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第三話 尋問室にて

 少女は控えめに、恐る恐ると言った調子で尋ねる。

「あ、あのー……と、とりあえずこの手を解いてくれたりは、しないですかねぇ……?」

 無論悠凪はきっぱりと、眉ひとつ動かさずに答えた。

「その確率は皆無である。黙ってついてきたまえ」

「……デスヨネー」

 いやまぁ分かってたけどさ、分かってたけど、こんなの聞いてないってば。小声でぶつぶつ文句を垂れる少女を微かに振り返って一睨みすれば、彼女はその眼光の鋭さに怯えたのか一瞬で黙り込んだ。あくまで無感情な悠凪なので目に威圧感はないが、その無機質な眼差しは彼女程の年頃の子どもを怯えさせるには十分に恐ろしいものだったらしい。

 ――現在、悠凪は地下広間にいた身元不明の謎の少女を連行中なのだった。

 その両手を事前支給されている特殊な縄で拘束し(魔術によって強化補正の為された製品であり、たとえ筋骨隆々の大男が引っ張ったところでびくともしないし刃も通りづらい極めて優秀な拘束具である。あらゆる魔術を無効化することもできるため重宝されている)、万が一にも有り得ないとは言い切れない逃亡を防ぐべく紐の一端を手にしたまま、少女を引き連れて廊下を進んでいく。

 現在位置は地下を抜け地上二階。悠凪の管轄である東地下通路への出入り口があるのは特殊棟と呼ばれる棟で、主に室内戦闘訓練や魔導実験に使う教室が置かれている棟だ。夏季休業中ということもあり人通りはまばらだが、時折すれ違う訓練生と思しき生徒が、悠凪と少女の姿を見てぎょっとしながら、気まずげに通り過ぎていく。少女はそのたびに下手な愛想笑いを浮かべて「あははは……ども、です?」と挨拶なんてするものだから、傍から見れば怪しい侵入者扱いであろう少女のそれに生徒はそそくさと足を早めて立ち去るのを繰り返していた。察するに少女はそれが嫌なようだが、ここで縄を解く守護兵などいな……いや、いても数名である。そして悠凪はその数名には数えられない。一切の警戒を怠らず、また無駄口も利かない悠凪と黙りこくった少女。重い沈黙が流れた。

 少女はこの状況に戸惑い、動揺を隠しきれない様子ではあったが、冷静さが欠けているかと言えばそうではない。予想よりも落ち着き払った振る舞いが見て取れた。様々な教室の扉が並ぶ光景というよりは、その材質や壁そのものが物珍しいと言いたげにきょろきょろと忙しないが、その程度だ。もしも敵地の人間ならもっと取り乱して暴れまわるか、もしくは泰然としているか、悠凪が知る限りではその反応の二極に分かれる。中間とも言える中途半端な態度を取る少女は悠凪にとっても珍しい人物に思えた。

 白く塗られた壁に囲まれた廊下を幾度か曲がり、やがて悠凪はある突き当たりに辿り着いた。そこにはそれまでの教室の扉とは明らかに違う、鋼鉄製の重厚な扉が圧倒的存在感でもって鎮座していた。悠凪にとってはもはや見慣れた光景も少女にとってはそうではなく、見るからに物々しい空気を醸し出すその扉に少女の顔が引き攣り笑いを浮かべる。

「……ここ、なに?」

「尋問室だが」

「じっ、じじじじ尋問ッ!?」

 少女が素っ頓狂な声を上げて一歩後退った。信じ難いと言外に告げるその叫び声に、むしろ悠凪が戸惑った。どんな事情でどういう素性でどういう目的であれ、国家機密ともいえる軍人養成施設に入り込んでおいてお咎めなしで済むわけもあるまいに。

 軽く非難の目を向けつつため息をついて、悠凪は少女の様子も無視して鉄扉を押し開けた。

 ――途端。

「ちょっとアンタふざけんなよ、ボクのことなんだと思ってんの!? 勝手に通信切るし、ていうか遅いし! そもそも何の用で尋問室なんか手配させたんだよ、文機に許可取るのめんどくさかったんだけど!? あいつほんッと頭が硬いんだからっ!」

