キルトト(3)
明日は自由行動をしてよい、と告げた時のリーネットの喜びようと言ったらなかった。明日に備えて、と夕飯後すぐ布団に潜り込み、あっと言う間に寝息をたてていた。
そして、次の日の朝は俺たちより早起きをして、朝日と同時にとっとと宿を飛び出してしまった。
なるべく人に会わないように、フードで髪を隠すようにと苦言したが、届いたかどうか。
楽しそうに、弾むように駆けて行く黒髪を見送って、俺は大きくため息をついた。
やかましい連れがいなくなって幸い、俺とクォント調査を開始した。
患者の一人を訪ね、中央議会に派遣された役人だと言ったら、どうやら俺たちの……というよりも、近々監査が入るらしいという噂を聞いていたようで、快く迎え入れてくれた。
ルオノと名乗った小汚い男は、工場で製品の裁断の仕事をしていたという。
バラック小屋のような家屋に妻と二人。あまり裕福でない生活をしているのは明白だった。
「工場で働くときに、光術は使わないから大丈夫だって言われていた。だが、騙されていたのかもしれん」
そう言った患者ルオノは、長く話すと咳が止まらなくなり、全身も弱っていてとても働くことは出来ないと言うことだった。
働かなければ生活できない。かといって、病気になるのであれば工場にも戻りたくない。
俺は、ルオノの体に残された光素を探り、ため息をついた。
「ないな。光術の痕跡は全くない。あんたの病気は、光素と関係ないところにあるよ」
と、ルオノはそこで酷い咳をした。
妻が慌ててブリキカップに入った水を渡す。
水を飲んで落ちついたルオノは絞り出すように言った。
「そうか……せめて光素によるものなら、国の世話になれたかもしれんのにな」
肩を落とした患者の肩に、ぽん、と手をおく。
「だが、これだけの患者が出ている以上、何か原因があるはずだ。解決するのが俺たちの仕事だ。任しとけ」
その後も何軒か患者を見舞ってみたが、誰もが同じことを言った――つまりは、工場に騙された。気づかぬうちに、知らされぬうちに光術に晒されていたに違いない、と。
そして、どの家もとても裕福とは言えなかった。
辺境の地において、町工場は唯一と言ってもいい職場だ。やむを得ず働いているが、王国時代から続く貧富の差は埋まっていない。
結局のところ町議会は領主一族に占められ、内情としての施政は何ら変わっていない。
なんだかんだ、富める者は富み、貧しい者は貧しいままなのだ。
「……共和制への革命って、いったい何だったんだろうな」
『生きとし生ける者に平等な社会を』と謳った共和国革命軍。彼らが目指した世界は、果たして実現されているのだろうか。
この地域が特異だ、と言ってしまえばそれだけだ。首都から西へ、大山脈を挟んで遠く離れているために、戦の気配もなかった代わりにさしたる恩恵もない。気がつけば様々なモノの名前だけが変わっていた場所。
辺境の地を歩き、現状を突きつけられるたび、俺の中燻る炎がちりちりと燃え上がって心の端を焼く。
が、燃え広がりそうになる前に、ぽん、と肩に手が置かれた。
「ルース、そんな不毛な事を考えるより、とりあえず目の前の問題を片付けないと」
いつだったかと同じ台詞を吐いて、相棒は笑った。
気の抜けるような笑顔。
俺は何度もこの笑顔に騙されてきた。そう言えばあの時も、笑っていたな。俺が何もかもに絶望して生きる事を諦めようとしたあの瞬間も、コイツは笑っていた。
「そうだな」
今回も、騙されてやろう、仕方ない。
だから俺はこの姉弟に甘い。俺が甘い分、コイツらも俺に甘いから。
次に向かったのは工場だった。
監査だ、と言ったらすぐに通してくれた事に拍子抜けした。
工場長に特に後ろめたいことはないようで、病気の調査だと言ったら、むしろ喜んで招き入れてくれた。もし、光術製品の申請を隠している違法な工場であれば、こうはいかないだろう。
「中央監査の方でしたか。優秀な方だと噂には。しかし、これほどお若いとは……」
むしろ、従業員たちの病気を心配し、早く解決したいと思っているようだった。
半分ほど禿げ上がった頭の工場長は、作業着のまま工場内を案内してくれた。さすがに原料そのものや加工方法は秘匿されたが、機械もすべて見せて貰えた。
見たことのない形の機械が多く、とても製造方法を予測する事は出来なかった。もしかすると、機械に強いクォントには薄々わかったのかもしれないが。
工場内に光術の気配は感じない。
「この製法は誰が作ったものなのですか?」
「詳しいことは存じません。領主様が……と、もう領主ではありませんでしたね。王国時代に領主であったキーリンダ様が、どこぞの研究機関の先生から仕入れたとお聞きしております」
共和制になり、領主制度は廃止された。
今は、町議会――という名のほぼ領主一族が席を埋める集団――によって行政を布かれているいる事がほとんどだ。共和制になったからと言って、こんな地方で頭のすげ替えを行うのは容易ではない。
この工場の持ち主も共和制以前にキルトトの町を治めていた領主で、いまは少し離れたディルネンという都市にいるそうだ。
「おそらく光素による汚染を考えられておられると思いますが、光術関連の施設をこの工場に作ったことは誓って一度もありません。これまで病気になると言う者も全くおりませんでした。それがなぜ、こんなことになったのか……」
「キーリンダ殿に連絡はしたのですか?」
「はい、何度も。しかし、全く取り合ってもらえず……おそらく、この工場の売り上げにうまみはないのでしょうね。閉鎖も私に一任する、と」
工場長はがらんとした構内をゆっくりと見渡した。
「しかし、従業員も病で減っていき、このままでは工場を閉めざるを得ません。しかし、この町の特産品である不燃布の工場を止めてしまえば、職を失う人間も多い……困っているところなのです」
工場町は大きくため息をついた。
心中察して余りあるが、今は原因を突き止める方が先だ。
「もう少し調べさせていただいても?」
「はい、製造場所以外は自由に立ち入っていただいてかまいません」
工場長を見送って、俺はクォントに目くばせする。
相棒は、眉間に皺を寄せていた。
「何かアテがあるんだな、クォント」
「うーん、あるっちゃある……かなあ」
今もそうだが、元々の世界でも読書家だったというクォントの知識は、俺の及びつかない位置にある。特に、この世界にない知識に何度か助けられている。
クォント自身は、その知識を持ち込むことをあまりよく思っていないようが、気にしなくていいと思う。
「『燃えない布』って聞いた時、ちょっと引っかかってたんだ。オレの世界にもそう言うものがあってさ。うーん……」
眉間に皺を寄せ、腕を組んだクォント。
苦々しい表情で呟いた。
「できれば姉さんに意見を聞きたいんだけど、いいかな? きっと、これに関してはりー姉の方が詳しいからさ」
「は?」
あの小動物に何を伺う事があるのだろうか。
とは言え、クォントが意味のない事を言う筈もない。
しぶしぶながら、承諾したのだった。