遺体の謎
長い時間、同じ場所に佇んでいるわけにはいかないので、周囲に敵がいないか確認をし、森に沿うようにして草原を駆け抜ける。
途中身を隠せる大きさの岩を見つけ、その陰に身を潜めた。
「そろそろ、昼頃か。しかし、気を休める暇もないな」
岩に背を預け、アイテムボックスから徳用レーズンを取り出し、十個ほど口に入れる。
『消費軽減』のおかげなのか、肉体的疲れはあまりない。むしろ、精神的な気疲れが酷い。魔物がうろつき、同じ転移者相手にも警戒をしなければならない状況で油断出来るわけがないのだが。
「捜索に引っかかっているのは」
森の中にさっきからずっと動いている二つのポイントがある。時折小休憩を挟んでいるらしく動きが止まるが、今もゆっくりだが歩いているようだ。
「距離は四キロってとこか。これ以上離れると様子がわからなくなるな」
顔も声も姿も不明な二つのポイントだが、生存している転移者がいるということが心強い。まあ、だからといって接触をする気は、まだない。
自分がそれなりの力を手にいれ、相手に何かされても対応できる自信が付くまでは、人と接触するのは避けたい。
「あのポイントと離れずにすむ距離にある、他のポイントは」
草原の先にある……な。このまま森沿いに進んでいけそうだが。
おっと、反応があった。
思考を遮ったのは糸に何かが触れた感触だった。
岩に背を向けているので、背後の草原に目がいかず糸を地面に這わせていたのだが、その糸が何かに踏まれた。
それも、一度や二度ではなく同じ個所を何度も連続で踏まれている。
踏まれている個所は二箇所。俺の肩幅程度の離れた場所をリズムよく何度も踏まれている。そこから思いつくことは。
「多足生物か」
岩陰からそっと顔をだし、糸が教えてくれた場所を覗き見る。
そこには、ブヨブヨと太ったカブトムシの幼虫にムカデの脚を生やしたような、巨大な生き物がいた。全長は一メートル以上あるだろう。
「キモイ。何だろう、キモイ」
子供の頃は昆虫も平気だったのだが、いつからだろう、苦手になったのは。
尤も、あの生物は子供の頃に見ていたら、あまりの気持ち悪さに号泣する自信がある。
無数の脚が小刻みに動き、小走りぐらいの速度でこちらに向かってきている。強さや攻撃方法が不明な敵とは戦いたくないのだが、逃走に失敗し、あんなのに背後から追いかけられたら、恐怖でおかしくなりそうだ。
「近づいてくる前に排除しかないよな、やっぱ」
俺はゴブリンを倒した時の様に糸を操作し、幼虫もどきを縛り上げる。
「ブギュルウウウウウウッ!」
先端の穴がどうやら口だったらしく、奇妙な叫び声が草原に響き渡った。
まるで白いハムのように糸で縛り上げられた幼虫もどきは、全身を激しく動かし、地面を跳ねまわっている。
「うおおおっ、凄い力だ!」
本来より筋力が三倍になっているというのに、踏ん張っている体ごと引っ張られそうになる。岩陰では力が充分に発揮できないので、自ら草原へと飛び出した。
もがいていた幼虫もどきが一瞬こちらに目を――目は見当たらないが口を向けたかと思うと、その口が大きく開く。
口内には円錐状の牙が渦を巻くように、体の奥にまで生えているのが見えた。
「ジュルゥゥゥゥ!」
残りが少なくなった飲み物をストローで吸った時の様な音と共に、白い糸がこっちへ向かって飛んでくる。
「おいおいっ!」
側面へ転がるようにして避けたのだが、その糸が左肩をかすめてしまう。
何かしらの痛みがあるかと覚悟したのだが、軽く手で押された程度の感覚しかなく、どうやら直接的なダメージを与える攻撃ではないらしい。
「となると、そうだよなっ!」
体が前に引っ張られるが予め覚悟していたので、腰を下ろし踏ん張っていた事が功を奏し、何とか踏みとどまった。
引っ張られた原因は肩に貼り付いている、粘着力のある糸だ。
幼虫もどきが吐いた糸は蜘蛛の糸のように粘着性があるようで、体を振ってみたが離れそうもない。
「くそっ、外れろっ」
思わず手を伸ばして糸を握ってしまった。結果、俺の右手は糸に密着している。手を開こうとしても指が完全にくっついているので、右手を完全に封じられてしまった。間抜けなことに、ゴブリンから奪った棍棒は岩陰に置いてきている。
大ピンチだなこれは……いや、チャンスか?