 尋問室の中央に設置された簡素な机と、用意された二組の椅子。机の向こう側にある背もたれのない丸椅子に足を組んで腰かけ、射抜くようで攻撃的な視線を寄越した少年が一気に罵声を浴びせてきた。

 背後の少女がびくっと竦み上がる気配。それに気付いているのかいないのか、少年はすぅ、と金色の瞳を細めて悠凪を睨み上げる。机に肩肘をついて、不満と嫌厭の情を隠そうともしない不機嫌な表情は少年が悠凪に常に取り続ける態度であった。それこそ十四年も前から。

 彼は悠凪が守護兵になった六年後、守護兵拾肆じゅうよん番を授けられた少年兵であり、先ほどの巡回任務中に通信を入れてきた後輩――あかりである。

 柔らかい髪質で暗橙色の髪をした燈は、平時と変わらず頭の上に暗視眼鏡ゴーグルを引っかけたまま。悠凪の纏う軍服とは少し意匠の異なる短めの上着と、襟に入れられた三本の枠線は、彼が初等科に深く関連する特務教員であることを示すものだ。ひとつ年下の容姿であるせいか幼い面影も残る顔立ちの燈は、不意に悠凪からその視線を外した。次にじっと見つめた先にいたのは、悠凪の背後に隠れるようにして様子を伺っていた少女だった。

「……それ、誰」

「東地下通路の百二番広間に侵入していたので捕縛した」

「は? ……侵入者?」

「ああ。どうやったのか知らんが霞柄かすみえの包囲網を突破して侵入した模様だ」

 はぁ、と燈は胡乱げな目で少女を見た。明らかに怪しんでいる目だ。状況が状況だけに少女はどう見ても不審者であり、ついでに同僚がこの学都に張り巡らせた索敵魔術を逃れたらしいということが彼女への疑念を強めていた。これまで敵の潜伏に気付けなかったことがない、こと索敵に特化した同僚の業を切り抜けるのはその手口を良く知る自分達であってもかなり至難の業なのだ。それを、この一見して一般人らしき少女がやってのけたというのだから、燈の反応は至極当たり前だった。

 しばらく少女を眺めていた燈は、興味をなくしたのかそれとも観察を終えたのか、悠凪に目を戻した。

「侵入者、ね。なんだよ、斬ってくれば良かったのに」

「ひとつ気になることを口走ったのでな。それに侵入方法を聞き出しておけば今後の防衛強化に繋がろう。もしかしたら地下通路に欠陥があるのやもしれん」

「あっそ……」

「それより燈、霞柄はどうした? 連絡しておくように言っただろう」

 すると燈は苦虫を噛み潰したような顔になり、また恨めしげにこちらを睨む。そんな目をされる謂れはないはずなので真っ直ぐにそれを受け止めると、それもまた気に食わなかったのかひとつ舌打ちを漏らして目を逸らす。つくづく生意気な態度の際立つ後輩を咎めるのは無駄だと分かっていたので何も言わずにいると、燈は億劫そうに口を開いた。

「なんか知んないけど手が開かないからどうにかしとけって……割り当てが増えただろ? その分の走り書き書くのに忙しいとか言われた。もし面倒そうなら他の誰か呼べば、とも」

「……ふむ。そうか、ならば致し方あるまい。彼女には後ほど詳細を報告しておく」

「あぁそうだ、ちなみに詠科(よみか)は初等科の訓練に付き合わされてて、(れん)は演習場。訓練試合の監督だからしばらく顔は出せないって……ってあ、はぁ!? ってことはボクがアンタと尋問すんの!? 何それ最悪絶対嫌なんだけど!」

「文句を言うな。業務である」

「……畜生この堅物頭でっかち……アンタなんか箪笥の角に小指ぶつけて痛みに踊り狂えばいいんだ……そんでもって扉の蝶番んとこで手の指挟んじまえ……」

 地味に痛い嫌がらせを口にする奴だった。

 それではまさに泣きっ面に蜂である。

 だがそれでも仕事だと言われれば不承不承納得するあたり、自分の立場を自覚してはいるらしい。問題行動の目立つ後輩のそれに少しばかり安堵を覚えながらも、悠凪は背後の少女を振り返った。

