レベルを上げる方法
朝か……何だかんだで三日目の朝を無事迎えられたのか。
石床に何枚も敷き詰めた獣の皮のおかげで、寝起きの体の痛さもなく快適な朝の目覚めだ。
少し離れた場所には涎を垂らし、毛布を一枚股に挟んで眠りこけている桜さんがいる。お世辞にも可愛い寝姿とは言えないが、愛らしくはある。悪夢を見ていないようでよかったよ。
朝ごはんはゴブリンの集落から頂いてきた怪しい果物で良いか。捌いた肉もあったが、それは昼か夜に回そう。
まだ朝日も昇りきっていないので、彼女を起こさないようにそっと入り口から出ていく。
怪しい果物はまず、自分で口を付けて変な味もしないことを確かめたことだし、二人分用意しておくか。
後は昨日持って帰ってきた丸太を加工するか。一緒に貰って来た石斧を使えば何とかなるだろう。レベルを5上げてミスリルの鎌や鍬が扱えるようになったら、戦力面でも加工の面でもかなり捗ることになるのだが。
早朝から、今後の生活に必要なものを作っていると背後に気配を感じた。無意識の内に『気』を発動していたみたいだ。体に染みついてきているのだろうか。
「あ、あの、おはようございます」
髪の毛が跳ね上がり山姥のような髪型に変化した桜さんが、目を擦りながら起床してきた。足元には昨日拾っておいた、三人の女性の一人が履いていた靴がある。
「はい、おはよう」
「おはようございますぅ……すみません、朝弱くて……」
寝ぼけまなこで欠伸交じりに謝る桜さんは、見るからに眠り足りない感じだ。
「昨日色々あったからね。疲れが抜けきってないのだと思うよ。まずは朝ごはん食べて、それから桜さんのレベルを上げに行こう」
「はい! お手数を掛けると思いますが、よろしくお願いします!」
彼女のやる気に溢れる返事を頼もしく感じながら、俺たちは早めの朝食を取った。
拠点から少し離れた森の中で、彼女のレベル上げを開始する。
「はい、どうぞ」
「えと、その、これをですか……」
「動かないようにしたから、思い切ってどうぞ」
「は、はい……ん、んーー」
足下には糸で雁字搦めにされたゴブリンが一体転がっている。ゴブリンを二体倒せばレベルが上がるのはこの身で実証済みなので、まずは二体ゴブリンを倒すことを目標にしている。
「無抵抗の相手を殺す行為に抵抗があるのはわかるよ。でも、強くなければ生きていけない世界だ。殺さなければ殺される、それはわかって欲しい」
殺人なんて無縁の世界から来た人間が、人ではないとはいえ生き物を殺す抵抗があって当たり前だ。俺だってそうだったのだから。
「あの、あの、それもそうなのですが、それ以前に……棍棒が持ち上がりませんっっ」
ゴブリンから奪い愛用していた棍棒を手渡したのだが、持ち上げることすら自力ではできないようで、柄を握り一生懸命踏ん張る姿が産まれたての小鹿のようだ。
「あっ、そうか」
失念していた。俺は始めから筋力3倍であり元の値もそれなりにあったが、桜さんは筋力6のレベル1。筋力の差は6倍ある。
軽々と振るえたのでそんなに重くないと感じていたのは間違いだったらしい。
となると、ミスリルの鎌の柄に糸をくくって、糸の先端を握らせて鎖鎌のように振り回してもらうのはどうだ。
「すみませんっ、鎌が重くて振り回せませんっ!」
顔面を真っ赤にして糸を引っ張ってくれているが、鎌はほんの少しだけ引きずられただけだった。
散歩中に全力で踏ん張って抵抗する犬に負けている飼い主の幻影が見える。
『気』を通した糸でも何とか持ち上げられた鎌。それを桜さんは持ち上げることができない。
「つまり、糸以下か……」
「うっうっ酷いです……」
「あ、ごめん。つい、本音がポロリと」
「私は糸くず以下の女です……」
こうなると手段が限られてくるな。俺が気を通して糸を操り、その糸を彼女に握るだけ握ってもらって敵を倒す。期待は出来ないが一応試してみようか。
「桜さん、じゃあ、この糸を握っていてもらえるかな。それだけでいいから」
「は、はい。良くわからないけど、これでいいですか」
「OK。じゃあちょっとここで待っていて」
丁度近くに二体ゴブリンの反応があるので、そこまで足を延ばす。彼女から30メートルぐらい離れているが敵の気配もないし、何かあれば糸を伝って声を届けてくれる。
ゴブリンを発見し、いつもの手順で二体を仕留めて彼女の元に戻った。
「どう、レベルは上がった?」
