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第二話 女子高生、恫喝に屈する

「いやね、本当大変だったんだから」

 冬色は軽薄に笑いながら、時間をもてあそぶようっくりくるりと一回転した。身に纏っていた腰ほどでの長さのある銀灰色のケープがふわりと円を描き、数秒のタイムラグの後に落着する。とん、と、一定のリズムを保ってステップを踏む彼女は無邪気で、この少女が自分の数倍以上の時間を生きているだなんて今になってもとても信じられない。

「今から数えること十六年前(・・・・)、任務先で致死率九割九分九厘の罠を踏んで、なんとか〈彼方に飛び去る翼(アーフィダン)〉で逃げようとしたら妨害が入って、……もう散々だね。わたしは随分長いこと生きてきたけどこんな不幸ったらないよ! わたしの仲間には万年不幸面の先輩もいたけどあの人以上だと確信できるね。本当、最悪としか言いようがないや。生きてるだけ十分じゃないかって? 冗談じゃない、これなら死んだほうが絶対マシだった!」

 自らの悲運を嘆くような言葉を吐き散らしながらも、少女の顔から笑みは絶えなかった。こちらに同情を求めると言うよりは、ただ淡々と己の辿ってきた道筋とその感想を述べているようだ。その証拠にステップを踏む足取りは軽やかで滞りが無く、先の丸い黒のエナメルシューズは舞うように夜の歩道橋を叩いていた。

 本来は通行量の多い大通りにかかるこの歩道橋だが、眼下に人通りはおろか車両の影すらない。当然と言えば当然で、現在時刻は深夜三時である。外見は十四歳程度の冬色も、そしてその冬色を前にして緊張した面持ちで拳を握る十七歳の現役女子高生も、もし警官に見つかれば補導は免れない時間だ。走る車もないのに定期的に色を切り替え明滅を繰り返す信号機はなんとなく不気味な雰囲気を放ち、少し離れた場所にあるオフィス街に灯った電気も微かに届くのみで明るいとは到底言えない。通りの店はほぼ全てにシャッターが降りていた。夜間であっても目立つ白と水色と灰色のみで構成されたような服装だからこそ、冬色を冬色と認識できる、漆黒、暗黒、黒という形容詞がこれ以上ないほど似合いの嫌な時間帯だった。

「だってさぁ、想像してみてよ。あー死んだ死んだ死んじゃったー! と思っていたらいきなり目の前が開けて、驚いて飛び起きたら、自分の知る街並みとまるっきり違う未知の場所にいたんだよ? そりゃびっくりもするでしょ! わたしは状況把握能力に特化した人並み外れた―――いや、ある意味じゃあ、というかある定義で考えれば人ですらないか―――能力を持つわけだけどさすがに戸惑ったね。黄泉の国はこんな感じなんだと真剣に思った。それがまさか、聞いてみたら『地球』とは。言語が通じる事にもびっくりしたけど、自分のいる場所が『地球』だなんてにわかには信じ難かったよ」

 こちらの反応など全く気にした様子もなさげな冬色は、懐かしむように口角を上げる。まぁ、懐かしいの、だろう。なにせ十六年も前の話なのだ。十六年前から一切容姿が変わらない(・・・・・・・・・・)とはいえ、十六年の時間は彼女の中で流れていたのだから、懐かしいものは懐かしい。少女は握っていた拳を一度開いた。緊張のあまりかその動きは少しばかり鈍く、芳しくない自分の手の動きに少女は片眉を上げる。自分が一歳の頃の話を、見た目は年下の冬色に切々と語られる現状は滑稽ですらあったが、少女はそれを笑う余裕もないらしく一つ息を吸っただけにアクションをとどめた。ちら、と青色の眼がその様子を見て面白くなさげな色を浮かべたのが見えたが、無視。

「まぁね、キミからしたら変な話だろうけど、『地球』はわたしたちにとってはお伽噺も同然さ。実在も確認されていない、あるたった一冊の書物に記されているだけの不思議の国。こっち風に言うと……えーっと、なんだろ? ネバーランド? いや、地球人はちゃんと齢を取るけど、そんな感じ。しかも書物に載ってる地球ってのはもっと野蛮というか……技術の進んでいない発展途上、正体不明の人々が暮らす謎の星、みたいな書かれ方だから余計に戸惑ったんだけどさぁ……魔術が信じられていない代わりに、科学技術が発展しているとは唖然だね、うん。とりあえず、わたしは地球だとは信じられなかったわけだけど、数カ月もすればさすがに認めざるをえないじゃん?」