「君。そこにかけたまえ」

「ひぇぃ!? ……あ、ハイ、ラジャっす……」

「……?」

 ラジャ、という謎の言葉を発してびくびくしながら丸椅子に腰掛けた少女は、どうも悠凪の反応には気がつかなかったようだった。しきりに燈と悠凪との顔を見比べながら、緊張した面持ちで肩を震わせている。ちら、と不意に視線が逸れたかと思えば、少女は悠凪の腰に下げられた小太刀の鞘を見てまた目を逸らした。明らかに顔色が悪い。

 街の一般人よりも武器慣れしていなさそうな様子に悠凪の片眉が訝しそうに上がる。だが燈は少女を気にした様子もなさげに、じゃあ、と片腕を机に乗せて口火を切った。

「分かってると思うけどアンタに黙秘権はないよ。ここの敷地に無断侵入した時点でアンタは本来残骸でも(死んでいても)おかしくないんだからな? もし真実を偽ったら、その瞬間アンタの身体は蜂の巣か細切れだ。馬鹿なことは考えない方が賢明だよ」

 至極面倒くさそうで、だが冗談の気配は欠片も見受けられない燈の台詞に少女は分かりやすく凍りついた。吃驚を隠しきれない様子で浮かべていた苦笑いを引き攣らせた彼女は、数秒言葉を吟味して意味を理解したのか更に顔を真っ青にする。ここに至って悠凪はようやく理解した。少女がここに来るまで、極端に怯えるでも強がるでもなく中途半端な態度を取り続けていたのは、状況をいまいち理解していなかったからなのだ。ここが侵入者を容赦無く斬り捨てることが往々にしてある軍事拠点であることを、少女は恐らく分かっていなかった。今の燈の言葉にようやっと自分が命の危機に瀕していることに気がついたのだろう、可哀想なほど血の気をなくした顔であった。

 ただ、その両の眼は怯えと危機感を多分に含みながらもしっかりとしたもので、悠凪は心の中で感嘆した。この状況でこんな目をできる少女を、悠凪は数えるほどしか知らない。それも高度な軍事訓練を受けた同僚数名のことで、身元不明の少女の目は一般人の気配にも欠けている。どこか、違和感のある存在。

「……わ、分かった」

 少女が頷いたのを見て取った燈は、何を思ったか少女の表情を数瞬ばかり眺めた。だがすぐに件の気だるげな表情に戻り、問う。

「質問その一。アンタの名前は?」

「か。……川早御(かわさみ)(いのり)

「……はぁ?」

 少女の答えに悠凪は驚いて少しばかり目を見開き、燈は露骨に馬鹿にしたような疑念の声を上げた。え、と肩を跳ねさせる少女に、悠凪は静かに尋ねた。燈に聞かせたら相当感じの悪い言い方になるだろうと予期してだ。

「君の名前はどっちだ」

「……どっち?」

「川早御と祈、だったか? そのどちらだと聞いている。二人分(、、、)名乗られてもこの場には君しかいないのだが」

「はぃ……? いや、あたし一人分しか名乗ってないけど……?」

 悠凪と燈は思わず顔を見合わせた。ぱち。ぱち。悠凪の新緑の目と燈の金色の眼、両者の視線が二人にしては珍しいことに十秒以上絡み合う。二人とも、少女の予期せぬ切り返しに困惑したのである。

 急に黙した二人の守護兵から微妙な空気を感じ取ったらしい少女は、わたわたと補足説明のつもりか喋り始める。

「あっあの、あれよ、名字!! 家族共通の、一族? みたいなのを示す奴! ファミリーネーム的なあれよ、誰でも持ってるでしょ!?」

「……みょうじ……? ふぁみりーねーむ……?」

「えっ……? ちょ、待った待った、え? ……知らないの?」

 彼女は信じられないと言いたげに眉間に皺を寄せて、大真面目な表情で問いかけてきた。それに間髪入れず悠凪は頷き、燈も少し記憶を辿るようにしてから同意の意を表明するようにひらりと手を振った。

