あなたと過ごせる4日間
過去に投稿した「一方的なすれ違い」に加筆、修正を加えて文学フリマ短編小説賞さんへの応募用に再投稿したものです。
それではお楽しみください。
8月13日
なにも変わらないいつものお盆がやってきた。
うだるような暑さを避けて、ダラダラと本を読んで過ごす4日間。
そして、なぜか毎年この時期にしか姿を見ない女の子もいる。
それが俺の膝に座って夢中で本を読んでいる子。
名前は分からない。正確には聞いても答えが返ってこない。
というか答えが返ってくる以前に、彼女は喋らないのだ。
前にも何度か、喋れないのかと聞いたことがあった。
でもその時には彼女は返答代わりに困った様子で首を振るばかりだったので、多分声を出せない身体なんだろう。あの頃は悪いことをしたと思っている。
話がずれてしまった。
他にも、彼女は表情に乏しい。泣きもしなければ、怒ることも見た事ない。
ただ、たまに笑っていることはある。極々小さくだが。
ちなみに、こうなった事の始まりは単純かつ突然だった。
五年ほど前、幼馴染の家族からお盆の間だけ泊めてあげてくれって手紙で頼まれたのだ。
もっと正確に言えば、初めてこの子が訪ねてきた時にその旨の書かれた手紙を持ってきた。
向こうのお母さんの字にはちょっと癖があって、その癖が字に少し出てたから二つ返事で快諾した。
変に直そうとしてたのか、少し癖が違っていたのは俺に出したからなのだろうか。気にはなったが、そういえばずっと聞けていない。
脱線したか。話を戻すと彼女はちょうどお盆の4日間、俺のところへふらりと来る。
本を読むのが好きなようで、俺も公私ともに本をよく読むから、沢山本がある俺の家を気に入っているようだ。
遅くなったが彼女は多分、高校生くらいだと思う。
彼女は頭を撫でられるのが好きらしく、クーラーの効いた部屋で俺の膝を占拠して本を読む。
その時にしきりに頭を撫でろと強請ることもある。
でも彼女は言葉を喋らないので、撫でて欲しい時は俺の二の腕に頭を擦り付けてくる。
もしかしたら、無口だけど甘えたな彼女は人恋しいのかもしれない。
あと、彼女は肉も魚も苦手だ。
その代わりに豆が好きなようなのでこの時期には大豆やら枝豆やら、その他豆製品やらうんざりするほど豆を食べる。
勿論、俺と彼女でメニューを分ければ済む話なのだが、それはなんだか彼女に悪い気がして結局食傷気味になりながら豆を食べている。
最初の一、二年目は大変苦労したけれど、いまとなってそんなに苦にもなってない。
彼女はなんだかひんやりしている。元々体温が低いみたいだ。
だから膝を貸している時も暑くてどいて欲しくなる事はない。クーラーも手伝って逆に肌寒く感じるくらいだ。
それに体重も軽いのか、あんまり脚も痺れない。結構小柄だしそういう意味では普通なのかもしれない。
そんな彼女だが、如何せんお盆の初めにここへきてお盆の終わりには行ってしまうので俺は彼女の事をよく知らない。
それどころか影が薄いのかあまり記憶にも残らない。
実際、俺は去年の彼女の様子はあまり覚えていないのだ。
頭に残っているのは、本を読んでる彼女の頭を撫でていた、と思う。そんな曖昧な記憶だけだ。
だから今年からは何かあればこうして記録をつけていこうと思う。
理由は特にない。
強いて言うなら、忘れてしまう自分がなんだか情けないからと彼女に悪いと思うからだ。
だから出来るならば彼女のことを覚えておきたい。
何かあればまた追記するだろう。
「っと、これでよし」
カタカタカタと小気味いい音を立てていたキーボードから手を離し、膝は貸したまま背もたれに身を預けた。
起動したままのディスプレイには、先程まで俺が打ち込んだ内容がそのまま映し出されている。
