31階層
その階層は灰色で統一されていた。
何もないだだっ広いだけの空間。壁、床、天井の全てが灰色で染められ、障害物が何もない広大な部屋。
31階層はこういう造りなのか。
殺風景ではあるが、持って来いだよな――
「二人ともよく頑張ったね! お見事! 素直な称賛を送るよ」
最終決戦の場には。
視線の先には両手を何度も打ち鳴らし、褒め称えるフォールの姿があった。
やっぱり、こういう流れか。覚悟はしていたが正直、かなりきついな。
「立派に成長して。お兄ちゃんは嬉しいよ」
目尻が下がり心底嬉しそうに微笑むフォール。その目はロッディを捉えて離さない。
「兄さん……もうやめて! 人は神を超えることはできないの! 兄さんは負の感情を吸い過ぎておかしくなっているの! だからもう、力を得るのはやめて!」
叫ぶロッディの必死な訴えにもフォールの表情が崩れることは無い。妹を優しく見つめ、ゆっくりと口を開く。
「何を言っているのだいロッディ。僕はもう既に悪魔を超え神に匹敵している。この溢れる魔力、圧倒的な力がわからない子じゃないだろ?」
確かに、こうして対面しているだけで体の震えが止まらない。体から吹き出る魔力の奔流に晒されているだけだというのに、その絶望的な力の前に本能が委縮して怯えている。
以前よりもそれをはっきり感じられるのは、俺の数値以外の部分が強くなった証なのだろう。
「土屋君は思ったより伸びなかったようだけど、だからこそ、実験のしがいがある。安心してくれ。俺がキミをもっともっと強くしてあげるから」
強くか。精神をいじられることなく、フォールの命令に従わなくていいのであれば、肉体改造への魅力が少しはある。今、俺が最も必要なものは力なのだから。
だが、その先にあるのは絶望と束縛。自由意思など消え去り、手駒として使われる一生。そんな人生には何の価値もない。それは実験体とされた101、105、108を見ていれば嫌でもわかる。
「この状況で現れたということは、俺たちを捕らえに来たと考えて間違いないか」
「ああ、そうだよ。大切な妹に羽を伸ばして欲しかったから暫く放置していたけど、もう無理だ。今すぐにでもキミを……土屋君を収穫したいっ! こんなに熟れて食べごろのキミを、僕は、僕はっ、これ以上我慢できないいいいいぃ!」
唾を撒き散らし、喚き立てる姿にロッディが目を背けている。
あんな狂った兄の姿を見たくはないよな。
何もない空間に逃げ道もない。30階層へ通じる扉は遥か向こうに微かに見える点。あれが開いてくれるなら、何とか逃げる手もあるが……おそらく、いや、ほぼ確実に開くことはできないだろう。
「ちなみに、上の階層へ繋がる扉は開かないのか?」
「うひひひっ、その体に闇を注いで……ん? あ、すまない。ちょっと自分の世界にダイブしていたよ」
感情の起伏が激し過ぎるな。俺の質問を聞いて狂った状態から一気に素へと戻った。まさに狂人と呼ぶべき状態か。
「僕を倒したら開くようにしているよ? その方法以外はこっちからはどうやっても開かないシステムにしているからね」
まあそうだよな。ここまで追い詰めて、逃げ道を防いでおいておかない訳がない。
「あ、でも、他にも扉を開ける方法はあるよ。聞きたいかい?」
もったいぶってくれる。どうせ、碌な方法ではないだろうが、聞いておいて損は無いか。
「ああ、是非」
「それはね。向こう側から扉を開くことさ。上の階層から降りてきた冒険者の誰かが扉を開いてくれたら、キミたちが逃げることも可能だろうね。だが、しかし、現実は非情だ。現在、冒険者ギルドに登録しているA、Bランク冒険者が到達したと伝えられてきた最下層は22階層! 8階層の壁は厚いよ~」
そういうことか。少し期待をさせておいて叩き落とす。相手に絶望させるにはいい手段だ。俺は逆境に慣れ過ぎて、あまり効果が無いけどな。
「さてと、お喋りはこれぐらいでいいかな。ここで、二人に選ばせてあげよう。僕と戦い大人しく捕まるか、実験体の三人組を召喚して彼らと戦うか。あ、もちろん、彼らに勝った場合はご褒美として、ここから逃がしてあげるよ」
口元に浮かぶあの笑み。何か含みがあるのは間違いない。
仮に彼がその言葉に従うとしたら、三人組を相手にした方が勝ち目はある。
だが、この男がそれを守るか?