「家族共通の名前を示す言葉を名前と同列に扱う文化は大昔にあったはずだけど、今はそんなのないよ。とっくの昔に廃れてる。……アンタ歴史学者か何か?」

「はっ!? いや全然違うけど! ……えっと、なに、じゃあつまりあんた達、……名字を知らないのね?」

「知らないって。そもそも家族共通の名だなんて呪いもいいとこじゃないか……で、アンタの名前は?」

 この問答が鬱陶しくなってきたのかぞんざいな雰囲気を纏わせながら燈が再度問いかけると、少女はちょっと考えたようにしてから元気よく答えた。先程までの緊張した様子はいつの間にか大分薄れていて、どうもこの彼女は生来危機感に欠けた生き方をしてきたらしいとすぐに察せられた。悠凪からすれば愚鈍すぎるほどの楽観性である。……もしもこれが素だというのなら、この年齢まで生き延びているのが不自然なほどに。

「じゃあ祈でいいわ。名前は祈よ」

「ふぅん。祈、ね。変な名前」

「なっ……!」

「じゃあ質問その二。アンタはどこからあの地下通路に侵入した?」

 少女――祈が名前を馬鹿にされて頭に来たのか立ち上がり掛けたところで、燈はさらりと話題を切り替えた。その質問は「これ以上名前についてぐだぐだ言い合う気はない」と言外にきっぱり告げていて、悠凪はその強引さにため息が出そうになるのを必死に堪えた。昔からこうだ。燈は自分が納得すれば話を切り上げるし、納得しなければどこまでも問い詰める。そこに相手の事情は一切加味されない。悠凪を含め数名の守護兵は学生時代からその悪癖を指摘していたのだが、本人は聞く耳を持ったこともなかった。強情な少年なのだ。

 祈は刹那不満そうな表情になったものの、燈の頑なさを悟ったのか自分の捕虜と言う立場を思い出したのかその表情を拭い去り、そして困った顔になった。

「……説明して分かってもらえるか分かんないし、分かんないからってこ、殺されるのは勘弁なんだけど……話さなきゃダメなんだよね?」

「最初からそう言っているが」

「あぅ……じゃあ話すけどさぁ……えっと、コレで来たの」

 渋面で唇をひん曲げ祈が首元から取り出したのは、悠凪の見た不思議な冬色の首飾りだった。

 先程見たときと変わらない独特な色合いのそれは、尋問室の天井に吊り下げられた魔導灯の明かりを反射して淡い水色の光を壁に映し出した。水色の上に覆い被さった灰色は、まるで青空に浮かぶ雲のようだと不意に思う。もしくは海上にわだかまった夏雲、雨が降る直前のあの雲のようだった。にわかに人の中の不安を喚起し警戒心を呼び起こすような色。それなのに、それを綺麗だなんて思った自分に悠凪は今更ながらに驚きを隠せなかった。

 燈は目を細めてそれを数秒眺めたかと思えば、不意にひょい、と手を伸ばした。

「ちょっとそれ外して」

「……え?」

「外せって言ってるんだけど、聞こえなかった?」

「な、なんでよ」

「コレで来たとか意味のわからないこと言っといて文句言うわけ? 見たところそれ、何かの魔導道具っぽいし、ボクが見れば説明する手間が省けるでしょ」

「人の物渡せとか非常識じゃっ」

「非常識? ここじゃボクらが規則の番人だ。常識と規則はまるで違う。いいからさっさと渡せって、」

 苛立った口調で燈が言い切るよりも早く、悠凪は動いた。

 すっと祈の左横に回り込み、それから手早く彼女の左手を取った。へ、と祈から呆けたような声が聞こえた直後、驚いたのか手の力が緩む。その隙を見逃さずに悠凪は彼女の手から首飾りを掬い取った。

「ちょ、あんた何すっ……!」

「案ずるな。五秒もあれば終わる」

 時間にして約三秒、目を閉じて意識を集中させる。普段はほとんど使用しない力を手先へかき集め、頭の中に浮かび上がった複雑怪奇な情報式たちを無駄な情報を省いて置き換えながら整理していく。魔術を使うこの時間、悠凪はまるで自分が機械にでもなったような感覚をいつも味わうから、彼は力を使うことを嫌っていた――本来は魔術特化兵になってもおかしくないほど魔術の素養を持つ悠凪は、だが、武器への効果付与や戦場での加速にしかその魔術を使わない。できないわけではないが自分の専門外である「情報解読」の術式を使うのは、随分と久し振りのことだった。

