キルトト(2)
ところが、詠唱が終わっても、指輪が光るだけで何も起こらなかった。
主記憶装置不足でプロセス展開に失敗……やっぱ、〈召喚級〉はまだ早い?
「不発だよ、リーダー! あああ、前! 前!」
「くっそおぉ、分かってんだよ、うるせーですよ!」
目の前に迫る光化種の牙。
もはや一刻の猶予もない。
<光術>での撃退は諦め、腰の剣を抜いた。
「リーネット、頭を低くしろ!」
術式失敗の腹立ちまぎれに、剣を一閃、二閃、三閃。
大きく避けた口からそのまま尾までを真っ二つにされた深海魚が大きな音を立てて轍の道に転がった。
同時に、目を潰されたもう一匹が道の脇の木の幹に叩きつけられる。
周囲に超音波のような断末魔が二つ、響き渡った。
肩越しに視線を遣り、残心。
二匹の光化種が完全に動きを止めたのを確認してから剣を納めた。
「無事か、リーネット」
「ありがとう、リーダー。平気だよ」
耳のいいリーネットは、余計に影響を受けやすい。
正確に言うなら、光素に対する感受性がバカ高いのだ。無論、光化種の出現にも俺より先に気付いている。
鍛えればかなりのものになると思うが、すぐにでも元の世界へ戻るつもりである本人にその気はあまりないらしい。
もっとも、コイツの特異な能力はそんなものではないのだが――
「……リーダー、何でわざわざ苦手な<光術>を使おうとするの。心臓止まるかと思ったよ」
この世界に来た当初は『魔法だ、魔法だ』と喜んでいた彼女も、度重なる失敗に今では反応も冷たい。
「うるせーですよ。俺は光術が苦手な訳じゃねーですよ。得意すぎて主記憶装置が足りないだけだっつの。何度言ったら分かるんだ?」
「リーダーもクーちゃんも光術オタクだもんねえ」
呆れた様子のこの少女に、俺の能力の特異さを伝えるにはどうすればいいのだろうか。亡き〈ユハンヌスルス王国〉では災厄児とまで呼ばれるほどに光術を得意としていた俺の事を、何故か苦手だと勘違いしている彼女に。
ぐぬぬ、と眉間に皺を寄せていると、リーネットは続けた。
「でもさ」
俺の背中に頭を戻して体重を預けながら。
「普通なら、一匹の光化種を警備のヒトが数人がかりで取り押さえるか倒すかするもんだってクーちゃんに聞いたよ。光術を使えなくても一人で簡単に倒せるなら、やっぱりリーダーはすごいんだねえ」
背中に頬を押し当てながら、嬉しそうにえへへ、と笑う小動物。
こんちくしょう、何だ、この可愛い生き物は。
「……お前さあ、本当にさあ、そういうさあ」
「何?」
「……何でもねーですよ」
マイペースなリーネットは、こうやって素直なところを見せ付けてくるので、俺は最後には丸め込まれてしまうのだ。
そして、悪い気のしない自分はもう駄目だと思う。
振り向けば、二匹の光化種はじわじわと光の粒を発散しながら地面へと溶け消えて行くところだった。昇華する光素が大気中に霧散していくのを確認し、再び目的地へと馬を進めて行った。
目的地であるキルトトの町には、無事予定通り到着した。
入り口の借り馬宿に青毛の馬を返却し、徒歩で中へ歩み入る。
雑多な金網で囲われた町の中へ入ると、小ぢんまりとした風景が歓迎してくれた。赤っぽい土を踏み固めた道路、杉材にトタン屋根の簡素な家が立ち並ぶ。時折、赤っぽい瓦の家が見られるのは、この辺りの粘土が鉄分を含んでいるからだ。
町の奥には工場のものとおぼしき屋根がいくつか見える。飛び出した暗灰色の煙突からは煙がもうもうと立ち上っていた。
工場の煙は町が生きている証だ。
ところが、よく晴れた春の日、昼間に街の真ん中の広場を歩いても人通りがほとんどなく、どことなく寂れた印象を受けた。カタカタと風でトタンが啼いていた。
流行していると噂の病気のせいだろうか。
例の病は、今のところ直接的な死人は出ていないらしいが、原因不明の咳や呼吸困難を起こし、徐々に体力が弱って行くのだという。人口が1万に満たないこの街で百人近くが同じ病に罹っているという事だから、とんでもない数だ。
兎角、これまでの経緯などは、先に街に入ったクォントが情報を仕入れている筈だからそちらから手に入れよう。
新しい町に目を輝かせ、今にもどこかへ駆けていってしまいそうなリーネットを引きずり、宿屋へ向かう。
二人部屋を二部屋確保し、片方にリーネットを押し込んだ。
「クォントが帰ってくるまで、そこで大人しく今日の調査結果でもまとめてやがれ」
はぁーい、という気の抜ける返事を最後まで聞かず、部屋の扉を閉めた。
今日は本当に疲れた。コーヒーを片手に休息をとっているうちに、情報収集に出ていた相棒のクォントが帰ってきた。
白髪に赤茶色の瞳、高身長の痩せ型という、不健康そうな印象を与える容姿。切れ長の目とあまりよくない目つきのせいで、黙っていると近寄り難い雰囲気がある。黒髪黒目の小動物、人懐っこく、体中からエネルギーを発散させているかのような姉のリーネットとは正反対。