そんな保証は何処にもない。それならば、フォールと直接戦った方が、戦力も増えずに体力の消耗もない万全の状態で戦える。
相手が単体なら――奥の手も使えば僅かながら可能性は残されているが……。
「俺はフォール。あんたと戦ってみたい。どうせ、捕まり改造されるなら、相手の実力を知った上で実験体になりたい」
「何と言う実験体の鑑! 素晴らしい、そんなキミの発言に大いに感動した僕は……来い!」
口角を吊り上げ邪悪な笑みを浮かべたフォールが、地面に軽く手を突くと闇の渦が三つ現れ、その中から三体の実験体が姿を現した。
会いたくはなかった相手――約一年ぶりの再会だな。
「僕の最高傑作である実験体と戦わせたくなったよ!」
ああ、そうだったな。相手は狂っているのだった。俺の言葉がまともに届くわけがない。
「やれやれ、こういうオチか」
「再会してしまったわ……」
「ふむ、残念だ」
実験体101は赤髪をぼりぼりと掻き、105は小さく息を吐くと頭を左右に振っている。筋肉の塊は胸の前で手を組み、筋肉を見せつけるポーズを取りながら顔を曇らせていた。
「さあ、最高傑作と、これから最高傑作になる素体の実験だ! 僕に最高のデータを与えてくれ!」
あいつの戯言はどうでもいい。
今は目の前の敵に集中しろ。前回は疲労困憊でまともに戦えなかったが、今回はこちらも万全だ。それに加えロッディという頼もしい仲間もいる。
上手くやれば勝てる見込みは高い。
「みんな、引くわけにはいかない……よね」
「すまねえ、班長。どうしても、あいつの命令に逆らうことができない」
「ごめんなさい……傷つけたくないから、抵抗しないで」
「世話になった班長には無体な真似はしたくないのだが」
ロッディは今にも泣きだしそうな顔で三人へ語り掛け、三人は苦渋に満ちた表情で唇を噛みしめている。
酷いな。戦いたくもない者同士を無理やり争わせ、本人は手も出さずに高みの見物か。
今まで以上にフォールに対して殺意が湧くが、その感情を爆発させるわけにはいかない。冷静に立ち回らなければ、事態は悪化の一途を辿るのみ。
「じゃあ、お前たち。決して殺すなよ。二人を生かしたまま捕えろ。わかったなら、早く行け」
冷笑を浮かべたフォールの一言に、三人が同時に前に出てくる。
気持ちを切り替えろ。正直戦いたくない相手だが、俺に選ぶ権利は与えられていない。
手心を加えてどうにかできる相手ではない。本気で行かせてもらう。
「ロッディは105の少女を任せていいかい。俺は残りの二人を担当する」
「わかりました! こちらが終わり次第、加勢しますから耐えてください!」
魔法らしきものを多用するゴスロリの彼女は苦手なので、それはロッディに任せることにする。それに、少女の見た目である彼女を殴るには少し抵抗があるので、俺にはこっちの相手の方が楽だ。
「105、ご指名だ行ってこい。こっちは、土屋さんだったか。あんたとやるぜ」
「わかった……」
「おうさ!」
俺の提案に乗ってくれるらしく、105は少し離れた場所のロッディの元へと向かった。
こっちの相手は赤髪のロッカーな兄ちゃん101と、マッチョマン108か。
「前も言ったかも知れないが、あんたに恨みはねえ。だが、命令には逆らえねえ。だから、初めに謝っておく、すまねえな」
「うむ、すまん!」
「気にするな。悪いのはフォールだ。あんたらが謝る必要はないさ。だけど、俺としては捕まりたくない。本気で抵抗させてもらう」
「それは願ったり叶ったりだぜ。何なら、俺たちを殺してくれて一向に構わねえ」
「ああ、むしろ……望むところだ」
マッチョの顔に一瞬だが陰りが見えた。
