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感傷的な季節の日々

とある日の休日出勤

作者: DRtanuki

 空は青く、所々鰯雲が覆っている。夏の高気圧が海の彼方に過ぎ去って冷涼な秋の空気が訪れている。アキアカネが空を飛んで青のキャンバスに白と朱色が散りばめられる。先日までは秋雨が長らく降り続いていたが久しぶりの晴れだ。秋の空は快晴というのは中々ないけど、雲にも風情があるからそれはそれでよい。

 俺は空を眺めてながら車を流している。普段走る道路にはほかにも車やトラック、バイクが走っていることが多いが今日に限っては俺の車以外ほとんどない。国道ですらそうなんだから幹線道路に至ればもう完全にがらんどうだ。

 当たり前だ。今日は土曜日なんだから。


「はーぁ、いい天気だ、クソッタレ」


 車の前のドアの窓を半開きにして外の風を取り入れながら、俺はカーラジオの電源を入れる。スピーカーからはパーソナリティの声が聞こえてきた。

 平日と違い休日のラジオ番組は、どこか気楽さを感じさせるものがある。

 例えばラジオドラマを流していたり、家族ドラマ仕立ての通販番組を流してみたり、あるいは長時間の名物パーソナリティによる番組など、何かの片手間に聞き流したい番組が多い。遅めの朝食を食べながらラジオ番組を聞いてリラックスした時間を過ごすのも乙な事だろう。

 だが今の俺にはそんな気楽な余裕はない。目の前の信号が赤になり、飲み物入れに入れておいた缶コーヒーの残りを一気にあおる。カフェオレを買ってみたものの甘さが思ったよりもあって辟易した。なんでこうも缶コーヒーって奴は甘いんだろうな。だからといって人工甘味料入りの奴は味がなんかおかしいし、ブラックはあんまり飲み過ぎると胃をおかしくしそうだ。今はコンビニで淹れてくれるコーヒーがあるからそれが一番なんだが生憎俺の勤務先までへの道のりにコンビニはなく、寄り道しないといけない。結局道すがらにある自販機のコーヒーに落ち着くことになる。


 信号が青に変わり、俺はアクセルを踏んだ。

 車は勢いよくスピードを増して進んでいく。

 そのうちに会社が見えてきた。こじんまりとしたビルの一角のオフィスが俺の働く職場だ。俺は所定の場所に車を止めて、鞄を抱えてオフィスに入る。

 最近は案件も増えてしなければいけない事務処理も増えたが、営業にかまけているうちにそれを積み上げすぎてしまった。早い所書類をまとめろと言われてしまいこのざまだ。とはいえ、休日出勤はそんなに嫌いというわけでもない(もちろん休日が一日潰れるのはよろしくないのだが)。

 まずオフィスに誰も居ないのが良い。何かの用事で呼び止められたり、手伝いを頼まれることが無いからより仕事に集中できる。

 あとはせっつかれることもないから自分のペースで仕事ができる。人が居ないから音楽を聞きながら仕事をしても誰も咎めない。勿論それに気を取られているとあっという間に夕方になってしまうから熱中し過ぎるような楽曲は選ばずに、ヒーリングやポップスみたいな当たり障りのないものを選ぶ。

 俺は車から出てビルに入り、三階まで階段を上がっていく。

 三階フロアは全てウチの会社の職場だが、その中の営業部の部屋の鍵を開ける。

 ドアのロックが解除され、いざ誰もいない職場に……。


「ん?」


 手ごたえですでにドアの鍵が解除されていることに気づいた。俺以外に誰か既に会社に来ている?


「誰だよったく、せっかくの一人での休日出勤を台無しにする奴はよ」


 ぶつぶつつぶやきながらドアを開けると、そこにはウチの課長が居た。

 課長は自分の机で書類を書いているわけでもなく、机の整理をしているわけでもなく、机の下を見てなにやらごそごそとやっている。


「課長、なにしてんすか?」


 俺が問いかけると課長はビクッとしてこちらを向き、曖昧な笑顔を浮かべた。


「や、やあ朝倉君。どうしたんだい」

「どうしたも何もあんたに頼まれた書類の山を片付ける為に来たんですよ。課長は何しに来たんですか? いつも定時で帰って仕事はテキパキと部下にぶん投げるあんたは休日出勤する必要なんてないでしょう」


 大体は自分で積んだ書類の山を片付ける為に来たのだが、課長に頼まれたものも含んでいるのでこの言いぐさは少しは間違いでもない。でも課長は日々誰かに細かい仕事を頼んでうざがられているのでこのくらいはあてつけてもいいだろう。