 わたしは異世界に来てしまったんだ、と。


 冬色はステップを踏むのを止めて少女の正面で立ち止まった。ひょい、と俯いていた少女の顔を覗き込んだ冬色の前髪は日本人とはかけ離れた色をしている。どうも周囲の、彼女と関わったことがある『地球人』には親がアルビノでどうのと怪しい説明をして誤魔化しているらしいが、冬色の生まれ故郷では『忌むべき色』の髪なのだそうだ。ファンタジー小説のキャラクターさながらの白髪(はくはつ)を肩口で適当に切った冬色は、その髪色のお陰で元の世界でもこの地球でも色々苦労したという話を少女に何度も聞かせている。異世界から迷い込んできた客人は、日本人ともどの外国人とも雰囲気の異なる、異様な髪を有していた。

 とてもではないがアルビノだなんて説明では納得ができない。

 こうまで美しく、また恐ろしい輝きを放つ髪が、ただのアルビノであって堪るものか。

 その髪は少なくとも少女にとって、冬色が違う世界に生きる人間であることを再認識させるほどの威力を持つ存在だった。

「こっから先は何度も話した気がするから割愛するとして。あれ、さっきまでのも話したんだっけ? まぁいいじゃん、そんな細かいこと。でさ、とりあえず現在において大切なことは六つある」

 冬色はまず人差し指を立てた。

「いち、わたしが生きているということ。幸いにして後遺症になるような怪我もせずに済んだのは本当、不幸中の幸いだった。もしこれで下半身不随とか植物人間状態だったら本気で状況は絶望的だったからねぇ……いやはや、わたしって悪運が強いんだ、昔からさ」

 その悪運のなれの果てにこんな場所に流れ着いたというのなら、それは悪運というより不運だと少女は思ったが余計な口は挟まなかった。冬色はよく喋る。こちらから話題を振るとすぐそっちに食いついて話が脱線するのは目に見えていた。

 冬色は二本目の指を立てる。

「に、この世界では魔術を使えないこと。もうこれはとっくの昔に実証済み。わたしは魔術が取り柄だったっていうのに、まったくもう。もし魔術が使えたら次元の壁くらいぶち破ったのになぁ」

 物騒すぎる言葉に思わず片頬を引き攣らせた少女に「やだなぁ冗談に決まってんじゃん!」と冬色は快活に笑ったが、冬色がかつて魔術も無しに人命を奪いかけたことを知っている少女にとっては何の安心材料にもならない。体術や肉体面だけでも、見た目の華奢さを裏切るようにとんでもないハイレベルにいる冬色が更に得意とするらしい魔術がどれほどの威力を誇るのかを思えば、次元の壁程度あっさり破れてしまいそうな気がしたのだ。どこのチートだと呆れ返って聞く気にもなれなかった。

「さん、わたしはあの世界に戻りたいこと。この世界とは違って戦乱も殺し合いも当たり前の怖い世界だし、この世界の大勢が手にしている《家族》って奴もわたしはいないけど、それでも戻りたいね。肌がぞわぞわするんだ――いちゃいけない場所にいるんだと警告されている。一刻も早く戻りたい。それに先輩にも会いたいし後輩にも会いたい、もしかしたら新人が増えてるかもしれない。一度は会うことを諦めたけどやっぱり駄目だね、どうしたって会いたいんだ」

 少女はその言葉で思い出す。冬色と出会ってしばらくが経った頃、嬉しげに両目を細めて語った十二人の仲間の話だ。多種多様な理由でそこに集い、目的を同じくした、それぞれ異なる分野に特化した仲間たち。戦友であり親友であり好敵手であった彼らの話をするとき、冬色は実に楽しそうに笑う。家族のいない冬色にとって、誰よりも大切な存在であったという彼ら。

 中でも後輩の話をするとき、冬色は世話の焼ける弟のことでも思っているかのように愚痴めいた惚気を零す。あのときのあの子は、このときは、そういえば、こちらが適当に切り上げないといつまでも続くそれにはかなりうんざりしたが、反面興味も持った。純真無垢そうな振る舞いに反して案外ドライなところのある冬色にここまで気に入られる後輩とはどんな人なのだろうという興味だ。人柄は散々話に聞いているけれど、実際に会ってみるのと話だけとでは印象はまるで違うだろう。

