう。
「グヒヒ〜、恐ろしいのなら、なおさ「クス……私の娘の顔は、たいそう恐ろしいものとされているようだな?」
背後からかけられた冷たい声に、侯爵と男は顔を青くした。
ゆっくりと振り返ると、太陽のような金髪に、怜悧な美貌をもつ男性がいた。
切れ長の目には、サファイヤのような瞳が輝き、見惚れそうになる。
だが顔が引きつるのは、公爵の顔に怒りのような感情が見えるからだろうか。
「え、えっ?……ヒィィっ! ギルバート公爵様!!」
男の方は驚きのあまり声を出す。
歯がガチガチとなっているので、相当怯えている。
侯爵も声が出そうになるが、ギリギリの所でとめた。
そして、余裕の表情を作って、公爵を見る。
下手に驚いたりしたら、娘の顔に悪評をたてていたと勘繰られてしまう。
「これはこれは宰相殿。いやはや、そんなに目くじらを立てなさるな。我らは、貴殿の娘の顔が恐ろしいほど、美しいのではないか? と話をしていたのだ」
恐ろしいほど不細工ではなく、恐ろしいほど美しい女性の話をしていたのだ、と侯爵はホラを吹いてみせる。
不細工となれば不敬かもしれないが、公爵が来てから不細工などとは一言も言っていない。
浅はかなことに、侯爵は騙せると思ってしまった。
「……フッ」
公爵の青の瞳が収縮するのがわかる。
さらに、ゆっくりと唇の端を吊り上げて、意味あるげにニヤリと笑った。
──なんて凄味のある笑みだ……
知らぬうちに、喉からゴクリという音がした。
その音は、侯爵以外の他からも聞こえたような気がした。
「ほお、娘の顔が気になるのか?」
「え、ええ」
「親ながら見たら呪われるほどの顔だと思うが。それでもか?」
「き、貴殿も人が悪い。ご冗談を仰せになりますな」
「冗談などではない」
コツコツと喉を鳴らして笑う公爵が不気味だと思った。
笑みを浮かべているのに、それは優しい笑みとかではない。
ひたすら冷たいだけの笑みだ。
「……!」
その時だった。
この場を空気が一瞬で凍ったような感覚に侯爵はおちた。
腰が抜けそうになるのを、必死に足に力をいれる。
なんなんだ? と公爵の方みて、目を見張った。
「…………お主らには分かるまい。娘であるが故に愛おしいと思えるが、娘の顔はこの世のものではない」
目の前の公爵の口は、笑っていた。
しかし、目が笑っていない。
血が通っていない悪魔のような目で睨まれて、侯爵は全身の毛穴から汗が噴き出した。
この人相手に、まともに話など出来るはずない、と本能的に思った。
「ひっ…………い、いま用事を思い出しましたぞ! 貴殿のお話を聞きたく思うが残念だ。失礼するぞっ!」
震える体を叱咤し、侯爵は逃げることしか出来なかった。
このままここで彼と対峙していたら、目だけで殺されてしまうのでは、と本気で思った。
◇ ◆ ◇ ◆
その様子を、公爵は氷のような目で見つめながら、小さく舌打ちをした。
先程よりも、公爵が身に纏う空気は柔らかくなったが、顔に浮かぶ冷酷な表情は消えていなかった。
「ったく……いらぬ詮索をする輩だ」
偶然にも、自身の気に触る内容の話をする声が聞こえてしまったから、釘を刺してやった。
娘の顔を悪く言うぐらいなら、許そう。
それは公爵自身が、意図としてやっているから、別に構わない。
しかし、顔を見ようとする素振りを見せるのなら、話は別だ。
そんな気など起きないように、徹底的に潰す。
「ヒィ」
声がした方をみると、思わず喉からでてしまったと、若い貴族が口を押さえていた。
「…………」
周りのさっと一瞥すると、ほとんどの貴族が怯えてみていた。
そんな周りに公爵は、「見苦しいものを見せたな」とだけ言う。
「ああ、こんなところで油を売っている場合ではなかった。法令を正式に発表せねば」
溜息を一つついて、書簡を持った公爵は王宮の廊下を一人歩く。
「はぁ、早く妻や子供の元に帰りたい……」
その時、溜息と共に吐き出された公爵の本心ともいえる呟きは、誰にも聞かれることがなかった。
その後、王国の貴族全体にある法令が出された。
その法令とは…………
『王に許されたものは、以下の事を許す。
一、公の場で顔を隠しても罪には問わない
一、必要最低限の公の場に顔を出せば、他の夜会や茶会等には出なくても良い』
という内容のものだったとか…………
※この話は過去の出来事です。
ある貴族と、主要人物の一人の視点からでした。
次話の舞台は、この出来事から十三年後です。