手段
「同じ……モノ? それに、この村の下にも何かが埋まっているのか?」
「うん、そうよー。ほら、昔話にある闇の神の欠片。それが、大地の奥深くに眠っているのよ」
贄の島にもこの村の地下にも、そんなものが埋まっているというのか。
俄かには信じられないが、桜が語っていた聖樹が封じていたモノと、この大地に漂う闇。嘘だと一蹴するには条件が揃い過ぎている。
「闇の神とは、あのお伽噺の事か?」
「お伽噺かー。人間とかにしてみれば、ちょー昔の話だもんね。でもあれって、実際にあった話なんだなーこれが。私も参加していたし」
おいおい、それが本当なら神話の時代から生きているというのか、この悪魔は!
勝てる以前の問題だ。戦うなんてことを考えていい相手じゃない。
時間を稼ぎながら情報を聞き出し、隙を見てどうにか逃げるしかない……そうそう都合よくいけばいいが。
それに、闇の神の欠片が眠っているのが本当だと仮定して、悪魔がそれを解放しようとしているのは理解できる。だが、あの女神は何を考えている?
性格は最低だが、仮にも神ならば闇の神復活に手を貸す理由が……。
「あらあら、考え込んだり、急に辺りを見回してどうしたのかなー。もしかして、逃げるつもり? こんな魅力的なレディーを前に手を出さないなんて、失礼じゃないかしら」
「すまないな。美人でスタイルのいい相手には怖気づいてしまうので、もう少し男を磨いてから、お相手願いたいところだが」
俺が一歩下がれば、相手は一歩距離を詰めてくる。
逃がす気は毛頭ないと。開き直って、情報収集に努めるか。それを今後に活かせるかは不明だが。
「闇の神の欠片ときたか。それが眠っているとして、悪魔であるあんたの目的は、定番の闇の神復活ってところか」
「ご名答ー。悪魔の目的は主である闇の神の復活。欠片を全て解放すれば、完全復活って感じね。で、復活させる方法なんだけど、何だと思う?」
この状況でクイズをする気はないが、下手な動きを見せて機嫌を損なえば、そこでゲームセットになる。乗るしかないか……。
「良くあるシナリオだと、大量の生贄を捧げるといった流れか」
「うんうん。ほぼ正解なんだけど、生贄っていっても大量の血や命が欲しいってのとは、ちょっと違うのよ。闇の神の原動力って負の感情なの。だからー、怒りや哀しみ苦しみといった感情が糧となる。だーかーらー、出来るだけ苦しんで恨み言の一つでも上げて死んで欲しいってわけ。本当は昆虫人を生け捕りにして、拷問でもしてから殺して欲しかったんだけどぉ」
流石、悪魔だな。最低なことを語りながら、背筋が凍り付くような凄味のある笑顔を見せてくれる。
緊張で喉が貼りつき、手汗が尋常じゃない程、噴き出てきている。
「あらあら、そんなに警戒しないで。私ってー、ここだけの話なんだけどー、悪魔では異質の存在でね。主復活よりも自分の楽しみを優先させるから、同僚に嫌われているのよ。それにさ、あれだけの負の感情じゃ、欠片の復活なんて夢のまた夢。全滅させて、また新たに村を起こして数百年単位で力を蓄える計画だから」
「それは気の長い計画だな」
「そんなことはないわよ。気の遠くなるぐらいの時間を生きてきた私にとっては、数百年なんてあっという間。鼻歌交じりで待てる時間よ」
神話の時代から生き延びているのは伊達じゃないってところか。
今の話が本当だとしたら、贄の島での殺し合いも全て、闇の神の欠片を復活させるための儀式のようなものだったということになる。
女神は一応あれでも神だろう。なら、光の神の陣営であるべきだ。だというのに、闇の神復活の手助けをしている。
何かあるのか……俺は何かを見落としているのか?