「よん、わたしが向こうに帰るためには、向こうの世界の仲間の助けが必要なこと。先に言った通り、わたしはここで魔術を使えないからね。転移魔術も攻撃魔術も。実はまるっきし使えないってわけでもないんだけど、わたしを向こうに送り届ける類の力ではないんだね。だから向こうの仲間の助けがいる。――そいで、ご。わたしの仲間は(・・・・・・・)皆わたしを忘れている(・・・・・・・・・・)こと……これが一番の大問題!」

 元はと言えば自分のせいの癖に、冬色は開き直ったようになぜか照れ笑いした。

 誰も褒めていないどころか、巻き込まれる少女としては詰ってやりたいくらいの気分なのだが、人の気持ちに鈍い冬色は気付いていないらしい。「いやホント困ったよね」と頬を掻きながら、

「いやだって、普通思わないでしょ……? 死ぬか致命傷負ったら発動するはずだった忘却魔術が、異世界への転移っていう緊急事態を〈致命傷〉だと判断して発動しちゃうなんて。お陰様で、こちとら五体満足なのに向こうと全く連絡が取れないんだよ! つまり助けが見込めない、すなわち、わたし帰れないじゃん!? 大危機(ピンチ)じゃん!?」

「……いやあのさ、それ、舞瑳(まいさ)のせいだよね。自分のせいだよね?」

 何も言ってやるものかと思っていた少女の口から、遂に心底呆れたツッコミが滑り出た。そう、元を辿ればこの冬色――舞瑳と名乗る彼女が仲間にかけてきたという忘却魔術が全部悪い。それさえなければ、少なくとも少女は巻き込まれずに済んだのに。咎めるように舞瑳を睨んだ少女に、舞瑳はあっけらかんと告げる。

「そうだけど、なっちゃったもんは仕方ないじゃん。怒んないでよ~」

 反省にも罪悪感にも欠けた切り返しに少女は深々とため息をつく。こんな奴なのは数ヶ月前から知っていたが、実際言われてみると相当頭にくる。ぽわぽわと周囲の空気に花を散らすのを今すぐ止めていただきたい。こっちはあんたのせいで命の瀬戸際である。

 そう。

 命の瀬戸際、である。

「で、じゃあ、ろく! 最近の大発見なんだけど、どうやらわたしの知り合いの技術を使えば、地球人でも向こうの世界へ送り込めるらしいということ――さて、ここまで言えば分かるよねぇ?」

「分かるも何も、全部ただの確認でしょ……分かんないって突っぱねたって無理矢理やっちゃう癖に」

「あはははは、分かってきたじゃん! うん、わたしの為に一肌脱いでほしいってわけだよ、(いのり)。理解した?」

 悪びれた様子もなさそうに微笑んだ彼女に、祈は語気を強めてきっぱりと断言した。

「三日前にいきなり言われて理解はとっくにしてるけど、納得はしてない!」

「えー何で」

「会って数カ月の女子高生に『異世界行って友達の記憶を取り戻してきてくれない?』とか気軽に言う奴があんたの他にいるとでも思ってんの!? 何そのお使い頼むみたいな口調! お使いどころじゃないよ、もし公になったら日本史の教科書にバッチリ載るレベルのヤバい案件だよ!?」

「いやいや、ちょっと行ってきてくれればいいんだよ? わたしが向こうに帰れた暁には、ちゃんとこっちに連れ帰ってきてあげるし。ね? 何度も話して結局了承してくれたじゃーん」

「あんたね、そんな軽々しく、」

「いいの?」

 不意に舞瑳の顔から笑みが消えた。その表情に祈は一瞬で背筋を凍らせる。先程までの人懐っこい姿はどこへやら、冴え冴えとした怖いほど澄んだ眼差しで舞瑳は祈をただ見ていた。その目にはなんの感情も宿らず、無機質で冷徹で残忍だ。ただの一般人に相違ない祈は、視線だけで人を射殺せるような邪眼の持ち主を幸いながら見たことがなかったが、舞瑳のそれは邪眼など遥かに凌駕した禍々しさを放っていると直感する。

 猟奇殺人鬼や幾多の戦場を潜り抜けた軍人、殺し屋、そのどれよりも――誰よりも、人を殺すことに慣れた目だった。

 殺人に何の抵抗も感じていない機械のごとき冷たさを放射したまま、舞瑳はただ簡潔に祈に尋ねた。


「祈のこと知ってる人、一人残らず殺しちゃうよ?」


「――っ、ぅ、」

 息を呑み、身体が恐怖にがたつくのを無理矢理抑えつけるようにして理性を総動員しながら、祈は震える声で「……行けばいいんでしょ、行けば」と返答した。そう返答することしかできなかった。特に何の感慨もなさそうに平然と皆殺しを宣言した舞瑳はその返答を聞いて、「そう! ありがと、助かるよ!」と笑った。

