キルトト(8)
途中で体力の限界に達したリーネットを置いて、俺は先に工場へと駆け込んだ。
案の定、そこには昨日、家を訪問した労働者たちが集まっていた。病気をおしているのか、酷く顔色が悪い者も多かった。
彼らが手にしているのは、予想通り光術で作られた破壊兵器だ。何故あんな高価なものが彼らの手に在るのかは全く分からなかったが。
労働者たちは、工場の所為で自分たちが病気になったと信じ、ここへやって来たのだ。
そして数十名の集団と相対しているのは相棒のクォントだった。
「あ、ルース! よかった、困ってたんだよ」
「あー……まあ、大体みりゃ分かる」
クォントは、昨日会った工場主を片手で抱えている。
労働者側の集団のうち、何人かが地面に突っ伏しているのはクォントの所為だろう。あいつ、ちゃんと手加減してんだろうな?
俺はため息交じりに双方の間に入り込んだ。
「やめて下さい。この工場を攻撃したところで事態は何も進展しない」
「誰だ?!」
口々に叫ぶ人々の間に、中央監査の〈光術士〉だ、という声がひそひそと響く。若さに驚く声や馬鹿にする声、畏怖する声がざわざわと広まっていった。
が、どうも彼らの怒りは収まっていないようだ。
「おい、クォント。お前何か説明したのか?」
「うーん、まあ、細かい事は置いといて、彼らの病気が、おそらくこの不燃布の所為だろうって言っちゃった」
「……お前なあ」
俺は大きくため息をついた。
だが、相棒の性格はよく分かっている。
おそらく、唐突に問われて咄嗟に嘘をつけなかったんだろう。
「ギルドに未報告の情報を話さない。知られない。監査の鉄則じゃねーですか」
クォントはしゅん、と視線を落とした。
お前がその仕草をしても可愛くねえんだよ。
が、仕方ない。この騒ぎになってはもう収集もつかない。
「監査の方、先ほどの話は本当なのですか?」
昨日、家を訪ねた作業者のルオノが問う。
俺は静かに頷いた。
「おそらくお前たちは石を破砕して繊維化し、それをより合わせて糸を生成していたはずだ。破砕化した繊維の粉塵が、お前らの肺に刺さって毒になっている」
俺の拙い理解ですまないが、クォントやリーネットのように異世界知識の下地がないんだ。勘弁してくれ。
でも、クォントが口を挟まなかったから、かなり正確な解釈だったんだろう。
「工場長、すまないが、国営ギルドを通して工場の停止を求める事になると思う。ユルカンネ山の露天掘りも中止だ。すべて閉鎖させてもらう」
人々の間にざわめきが広がる。
鉱脈露天掘りの中止。
工場の閉鎖。
彼らにとってそれは、失職に他ならない。
「ふざけるなっ!」
労働者の一人が光銃を構えた。
どこから手に入れたか知らないが、物騒な武器だ。
引き金がひかれるとともに銃口から飛び出した光線を、俺は難なく片手で弾いた。
弾かれた光線は工場の屋根にぶち当たり、凄まじい音を立てて爆発した。
先程、山で聞いたのもこの音だろう。
目をむいたソイツは、銃口をクォントに向けた。
「クォント!」
鋭く叫ぶと、相棒は引きずっていた工場長を少し遠くへ放り投げた。
同時に放たれる閃光。
光線は真っ直ぐにクォントを貫く、はずだった。
が、クォントを捕えた筈の光線は、そのままクォントの身体を通過していった――何しろ異界から落ちてきたクォントは特異体質で、光術の類が一切効かないのだから。
呆然となる攻撃手に、クォントはにこりと笑って距離をつめた。
瞬く暇もなかっただろう。
クォントは鳩尾に鋭く拳を入れて、そいつを地面に沈めていた。
しぃん、と静まり返る工場内。
病人の咳と、屋根に開いた穴から吹き込んでくる雨音だけが断続的に響いていた。