 課長は意に介さず、しかし困った表情をしている。


「あ、ああまあ僕には大した仕事なんてないけども」


 と言った瞬間に課長の机から大きくワン! という鳴き声が響いた。

 その一吠えを皮切りにワンワンバウバウと次々と鳴き声が上がる。


「……課長、何を連れ込んできてるんですか?」

「弱ったなぁ、ははは」


 まあこれなんだけどさ、と言いながら課長が机の上に置いた段ボールの中には、子犬が3匹入ってひっきりなしに鳴き声を上げている。どれも目は開いているがまだ見えている様子はなく、匂いを頼りに周辺の様子を伺う成長段階だ。


「昨日会社に忘れ物をしちゃってね、今日取りに来ようと会社に来たらビルの前にこんな段ボールが置いてあってさ、つい、ね」

「つい、じゃないですよ。課長こないだも犬拾ってきてましたよね? あれは課長の家で飼う事になったから良かったですけど、また拾ってきてどうするんですか。大体の社員の家ではもう犬やら猫やら文鳥やら飼っててこれ以上面倒見切れませんよ」

「そ、そうなんだけどさぁ、だからと言ってそのまま会社の前に放置してるのもかわいそうだろう?」


 チラリと俺の目を見るが、俺の住んでいるアパートはペット禁止だ。以前それを破って猫を飼っていた住人は管理人に知られてわずか一週間で追い出されてしまった。俺もひそかにハムスターを飼っていた時期もあったが、何時管理人にバレるかとヒヤヒヤしたもんだ。そのハムスターも、元彼女が欲しいと言ったので譲った途端脱走された挙句に野良猫に食われたらしい。それが別れの切っ掛けになった。

 まあ、今は犬だ。この可愛らしい柴っぽい子犬たちをどうすべきかが問題だ。


「可哀想ですけど、もうウチの社員たちでは動物は飼えませんよ。残念ですが保健所に持っていくしかないでしょう」

「こ、このビルの他の会社とかお店の人に飼ってもらうってのはできないかなぁ?」

「もう色々と押し付けているでしょう。そもそも、色んな所で動物を拾って来る癖、もうやめてください。マジで面倒見切れませんから」


 そうきっぱりと言うと、課長は涙目になりながら犬を撫でる。


「でもさあ、今回はウチのビルの前だよ。そんな君、冷血な言いぐさはないんじゃあないのかい?」


 また始まった。動物をこよなく愛する課長はこうなるともうどうにもならないしテコでも動かない。

 俺は頭を振って、自分の机に戻った。


「もう知りませんからね。俺は仕事をします。課長は犬の飼い主を見つけてください」


 机に戻り、積んである書類を眺めてため息を吐きながら俺は仕事に取り掛かる。

 見積もりやら伝票やら片づけなきゃいかん物は山積みだ。

 BGMとしてピッタリな音楽を掛けつつ、俺は鼻歌を交えながら書類を捌いていく。このペースなら昼食をはさんで15時くらいにはひと段落つけることができるだろう。そうしたら後は平日に営業仕事をこなしつつ書類を片付けても十分間に合うくらいにはなる。

 そう目算を着けて仕事をしていた。だがその目算はアテが外れることになる。

 子犬がおとなしくしているはずもなく、フンやら尿やらは出すわ、やはり鳴き声はうるさいわ、そのたびに課長は慌てて俺を頼ってくるわで全く仕事にならない。


「いい加減にしてくださいよ!! こっちの仕事が進まないじゃないですか!」

「そうは言ってもねえ、やっぱり3匹の子犬の面倒を一人で見るのは無理だよ」

「あんたウチで犬飼ってるんじゃねえのか?!」


「実際に飼ってるのはウチのかみさんだからねえ。僕はたまに餌をやっては噛みつかれるくらいのランク付けだからね、ははは」


 俺の中で何かが切れた。


「もういい、俺がこいつらの飼い主見つけますよ。あんたは俺の書類片づけてください。頼みましたからね!」

「え、ええ?」


 目を白黒させる課長の机の上に俺の仕事書類を持って行ってブン投げ、俺は子犬が入った段ボールを抱えて車に乗り込み、職場を後にする。

 助手席の下に段ボールを入れて、子犬を眺める。


「はあ……」


 ああ啖呵を切ったものの、俺にアテがあるわけでもなかった。ああいう風に煮え切らない態度で何もしない課長に業を煮やしただけだ。大体あの課長はいっつもああで、誰かがやってくれないかなという態度を見せてはちらちらとこちらを伺う態度を取るのが常で、つまり俺は課長の思惑にハメられたわけだ。とはいえ、そのままほっといても事態はまるで進展しないだろうからこうした方がマシなわけだが。