 ひまわりのように屈託なく、一切悪びれた様子なく、心の底から、祈の返答を喜ぶような笑顔だった。

 つくづく気の狂った娘だ、と祈はひっそり呼吸を整えながら思う。あの目を見た瞬間に自分が呼吸することを忘れていた。それほどまでに威圧的で、恐怖的で、虚無的で事務的な眼。必要ならば舞瑳は宣言通り、祈の知り合い全てを殺すのだろう。父も、母も、兄も、祖母も祖父も同級生も学校の教師も近所の人間も、一人残らず根こそぎ全員を。

 舞瑳にとってそれが容易いことなのは以前理解している。

 知り合い全てを舞瑳によって目の前で惨殺された人間を、祈はひとり知っているのだ。

 目的の為なら手段を選ばない舞瑳の恐ろしさを、その手口の残虐にして容赦のない有様を、ひとり世界に取り残されたその人が気を狂わせたその瞬間を、しっかりとこの両目に焼き付けている――ただの女子高生に過ぎない祈にとってあまりにショッキングなその光景は、冬色の少女への恐怖心となって今も心に灼き付いたままだ。

 もしあの現場に無数に転がっていた屍が全て自分の知人のものだったら。

 血の海の中心にたったひとり残されたのが自分であったなら。

 そんなものに耐えられる自信など祈には欠片だってなかった。あくまで人並みの、女子高生並みのメンタルしか持たない祈があの現場を覚えているのがむしろ奇跡的なのだ。衝撃的過ぎてその場で記憶を全部吹っ飛ばしたっておかしくなかったと今でも祈は思っているし、目撃したその瞬間に気を失わなかった理由が分からない。込み上げた吐き気を抑えるのに必死でそれどころではなかったのか、現実を認識できていなかったのか、脳が視覚を通して伝えられた惨状を理解するのを拒んだのか、それは分からないけれども。

 それまで、異世界人だと言われても実感なんて湧かなかったが、その現場を目撃した祈を見つけたときの舞瑳の反応を見て、祈は彼女が自分とは根本的に違う世界に生きてきたのだと思い知らされる羽目になったのは忘れたくても忘れられないだろう。

『あ、祈、そんなところいると間違って殺しちゃうよ?』

 にっこり微笑んで無邪気に告げた彼女は――確かに異世界の民だった。

 殺すことに手慣れ争う事を常とする破壊に満ちた世界の民だ。平和ボケしていて殺人など遠い何処かのお話に過ぎない高校生とはまるで話が違う、次元が違う、感覚も違う。

 そんな舞瑳に逆らう手段も勇気も、祈は持ち合わせていなかった。

「それじゃあよろしくね。あ、言っておくけど、無理矢理思い出させようとしてもダメだよ? もしそんなことしたら、祈の頭吹っ飛んじゃうからね?」

 にこり。

 やっぱり楽しそうに舞瑳は微笑んだ。




 


 十秒とせずに歩道橋の上の影は一人ぶんだけになった。

 まるで霧のように掻き消えた女子高生を笑顔で見送った舞瑳は、優しげに微笑んでいる。

 狂気と慈愛に満ちた不気味な笑顔だった。

「……みんな、待ってて。わたし、ちゃんと帰るからね」



 

□ ■ □




 

 不意に見覚えのある閃光を見た気がして、悠凪は足を止めた。

 現在位置は、羅季・東地下通路である。

 羅季の街全体の地下を縫うようにして造り上げられた地下通路は複雑に入り組んでいて、一定距離で天井に吊るされた明かりがなければ足元も見えぬほどに暗い。外部からの敵の侵入に備えて通常の倍以上に頑丈にあつらえられた壁は、地下ならば避けがたいはずの湿気や傷みとは無縁だ。遥か昔、まだ守護兵制度も運用開始されていない二百年以上は前にある術者が埋め込んだと言う特殊な魔術が影響しているという話だが本当かどうかは定かではない。

