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国民ゲーム  作者: しゅか
4/4

ミッション開始

雨上がりの動物園は、どこかしんみりとしている雰囲気がして特有のツンとする臭いが辺りを包んでいる。

コンクリートの溝に水が溜まっているところには虫が集っており、それを狙って鳥も群がる。

檻にいる動物はいつもと変わらず寝ていたり、歩き回って、遊ぶモノ。

だが檻の外の雰囲気がいつもと違う事は動物でなくとも感じる事は出来た。

異常なまでの人間が集まり、動物などに目もくれず携帯ばかり見ている。

その中安堵している者もいれば、顔面蒼白で額に汗を溜めている者もいた。

まるで学校の行事でグループを組む時のよう。仲良しグループですぐ組めるモノと取り残される哀れなモノ。

だが、安堵した者の顔は携帯を見て一変する。慌ててその場を離れる者もいたり、頭を抱え焦る者、ため息を漏らす者達。

「こんなミッション出来るわけない・・・」

「ミッションってレベル変えれるはずだよね!?もっと簡単なミッションにしてもらおうよ!」

「ふざけてる・・・!何なんだこの内容は!!」

ミッションの内容に不服を持つ者とそうでない者がいる中、チームを組め一安心しているはずの者達が何か騒いでいる。

「何でお前みたいな奴と俺が組まなきゃいけねぇーんだよ!」見るからに不良の男が気弱な男に乱暴をしている。

「し、仕方ないじゃないですか!本当は私だって組みたくて組んだんじゃ・・・!」涙目になりながらも男は言う。唇は切れ、鼻からは血が滴り、あちこちの痛みを肌が赤く示していた。

「俺に口答えするのか!?世も末だよな?こいつどうします?彰人さん」

彰人と言う男は咥えていたタバコの灰をボロボロになった男に向けて落とす。

「熱い!!熱い!」体に当たった灰を慌てて払う。

タバコを再び口に戻し、男に小さく「死にたく無かったらさっさと携帯を出せ」とドスの利いた声を耳元で言われ男は震えながらも携帯を渡す。

「彰人さん!?何するんですか!?」

「五月蝿い!今は登録しねーと死ぬだけだ、今だけは生かしておく。ミッションとやらが終わればこいつはもう用無しだ。後は自由にさせてやる」と言いながら登録を済ませた。

「うぅ・・・」男に携帯を投げ返し、メールが来た事を確認する。

「ふーん・・・面白くなりそうだな、このゲーム・・・」とタバコ吐き捨て何処かへ向かっていった。

「あ!彰人さん!!おら!お前も行くんだよ!!」さっきまで乱暴していた男は倒れそうな男を引き連れ後を追っていった。


あれほど時間が掛かった森をこの二人は最も簡単に抜け出す。余程の方向音痴なのだと自覚してしまう。

外に出ないと分から無かったが、俺たちの他にも人がいた事を忘れていた。

走り回っている人もいれば、携帯でミッションを確認してこれからどうするかを相談する声も聞こえる。

周りを気にしている俺を背に「まずはピエロを見つける事だが、ここの動物園は広すぎる。手分けして捜す方が効率が良い。それで良いな?」沓八が話を進めていく。「問題ないぜ」

「あぁ・・・」

二人とも了承したところでまた話を進めていく。

「ピエロを見つけたらそれぞれの携帯に連絡しろ。・・・それと、一人でミッションを進めない事だ。勝手に進めて手がつけられないような状況を避けるためだ。良いな?」

「そんじゃ、俺は向こう側を捜しに行こう」和已はさっさと行動に移し、詳しい内容を話さないで行ってしまう。以外と自由人である事を認識したところで沓八も「では、僕も・・・」和已とは逆の方へ歩いて行った。何とも言えない感情が込み上げてくるのが分かる。何ていうんだろうか、もっと仲良くしようとは言わないが、行く方向ぐらい決めてから行動した方が良いのではと心で思いながらも、とりあえず西の遊園地の方へ行く事にした。遊園地と言えばピエロという訳のわからない理由で決めたのだが、その賑やかなイメージの遊園地は静まり返っている。

華やかに彩られた電球達も一つも灯って無く、誰も居ない遊園地とはこういう感じなのだろうか?