 そして、その作業は燈に任せても良かったはずなのに横槍を入れた自分を不思議に思った。

 ――経過時間きっかり五秒後、悠凪はぱっと手を放した。頭の中に放り込まれた術式情報を自分の知識と照らし合わせながら、彼は考え込むように目を細めて呟いた。

「……転移術式、地点固定術式、身体保護術式、感知術式、……手製と思われる未知の術式が三つに、あとこれは……呪術か?」

「はぁ? 呪術?」

 呪術とは、昨今ではその危険性ゆえ禁呪とされた術式を指す言葉だ。基本魔術はそれを使用する者の技量によって威力の異なる技術だが、呪術はどれほど術式のド素人でも最高威力を引き出せてしまう術式である。誰でも一級軍人を殺し得るその技術はごく一部の階級に属する兵士のみが閲覧できるかつての文献にごく僅かな記載があるのみであり、その実態は悠凪でもよく知らない。呪術であると断定できたのは、かつて見た覚えのある呪術式の文様に酷似していたからだ。

「うむ、それもかなり危険な代物だ。仕組みとしては……特殊な加工の施された感知術式が作動すると発動する仕組みになっているらしい。人体の頭程度簡単に吹っ飛ぶ威力のようだ」

 どうしてこんな危険な呪術が、謎の少女の首飾りに。

 まさか自爆騒ぎでも起こして内部混乱を引き起こそうとしているのでは、と一瞬勘ぐったが、すぐにその可能性をかき消した。悠凪は今、彼女の首飾りの中に仕掛けられた術式を読み取ったので理解できることだが、祈の首飾りの呪術はかなり小規模だ。そう、威力は高いが規模は小さい。そして術式の『起動』から『再現』に至るまでの時間が十五秒とかなり長い――もしも彼女が衆目の集まる場で自爆しようとしたにせよ、それだけの時間があれば術式解除は容易なのでまるで意味がない。その程度はもはや、この羅季に生活する者にとって日常的と言っていいほど当たり前の技術である。そしてこの街に刺客を送ってくる人間は、総じて内部情報に精通している。

 その程度のことを理解していない馬鹿者などいないはずだ。

 それも、自ら怪しまれるような名乗りを上げる間諜を送り込んでくる馬鹿も。

「……ともかく、その首飾りにはさほど危険性は無い。転移術式と地点固定術式などから推察するに、君、君はそれを利用してあの広間まで【跳んだ】――つまり空間を移動したと、そういう解釈でよいのか」

「え? あ、うん、多分そう……なんだと、思うんだけど」

「なんで歯切れが悪いんだよ、自分のことだろ」

「んなこと言われたって困るんだけど……だって気がついたらここにいたんだし……なんか自分でも現実味がなくて」

 祈は浅く微笑んだ。だがそれは決して能天気なだけの笑みではなく、どこか自嘲交じりの笑顔であった。快活そうな第一印象からは想像もできなかったその表情に思わず悠凪は息を詰めて祈を見つめる。伏せられた瞳に映った憂いは深く、まるで底無しの闇のようですらあった。

 だがそれを観察できたのは本当に刹那のこと。燈が気付いたか果たして怪しいほどに短い時間で、彼女はぱっと表情を切り替えた。あの一瞬とはあまりにかけ離れた、頭の悪そうな楽天的な笑顔を浮かべて、初対面時悠凪に告げた戯言じみた言葉をさらりと口にする。

「さっきこっちの人に言っちゃったし、言うけどさ……あたし、」


「地球から来たんだ」


「ふぅん、あっそ、地球ね。へぇ、随分遠いところから来たんだね。そりゃ長旅ご苦労さ……、……、……はぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 燈の反応は予想外に愉快だった。