実験体として作られ、無理な命令に従い、今までやりたくもない事を強制させられていたのだろう。死による解放を彼ら二人は本気で願っているのかもしれないな。
「ってまあ、無駄話はここまでのようだ。そろそろ、抗えなくなってきやがった。いくぜっ」
会話中はどうにか抑えていたようだが、命令の強制力に負け、二人が左右から挟み込むように襲い掛かってくる。
赤髪に比べてマッチョの動きは鈍いようだが、それは比較すればの話。充分、素早いと表現できる走りだ。
先に到達するであろう赤髪にアイテムボックスから取り出した拳銃の先制攻撃を加える。四回引き金を絞り、眉間、胴体、太股目掛け銃弾が発射された。
「お、あの時の飛び道具か!」
赤髪は手首から肘の先が黒く染まると、そこから湾曲したサメの背びれのような刃が飛び出した。両腕から現れた黒い刃が銃弾を叩き落としていく。
「銃弾を切り落とすなんて、漫画みたいだな!」
一度手の内を見られているので、すぐさま対処されてしまう。さすがに、こちらに迫る勢いが落ちてはいるが。
「自分もいるぞっ!」
鼓膜が破れそうな程の大声に顔をしかめながら、視線を移すと眼前に巨大な拳がアップで映し出される。
「うおおっ」
状態を仰け反らして紙一重で躱すが、額に掠ってしまう。
その瞬間、額がパックリと割れ、鮮血が飛び散るのが目に入ったが、それも直ぐに消え失せる。剛腕が巻き起こした風圧により、俺の体が後方へ吹き飛ばされたからだ。
「くそっ」
何て威力だ。当たってもないというのに!
俺の体は前後の区別がつかない勢いで回り続けている。ああ、酔うぞこれ。
地面に叩きつけられる前に柄に糸を巻き付けたミスリルの鎌を取り出し、地面へと突き刺して空中で無理やり停止する。
肩に激痛が走るが、気にしている場合じゃないな。
着地と同時に『傷薬』を取り出すと、額に掛けておく。しゅーという水が蒸発するような音がしたかと思うと、滴り落ちていた血がぴたりと止まった。
何もない空間は戦い辛くて仕方がない。身を隠す場所もなければ、罠を仕込む余地すらない。ここは、手を変えるかっ!
アイテムボックスに鋼糸を滑り込ませると、刃部分ではなく腹を丸太に巻き付かせ引っこ抜く。合計20もの丸太が宙に浮いた状態に、追撃を加えようとしていた二人の動きが止まった。
「何だ、丸太かっ?」
「ふむ、あの時の戦いでも丸太を多用していたようだが」
あの時とは町の外で彼らと初めて戦った時の事だろう。
やはり、初見ではない相手は戦い辛い。搦め手を得意とする自分としては、一度目の戦闘で仕留めなければ厄介なことになる。というのが実感できたよ。
「今度はこっちからいかせてもらうっ!」
宙を彷徨う丸太を更に上へと持ち上げると、マッチョと赤髪へと鋭く尖った先端を振り下ろす。
一斉にではなく、少しタイミングをずらしながら、各自10本もの丸太の雨を降らせる。
「丸太如きでどうにかなるとでも、思ってるのかっ!」
赤髪が腕を振るうごとに丸太が切り裂かれ、分断されていく。
マッチョは黒光りするその拳で正面から粉砕している。
狙いが微妙にずれた丸太が地面に突き刺さっていくが、彼ら二人を捉えた丸太は全て破壊、切断されてしまった。
気を通して強化していた筈なのだが、腕から生えた刃と黒の皮手袋をしたような拳には通用していない。あれはロッディの黒鎖と同じく、闇属性魔法の応用なのだろう。
無駄だろうが更に追加した丸太を、今度は精度を求めずに適当に投げ続けた。
雨あられと丸太が降り注ぐ中、二人は避けようともせずに正面から撃破している。
暫く続けていたのだが、効果が無いと判断して丸太の投擲を止めると、殺風景だった景色が一変していた。
地面には丸太が無数に突き刺さり、使い物にならなくなった丸太の残骸もそこら中に散らばっている。