「一つ、質問してもいいか?」
今は女神の考えは後に回そう。それよりも重要な問題がある。
「いいわよー、貴方には興味があるし」
「呪いで肉体変化した人間を元に戻す方法を知らないか?」
ダメで元々、無駄に長生きしている悪魔だ、聞いてみる価値はあるだろう。
「あらー、面白いことを聞くのね。呪いで肉体変化ねぇ。まあ、一番の方法は呪いの元を排除することかしら。呪いってなかなか厄介でね。かけた相手を殺しても消えなかったりするのよ。だから、その呪いが成立する条件や目的である何かを殺すか壊すなりすると、呪いが解けるってのが定番かしら」
呪いの元……桜の場合、かけたのは聖樹。やつは、既に枯れている。となると、聖樹の目的となる。それは、贄の島の深くに眠る――闇の神の欠片を取り除くことか。
倒せと言うのか? 分割されているとはいえ、神と呼ばれていた存在の一部を。
「闇の神の欠片というのは単体で動けるのか?」
「あれー、質問は一つじゃなかったの? うそうそ、そんな怖い顔しないでよ。私ってば親切だから教えてあげる。人の身でどうこうできる相手じゃないわよ。それこそ、神に等しい者でなければ、かすり傷一つ負わせることは出来ないでしょうね。勿論、私だって主様の欠片と戦ったら、指先一つでダウンよ。まあ、欠片が腕か脚じゃないと指は無いけどね!」
完全に打つ手がなくなった。
目の前が闇で染まった。
桜を助ける手立ても方法も知ることができた……だからどうだって言うんだ……そんな相手に俺が何かできるというのか?
今まで、自分を超える相手と何度も戦ってきた。辛勝で何とかやってこられたのは、手が微かにでも届く相手だったから。
蟻がどんなに頑張っても、象には勝てない。俺と神の欠片との差は、それ以上に開いている筈だ。
「やだー、急に良質の負の感情を吹きだしてくれているけど、あれ、私の助言で絶望しちゃった? 親切でアドバイスしてあげたのに、私の困ったちゃんっ」
頭を軽く小突いて舌を出す仕草をぼーっと見つめるだけで、怒りすら湧かない。
絶望の中に一筋の光も射しこんでこない。
足掻くことすら虚しい。
「貴方本当に、美味しい絶望をくれるわね。このまま、あいつだけに美味しい思いをさせるのは勿体ないわ。うん、決めた! 私も貴方にちょっかいを出す!」
悪魔が何か喚いている。
ちょっかい? 好きにしてくれ。どちらにしろ、もうどうしようもない。
何をしようと闇の神に勝てるわけもなく、それどころか目の前の悪魔にすら歯が立たないだろう。八方塞がりとは、このことか。
ああ、桜にもう一度会いたい……。
俺はその時、何も考えていなかった。
ただ、桜を想い、手が自然とポケットの中に潜り込み、桜の花びらを握りしめていた。
『らしくないですよ! しっかりしてください!』
脳内に突如響き渡る桜の声。
「えっ、桜!? って、うおおおっ!」
見開いた視線の先には、鼻が触れ合いそうな距離まで詰めていた、悪魔キルザールの顔があった。
いつの間にっ!
慌てて距離を取ると、キルザールが心底驚いた顔で、こちらを凝視している。
「うそ……私の精神汚染を防ぐなんて。どういうからくりなの……」
そうかい。今のネガティブすぎる発想はこいつの能力によるものだったのか。
俺が絶望しかけた心の隙間に入り込み、負の感情を増幅させた。
あの声が幻聴だったのかは、俺にはわからない。だが、この手に伝わる桜の花びらの感触は本物だ。絶望するのも諦めるのも、全て出し切ってからでいい。
やりもせずに投げ出すなんてことは、多くの屍を踏み越えてきた俺が選んでいい道ではない。生きたいと願った彼、彼女らをこの手にかけて生き延びてきた。
甘えるな……逃げるな……情けなくていい。見下されてもいい。生き延びろ!