「あの変化がないです」
生徒手帳を確認しているがレベルは堂々の1だ。変化はない。
「経験値を分け合っているのかもしれないな……もう数体倒してみようか」
「そ、それは構いませんけど、私何もしなくていいんですか?」
おどおどしながら、申し訳なさそうにこちらを見ている桜さんに、俺は相手が安心するような優しい笑みを意識して微笑む。
「ああ、いいんだよ。むしろ、動かれた方が面倒だ」
「酷い! 初めて会った時はあんなに優しかったのにぃ」
顔を両手で覆い隠し泣いた振りをしている。何の反応も示さないと指の間からチラリチラリとこちらを見ている。
「いや、冗談二割だけど、桜さん相手には本音で会話しようかと思ってね。信頼しているってことだよ」
「二割って……八割本音じゃないですか……」
今一信用していないようだが、今の言葉に嘘はない。ただ、本音で話す理由がもう一つあるのは隠している。彼女の『精神感応』のレベルが幾つか上がった時、いつか相手に触れなくても周囲の声が聞こえるようになるだろう。
その時、本音と今まで言っていたことに差があれば、彼女との関係が崩れてしまう。だから、少しきついようなことでも、出来るだけ冗談を交えて口にしていこうと思っている。
昨日と同じくゴブリン集落の近くの木に登り身を潜め、そこからゴブリン三匹、ホブゴブリン二匹を仕留めた。ホブゴブリンは近くで一体殺した後に、触れて『捜索』を発動させてリストに入れておいた。
本当は昨日の乱戦中に捜索リストに加えたかったのだが、そんな余裕は何処にもなかったので仕方ない。これで、ホブゴブリンも探知できるようになり、魔物と不意に遭遇する危険も減ってきた。
「どうかな、レベルの方は」
『すみません、変動がありません』
桜さんは『精神感応』を使い申し訳なさそうに返事をした。彼女は今、俺がいる枝の隣にある枝に糸で落ちないように括られている。普通に小声でも充分聞こえる距離なのだが、あえて『精神感応』を使ってもらっている。
このスキルは精神力を消耗して発動するのだが殆ど減らないそうなので、スキルのレベル上げも含めて出来るだけ返事は『精神感応』でするように指示をだした。
「やっぱり、自力で戦わないとレベルは上がらないのか……困ったな。桜さんが使えそうな武器、武器……あ、包丁使う?」
春矢が回収し忘れていた包丁。実は中々の高品質だったりする。
『調理器具一式』の一つである包丁。その柄に触れ『説明』を発動させると、頭にこんな文字が浮かんだのだ。
(包丁。他の調理器具と同じく錆びず壊れ難い材質で作られている)
とある。実際、魚の骨もすぱすぱ切れた。木を削って日用品を制作していたときに、ふと包丁が使えないかと試してみたのだが、思いのほか簡単に木を削ることができた。刃が欠けたりもしていない。
『あの、ごめんなさい! 刺したり切ったりするのは、その、まだ、ちょっと』
「そうだね。ごめん、正直俺も敵を切るのには抵抗があるのに無理を言い過ぎた」
『あ、いいんです! 私が何もできないのが悪いんですから』
両手を前に突き出し、指を広げ胸の前で何度も振りながら、同じように首も左右に振っている。
一生懸命やってくれている桜さんを何とかしてあげたいのだが。
何とかレベルを上げて、せめて筋力と体力は10まで持っていきたい。あと、贅沢を言うならステータスのレベルを2まで上げさせたいところだ。そこまでいけば、身体能力もかなり向上するので、ここでの生活もかなり楽になる。
「うーん、桜さん何か武術……とまではいかなくても、スポーツとかの経験はない?」
『ええと、走ったり投げたりも苦手で、中学生時代も文芸部でした』
凄く納得がいく。見た目を裏切らない人だ。ステータスからして想像はしていたが、これは本当に厄介だな。
『あと、ええと……あっ! でも、あれは小学生時代だし、今じゃ全然だろうなぁ』
「何かあるなら言ってみて。昔ちょっとかじったことでもいいから」
『えとですね、小学生時代三年ほど、弓道をしていました』
「へええ、こう言ったらなんだけど意外だね。弓道か……弓か」
『それもあんまり上手くなかったし、弓も持っていませんし、役に立たなくてすみません』
頭を何度も下げる桜さんの姿が目の前にあるが、俺はそれを止めようともせず、今の言葉を脳内で反芻していた。
遠距離武器で相手を倒せば、殺した実感も湧きにくいし罪悪感も薄れるか。