「中々面白い芸じゃねえか! 雑魚相手ならそれなりに効果があっただろうが、俺たちには無意味だぜ」
「うむ。あの程度の攻撃ではこの強靭な肉体を貫くことは不可能っ!」
二人とも無傷か。予想はしていたが厄介なことだ。
「どうにかなるとは思っていなかったが、無傷はちょっと堪えるな」
「悪いが諦めることだな。人間が……化け物には敵わねえってこった」
化け物か。口にした本人が傷ついてどうする。そう思わせるぐらい、101の苦笑いには哀愁がこもっていた。自らを化け物と認めながらも、心の奥ではまだ踏ん切りがつかないのだろう。
「順番でいくと次は自分らの番か!」
「リアルの戦いはターン制じゃないんだがなっ」
腕を組んで頷いているマッチョに全力で丸太を投げつけてみる。
「また、丸太か。代わり映えしない攻撃だ」
蝿を払うように軽く腕を動かしただけで丸太が粉砕される――が、その背後には一回り小さな丸太が続いていた。
「なっ!?」
マッチョの驚いた声は鈍い激突音に掻き消される。
巨大な丸太の陰に隠れるように、もう一本続けて投げるという単純な手なのだが、これが結構通用するのだ。
顔面で丸太の鋭利な先端を受け止めることになったマッチョ。顔に激突した丸太はその状態で動きを止め、マッチョも微動だにしていない。
「油断しすぎだ108」
「……だな」
呆れた赤髪の声にくぐもった声が答える。
マッチョが丸太に両手を添えるとそのまま手を打ち合わせるかのようにして、丸太を粉砕すると、ほんの少しだけ赤い跡のある顔が、真っ白な歯を輝かせて笑っていた。
防御力も半端ないと。硬すぎる相手は苦手なので遠慮したいところだが、そんなことが通る場面じゃないよな。
それでも、幾つか手は考えられるが、フォール用の手段は残しておきたい。
となると、限られてくるな。これ以上体力を消耗するのも愚策か。
やるべきことを頭で計算し、一番勝算がある策を導き出すとアイテムボックスへ手を入れた。
「お前ら、いつまで遊んでいるつもりだ。いいか、本気を出せ……本当のオマエタチで勝負しろっ」
戦いが始まってから一言も口を挟まなかったフォールが妙な事を口走った。
冗談だろ。本気を出していなかったというのか、こいつらは。
俺もまだ本気ではないが、相手は様子見ではあるが結構本気だったように見えていたのだが、判断を誤ったか。
「や、やめろっ! 俺たちはこのままでも、やれ……ああ、があああああっ!」
「やめてっ、やめてっ! あの姿になりたくないっ!」
「やめてくれっ! このままでも充分戦え……ぐおっ、ががががががああああっ!」
三人が戦闘の最中だというのに頭を抱え苦しみ始め出した。
攻撃する絶好のチャンスだというのに、体が動こうとしない。何かに抗い懸命に耐えている三人から目が離せないでいる。
アレは何だ……赤髪の頭から徐々に姿を現しているのは、歪にねじれた……角かっ!?
背中からは蝙蝠の羽を連想させる黒い羽が、上着を貫いて広がっていく。
マッチョの体は膨張を続け、肩の筋肉に顔が埋もれて全身が二回り以上太くなっている。
ゴスロリの少女は一瞬変わりがないように見えたのだが、それは上半身だけだった。大きく広がったスカートの裾から無数の人間の腕が生え、指が何かを求め怪しく蠢ている。
三人の変貌していくさまに、俺は息を呑んで見守るしかできないでいた。
「さあ、僕の最高作品たちよ! 久しぶりに、その輝きを存分に見せつけてくれ! くははははははははははっ!」
後方から響いてくる狂人の笑いなどどうでもいい。
人ではない何かに成ろうとする過程の彼らから吹き出る膨大な魔力と異様すぎる外見。この戦いが一筋縄ではいかないことを、俺の本能が叫んでいた。