賑やかなイメージが強いためその分寂しさを強く感じてしまう。自分の他に誰かいるのではないかと思っていたが、今のところそんな感じはしない。小さな頃は何に乗るかワクワクして選んでいた事が懐かしく思う。今はそんな状況では無いため乗り物には目もくれず、ピエロらしきモノを探してゆく。

大きな建物ばかりで見渡しは良く無い。効率良く探す方法は無いかと探しているとあるモノが目に映った。

「観覧車・・・」動いているかどうかしばらく凝視していると、微かに動いているようだ。

辺りを少し見渡せる高台にあるようなので行ってみる価値はあるだろう。

緩やかな坂道を登り観覧車の方へ行ってみると人影が見えた。

思わず声を掛けようとするが誰かと話をしている様子だ。とっさに俺は建物の影に隠れる。

「どうするんだよ、これから・・・」震えた声で話している男。

「どうするって・・・ミッションをクリアしないと死んじゃうんでしょ?・・・やるしかないよ・・・」苦しそうに低い声でいう女。

「でもチーム3組を消すって・・・どういう事なんだ?まさか・・・殺すとかなのか?」と疑問を投げかける男。

その会話を聞いて思わず身が竦んでしまった。他のチームのミッションの内容は知らなかったが、さっきの会話が本当ならばこのミッションとやらは、人を”殺す”という行為も含まれているという事だ。

たまたま俺のチームは運が良かっただけであって、あのチームのように悍ましいミッションもあるという事が分かった。そうなるとこの場所、そして他のチームさえも危険だという事だ。

もしあの時普通に声を掛けてしまっていたらどうなっていたかと思うと・・・いや、考えても仕方ない。

あのチームがここを離れない限り観覧車には乗れそうに無いが、動いている感じは無かった。さっき見た感じは動いていそうだったのだが、気のせいだったようだ。

とにかく辺りだけでも見回してみる事にした。観覧車で自分の姿を隠すように遊園地を見てみると固まりながら歩いている人たちを数人確認できた。

一人で行動する時はもっと慎重にしなければ他のチームに目をつけられてしまいそうだ。

息を殺しながらその場を離れ、用を足すワケでは無いが少し休む為にトイレの個室に入る。

これからどうする、下手に動き回ると他のチームに見つかりそうだが、動かなければ目的のピエロを見つけ出せ無い。

あの二人に相談してみるか?いやいや、きっと二人して「意地でも探せ」とか言われそうだ。何の力も無い俺がこの状況をどう切り抜けるか自分でも分からなくなっている時でも、時間は容赦なく迫っていた。


メガネについた水滴を何度か拭きつつ、視線はピエロの姿を探していた。

周りの人間は沓八の姿に気付きサインを求めてくるが、今はそんな状況では無かった。

自分の命が掛かっているのに他人に構っている暇は無い。

腕につけているものは科学の結晶ともいえる品物、起動するとパソコンのような画面とキーボードが現れ操作ができる。メガネを通して見る事ができ、相手には何も見えずただ宙でピアノでも弾いているかのような姿になるが、気にしない。メガネが無いと見えないワケでは無い。設定を変えれば画面を表示させたり、大きくスクリーン状にも広げる事ができる。沓八が開発したモノで、世界に一つしか無い品物だ。

操作をしていくとある事に気づく。

この場所に集められた人間が大体1万人くらいだとすると、今の状況では異常に人間が少なすぎる。

溢れかえるくらいの人間が一斉に指定された場所に移動しチームを組みミッションが開始され、あちこちに散らばるはずだが、すれ違った人間が10人程度しかいないのは異常だ。

チームを組めずに死ぬのは構わないが、あの大勢の人間の半数がそれで死ぬなどあるのだろうか。

あの了っていう男みたいに鈍臭い奴らだったら納得はするが、それにしても不自然だ。

パソコンで周辺の生命反応を確認してみるが表示される数は20人くらいだった。

大勢の人間が別の場所に集中しているという可能性もあるが、そんなに偏るミッションなのだろうか。

パソコンの電源を切り、携帯を取り出し「このゲームで死亡した人はいるか?」と尋ねてみる。

「この”国民ゲーム”での死亡した人数は、ミッションをクリアした方のみお答えします。まだ沓八様は未達成の為お答えできません。ご了承ください」

答えるかどうか分からなかったが、なるほど・・・知りたければミッションをクリアしろという事か。携帯をポケットにしまうとピピピピッ!と音が鳴り響く。咄嗟に振り向きこちらの方へ走ってくる男を避ける。

よく見ると刃物を持っていたように見えるが、持ち方からすると慣れていない人間ようだ。「くそっ!」と男がよろけながらもまた襲いかかろうと走ってくるのを手慣れたように避け、刃物を握られていた腕を掴むとすぐさま足を払い地面に固める。