最近読んでいる本が純文学だからか、それとも仕事柄なのか、単なるメモ書き程度のつもりのはずが何やら気取った文に見えて、俺は一人で苦笑いを浮かべた。
「職業病……とは思いたくないが。はてさて」
ただ、無意識に文を推敲しようとするのは確実に職業病だろう。だからといってなに、というわけでもないのだが。
再び無言になりかけたところで作業が終わったなら、と言わんばかりに膝にいた彼女が二の腕へ頭を擦り付けてきた。
「はいはい、分かった分かった」
軽く伸びをしてから身を起こして彼女を撫で始める。
黒髪を少し長めに伸ばしているようで、よく手入れされたセミロングは梳いているこちらからしても心地いい。
向こうも目を細めて身を預けてくるので、心地いいとは思っているらしい。そういえば頬と目尻のほくろのことを書いてなかったな。まあ、後ででもいいか。
のんびりと流れていく時間を感じ、僕はそっと目を瞑った。
普段の仕事が時間に追われるような仕事なのも相まって、こうした世間でいうだらだらした時間の過ごし方は嫌いではない。
自分は根っからのインドア派なのだ。
逆にアウトドアな過ごし方も嫌いではないが、俺にとってそれは少し疲れてしまう。
例えばなんとかスパーランドに遊びに行くとか、美味しい店を巡るとか。
そして彼女の存在も手伝って、お盆の四日間は買い物以外では滅多に外へは出ない。
その買い物も、近所のスーパーはお盆休みに入るのでその前に買いだめしてお盆終わりに足りなくなったら買い足しに行くくらい。
後は大事な用も16日にあるので、実質出るのは16日だけだった。
そんな事を思っているうちに夕食時だ。
ご飯を作るから、と彼女にどいてもらって俺は台所へと向かう。
二人だけの食卓を片し、風呂に入って眠りにつく。
ベッドは明け渡して床に布団を敷いて寝るのだが、大抵彼女は落ちてくる。
そんななんの変わりもない一日が四回繰り返される。
そしてあの日が少しづつやってくるのだ。
今でも時々思い出す。
いや、焼き付いた記憶がフラッシュバックみたいに脳裏へ弾けるのだ。
8月16日。お盆終わりの日。
ただしそれだけじゃなかった。いや、それだけじゃない。
幼馴染で、仲が良くて、ちょっぴり恋していた、そんなアイツの誕生日。
――そして、アイツが撥ねられた日。
もう十年になるのか。時間は無駄に早く流れていくものらしい。
あの時、俺は小学六年生だったっけな。
保育園も小学校も同じ、同級生でクラスも同じで、家も近かったから家族ぐるみで誕生日会とかやってたんだ。
甘いものと豆が好きで、強がりな泣き虫で、頭撫でられるのが大好きだった。
本が好きで、一緒に本を書こうって言ってくれた。
今思えば、伸ばした黒い髪がキレイだった。
そして顔にある二つのほくろがトレードマーク。
そんな普通の、極々普通の女の子だった。
その日も毎年やってるようにちょっとお祝いしてケーキ食べて遊んで帰るだけのはずだった。
いつも誕生会が始まるのは午後五時くらいだった。
そのちょうど1時間前くらい。アイツが唐突にチャリで外に出てったんだ。
出てく間際に気づいて夕食までには帰ってこいって言ったのに。それでもアイツはいつまで経っても帰らなくて。
頭にきて一人、チャリで飛び出して探し回った。
いつも遊んでる公園。優しい笑顔のおばちゃんが少しオマケしてくれる駄菓子屋。隣町に去年出来たゲームセンター。山の中に作った小さな秘密基地。ちょっと高いけど一日遊べる市民プール。友達の家とかも。
行きそうなとこ全部行った。
でも、どこにも見つからなくて。
ふと腕時計見たらおぼろげに覚えてた家を飛び出した時刻からはもう一時間半も経ってて。
さすがに心配になって交番駆け込んで。
あちこち連絡してもらったらさ。どこにいたと思う?
病院だってよ?