「へー、へー、やだ、カッコイイ顔つきになっちゃって。そういうの嫌いじゃないけど……私としては、苦悩している顔の方がそそられるのよねぇ。絶望から復帰した者を、また絶望の淵へと叩き落とすのって萌えない?」
舌舐めずりをしながら、キルザールが歩み寄る。
俺はアイテムボックスからマフラーを取り出すと、首元に巻き付けた。
「何のつもり。初夏にマフラーって、あなた季節感ってものがないの?」
「冷え性でね」
軽口もすんなり叩けた。良い具合に開き直れている。
このマフラーに編み込まれた破魔の糸により、精神系のスキルは防ぎやすくなる筈だ。
「あのまま、心を乗っ取られていた方が楽だったのに。私の玩具として人生を過ごすのも悪くないと思うわよ。ちゃーんとご褒美として快楽は与えるつもりよー」
艶めかしい仕草で、指が頬から首筋、胸、下腹部へと滑っていく。
「魅力的な提案だけど、あばずれには興味が無いっ!」
キルザールはこちらのスキルを知らない。なら、手の内が晒されていない今の内に、何とかするしかない。
部屋中に予め張り巡らせておいた糸を操り、頭上のシャンデリア、調度品を一斉にキルザールへ投げつける。
「本気で抵抗するんだ!」
歓喜の声が調度品の激突音に埋め尽くされる。
相手がどうなったかを確認することなく、俺は屋敷の奥へと全速力で逃げていく。
外に出ることも考えたのだが、糸使いとしては障害物がある方が立ち回りやすい。通路に糸を張り巡らせ、気を残留させ強度を上げる。
「待ってよぉー、あははははははは」
背後から狂ったような笑い声が響いてくる。ちらっと視線を向けると、全身から黒い何かを吹き出し、髪は大きく広がり宙に浮いた状態で笑みを浮かべる、キルザールの姿が見えた。
夜にこの光景。子供なら泣きだすぞ。完全にホラー映画だな、これは。
仕掛けておいた糸は触れただけで切断されていく。
『気』のレベルも上がり強度も増した今の糸なら、一本で民家を持ち上げられる強度はあるのだが物ともしていない。
丸太を試しに投げつけてみるが、体から吹き出ている闇に触れた途端、粉砕される。
「だよなっ!」
通路の突き当り一歩手前にある部屋の扉を開け放ち、中へと滑り込む。
ここはどうやら調理場のようだ。
一瞬頭に粉塵爆発というキーワードが頭に浮かぶ。が――
「ないない。科学ファンタジーに頼っている場合か」
好きな漫画やアニメで粉塵爆発を見かけたことが何度かあった。粉塵爆発とは、粉状の物、酸素、着火という条件が揃うと大爆発を引き起こす現象らしい。
鉱山や工場で粉塵爆発が起こり、大量の死者が出たという重大事件が実際に存在する。石炭の粉末が原因で、炭鉱等で起こることが多いようだが、小麦粉などでも発生はするらしい。
――が、その粉塵の大気中の配分とか、そういった知識は自慢じゃないが全くない。
だが、ロマンは大事だよな。厨房の隅に置いてあった小麦粉っぽい粉が詰まった袋を開けると、中身をぶちまけておく。
厨房が白く染まり、これで相手の視界を遮ることもできる。
素早く窓を開け、閉じた際にカーテンを挟んでしまうが、気にしている時間が勿体ない。
「うわっ、真っ白! 何処かなー、何処に隠れているのかなー。あ、カーテンが引っ掛かってる。ここから外に逃げたのかな」
こいつ、完全に鬼ごっこを楽しんでいるだろ。逃げる側としては捕まったら即死か、下僕確定のスリルがあり過ぎるゲームは遠慮願いたい。
俺は窓際にキルザールが寄ってきたのを、窓際に設置しておいた糸から知ると、厨房の天井からぶら下げておいた、火属性の魔石二つを激しく打ち付けた。
穀物の粉に紛れて大気中にばらまいておいた――マグナム弾から取り出しておいた火薬に火と衝撃を与え大爆発を巻き起こす。
「おおおおおっ」
厨房の窓が全て吹き飛び、窓のあった場所から炎が噴き出している。
想像を超える威力に思わず頬が引きつるが、何とか冷静さを表面上は取り繕う。
「これこそ、まさに魔法と科学の融合だな」
取り敢えず、言ってみたかったので口にしてみた。
「科学? それって、異世界の言葉なのかしら」
耳元で囁かれた!?