「うぐぅ・・・」

「ひ弱そうに見えたか?残念だが柔術を取得してるんでな、咄嗟的に体が反応してしまうだが・・・何故刺そうとした?」

男は苦しそうに「殺さないと俺が死んじまうんだよ・・・!」掠れた声でいう。

「ミッションか?」

「そうだ・・・指定は無しで10人を殺せってミッションだ、まだ一人も殺せていない!今日中に殺さないと俺が死ぬんだ!!」と男は力づくで起き上がり、また刃物を向ける。

少し距離を取りどういう行動をするかを視線を男に向けているとまたピピピピッと音が鳴ると同時に刃物を再び向け襲いかかる。

さっきみたいに避ければ良かったのだが、沓八は逆に男に向かって走っていく。

「!?」想像していた行動とは違う動きをして男は少し動揺するが、躊躇う事はしなかった。

二人の距離は瞬きをする前に縮まり沓八に刃物が突き刺さると思われたが、刃物は脇腹を擦りそのまま腕ごと沓八の腕と脇に挟まれ、曲がる方向とは逆の方に曲げられ思わず刃物を落とす。

地面に落ちた刃物を咄嗟に拾おうとするが誰かの足の下敷きされる。

見上げるとこちらをジッと見つめ、顔色ひとつ変わっていないメガネの男がいた。

「諦めろ、僕を相手にしていると時間の無駄だ。もっと弱そうな奴を探した方が賢明だと思わないか?お仲間さん達」

沓八に気付かれずに近づいていた他のメンバー達は後ろの方に立っていた。

男が再び襲おうとする前に沓八に近づいて羽交い締めしようと現れたのだが、まさか男に向かって走るとは思っていなかった為、立ち止まっていたのだが、こちらに気づいた素振りも無かったはずなのに何故分かったのか。

「僕は昔から用心深く、僕以外の人間が近づいてくると警告音が聞こえるようにプログラムされている。全方向から感知する事が出来る為、素早く対応ができたわけだ。だから他の奴が後ろから来ている事に気付き、あえて向かって行ったって事だ」

足で踏んでいた刃物を取り上げ、立ち止まっている男の仲間の方へ投げる。

「僕も暇じゃないんだ、他を当たれ」食いそびれた獣の眼差しのように、何事も無く立ち去る姿を悔しく見つめるのだった。青く揺らめく水をあらゆる角度から見る事ができ、そこを優雅に泳ぐ生き物を眺めながら歩いている。どんな魚が泳いでいるかは分からないが、綺麗だという事は見るだけで分かる。