しかも集中治療室に入ってるって。
すぐに連絡先と住所メモしてもらってあいつの家に全力疾走した。
まあ結果からすると、間に合わなかった。
俺らが着く頃にはアイツはもう笑わなくなっちゃってた。動かなくなっちゃってた。起きなくなっちゃってた。――戻っては、こなかった。
死因は全身打撲によるショックだって少し後に聞いた。
車に撥ねられた挙句、アスファルトに叩きつけられたらしい。
そういえば、と普段は立ちこぎ面倒〜って言ってるアイツが珍しくこぎ出しから立ちこぎしてたのを思い出して、もうあれも見れないんだなって胸が苦しくなった。
運転手の人とも会った。勿論俺に会いに来てくれたわけじゃなくて、おじさんとおばさんが来てもいいよって言ってくれたんだ。
そしたら顔合わせるなり運転手の人、土下座し始めてさ。
逆におじさんとおばさんの方が面食らって慌てちゃってさ。
ちゃんと話を聞いたら、やっぱりアイツが飛び出したんだって言ってた。
直前にしてた電話かからして、なんか友達に本借りる約束してたっぽかったからな。結構ギリギリな時間が聞こえたからやめとけって言ったのに。
きっと急ぎまくってて飛び出したんだと思う。
ほんと、やめとけって言ったのに。
……言ったんだけどなぁ。
お葬式は思ったより小さく行われた。
招待制みたいにして、俺のところも呼んでくれた。
みんな泣いてた。アイツのとこの人達はともかく、俺のお母さんもお父さんもじいちゃんもばあちゃんも、みんなボロボロ泣いてた。
でもそのお葬式の時でも、俺は実感なんて全然沸いてなかった。
今にもひょいっと顔を出してきそうだな、なんて思ってた。ほんとに、ひょこっと隣に座りに来たりしそうでさ。
でも最後の最後、骨になったアイツを見たところで喪失感で吐きそうになったっけ。
もう戻ってこないんだな、無理なんだな、って。
あれからもう十年か。
長いような、短いような、そんな十年だったな。
俺とアイツの夢だった小説家。
アイツがストーリーを考えて、俺が本文を書くんだって、二人で話したよな。
でも結局、全部俺に押し付けていきやがった。
面倒はいつも上手いこと俺に押し付けてくるようなやつで、夏休みの宿題とかいつも見せてたからな。
アイツらしいと言えばアイツらしい。
でもアイツと最後に話したストーリーを題材にした最初の作品が当たったから、やっぱりアイツがストーリーを考えるってアイディアは当たりだったらしい。
だから、今の俺の生活はアイツのおかげでもある。
……元気にしてるかな。向こうでも物語書いてんのかな。
俺の本、読んでくれてたりするのかな。
俺のこと、忘れてるのかな。
8月16日
いつも通り彼女は帰っていった。
最初は危ないから送ってこうか、とか、このへん入り組んでるから案内する、とかそんなことを言っていたけど、今はもう何も言っていない。
玄関先から姿が見えなくなるまで見送って、その後に俺は俺で墓参りの準備を始める。
用意しているのは花にお線香、水桶、柄杓に掃除用のたわしやスポンジや箒なんかもだ。
そして、この前出した新作の恋愛小説とお盆前に書いた短編集。
車に全て放り込んで、俺はある場所へとアクセルを踏み込んだ。
走ること片道1時間ほど。
比較的賑わってる都市部から山を二つほど超えた田舎。ここの墓地にアイツは眠っている。
「元気か? 俺の本、面白いか?
まだそっちへはいけないから、暇潰しに短編集でも入れておいたからな。
まだ未発表の新作だぞ。もう一つの小説なんて重版も決定したんだ。すごいだろ?