 車を走らせて、知り合いや友達に当たっては見たものの良い返事は得られず。

 以前にも動物を押し付けたのだからそりゃあそうだ。あの時は一年前だったから押し付けた動物たちもまだ大抵生きているし、どこだって飼えないと言った所にそこを何とかとゴネて飼ってもらうようにしたのだから。

 思い余って俺が良く通う馴染みの店にもあたってみたが、やはりどこも飼ってくれる余裕などなかった。一応張り紙はしておくという、良心的な店もあったが。


「……やっぱりだめかな」


 俺は公園で紙パックの牛乳を飲みながら、子犬たちには子犬用のドッグフードと水を与えながら途方に暮れていた。

 純血種ならペットショップに渡すこともできるだろうが恐らくこいつらは雑種だろうし、無理だろう。保健所、保健所に渡すしかないのかなぁ。

 そんな時に、スーツの懐に入れてあるスマートフォンからメロディが流れる。

 画面を確認すると、実家の母親からだった。

 スマートフォンの画面をタップして電話に出る。


「おう、どうしたの?」

「どうしたのじゃないよ。あんた仕送りはどうしたの?」

「ああ、わりぃわりぃ。振り込み忘れてたわ」


 実は俺は親に借金があり、就職した際にそれを返せという事で毎月数万円の金を送っているのだがすっかり忘れていた。


「今日明日中には振り込んでおくから」

「全く、借金まだ半分残ってるんだから、シャキシャキ働いて返しなさいよね!」

「あ、そうだ母さん。実はお願いがあるんだけど」

「何よ?」

「子犬、拾ったんだけど飼ってくれないか?」

「犬~~~~?」


 俺の実家なら敷地も広いし、一軒家だから犬を飼うには良い条件だ。

 しかし一つ難点がある。


「犬なんて冗談じゃあないわ。猫ならいいけど」


 そう、ウチの母親は猫派なのだ。この答えは当然である。

 だがここで引き下がっては営業としてのプライドが廃る。


「まあ一旦画像送るからそれを見てから判断してくれんか」


 俺は一旦電話を切り、母親に画像添付したメールを送る。

 何度も写真を撮り直して可愛さを最大限に引き出したアングルの奴を。

 ペットショップもかくやというくらいの写真、これで落ちない奴は本物の動物嫌いくらいだろう。猫好きで犬嫌いとはいえ動物が好きなら取っ掛かりの何かさえ用意すれば何とかなる。

 メールを送って数秒後、すぐに返信が来た。


「まあ、こっちで飼い主が見つかるまでなら預かってもいいわ」


 思わずガッツポーズをし、俺は天を仰いだ。


 それから一年が経った。

 相変わらず、俺のメール着信履歴には毎日母親からメールが送られてくる。

 内容は犬がどうしたこうしたと言った内容で、写真や動画も必ず添付されて送られてくる。数か月も経てば犬はそれなりに成長して大きくなり成犬とそれほど変わらなくなるが、まだ若いからか動きは非常に俊敏で、実家の母や父を時々困らせているらしい。実に微笑ましい。こないだは実家の畑にある大根を齧る動画も送られてきた。犬は本当にいろんなものを食べる。

 結局、犬三匹は全て実家で飼う事になったらしく、三匹はそれぞれハナ、三郎太、サキと名付けられたようだ。たまに実家に帰ると犬三匹は人懐っこく迎えてくれる。それまでは滅多に実家に帰らなかったが、今では半年に一度実家に帰るのが一つの楽しみだ。先に住んでいる住人たる猫のミッキーも、犬たちに困惑しながらもなんとかうまくやっているようだ。

 俺もまたいずれ、犬やら猫やらを飼ってみたいものだ。引っ越して。

 そんなことを考えながら仕事をしていると、またしても課長が困った様子で袋に入った何かを抱えて仕事場にやってきた。


「いやー困った困ったぁ~~~。朝倉君助けてくれないか?」

「今度はなんですか課長」

「いやぁ、これなんだけどさあ」


 そう言って袋の中に入っているものを俺に見せる。


「はぁ……ったく今度は……うわっ、なんだこりゃ!!」


 袋の中に入っていたのは小さなワニだった。まだ子供のワニだろうが、どういう種類だろうと大きくなるのは目に見えている。


「どうしようねぇ朝倉君、飼い主見つかるかなぁ?」


 思わず俺は課長の頭を張ったおしてしまった。良い音とともに、課長のカツラが床に勢いよく叩き落される。


「どうしようも何も、これは保健所だバカ!!」


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