握りしめた幼虫もどきの糸に意識を集中する。
「頼む、操らせてくれ!」
粘着性のある糸もジャンル的には糸の筈。ならば『糸使い』で操作可能なのでは!
と意気込んだのだが、幼虫もどきの吐いた糸はピクリとも動かない。
「糸の定義って何だ!」
叫んでみたが事態は好転してくれない。そんな俺を見て幼虫もどきは再び大きく口を開ける。
また糸を吐き出し、俺の動きを完全に封じるつもりのようだ。
絶体絶命の状態。左右に避けようにも引き寄せられるのに抵抗して踏ん張っている状態で、片足でも浮かせれば一気に手繰り寄せられてしまう。
右手は動かせず、糸を操作して相手を雁字搦めにしているはいるが、ただ縛っているだけだ。耐久力が強いらしい相手にダメージが入っている気がしない。
幼虫もどきが体を後方へ逸らし、口元が大きく膨らんでいく。発射寸前なのは間違いない。
「ジュ――プギィィッ!」
だが、その口から吐き出されたのは糸ではなく、悲鳴だった。
幼虫もどきは大きく二度痙攣すると、草原へと転がり光の粒子と化した。俺の肩にくっついていた吐き出された糸も、光と化し消えていく。
「動かないでいてくれて、助かった……」
緊張と疲労でその場に座り込んでしまう。
幼虫もどきの体が消滅した場所には――ミスリルの鎌が突き刺さっている。
今の攻防は正直危なかった。あの敵はゴブリンより確実に格上だろう。本来なら糸で絞め殺す予定だったのだが、見た目に反して頑丈でしぶとく、このまま持久戦に持ち込んでも糸を千切られる可能性が高かった。
そこで、姿を見せることにより、相手を攻撃に集中させ、その場に固定させた。
相手の体に巻き付いていた糸を一本解除し、距離を測ったところでアイテムボックスから、ミスリルの鎌を取り出し、柄の部分に糸を巻き付ける。
後は簡単だ。糸を操作し頭上高く掲げ、そのまま振り下ろしただけ。
ミスリルの鎌は装備できない。だが、糸に括りつけ振り回すことなら可能だ。
糸を自在に操れるわけではないので、糸を巻き付けた鎌を手で握っているのと同じように動かすことは出来ない。それにある程度は勢いがなければ、どんなに優れた武器でも相手に突き刺さることは無い。
見るからに重そうな幼虫もどきを糸だけで持ち上げるのは無理だが、鎌程度の重量ならいけるようだ。
「はぁ、ギリギリだな」
このまま寝そべりたい気分だが、そう言うわけにもいかず、俺はミスリルの鎌を手繰り寄せ、魔石を回収してその場から離れていく。
あの幼虫もどきの悲鳴を聞いて、他の魔物が集まる可能性がある。出来るだけ離れておこう。
森の中へと逃げ込み、木陰で一息つきながら生徒手帳を取り出す。
ゴブリンよりも強敵だった。なら、今の戦いでレベルが上がっている可能性が高い。
期待してページを開くと、レベル3の文字が飛び込んでくる。
よっし、順調にレベルが上がっているな。正直、2ぐらいは一気に上がったかと思ったのだが、贅沢を言ったらダメだな。ここは素直に嬉しがっておこう。
スキルポイントは更に30増えて、54。
ステータスポイントも2増えて、4になっている。ステータスはレベルアップごとに2増える仕様なのか。
ここはそろそろ、ステータスなりスキルなりに振っておくべきか。溜めておいて能力が足りずに殺されたら、死ぬに死に切れん。
スキルか。どれを上げるのが最適なのか。そもそも、ポイントが足りなかったらどうしようもないが。
スキルは『消費軽減』4『気』2『糸使い』3『同調』5『捜索』3か……ん? おおっ、『同調』と『気』以外レベル上がっているじゃないか!