だから、まだ俺を見ていてくれよ。
俺はまだ、お前よりいい作品を書けてないんだから。お前を超えてはいないから。
だから、まだ俺を忘れないでくれ。覚えていてくれ……」
彼女の墓の前で、彼は思いを呟いた。
運転中の俺をじりじりと照りつけていた太陽は既に柔らかな夕日になっていた。
その茜色が、あの日走り回った時に感じた日差しに似ていて、あの日と今日が僅かに重なる。
不意にスッと零れた一筋の涙。
気付くのが遅れて雫が落ちた。
まだ止まらないそれを指で拭うと、彼は無理して笑顔を作った。
その後は普通の作法通りにお参りをして、彼女の名前の彫り込まれた墓石を清め始めた。
夕日も落ち始め、空が暗くなってきた頃。
彼は例年と同じように帰っていった。
車の音が遠ざかっていく。微かに響くエンジン音も聞こえなくなると、辺りには寂しげで、しかし穏やかな沈黙が戻った。
そんな墓地に、ふと声のない声が響いた。
呼応するように涼やかなそよ風が供えられた花を揺らす。
大丈夫、元気だよ。って、今年も豆は持ってきてくれないのねー。残念だわー
うーん、面白いけどやっぱ私が書いてたストーリーの最初のやつのが面白いわね
短編集かぁ。新しいね。楽しみにするよ
大丈夫、来年のお盆にもまた会いに行くからさ
忘れないから、憶えているから
だから――私のこと、忘れないでね
ついさっき男が涙を落とした場所に触れ、次に供えてくれた花に触れ、最後に二冊の本に触れた。
そして車の通り去った方を見て目を細めた。
サラサラと微風に揺れる髪は、夜に溶けゆくような黒色。
半透明に透けた女の子は、二冊重ねられた本の隣に座った。
その姿は当時のままなのだろう。小学校高学年か中学生くらいだ。
その子はしばらく墓地の駐車場の方を見ていた。
が、不意にその子は瞳を潤ませた。
少しずつ量を増した涙は彼女の目元から簡単に溢れ、雫となってぽろぽろと零れる。
ただしさっきの男のときとは違って、その涙は地面を濡らさなかった。ただただ地面に消えるだけ。なにも残しはしない。
ひとしきり泣いて涙も収まってきたころ。
そんな頃合いを見計らったかのようにして、彼女の隣を薄く伸びた一筋の煙が漂った。
そろそろおやすみの時間かな
またね来年ね。絶対だからね
最後に二言だけ呟いて、女の子はすぅっと姿を消していった。
こうして今年もお盆は終わっていった。
彼女の声が気付いてもらえる日が来るのかは分からないが、きっとまた来年も無口な女の子は現れ、そして男は精一杯墓参りにくるだろう。
それも、一つの幸せの形かもしれない。
送り火を済ませて空を見ると、真ん丸な満月がぷかりと顔を出していた。
今年も、この日の夜は月が笑っているような夜だった。
「いつかあの子の名前が分かるだろうか」
ふと口にした言葉の理由は自分でも分からなかった。
なんでだろうか、と首を傾げる自分に感傷的になってるんだよ、と適当に理由を投げる。
ただ、それだけでは済ませられないような、大事なことに気付けていない気がして、心の中で何かが引っかかる。
少し考え込んで、不意に答えは見つかった。
「ああ、あの笑顔、見覚えがある気がするのか」
誰も聞いていない盆の暮れの夜。独りで合点がいって何度も頷いた。
しかし、誰だろうか。あの年の知り合いはそういないし、知り合いで似てる奴か。
なぜか必死になって記憶をまさぐる。
あの人も違う、この人も違う。
知ってる知り合いはみんな違ってて、諦めようとした時、ふと最初から候補から外していた――幼なじみに辿り着いた。
「…………まさか」
手入れされてた綺麗な黒髪。強請るくらい撫でられるのが好きで、本も大好きで。なにより、二つのほくろ。
「ああ、そっか。覚えてくれてたのか」
途端に視界が滲んで、あの場所でも我慢できた涙粒がぽろぽろと落ちた。
毎年会いに来てくれていた。思えば、最初に持ってきた手紙もおばさんにしては字が幼かった気がする。
「ありがとう、言わない、とな」
嗚咽で途切れつつも、彼は必死に自分に言い聞かせた。
来年は、次に会う四日間は、と。
それがいいか悪いかはまだ分からない。
だが、確実に二人が一歩進んだ月夜だった。