□ ■ □




 地球。

 それは悠凪たちにとってお伽噺であり架空上の存在だった。

 遥か遠いどこかにあるという、世界の七割を海で覆われたその星には多くの人々が暮らしているそうだ。だがそこに暮らす人々は魔術を使う事ができず、またかといって技術が発達しているわけでもない発展途上の領域であり、また大小問わず数々の国家が乱立して様々な争いが絶えず起こり続けている、そんな風に語り継がれている。

 悠凪が生まれる前から、文機が生まれる前から、もう数百年も昔にとある古代文献に記され、語り継がれていたお伽噺である。

 夜眠る前に子どもに読み聞かせる為の作り話のようなもので、巷間では有名ではあるもののその存在は一切信じられていない。一説ではかつて滅んだ古代文明の物語を書き記したものであるとか、もしくは空の向こうに存在する別の世界なのだとかそんな馬鹿げた話があるが、どれもこれも信憑性には著しく欠けていたし、発見すら為されていない。空想上で架空上の場所、それが地球だ。

 まずもって魔術のない世間というものが悠凪たちには信じ難いものであったし、また書き記された地球の地理は彌島のあるこの世界と酷似していた。だから、今も実在するこことは完全に別の場所ではなく、せいぜいが古代文明の様子をさもそれらしく語っただけの古文書だと見る者も多い。

 たった一冊の文献が存在を主張し、その他のあらゆる魔術的・技術的、および学問的証拠がその存在を否定したお伽の国。

 そこから来た、と祈は言った。

 今時どんなに追い詰められようとそんな酔狂を言う阿呆はいまいと思っていたのにそんなことを言うから、思わず面喰ってしまった悠凪は、この時代錯誤も甚だしい侵入者の少女を斬ろうかと一瞬思った。だが祈の服装はよく見ると彌島で見られるものとは異なっていたし、かと言って異国で見られる服装とも違っていた――悠凪は見たことのない服装であった。それにどうも嘘をついている顔色でもない。これでもその手の者を見抜く目には自信のある悠凪は、とりあえず他国からの侵入者である可能性も考慮に入れた上で尋問室へ連行してきたのだった。

 そして少女はまたしても、同じ主張を繰り返したのである。

「アンタ嘘つくならもう少しマシな嘘をついたらどう? 地球? 馬鹿じゃないの。そんなのあるわけないでしょ。馬鹿らし」

 はっ。鼻で笑って苛立たしげに机の足を蹴飛ばした燈に咎める視線を注げば、彼はすぐにそれに気がつきひとつ舌打ちを漏らした。元から切れ長気味だった瞳を更に吊り上げているお陰で、その金色の瞳はより鋭く爛々と輝いて見えた。

 祈は燈の反応を受けて数秒黙り込んだ後、身を乗り出すようにして早口にまくし立てる。

「そりゃ信じられないと思うけどさ、本当なんだって。あたしは地球から来たの。地球にある日本って島国で生まれて育ってここに来たんだよ!」

「だぁかぁらぁ、アンタ嘘つくの下手過ぎ。まだ羅季の生徒ですって言った方が信憑性あったよ? なに、死にたい自殺志願者なら余所でやってくんないかな。迷惑なんだけど」

「違うって言ってるでしょ! 話くらい聞いてくれたっていいじゃないっ」

「誰が『お伽の国から来ましたー』なんて戯言真に受けると思ったの? 頭おかしいんじゃない? はいはい、悠凪、もうこいつ斬ろう。やってらんない」

「……っ、あんたねっ」

 ほとほと呆れ果てた、と言った様子で席を立ち、祈に冷たい視線を向けながら退室しようと一歩歩んだ燈に、祈が弾かれたように立ち上がって掴みかからん勢いで詰め寄る。あ。悠凪が彼女に警告するよりも早く、祈はぴたりと動きを止めた。

「うるさい。今すぐその空っぽな頭に風穴開けてやろうか?」

 ――祈の額には一分の隙もなく、銃口が密着していた。

 魔導技術を用いた殺傷性の非常に高い弾丸が込められたそれは燈の屋内戦闘における主な武器であった。普段の野外戦では狙撃銃や弓を用いた精度百発百中の狙撃手を務め、誰より優れた視力と五感、また気配を操る技術に特化した兵士である彼は職務に忠実だ。もしも祈がこれ以上喚けば、燈は躊躇いもなくその引き金を引くだろう。