 普段は誰も立ち入らない地下通路全域は、時に生徒の実戦訓練のために解放されることがあった。主に対人戦闘訓練や遭難対策訓練、敵地での非常時対策に用いられる通路だ。生徒のための訓練施設でしかも地下なので、壁の強化や防衛魔術が施してあるのは過剰だと言う者も多いのだが、南方の軍人養成学園都市で地下から敵が侵入した事例もあり、念のためと術式は維持されたままなのだという。

 人の気配も生き物の気配もしないそこを、長期夏季休業中、悠凪は毎日巡回する。休みが明ければ訓練で使用される通路に何の異常もないことを確認するためでもあり、また敵が侵入していないか哨戒に当たる意味も込められている任務だ。こちらには幾ら優れた索敵能力を持つ人材がいるとはいえ、敵がその索敵能力を潜り抜けられないとは限らないゆえの警戒。

 三十年ほど前に行われた防衛体制会議で「別に放っといても大丈夫じゃね?」と大ざっぱな意見を出した壱番兵を見かねた文機が考案した警戒態勢らしく、その話を聞いたときも文機は疲れた顔をしていたのを思い出して、悠凪は少し眉根を寄せた。疲労は溜まり過ぎると良くない。作業効率も正確性も、疲れているというだけで信じられない程落ちることがあるのだ。無理はさせないようにしなければ。

 腰の後ろに下げた愛刀の小太刀をいつでも抜き放てるように身構えつつ、悠凪は息を吐いた。先程見た気がした閃光は、どうも壁際に落ちていた金属片を明かりが照り返したものだったらしい。これはよくある話で、訓練中生徒の装備品から剥がれ落ちたものだったようだ。紛らわしい、と目を細めて歩みを進める。もう何年も繰り返し歩いている道のりだ、目を瞑っていてもいつもの順路を辿れる自信すらあった。

 と、そこで。

 懐に仕舞い込んでいた同僚たちとの通信専用の機械端末が振動したのを感じて、悠凪は端末を取り出した。鈍い赤銅色の細長い棒状で金属で出来たその品は、魔術元素(エルシェル)が供給できる場所ならばどこでも、端末を持っている者同士で意思疎通が図れるという優れものだ。守護兵全員に配布されているこれは、任務に関する連絡などにも使われるため携帯することが決まりになっている。

 慣れた手つきで端末を耳に持って行った悠凪は簡潔に応答した。

「こちら拾参番、悠凪。現在東地下通路巡回中である。何用か」

【……アンタまだ巡回なんかしてたの? ボクとっくに仕事終わったけど】

 途端に返ってきた嫌味な口調の若い声に悠凪は知らず表情を険しく変化させた。別に悠凪自身はこの声の主が嫌いなわけではないのだが、なにせ十四年前に守護兵になってからというものいちいち突っかかってきては喧嘩を売ってくる後輩を鷹揚に扱えるほど悠凪は出来た人間ではない。初見から思いっきり目の敵にされているのだ、こちらだって苦手意識のひとつやふたつ芽生えてしまおうというものである。出来るだけ普通の口調を心がけながらも、悠凪は棘のある言い返しをした。

「巡回任務と銃火器点検任務では、必要とする時間がざっと二時間は違うと記憶しているが。ぼくの任務と貴官の任務を比べられても困る」

【はぁ。あっそ。なんでいちいちそんなの覚えてんの、馬鹿らし……】

「貴官も覚えておくとよい。ぼくがいないときに巡回任務を引き受ける可能性もあるのだからな」

【知らないよそんなの、っていうかアンタの仕事代わるとか絶対嫌だし。死んでもお断りだよ】

 吐き捨てるような少年の声に、悠凪はそれ以上何も返さなかった。認識してはいたが、どうも悠凪はこの通信相手に心底嫌われているらしい。気難しい後輩である。

 拾肆(じゅうよん)番、つまり悠凪のひとつ後ろの番号を与えられた少年兵。名を(あかり)と言う。

 狙撃に特化した能力を持ち、完全後方支援型と位置付けられての守護兵配属となった彼は不機嫌そうに口を開いた。嫌々、渋々、そんな言葉が思い浮かぶほど面倒くさそうで嫌そうな声だ。悠凪への嫌悪感を隠そうともしないそれは、正直悠凪の苦手なものだった。