一度は魚と一緒に泳いでみたいと思う人がいるが、俺は絶対反対だ。泳ぐ事は小さい頃から苦手であり、水に顔をつける事も未だに躊躇うしまつ。

目を瞑っている間に誰かに攻撃をされるのでは無いかという野性本能が消えず、警戒心が強いまま生きてきた。

周りは俺を”強い””天才”と持て囃していたが、実際は”臆病”で”怖がり”な俺を知っている人は親と”あいつ”くらいだ。

無意識にそれを周りに気付かれ無いように想像のままの俺を作った。肉体的にも精神的にも作ったつもりだったが、中身までは作り変えれるはずは無かった。

そんな俺でも良いところの一つはあるのだ。それは・・・・


「お前って本当に御人好しだよな」


誰に言われたのかも忘れたそのセリフ、それだけは鮮明に覚えていた。

どうやら人の言葉を鵜呑みににする傾向があるようで、良く馬鹿にされていたのだがあまり気にしてはいなかった。

「少しは疑えよ」なんて事を良く言われていたが、どう疑えば良いのかが分からないというのが正直な反応だった。

別に御人好しでも構わなかった、あの日が来るまでは。

「きゃああああああ!!」

悲鳴であの日の記憶から覚め、足は迷うこと無く向かって行った。

青く染まっていた道の角を曲がると、数名の人間が倒れている光景が目にはいる。側には悲鳴を上げただろうと思われる女性と倒れている人間に声を掛けている二人の男がいた。

「何があった?」駆け寄り、倒れている人間に視線を向けるとその顔は殴られたように腫れ、血が滲んでいた。気を失っているようだが、誰かに襲われたのだろう。

「私たちが来た時にはもう、この状況で・・・誰がこんな事を・・・」いくら声を掛けても反応は無いようだ。

誰が何の目的でこんな事を・・・、と考えていると向こうの方で誰かが走っていく音がした。

「!」

微かに黒い影が走っていくのを目にした瞬間に後を追っていた。

足の速さは普通だが、持久力は誰にも負けない自信があった。撒けれるなら撒いてみろという気持ちで追いかけていくと男の後ろ姿が見えてきた。

俺が追いかけている事に気づくと再び走りだそうとするが、その前に男の首元の服に手をかけた。

「おい!待て!」

「うぐぅ!」

勢いで掴んだ為首に服が食い込み男は唸り声を上げる。だが手の力を緩める事はしない。

「何故逃げる?」

「あ、あんたが追ってくるから・・・!」

「その前に何故走っていたのかを聞いてるんだよ、まさかあの倒れていた人間について何か知っているのか?」「・・・・」何も答えないところからすると何かを知っているのかは分かったが、唸り声を上げるだけで何も話そうとしない。

動けないよう男の腕を後ろに回すが、体を触っているうちに少しの疑問が湧く。倒れていた人間の顔は腫れ上がり血も滲んている程の暴行をしたにしては、腕の筋肉も肩も背中の骨も分かるくらい痩せ細っており、何より手がか弱すぎる。

それに顔を見る限り人を殴れるような感じはしないが、だがこの男は何かを知っている。

「お前は何を知っている?あの倒れた人たちは誰にやられたんだ?」

「・・・・・」

「答えないって事は知っているという意味になるが?どうなんだ?」

「し、知らない・・・!」

こいつはバカなのか?

「いいからはけ!もうお前が何かを知っている事は分かってるんだ!」

「・・・・うぅ」

強張っていた男の体は力が抜けたように大人しくなる。

「ぼ、僕はやってない!ただ見ていただけなんだ!だから僕は悪くない!」そう自分に言い聞かせているかのような言い訳をする。

「誰だ?誰があんな事を・・・お前は知ってるんだろ?」

「そ、それは・・・」

「それはお前も良く知っている男だ」と違う声が聞こえた方へ顔を向けるとそこには見覚えのある男の姿が立っていた。

「加藤・・・お前が?」

加藤カトウ 彰人アキト。この男は嫌でも忘れる事が出来ない程の繋がりが俺の人生に絡みついている。主催者側が意図的に仕組んだものとしか思えないほどにもう会う事も無い、そう思っていた奴が今そこにいる。

「なんだその間抜けな顔は、久しぶりに会った人間に向ける顔かよ」目は笑っていない。

「お前があんな事をしたのか?」冷静に問いかけるとあいつは「あんな?あぁ、それがどうしたんだ?」と当たり前のように答えた。

「なんでそんな事を・・・!」

「逆にお前に聞くが、今この状況を理解しているのか?」

「何?」

「これはゲームだ。ミッションをクリアする為にはどんな事をしても構わない、そうだろ?」

「ゲーム・・・まさかあれはミッションだったって言いたいのか?」

「ふっ・・・相手を殴れとは書いてはいなかったが、殺せとは書いてあったな」

一瞬冗談で言ったと思ったが、あの顔は本気だ。


加藤とは試合の時に初めて顔を合わせただけだったが、会った時はあんな感じではなかった。

オリンピック選手候補として俺と加藤が最終戦で当たる事になった。

どちらが勝っても負けても可笑しくないと言われてはいたが、瞬きをする前に勝負がついた事は誰もが驚いただろう。

不利になる前に少しでも自分に有利な方へ運ぶ為、加藤に足をかけた瞬間そのまま倒れた。

一番驚いていたのは加藤本人だろうが、本人も何故倒れてしまったのか分からないような顔をしていた。審判の声も周りの声も聞こえない程唖然とした。

「大丈夫かい?」審判の人が加藤に声を掛けるが、以前として魂が抜けたように視線が一定の方しか向いていなかった。意識朦朧とした様子でまともに立っていられない程の状態ですぐに加藤は病院へ運ばれていった。