姉弟二人お揃いのセピア色のフードケープを脱いで、入り口のコート掛けに引っ掛けて、伸びをした。
「先に行かせて悪かったな」
「いいよ。だって、ああなっちゃったら姉さんは動かないでしょう? で、ところで姉さんは」
「隣の部屋だ。静かだから、昼間の調査結果でも纏めてんだろ」
「じゃあ、様子見てくるよ」
このシスコンめ。
今にも出ていきそうになった相棒の頭に、先ほど飲み干したばかりのコーヒーの缶コップを投げつけた。
かぁん、といい音がして後頭部に直撃。クォントは足を止め、恨めしそうな目で振り向いた。
中身が入ってないだけありがたいと思え。
「待ちやがれですよ。せめて資料だけ置いていけ……っつーか報告が先に決まってんだろ、クォント=ベイ。こっちは仕事なんだからな」
「姉さんの顔見るだけだよ」
「後にしなさい」
しぶしぶこちらへ戻ってきたクォントは黒のメッセンジャーバッグをひっくり返し、ばさばさと資料をテーブルに広げた。〈具象級〉光術を使用して容量を極限まで増やしてある革製の黒鞄は、彼のお気に入りの一つだ。
しかし、今朝到着して夕方までにこれだけ集めてくるとは、本当に、性格以外は優秀な相棒だと思う。
「こっちがギルドで貰った資料。病人の人数推移と全員分の個人情報かな。そこから病院を回って、コピーしてもらったカルテが何人分か、あとキルトトの市街図と周辺地図。それから……これが工場の出荷品」
最後にクォントが取り出したのは、一枚の布だった。
病気になる人間は、ある工場で働いている者たちばかりだという情報は、キルトトの前に立ち寄った国営ギルドで聞いていた。
おそらくこの出荷品が関係していることは間違いない。
「キルトトの特産品の燃えない布、『不燃布』って言うらしいね。光術を使わないから安価で大量生産ができて、使用コストもかからないってのが売りらしいよ。燃えない仕組みはよく分かんないけど」
「光術を使わない、ね……」
光術とは光素と呼ばれる元素を使用して生成されるプロセスを、詠唱によって展開・起動する術式のことだ。
リーネットの言うところの『魔法』。
この世界に生まれたなら、誰でも使用できるはずのもので、クォントの持つ鞄のように日用品に組み込んだり、工業機械に使用したり、戦争時には軍事利用されたりもする。もっとも、光術製品を設計・生成したり日常で行使したりするほどに術を研磨するのは容易ではない。俺のように光術を生業とする者たちの事は特別に〈光術士〉と呼ばれている。
例えば、10年前に生産が始まり、今になって病気が蔓延する。
その図式だけ見ると、真っ先に思いつくのが光術製品の製造過程で発生する〈光素〉による汚染だ。人間に限らず肉体を持つ生命は、あまりに同じ種類の光素にばかり触れていると、体内の光素バランスが崩れ、変調を引き起こす。
光術製品の工業生産が始まってからメジャーになった、ある種の職業病だった。
このハーヴァンレヘティ共和国において光術関連の製品を扱う場合は、必ず行政への届け出が必要で、事前に製品の製造過程を国が審査している。そして、あまりに危険な生産は行えないようになっているのだ。
この制度が始まったのは王国時代からであり、共和制になった今も変わっていない。
もちろん、行政への申請をせずに光術関連の工場を動かす事例も少なからず存在する。主に利益を求めてのことだが、それらのような組織を摘発するのも、俺たちの仕事の一つだ。
この『不燃布』も申請されていない光術製品かと思われた。
今回、わざわざ俺とクォントがこのキルトトに派遣されたのも、この事件が光術絡みだろうと思われたからだ。
「ルース、光術の残滓はありそう?」
俺はクォントの差し出した布を指でこする。キシキシ、と鳴くのは石の繊維が使われているからだろう。
俺はその製品に残された光素の残滓を探った。
「……残念、この布に光術の跡は一切ねーですよ」
製品が少しでも光術に触れれば絶対にその痕跡は残る。買い被りでも自意識過剰でもなく、俺の目を誤魔化せる事は絶対にないと言い切れる。
燃えない布をテーブルに放った。
布が着地する前に、発火プロセスで布に火をつけてみる。
テーブル上で燃え上がったかに見えたその「不燃布」だったが、プロセスを終了させても、全く変わらない色のままテーブルにふわりと落ちた。
確かに、燃えないと言うのは本当らしい。
光術は使っていないとなると、いったいどういう仕組みになっているのだろう。
「でも、光術が関係ないっていうんだったら、今になって急に病人が出る理由が分かんないよね」
「だよなあ」
資料をばさりとテーブルに戻し、ため息。
「とりあえず明日は、一度患者を会ってから工場に行くか。製品になくとも、患者の方に痕跡があれば分かるだろうし」
「その間、りー姉はどうするの?」
「……不本意だが、置いていく」
あの爆弾をつれて歩くなどもっての他だ。
「あー、うん、その方がきっと喜ぶよ。きっと一人で山に入りたいはずだしね」