 守護兵とは、そういう仕事だった。

 不意に、祈は青い顔をしながらもふてぶてしい顔で呟いた。それは引き攣っているとはいえど、目の前に銃口を突き付けられた人間がしていい表情にはとても見えない。確かに銃に恐怖しているが、その恐怖が実際に自分を襲うとは思っていない、余裕のある顔だった。

「……ここにも銃なんてあるんだ。あっちより見た目が派出だけど」

「まだ寝言ぬかすつもり? ぶっ殺すよ」

「そんなことするよりは自白剤なり何なり使って本当のこと聞き出した方がいいんじゃないの? あたしは嘘なんかついてないけど、そうすれば真偽ははっきりするでしょ」

「別にボクはアンタが一般市民だろうが間諜だろうが構わないよ? 最初に言っただろ、偽れば蜂の巣か細切れだって。延命を試みたって無駄だ。この羅季に許可なく踏み入ったその瞬間に、アンタの生殺与奪の権利はボクらが握っている。死にたくないなら本当のことを言え」

「あれ、優しいんだね。さっきは嘘をついたらその瞬間に殺すって言ってたのに」

 ――まるで別人だ。

 思わず悠凪は思う。先程武器を見て顔を青くした彼女の気配はもはや微塵もない。笑みは引き攣っていても命の危機は感じておらず、そして意図的かそうでないのか知らないが挑発するように言葉を紡ぐその姿はどこまでも矛盾に満ちていた。たった数分の間に起きた信じ難いほどの豹変に、僅かながら燈も動揺したのを察知する。なんだかんだと付き合いの長い後輩はそういう感情を隠すのがどうにも下手であり、ただでさえ悪かった機嫌は現在最底辺に近い程に悪化している。悠凪から見てもかなり危ない状況だ――なぜ祈がああも余裕なのか、彼には理解できなかった。

 燈はすっと目を細めた。ふぅん、あっそう、どうでもよさそうな声で口の中だけで呟き、そして一切無駄のない動作でその人差し指を引鉄に指をかけて、

「駄目だ」

 ――銃弾が発射される寸前に、悠凪は二人の間に割り入っていた。

「地球人だと不可解なことを言っている以上、事実確認もせずに射殺するのは賛成できない。せめて朋輩の意見を仰ぐべきだ。その上で事実とは異なると評するなり、もしくは自白剤を使うなりで主張と異なる事実が判明したならば処理するがよい。それでもないのに射殺すれば、ぼくは規定違反で君を処罰せねばならん」

 淡々と告げて静かに燈を見つめる。突然の妨害に鳩が豆鉄砲でも喰らったように驚きを隠しきれない表情になっていた燈は、悠凪の真剣なその眼差しを真正面から受け止めて、それからばつが悪そうに視線を逸らした。ちっ。苛立たしげに舌打ちを漏らして悠凪を突き飛ばし、銃を流れるような動作で腰に納めてから口元を歪めて笑う。

「何、アンタらしくもないね。アンタって女でも容赦なかった気がするんだけど、ほだされちゃったわけ? ふざけたこと言いやがって」

「ぼくの言ったことは全て事実に基づいた発言である。ふざけてなどいない」

「守護兵規定第二十七条、【原則として侵入者は切捨御免】に則っただけだよ」

「だが第二条には【無用な殺生を禁ずる】とあるが?」

 数秒間の睨み合い。いつになく殺伐とした空気が室内を満たす。

 数秒後、先に折れたのは燈のほうだった。

「はぁ……やってらんない……なんでこんな馬鹿がボクより前の番号にいるのか理解に苦しむよ。何を思って珠希(たまき)はアンタなんか選んだんだ」

 ふざけてる、世の中なんて全部腐ってる。

 言うだけ言って足を踏み鳴らしながら席に戻った燈は、殺気立った気分を隠そうともせずに机を指でとんとん叩きながら吐き捨てるように悪罵を口にする。

「っていうかさぁ、こういうのボクの役回りじゃないっしょ。ボクは尋問とか嫌いなの、そもそも隠し事とか嘘とか大ッ嫌いなんだから、それやってる奴前に平静なんか保てるわけないじゃん。往生際悪く喚いてるの見ると鬱陶しくて殺意湧いてくる。ただでさえ尋問が嫌いなのにアンタはいるし頭のおかしいあばずれはいるし、はぁ。本当やってらんない。めんどくさい、やる気ない、あーこの仕事嫌」