横に振り向くより早く、逆方向へ飛び退ると同時に、アイテムボックスから取り出した斧を一閃する。
がきっ、という鈍い音と腕に伝わる振動。何か硬い物にぶつかった手応えが伝わってくる。
「あれは、魔道具か何かなのかしら。魔力は一瞬感じたけど魔法って感じでもないわよね。益々、興味が湧くわー」
息が届く範囲から少しでも離れようと、もう一撃斧を喰らわす振りをして、胴に巻き付けていた糸を引っ張り、不自然な格好のまま距離を取った。
追撃もせずに佇むキルザールが、背後の炎に照らされている姿に、恐怖を覚えるより先に美しいと感じてしまった。妖艶な美しさとでも言えばいいのだろうか。思わず息を呑んでしまう。
「あれでも、無傷か。流石に凹むな」
「まあ、悪魔って常にこの黒い闇が体をカバーしてくれているから、少々の攻撃は無力化してくれるのよ。ねえ、次は何をしてくれるの」
楽しみにしてくれているところ非常に心苦しいが、手はそんなにない。
破魔の糸で相手を封じるという手段はある。相手はまだ受け手に回っているので、縛り上げるのはさほど難しくない。
迎田を完全に封じ込んだ糸だ、完全とはいかなくとも相手の動きを阻害できるかもしれない。だが、俺の生存本能がそれでは足りないと訴えている。
相手は迎田を遥かに凌駕する存在。
決め手に欠けている。
「一つ賭けをしないか?」
「あら、この状況でそんな余裕があるの」
「余裕がないからこその、一か八かの賭けだ」
「ふーん、面白そうだから聞くだけ聞いて上げる。賭けに乗るかは、内容しだいかしら」
好感触のように思える。どちらにしろ、こっちの選択肢は限られている。上手くいったらお慰めだ。
「まず、一つ聞きたい。この戦い……俺をこの世界へ送り込んだ女神は監視しているのか?」
「そうね。貴方たち転移者は、性悪女の玩具みたいなものだから、常時見てはいないだろうけど、ちょくちょく覗いているとは思うわよ。だけどー、この大陸だと、そうはいかない。贄の島はクソ女のテリトリーだけど、ここは私たちの世界。特に私たち悪魔や天使、従神が転移者の近くにいると、見ることは不可能でしょうね」
やっぱり、あの女神は監視していたのか。あまりに都合の悪い展開が多く、見えざる手を感じたりもしたが……ん? いや待て。じゃあ、この大陸に渡ってからの厄介事の数々は関係していないのか。
それに悪魔と女神だから仲が悪いのは当たり前だとはしても、それ以上の確執があるような。思い返せば、女神の真似も大袈裟で、何処かバカにしているような演技が見られた。
「あの女神と仲が悪いのか?」
「まあね。色々因縁があるのよ。本気でやりあったこともあるし。あの時は決着が付かなかったわ」
となると、実力は似たり寄ったりということになるのか。
「で、そんなことを聞いてどうするの」
「ああ、これからの事にそれが大きく関わってくるんだよ。あの女神の目がないのなら、とっておきを出せる」
そう、強力な相手と敵対した時に使う、奥の手。
贄の島では一度も使っていない方法でぶっつけ本番となるが、いつか女神に一矢報いる手段として考えていた。
「そこでだ。ここで、キルザール。あんたに勝つのは、どう足掻いても無理だが、10分、いや、5分耐えられたら、俺を見逃さないか?」
「そんなの私に、何のメリットがあるの?」
「ここで見逃してくれるなら、俺はもっと強くなる。そして……この世界に送り込んでくれた女神を倒す」
「ふへっ!? あんた今、何を言ったか理解しているの?」
お、悪魔の意表を突けたのか。それは提案した甲斐があったな。
「ああ、理解している。俺には助けたい人がいる。その為には生き延びなければらない。今、あんたと無謀な戦いをするより、いずれ女神を倒すという僅かな可能性に賭けたい。そして、その為にはキルザール、あんたが納得できる材料を見せなければならない」
「嘘や冗談って感じではないようね……私はそれだけでも、見逃してもいい気分なんだけど、奥の手にも興味あるし」
「乗ってくると信じていたよ。自分の快楽を優先するあんたなら、女神に告げ口をしなさそうだしな。それに、一度予行練習をしておきたかったんだよ。自分より遥かな高みに立つ存在に通用するのか」
そう、これは賭けだ。相手の交渉もこの後の戦いも賭けだ。
人を超えた存在に抵抗するには、計算や冷静な判断力では対応できる範囲が限られてくる。勇者でも英雄でもない人間が挑むのなら……命を、人生を賭けなければ、触れることすら叶わないだろう。
それに、桜を解放する最終手段は闇の神の欠片を倒すこと。女神でも倒して大量の経験値でも手に入れなければ、そんなことは夢のまた夢。
「悪魔と約束を交わすなんて、いい心がけね。ふふふふ……こんなに楽しい心を踊る気分は何百、何千年ぶりかしら。気に入った、本当に気に入ったわ! いいわ、5分、生き延びてごらんなさい! そしたら、貴方を見逃してあげる! あははははははははっ!」
上半身を仰け反らせ、額に手を当てながら笑い続けるキルザールを見つめ、決意を固める。
「さあ、始めようか。生き延びることに特化した俺の戦いをっ!」