弓。悪くないな。ゴブリンの集落に弓のような物はなかったが、何とか自作できないか。枝は腐るほどあるし、釣り糸も余裕がある。粗末なものでもいいから、弓と認識できるだけの代物が作れたら。
『どうしたんですか、難しい顔していますけど』
「ん、あ、ごめん。今日はこれぐらいにして拠点に戻ろうか」
『まだ、お昼にもなってませんが』
「いいよいいよ。ちょっと作りたい物ができたから、今日は一日制作作業に費やすよ。桜さんも色々あって、まだ心も体も万全じゃないだろうから、ゆっくりしてくれていいから」
納得しきれていない表情の彼女を脇に抱え、拠点へと帰ることにした。途中、生徒手帳とアイテムボックスを『捜索』して反応がないか確かめたのだが、何もなかった。
拠点に舞い戻ると、少し早目の昼食を取り作業に取り掛かる。
手持無沙汰にしていた桜さんには、家庭菜園用に買っていた種の一つである大根を渡しておいた。冬とまではいわないが秋の寒さを感じる気温なので、上手くいけば大根が育つのではないかと思う。
あとついでに『完全食の種』も一つ渡しておいた。小指大の種でどんな植物が育つのか不明だが、実験もかねて五粒有ったので一つだけ試してもらうことにした。
「よーし、頑張ろう!」
桜さんが集落で手に入れた石斧を手に大地を耕している。ミスリルの鍬が装備できれば、そういう作業も楽なのだが今は地道にやるしかない。
さて、こっちも作業に取り掛かろうか。
アイテムボックスに詰め込んでいた枝を全て取り出し、地面にまとめて置いた。結構な数があるが、ここから弓に相応しい強度と、しなりのある枝を見つけ出さないといけない。
これは、柔らかすぎる。これは、まあまあか、保留。これは結構いいな。
と次々と枝を掴んでは力を入れて曲げ、それなりの強度としなりが両立されそうな枝を吟味していく。丸太から弓を切りだすというのもありなのだろうが、それ用の道具がない。
そういや、日本の弓の材料は竹がいいとか聞いたことがあるが、この島に竹らしき植物を見た記憶はない。これからは注意して探してみるか。
竹があれば、割って器にも使え細く割れば箸としても使える。
無い物を欲しがってもしょうがない。今あるもので何とかしないと。
全ての枝を調べ、弓の候補となる枝を五つ選び出した。
この内の三つは似たり寄ったりの感触で、枝の太さが微妙に異なる感じだ。長さは1メートルぐらいだろうか。色々と調整しなければならないだろうが、弓の材料としては悪くないと思う。
もう一つは異様に硬い枝で、おまけに少し短い。4、50センチしかない。しなりはあるのだが、桜さんが引いても枝が曲がらない気がする。
そして最後の一つは、強度は少し劣るのだが形が弓に向いている。枝がいい具合に反っているのだ。これなら上と下に糸を括りつけるだけで、見た目がとても弓っぽく見える。
これだと楽だな。軽く糸を張ってみるか。
「桜さん、桜さん、ちょっと」
「うおおおおっ、この地面野郎めっ! こんちくしょうっ! へっ? あ、はい何ですかー」
よたよたしながら地面に石斧を振り下ろし、物騒なことを叫んでいた桜さんが我に返り、こちらへと駆け寄ってくる。
「ちょっとこれを持ってもらえるかな」
「おっ、もうできたのですか! あ、何か弓っぽい。うんうん、長さもいい感じですね。ちゃんと引っ張れますし」
桜さんが引くのにも問題はないと。一応仮にこれを弓にするとして、試し打ちしてもらおうか。この細い枝でいいかな。
足下に転がっている枝の中で、細すぎて調べるまでもなかった枝を一本拾い上げる。
「この枝を矢の代わりにして、ちょっと射てみて」
「土屋さん、あの、言いにくいのですが、こんな枝、まっすぐ飛びませんよ? 弓も調整していませんし」
「わかっているよ。一応形だけでも弓として使えるかどうかだけ知りたいから」
それで納得してくれたようで、真剣な眼差しで枝を取り、弓もどきを構える。
驚いたな。素人目にも彼女の構えが堂に入っているように見える。
静かに息を吐き、釣り糸の弦を引き、桜さんが矢を放つ。
放たれた直後は直線に飛んだ枝だったが、直ぐに右へと逸れていき力なく大地へ墜落した。距離も3メートルぐらいしか飛んでいない。
素人が作った弓もどきだ、これが当たり前の結果だろう。
「……すみません」
「いや、こっちこそ、すまない」