「あ、あばず……!」

「こういうの絶対霞柄とか文機の仕事であってボクの仕事じゃないって。ちょうど遠征の入ったこんな時期にいきなり現れんなよ迷惑だな、こちとら日々精神をすり減らして生きているって言うのにさぁ。聞けよ悠凪、この前なんか蓮に稽古をつけるだの何だの言ってやる意味まるでなさそうな街区五十周に付き合わされたし、文機には予算案の書き方で文句言われるし、霞柄は理不尽な言い草で自分の失態をボクのせいにするしさぁ!! いい加減疲れたと言うか頭にくるっていうかもう、本当、最悪ッ!!」

「……それはなんというか、不遇だが。ぼくも通ってきた道だ、諦めよ」

「じゃアンタ、任務って言われて女物の服渡されたことあるか!? 抗議したら霞柄に『だってあかりん似合いそうじゃん?』って満面の笑顔で言われたことあるのかよ! いや女装しろとか画期的に過ぎるくらい残酷な処刑だしつーか変態かよ気色悪いな、だが何よりあかりんって呼ぶなって逆上しても『反抗期かぁー、良かった良かった、悠凪(なぎー)はそんなの全然なかったからあかりんはちゃんと反抗期で安心したわぁ。お姉様嬉しい』とかちょっと顔赤くして言われたボクの気持ちわかるッ!?」

「……」

「……うわぁ……ふふ」

 想像を絶する心労だった。

 無言で黙祷。

「勝手に殺すな死んでねぇよ、いや精神的にはそろそろ死にそうだけど!! おいアンタもだ、笑い堪え切れてないからな、噛み殺せてないからな!!」

 いやこれは笑わない方がおかしかろう。

 そう思いながら真顔の自分もいるのだが。

「悠凪てめぇ自分が今真顔だと思ってるだろうけど滅茶苦茶憐れみの表情だからな。思いっきし喧嘩売ってるからな。……今度の任務で隙があったら絶対射殺してやる」

「ところで燈くんだっけ、結局女装したの?」

「はぁッ!? したわけないでしょ馬鹿じゃないの! ……ってアンタこの流れでいきなりそれ聞くってどんだけ空気読めないんだよ!!」

「うわ、この子すごいツッコミだ……キレッキレだ……」

 お疲れ様、大変なんだねぇ、と労わる様なことを言いながらも面白い玩具を見つけたと言った様子でにやける祈である。その姿はこの場にはいない三十路後半(の外見)の暑苦しい同胞の男を思い出させて悠凪はこてんと首を傾げた。年齢も性別もまるで違うのに、なんというか、有体に言うならば……ちょっとばかり、親父臭い。

 燈はすっかりさっきまでの緊迫した状況を忘れてしまったように、ムキになって祈に言い返す。

「アンタ全然大変だとか思ってないだろ、顔に出てるんだけど!」

「え? ソンナコトナイヨ?」

「返事の発音がおかしいッ!! 馬鹿にしやがって!」

 まるで子どもの喧嘩である。きりがない。

 どうしたものかと呆れたため息をついた悠凪が頭の痛くなる思いで口を開きかけたそのとき、不意に祈がニヤニヤ笑いを引っ込ませて真剣な表情になったかと思えば、

「ねぇ、それでさ、あたしの話なんだけど――あたしの知ってる地球の話や答えられることには全部答えるからさ、ひとつ頼みを聞いてくれないかな」

「頼み?」

 突如話題を切り替えた祈にぱちくりと瞬きしながら燈が問い返すと、彼女はにこりと微笑んだ。

「うん。あたしをここに置いてくれないかな!?」

 悠凪はひとつ物事を覚えた。

 地球人は予想を遥かに超えた馬鹿らしい。


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