『捜索』はレベル2で、レベルアップに消費ポイントも少なく、常時発動しているので上がるのもわかるが、他のスキルは実戦で使用したからなのか。
スキルの上がり方について余裕が出て来たら検証してみたいところだが、今は目先のスキル上げだ。レベルが上がったばかりのスキルは消費ポイントが、かなり必要だな。となると、出番のない『同調』より『気』を上げておきたい。
『気』に触れると、+51とあった。
足りるな……新たなスキルを取ることができない今、溜めこむより積極的にポイントを消費すべきだな。
少し迷ったが『気』をレベル3に上げ、スキルポイントが残り3となった。
体力精神力共に問題は無いよな。今は昼過ぎ……だと思う。腕時計の時間は2時半となっている。時計の時間がこの世界の時間と一致していることを願うしかない。
さて、今日中にやっておきたいことは、暗くなる前に拠点となる場所を探す。いや、寝床だけでもいい。都合のいい洞窟とかがあるとベストなのだが。
あと、食料と飲料水が欲しい。この世界に来てから一切水分を口にしていない。レーズンも口の水分を奪っていくばかりだ。飲み水の確保は切実な問題。
「あと、一か所だけ捜索して寝床の確保だな」
森の奥の方に微動だにしないポイントが一つある。自分が目覚めた海岸から離れることになるのが飲料水的な問題はあるが、今はアイテムを充実させたい。
贅沢を言うならこの世界の地図も欲しいところだ。アイテム欄に『魔法の地図』があって詳細を確認したのだが、自分のいる場所が地図上に現れ、周辺の地図を自由に拡大縮小ができる。
消費ポイントは100と最後までかなり迷ったのだが、結局取らなかった。誰かが取るだろうという淡い期待があったのは否めない。
「考えるのは動きながらにするか」
今は一分一秒も惜しい。ここからなら駆け足で行けば十分もあればいける……って、何故わかる。『捜索』のレベルが上がった影響なのか、ポイントまでの到達時間が何となく頭に浮かんだ。
「使えるなら問題ないよな」
意外と当たりのスキルだった『捜索』に内心かなり喜んでいるのだが、自慢する相手もいないので黙々と歩を進めた。
「ここら辺か」
周囲に誰かがいる気配はない……と思う。『気』がレベル3まで上がったおかげなのか、前よりも少しだけ、そう言った感覚が鋭敏になった気がする。気だけに。
心の中で上手く言えたことに満足している場合でもないか。
いつものように糸を先導させ、進行方向の警戒も怠っていない。『糸使い』もレベルが3になったことにより、同時に三本の糸を操れるようになっている。そして、何よりも嬉しいのが釣り糸も使えるようになったことだ。
ただでさえ、かなり強度のある糸なのだが、それに気を通すとかなり強化されるようで、糸一本に俺がぶら下がっても、千切れたりせず頑丈さを見せつけてくれた。
「敵影なし。他のポイントが近づいてくることもなし」
声に出して確認する必要は全くないのだが、一人という寂しさを誤魔化す為にあえて口にする。一人暮らしが長いと独り言が多くなるというのが、たった半日で実感できるとは。
結構堂に入ってきた忍び歩きで、ポイントへ近づいていく。
嗅ぎ慣れてきた鉄錆のような血の臭いがするのだが、いつもより薄い気がする。この距離ならもっと強烈な異臭を感じてもおかしくない。
「出血が少ない?」
今まで見てきた二人の遺体は、体中から血を吹きだしていたものと、肉片に成り血を撒き散らしていたものだった。
そこから連想するのであれば、今度の遺体は損傷が少ないのか。