気まずい空気が流れ、場を沈黙が支配しようとする。
「って、いや違う。これでいいんだよ。予想通りだから、ここまでは」
「で、でも、これでは虫一匹すら殺せませんよ?」
「今のままなら、そうだね。じゃあ、もう一度お願いできるかな」
地面に虚しく横たわっているさっき飛ばした枝を拾い、もう一度、桜さんに手渡す。
「えと、慣れとかそういうレベルじゃないと思いますけど」
「次はちょっと小細工するから、今度はあの木を狙ってみて」
俺が指差す方向には巨木の幹がある。その距離6メートルぐらいだろう。さっきの様子を見る限りでは木まで届くかどうかも怪しい。
「まあ、騙されたと思って。あの木を貫くつもりで、壊してもいいから思いっきり引いて」
「は、はい」
不信感を隠しきれない表情で、もう一度弦を引いている。
普通にやれば同じ結末が待っているだろうが、今回は少し違う。
桜さんは弓を引く感覚がさっきとは違うことに気づいたようで、少し目を見開き俺をちらっと見た。
「どうぞ」
「はいっ!」
桜さんが手を放した瞬間、弓から矢が目にも留まらぬ勢いで飛び出した。
風を切り裂き唸りを上げ、途中失速することもなく大木の幹に突き刺さる。
「ふえっ!? えええっ、うえっ!?」
自分の放った矢の想像以上の威力に桜さんが驚きすぎて、弓を振り回しながら変な声を上げた。
予想以上に上手くいったようだ。これでもう少し弓と弦の調整をして、枝を矢らしく加工したら、もっとましになるだろう。
「あの、あの、どうなっているんですか! もしかして、私の秘められた才能が目覚めたとか!」
それだったら、どんなにありがたいか。
「残念ながらそうじゃないよ。その弓の下の方をよく見て」
「ええと、別に変わったところは……あ、弦の糸が垂れて……あ、土屋さんの手元に」
「あと、矢にも糸を括りつけておいたよ」
さっきのからくりは、彼女の使う弓に糸を通して『気』を送り、弦も弓も強化をした。弦を引く時も『糸使い』の能力で力を貸し、本来なら引けない硬さの弦を引っ張るのを手伝った。
矢の方も『気』で強化させ、巻き付けておいた糸を操作して対象物に当たるよう操作したという訳だ。
強化や照準の調整はしたが他は彼女の力だ。これなら彼女が倒したという判定にならないだろうか。俺の考えとしては付与系の支援魔法を掛けただけで、あとは彼女の力だという設定になれば、経験値が貰えるのではないかと見込んでいる。
「なんか、ズルしているみたいです」
「実際ズルみたいなものだけど、そんなことで躊躇していられる世界でもないからね」
「はい、そうですね! 私が人並みに早くならないと」
桜さんは自分の欠点もどうすればいいかも理解している。やる気もあるので、教師役としては良い生徒なのだが、如何せん実力が伴わない。
「これから、弓の調整と加工、それと矢を制作してみるよ。桜さんは引き続き畑を作ってもらえるかな」
「わっかりました!」
生き延びたことに思うところがあるだろう。今は少し無理をしている感じがあるが、元気に振舞ってくれている。あとは、自信を付ければ何とかなると思いたい。
「その為にも」
弓と矢を少しでも使い勝手が良くなるようにしないと。
木材加工用の道具は包丁ぐらいしかないのだが、これが自分でも思っていた以上に上手くやれている。元からそれなりに器用ではあったが、木工の技術も心得もない。それなのに、木を削る作業も思った通りに体が動く。
器用度も3倍の恩恵を受けているからか。これなら、結構ましな弓っぽい物が作れそうだ。
それから俺は作業に没頭し、気が付いたときには辺りが暗くなり始めていた。かなりの時間が経ったようだが、その甲斐はあった。ただの枝だった弓は表面の木皮を削り取ったので、つるつるとした感触になっている。見た目もかなりましになっている。
握る部分は獣の皮を巻き付けているので、持ち手が滑るということもないだろう。糸も何度も張りなおして、桜さんが引きやすい弦になるように調整した。
試し撃ちも何度かしてもらい、最終的に俺が『気』を送り込まなくても20メートルは飛ぶようになった。流石に命中率はかなり低いが、矢は糸で操作するのでそこは目を瞑りたい。
「よっし、ご飯にしようか!」
「は、はいぃぃぃ」
体力の限界に達したのだろう、石斧を手にしたまま大地に体を投げ出している桜さんを眺め、明日は頑張ってレベルを上げようと心に誓った。