キルトト(6)
宿に戻ると、リーダーが眉間に皺を寄せてお出迎えしてくれた。
そんな顔をしていたら、男前が台無しだよ?
「遅い! 何時だと思ってやがんですか。こんな暗い中、犯罪にでも巻き込まれたら――」
「リーダーはたまにお母さんみたいなことを言うよね」
呆れてそう言うと、リーダーはあたしの首根っこを捕まえた。
「待ってたんだよ、おまえのこと」
「夕飯のこと? 食べててよかったのに」
「違う。聞きたいことがあるんだ」
あたしはそうやってリーダーに猫つまみさたまま、部屋へ連行されたのだっった。
「燃えない布?」
「ああ、そうだ」
キルトトの特産品であるというソレを、リーダーは実際、光術で燃やして見せてくれた。
空中で発火したソレは、赤い炎を出して燃え上がったように見えた。
が、火が消えてひらひら落ちてきたソレを受け取ると、少し焦げた跡が見られたものの、普通の布のように炭になってはいなかった。
「おお、すごいね。これって、よく言う『光術製品』なの?」
万能術式のくせに、人体への影響が大きすぎて国家が管理してるっていうアレ。よくリーダーと弟が規制して回っているアレだ。
布が燃えないように、光術が組み込まれているのだろう。
ところが、弟は困ったように笑った。
「それが、違うみたいなんだよ」
「え?」
「オレは何となく本で読んだことある程度なんだけど、燃えない布って、向こうの世界にもあったよね。ほら、繊維状の石を編んで……」
「ああ、もしかして、火浣布のこと?」
火浣布。繊維状の鉱石を編んで作った布のことだ。文字通り、石で作った布であり、燃える事はない。平賀源内が作ったとも言われているし、竹取物語で『火鼠の皮衣』と呼ばれたのもこれだ。
半分、お伽噺のようだが、この布は実在する。
と、そこであたしははっとした。
「姉さんなら分かると思ってさ。だから、待ってた」
「えっ、病気が流行ってるって、そう言う事なの?!」
その瞬間に、あたしの頭の中で、いくつかの事象が一本の線で結びついた。
嘘でしょう?
だってこれは、向こうの世界ではもはや廃止された技術だ。
「この町の病気には潜伏期間があったの?」
「うん。10年くらいだって。そう、やっぱりそれが正解なんだね」
弟は、苦々しい顔で黙り込んだ。
あたしは絶句した。
今日、少年に案内してもらった露頭を思い出す。蛇紋岩が全面に広がる壁面。明らかにあれは、人工的に掘り出した跡だった。
もし、蛇紋岩の一部が変成して繊維状になっていたら。その繊維を使用して『不燃布』が作られていたとしたら。
「りー姉、心当たりある?」
「……あるよ」
でも、裏をとるにはもう一度調べる必要があるだろう。
「一日だけちょうだい。すぐに調べてくる。クーちゃんは、機械の方をもうちょっと見てもらっていい? たぶん、圧砕する機械と、ふるいは確実にあると思う。そこに繊維状の鉱物が残ってれば確実。刷毛貸そうか?」
「うん、じゃあ借りるよ」
「あと、少しくらいなら大丈夫だと思うけど、マスクした方がいいよ」
弟に刷毛を渡したところで、リーダーの拳骨が脳天に炸裂した。
いったーい。目がチカチカする。
「二人だけで分かりあってんじゃねーですよ。説明しやがれですよ」
あたしは弟と視線を合わせる。
「まだ確定じゃないんだ。ほとんど正解だと思うけど。だから、リーダー。明日は一緒に行こう。もし見つけたら、説明するよ」
次の日の朝、あたしはリーダーと二人で再びユルカンネ山に登った。
昨日の露頭を再び確かめにいく為だ。
目の前に現れた緑色の岩壁を前に、あたしは調査用のグローブを身に着け、ルーペを握りしめる。
「何の機材も残されてないって事は、ここは不燃布の材料が掘りつくされた後だと思うんだ。でも、多少残ってるかもしれない」
「不燃布の材料が、か?」
リーダーの問いに答える前に、あたしは露頭に張り付いて探し始めた。
昨日はあまり時間がなかったから、数十メートルある露頭のすべてを確認できたわけではない。きっと、あたしは見落としている筈だ。
天候は曇り。
分厚い雲が空を覆っていて、今にも降り出しそうだ。
蛇紋岩や凝灰岩のある場所は、地滑りやがけ崩れもおきやすいから、できれば雨が降る前に見つけてしまいたい。
そんなあたしの焦りとは裏腹に、手元にぽつり、ぽつりと雨粒が落ち始めた。
その雨粒が、色を変えていく石の中。
あたしは、見つけた。蛇紋岩に走る貫入様の白い針状結晶群。
動きを止めたあたしを見て、リーダーが寄ってくる。
「あったのか?」
「うん」
ここだけ少し抉るように掘られているのは、採取されていた証だ。
ハンマーで軽く叩くと、その部分だけぱらぱらと削れるように落ちた。その欠片を手に掬い取り、ルーペで観察して確信する。
「……これはあたしたちの世界で『アスベスト』って呼ばれてるものだよ」
岩に入り込んだ白い筋を、ゆっくりと指でなぞった。ざらざらと指に引っかかる様な独特の感触。
「珍しい、針状結晶の岩石なんだ。これを紡いで『石の糸』を作る事が出来るの。その糸を編めば、『石の布』……燃えない布が出来る。あたしとクーちゃんが昨日から疑ってたのはその意志の布だよ。『石の糸』を作る過程で岩を破砕するんだけど……その時、針状結晶が空中に舞いあがってしまうんだ。もし、人間がずっとその結晶を吸い込み続けると――」
リーダー黙ってあたしの話を聞いていた。
「それが肺に刺さって炎症を起こすの。ずっと吸い込み続けて、潜伏期間は、10年以上って言われてる。病気の名前は忘れちゃったけど、咳が酷くなったり抵抗力が弱ったりするんだって。とてもじゃないけど、工業製品としては欠陥だよ。あたしたちの世界でも一時、問題になったんだ。作ってる人が病気になっちゃうって」
「……ほぼ正解だな」
リーダーは淡々と告げた。
「で、対策として俺はどうすればいい?」
「露頭はあるだけ全部、埋めた方がいいと思う。破砕しないのであればほとんど人体への影響はないと思うけど、身体にいいものじゃないから。あと、町の人達にも危険性を教えて近寄らないようにしてほしい」
あたしはうすぼんやりとした知識を掘り出した。
「病気の方は、どうやったら治るのかわかんないや、ごめん」
あたしの中途半端な記憶に引っかかった薄い知識を頼りに提案する事しか出来ない。
この世界に落ちてから、いつも思う。
もっとまじめに勉強しておけばよかった、って。自分自身の知識として根付かせておけばよかった、って。
弟は読書かで記憶力がよくて、向こうの世界の知識を役立てていることの方がおおいけど、あたしは地質学以外の知識はからっきしだった。そのうえ、何となく覚えているだけではっきりと言い切れるような自信はない。
でも、何となく覚えている、では駄目だった。うろ覚えの知識で、人は救えない。
誰かのために役立つには、生半可な知識じゃだめなんだ。
リーダーは、険しい顔で頷いた。
「……分かった。工場は閉鎖してもらおう。これ以上、病人を増やすわけにはいかない。少なくとも、これ以上の発症は防げるだろう」