と、どうも色々考え過ぎてしまう。見れば済む問題だというのに警戒が強すぎるせいか、元々妄想力がずば抜けているのか。
「ご対面といきますか」
あと数メートルまで迫り、流石に三体目となると落ち着いたもので、糸を先にポイントへ向かわせ動かない人型の何かを確認すると、迷うことなく木陰から飛び出した。
「ああ……そう、だよな」
予想を裏切らず、地面に横たわる死体がそこにあった。
恐怖と言うよりは驚いた表情のまま硬直した顔。光のない虚ろな瞳。着衣には乱れもなく、虚空に手を伸ばした状態で――十代後半に見える女の子が死んでいた。
チェック柄の学生服を着ているので、中高生であるのは間違いない。
見える範囲には外傷がなく、一目見た感じでは死因が不明だが地面が赤黒く染まっているので、何処か見えない部分に傷があるのだろう。
「死体を弄ぶみたいで気分が進まないが……すまない、少し調べさせてもらうよ」
糸を伸ばし見えない範囲を調べるが、傷口や衣服が破れている感触はなかった。
「となると服の下か」
前がしっかりと閉じられているボタンを外し、上着を脱がせる。
あれ、こういった細かい操作はかなり難しいのに、今スムーズにできたな。『糸使い』『気』のレベルが上がって動かしやすくなっているようだ。それに、糸を二本使えば体を少しだけ浮かせる程度なら可能になっている。重量はいっぱいいっぱいだが。
って、それも後だ後、今は死因を調べている最中。集中しなければ。
上着の下には学校指定のワイシャツを着こんでいるのだが、胸元と腹部が赤く血で染まっている。腹部には切り裂かれた跡があり、何か鋭利な刃物で刺された可能性が高い。
胸元も血で染まってはいるのだが腹部より血は少なく――何故か服が破れていない。
「死因は腹部の刺し傷だとして、何で胸元からも? それに服が破れていない理由が」
ここまで調べたのだ、最後までやるしかないよな。
ワイシャツのボタンを外すには糸ではまだ難しく、俺は自分の手でボタンを一つずつ外していく。
エロい目的じゃないので勘弁してください。と心の中で謝罪しておいてから、胸元を開け放った。そこにはブラジャーを付けてない乳房があり、二つの膨らみの間に――
「えっ! これは……っ」
歪な穴が開いていた。
穴だ。綺麗な円形ではなく無理やりこじ開け、何かを捻じり込んだような穴が胸部に開いている。背中まで貫通はしていないが、結構奥まで抉られている。
吐き気も感じず、さほど動揺もしないのは、死体に慣れてきているのも大きな要因だろうが、それよりもこの胸部の穴を見た時の衝撃――嫌な予感に冷汗が止まらない。
「心臓が……まさか、まさかとは思うが」
潰された心臓。
最近それに関連する記述を目にしている。
(相手の心臓を直接鷲掴みして握り潰さなければ得ることができない)
「奪取スキルかっ!?」
俺は慌てて女生徒に伸ばしていた糸を回収すると、四方八方へ糸を伸ばす。
足元はもちろん、木々の間を縫うようにして上空へも糸を張り巡らせたが……まだ、安心はできない!
『気』をいつもより放出し、周囲の気配を探るが特に反応は……無い。
『捜索』により見つかったポイントでこちらに寄って来るのは……一つもない。
取り敢えずは大丈夫、か。落ち着け、落ち着け。
誰かがこの女性を殺し、心臓を握り潰してスキルを奪い取った――のは間違いないだろう。つまり『奪取』スキルを手に入れた転移者が存在し、しかも、そいつが殺人者ということだ。
ここに居続けるのは、やばいな。
俺は女性との生徒手帳をポケットから抜き取り、軽くスキルとアイテムに目を通し、周辺にアイテムが無いか見回してから、その場を去った。