俺は最年少オリンピック選手として選ばれたが、加藤の方は棄権という本人の決断で決まった。

加藤の病気の原因は明かされないままそれ以来、姿を見ることも聞くことも無かった。

選手としてまた同じ舞台に立つことを誰もが願っていただろうが、違う形で加藤と戦うことになるのだった。

見事に金メダルを取り日本に戻ると、忙しい毎日が待っており数日そんな調子で過ごしていた。

そんなある日、近くの公園で騒いでいる声が聞こえ、少し様子を見るだけのつもりで行ってみるとそこに加藤はいた。

「加藤・・・か?」声を掛けると男はこちらに視線を向け「お前は・・・咎沼か?」一度しか会っていないが、あの出来事があったから互いに顔を覚えているようだ。

だが加藤の周りには見知らぬ人が数名倒れていた。

「だ、大丈夫ですか!?」声を掛けようと駆け寄るが加藤に突き飛ばされてしまう。

「な、何する・・・!」

「本当お前ってウザいわ、一回戦っただけでもう知り合いとか思ってるわけか?勘違いにも程があるだろう」

「・・・その倒れている人達とは知り合いなのか?」

「絡んできたから返り討ちにしたまでだ。こいつら俺がお前に無様に負けた事を面白そうに話し掛けてきてよ、昔の記憶を蒸し返そうとする目障りな奴らだったから黙らせただけだ」その時の加藤の顔は怒りと悔しさで歪んていた様子を見逃す事は無かった。

誰にでも忘れたい、触れてほしくない事はある。加藤の中ではあの試合の記憶が何よりも屈辱的で苦痛であったのだ。

あの時に会った加藤の顔は活き活きとしていた記憶があったのだが、今の加藤は人が変わったように荒んでいた。あの時の加藤はどこへ行ってしまったのだ。

「なんだよその目は、お前も昔の俺と今の俺を見比べて蔑んでいるんだろ?どいつもこいつも俺を・・・あの病気さえなければ俺は・・・!」

「病気・・・やっぱり病気だったのか。そんな話し耳にしなかったから心配して・・・」

すると加藤は「情けか?噂通りの御人好しだなお前は」と吐き捨てた。

返す言葉もなくただ加藤の顔を見つめる。

「お前の顔、名前を見るだけで腹が立つ。ただの腹癒せだと言われても仕方ないが、運が悪かったと思ってくれよ」と懐から何かを取り出す。

それが何かを確かめる前に加藤は俺目掛け走ってきたと同時に腹に痛みが走る。これは腹痛とは違う鋭い痛み。腹から何か暖かいものが流れている感覚が気持ち悪くなってゆくと同時に意識を失った。

次に目が覚める時は白い天井と白いベット、布団の中でゆっくり過ごす事になった。

大した怪我では無かったが、退院してからの試合は無残にも勝ち星一つも上げることが出来ずに、引退という形で柔道の道が途絶えるのだった。


そんな奴が今俺の目の前に立って笑っている、刺されたあの日のように。

「普通に殺すだけだと面白くないだろ?」とポケットから何かを取り出すとそれは、今では誰でも持っているものだった。

「携帯・・・まさか」

「今はこんなに命が軽く容易いモノになるとはな。そもそもこれを壊せば本当に持ち主が死ぬっていう話も信じがたいし、・・・あいつらには実験体になってもらおうか」

「かとおぉぉぉぉぉ!!」その発言で俺の何かが切れたと気づいた時には加藤に向かって走っている自分がいた。

確かに加藤のいう通りこれはゲームであり、誰がどうなろうと自分には関係無い。いちいち心咎めろとは思わない、けれど人を当たり前のように傷つけ、殺すという姿勢が俺は気に食わない。

だから御人好しと言われる、咎沼という男だった。

「偽善者は黙ってろ」

手に持っていた携帯を大きな水槽の方へ躊躇うことも無く投げ捨てた。

加藤に触れた時には携帯は水底に導かれているように沈み込んでいく。加藤の首根っこを掴み「お前は・・・!!」怒りをぶつける。

「早くした方が良いんじゃないか?一応防水とはなっているみたいだが、長時間その状態が続くとマズイんじゃないのか?」次に俺が何をするのかが分かっているみたいに余裕の顔をしながら見る。

そんな奴の思い通りには動きたくは無かった。だが、悩んでいる場合ではない。

水槽の中に入れそうな場所を見つけ、躊躇せずに水に入って行く。

そんな姿を加藤は不愉快そうな顔で見つめ、再び姿を消した。

水の中は濁っているのもあるがよく見えない。携帯のライトを使ってもそれが携帯なのかも判別しにくい。目を思いっきり開けるのを嫌がっている場合じゃないな。ゴーグルが無いと目を開けられない俺でも頑張った方なのだが、止む終えない。

思ったより水は深く無く、息継ぎせずに携帯を拾い上げる事が出来た。

水から出た後は癖のある魚の生臭い強烈な刺激臭に似た臭いに包まれていた。風呂に入りたい気持ちを抑えつつ携帯を持ち主に返すため、重い足取りで戻って行った。


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