放り投げられた工場長も、呆然とクォントを見つめていた。
「……悪いな、俺もクォントも光術の攻撃はきかねーんですよ」
ぱっと見、武器を持っていたのはさきほどクォントが沈めた男で最後のようだが、油断は出来ない。
「人の話は最後まで聞け、ですよ。いきなり攻撃とかふざけんじゃねーですよ。俺たちは何も、お前らの仕事を全部つぶすっつってんじゃねーんですよ」
早口で詠唱を行い、全身防御を巡らせておいた。
と、その時、ガタガタと大きな音をたてて、工場の扉が開いた。
飛び込んできたのは息を切らした黒髪の少女。フードからぽたぽたと雨粒を落とし、よろよろと入ってきた。
「遅かったな、リーネット」
「だって……っ、リーダーが、速い、からっ……!」
地面にへたり込み、肩で息をするリーネットを、クォントが助け起こしていた。
突然の乱入に、言葉を失っていた人々からざわめきが漏れ出す。
「早く息を整えろ、リーネット」
リーネットの身体を対光術の防御壁で包み込みながら、急かす。
「ここに集まった人たちは皆、工場で働いていた者たちだ。その人たちに、お前から話があるんだろう?」
「えっ、でも、リーダー」
「自分で伝えろ。それは、お前が見つけ出したものだ」
リーネットは何度か深呼吸をして、息を整えた。
そしてフードを取り、人々の前に進み出た。
珍しい黒髪に黒い瞳。
訝しむ声も聞こえたが、それ以上に困惑のざわめきが大きかった――おそらく、珍しい黒髪を持つ『聖女』の噂がこの町にまで到達していたから。
しかし、目の前の小さな女の子と噂の聖女の話が結びつかなかったのだろう。半信半疑の視線が多かった。
「えーと、初めまして。リーネット=ベイと言います。中央監査ご一行の、ええと、おまけみたいなものです」
視線を右往左往させながら、緊張した面持ちで。
「さっき、リーダーから工場を閉鎖するって事は、聞いたと思います。石綿の露頭も閉鎖します。あれは、とても危険なものだから。それは、皆さんが身を以て知っていると思います」
剣呑とした空気が満ちる。
「だけどっ」
その空気を打ち払うように、リーネットは叫んだ。
「別の鉱脈があります。光術に使用できる鉱石の鉱脈です。その存在を、今、リーダーと一緒に確認してきました」
「鉱脈だって……?」
人々にざわめきが広がった。
「まさか、〈光術士〉が全山検索を行ったのか?」
「そんな金、この町にあるわけないだろう!」
「払えないぞ、そんなもの」
彼らの言うとおりだ。
全山検索にかかる費用はとてもこの辺境の町が払いきれるものではない。よほどの利益が出ると事前に分かっている場合か、既にかなりの利益を別の産業で叩き出している場合しか出来ないだろう。
「いいえ、違います。『翡翠』だけに絞って探索を行いました。ですから、リーダーなら数分しかかかりませんでした」
そう、ここへ来る前に検索は済ませていた。
結果は成功。
リーネットの読み通り、ユルカンネ山には翡翠の鉱脈が眠っていたのだった。
「単体検索で鉱脈を見つけたというのか?!」
「はい」
リーネットははっきりと頷いた。
まさか、と言う声も上がったが、それ以上に詳細を問う質問が投げかけられた。
場所は、規模は、大人数での掘削は可能なのか、その純度はどのくらいなのか。
リーネットは質問に一つずつ丁寧に答えていく。首を傾げた質問にだけは助け舟を出してやったが、質問にはきちんと答えられていた。
「しかしなぜ、『翡翠』が出ると分かったんだ? 他にも可能性はあっただろう。だから普通は全山検索をするんだ」
その質問で、リーネットは一度、口を閉じた。
が、すぐに唇を引き結び、はっきりと告げた。
「あたしが、〈地質学者〉だからです」