キルトト(4)
キルトトの町に到着した翌朝、あたしはリーダーの許可を得て山の調査へ繰り出すことになった。
紐を編み上げるタイプの丈夫なブーツは、前に立ち寄った町でリーダーに選んでもらったものだ。細かい石の欠片で怪我をしないように分厚いタイツを履き、その上に機能的なポケットがたくさんついたショートパンツ。夜には冷え込むので防寒のフードケープ――これは弟とおそろいだ――を羽織り、落ちてくる前髪をヘアピンで止めた。腰にサイドバッグを装着し、準備万端。
宿一階の食堂で、厨房の親父さんに分厚いベーコンとレタスを挟んだサンドイッチを作ってもらい、外へ繰り出した。
トタン屋根や、金属性の水道管が目立つ町並みは、どことなく古めかしい炭鉱のような雰囲気がある。この世界では機械工業が発達しているらしく、町の片隅には何に使うんだか分からない金属片やパイプや機械の一部が大量に落ちている場所もある。
地面が赤茶けているのも、鉄分を多く含んでいるせいだろう。それが人間活動によるものなのか自然界のものなのかはわからなかったが。
ひとまず地図を広げた。
まず、最初のターゲットはキルトトの町の北東にそびえるユルカンネ山。
町の北東から伸びる登山道を確認し、あたしは駆け出した。
まずは、あの頂を目指すべし!
あたしは敬愛するインディなジョーンズ様のように、未知への冒険へ繰り出した。
緩い登山道を、鼻唄を歌いながら歩きはじめてすぐ、周囲に鳥たちが寄ってきていた事に気付いた。
明らかにおかしい数の鳥が木々に止まり、一緒に歌い始めている。
はっとしてあたしは鼻唄をやめた。
すると、集まってきていた鳥たちが散って行った。
「……危ない、危ない。調子に乗って歌っちゃわないようにしないと」
リーダー曰く、異世界から落ちてきたせいかあたしは特異体質らしく、歌うだけで光術の詠唱と同義になるらしいのだ。
歌っている時、〈光素〉と呼ばれるナニカがあたしを取り巻き、渦巻きながら拡散していくのを感じる。その感覚は、いつもリーダーが光術を使う時の感覚や光化種に出会った時の感覚に似ている。
今のところ分かっているのは、気分に乗って好きな歌を口ずさむと癒しの歌になったり、大地に実りをもたらしたり、攻撃的な光術も実は放てるという事だけだ(これはリーダーに内緒だ)。
鼻唄でもその効果があるんじゃ、テンション上げることだって出来ないよ。
歌う事が好きなあたしは、ため息と共に周囲を見渡した。
この付近の植生的には日本とかなり近い。杉材を主とする林業も発達している。気候は、少しばかり冬が長くて寒いのが難点だが、基本的にはカラリとして過ごしやすい土地のようだった。
地を這うように繁茂する植物は少なく、適度に露頭が散見される。
さっそく最初の露頭を発見し、あたしは駆け寄った。
ちなみに、『露頭』と言うのは野外において地層や岩石が露出している場所の事だ。
例えば、地面の下に何があるか知りたいと思った時。でも、植物の繁茂する地面の下に何があるかは分からない。見ようとすれば、植物をすべて斬り倒して盛り返すしかない。
けれどそれは、現実的ではなかった。
だから、川の近くや、崖崩れがあった場所などで地層が出ているところを探すのだ。
一か所だけでは『点』の情報でも、何か所も情報を集めて予測していくと線の情報になり、さらには平面の情報になる。
さらに、露頭間に標高の違いがあれば、それは3D化が可能なのだ。
それが基本的な〈地質調査〉の手法だった。
露頭調査の積み重ね。
遠目にも白っぽいあれは、崩れ具合から見て凝灰岩だろうか。
サイドバッグからするりとハンマーを取り出してカンカン、と叩くと、柔らかめの岩はぽろぽろと崩れた。ルーペを取りだし、観察する。
「正解!」
地図を広げて現在地に凝灰岩の緑色を塗る。
そして、ひとりホクホクと露頭スケッチをはじめた。
が、その幸せな時間は長く続かなかった。
上から、甲高くて大きな声が降ってくる。
「……ぁあああああ!」
えっ、と思って見上げた瞬間、崖の上から子供がずるずるずる、と滑り落ちてくるところだった。
火山から噴出した灰が固まって出来る、という性質上、凝灰岩は崩れやすいから……!
スケッチ用のフィールドノートを放り出し、何とか受け止めようとしたが……駄目だった。
受け止めようとした手をすり抜けた子供は、そのままあたしの足の間を滑り落ちて行った。
「ごめーん! 大丈夫?!」
もうもうと土煙をあげてうつぶせになった子供は、ピクリとも動かない。
慌てて助け起こすと、両膝と両手をひどくすりむいていた。岩で切ったのか深い傷もあり、地面に着いた衝撃で気絶してしまったのだろう。瞼は固く閉じられている。
……今なら、気づかれないかな?
あたしは大きく息を吸い込んで、唇から旋律を紡ぎだした。あたしの故郷の紡ぎ唄。
「〈糸よ 細出よ 細出てきれなあ かわい殿さの縞の横〉」
ふわり、と全身を包む光素が渦巻く。糸を紡ぐように列をなして紡がれる光素がすぅっと子供の身体を包む。
「〈わしは朝から四十目のジンキ 鳥が啼いてもまだ残る〉」
この力を使うのは初めてではない。たぶん、大丈夫だ。
目の前が眩い光に包まれる。まるで蚕が糸を吐きながら自らを包み込むように。
「〈千代椿を折ったらなんじゃ 春にゃ芽も出る花も咲く〉」
歌詞の最後まで歌い切った瞬間、歌声に集まってきていた光素がぱぁっと拡散していく。
それにつれて、子供の傷もみるみる塞がって行くのが分かった。
よかった。
ほっとして息を吐くと、腕に抱いた子供が身じろぎした。
「大丈夫?」
話しかけると、その子はぱっと目を開いた。
一人で幼い子供だ。10歳に満たない赤毛の少年は、あたしの顔を見て驚いた顔をした。
そして、ぱっと立ち上がって距離を置く。警戒する獣のように。
「平気ならいいんだよ。君、崖から滑り落ちてきたんだよ? 凝灰岩は崩れやすいから気を付けてね」
膝についた土をパタパタ払いながら立ち上がった。
そこで少年は、はっと思い出したように崖の上を見上げた。
「どうしたの?」
「何でもないっ」
少年は肩をいからせてそう言い放つと、再び駆け出そうとした。
が、落ちている石に足を獲られ、再び地面に滑り転んだ。
「そんな急に走り出すからだよ。大丈夫?」
覗き込むと、膝をすりむいた少年が涙目で見上げていた。