【で、アンタ今(あおい)の仕事やってんでしょ? 備品管理。今点検してたら弾丸が足りなくてさ、補給に行くからどこにあるのか教えてよ】

「しばし待て。巡回任務が終わり次第向かう」

【なんでアンタが帰ってくんの待たなきゃいけないのさ、こっちは顔も合わせたくないってのに? 勝手に取っていくから言えってば】

 随分な言い草だが燈は基本人の話を聞かない。これ以上は何を言っても無駄だろう。規定では備品管理担当の者がいないのに勝手に備品を持ち出すのは学内規定違反に当たる。……それを分かっていない燈ではないだろうが、そうまでして避けるのか。苦々しい気分のまま数秒黙考した悠凪は、仕方なしに口を開いた。

「備品室の左にある移動棚の最上部にある。確か南京錠が掛けてあったはずだ。鍵は、」

 最後まで言い切ることは出来なかった。

 なぜなら突然、悠凪の耳朶を誰かの悲鳴が打ったからだ。

 さっと顔を上げて悲鳴の聞こえてきた方角を確認し、悠凪は早口に端末に告げる。

「燈、緊急事態だ。東地下通路で女と思われる何者かの悲鳴を確認した。今から現場へ向かい事態を把握するが、一応霞柄(かすみえ)に連絡を取っておいてくれ」

【はぁ!? なんでボクがそんなのやんなきゃなんないわけ!? アンタの使い走りとか冗談じゃなッ】

 一方的に通信を切断し、悠凪は端末をまた仕舞ってから床を蹴って飛び出した。

 出入り口は完全封鎖してあったはずだが一般人や生徒が迷い込んだ可能性は捨てきれないし、かなり確率は低いが敵襲かもしれない。何が起きたのか、早急に確認しなければ。



 

 人ひとりが通ることが精いっぱいの通路を駆け抜けていく悠凪の速度は一般的な速度を大きく上回っていた。

 守護兵はその任命時、誰もが身体能力を上昇させる術式を頭に埋め込まれる。街を防衛する最重要任務を持つ彼らはそれぞれ特殊な技術を身につけている場合がほとんどだが、その技術が封じられた時の備えとして肉弾戦に耐え得る強靭な肉体が必要とされるのだ。ゆえに、外見は十七歳程度の少年に過ぎない悠凪も、二十歳を超えた程度の若者にしか見えない文機も、通常の軍人を超越した身体能力を得ている。だとしても、悠凪の駆ける速度はまず間違いなく守護兵最速だ。

 その理由は単純で、悠凪の特化した技術が〈加速〉だからである。

 現在西に旅立った仲間のひとりと競り合う形にはなるが、悠凪は生来俊敏で身軽な身のこなしを得意としていて、元より素養のあった魔術の才を自分や周囲の機動力を底上げする術式に費やしてきた。もうひとりが瞬間移動に近い距離を問わないが自分だけにしか適用できない機動力を持つ魔術を多様するのに対し、悠凪は周囲まるごとの移動速度を跳ね上げてしまうある意味反則技だ。当然ながら簡単に出来る芸当ではない。似たような効果をもたらす魔術は他にもあるが、悠凪の加速魔術は群を抜いて優秀な効果をもたらすのだ。性質上集団戦において大きな功績を生み出す加速魔術だが、彼単独であろうと効果は変わらない。緊急事態にはいの一番に駆け付けられる速度が悠凪の武器のひとつだった。

 床を蹴る音は軽やかでいて迷いがない。悲鳴は断続的に続いていて距離が詰まっているのを認識した悠凪は更に強く足を踏み出す。若い少女の声のようだった。何を言っているのかはいまいち不明瞭で分からないが、切羽詰まった様子からすると状況はかなり危機的らしいと判断した悠凪は一切速度を緩めないままに、右手で左手首を掴んだ。

 普段は長袖の軍服に覆われていた手首に隠れていたのは、薄い翡翠色の細身な金属の腕飾り。魔術を行使する際は必ずこれに触れなければならないのだ。軽く触れるだけだったがそれでも悠凪の意思を認識した腕飾りが一瞬鈍い緑に輝いたと思うと、悠凪の身体がふわ、と軽くなり、速度が上昇するのを体感した。黒髪が後ろになびき、冷えた地下の空気に身を切られるような気分になりながら疾駆する。

 ついに悲鳴の出所まで一本道の場所まで来た。一歩、加速、二歩、継続。敵襲かそうでないのか判断はつかないが悠凪は何より特攻と不意打ちを得意とする。他の守護兵であるならば中の様子を伺うなりなんなりするのだろうが、正直悠凪にとってその時間は無駄極まりなく無意味なものにしか思えなかった。そんなことをするより突撃したほうが早いというのに。人それぞれの戦い方があるのは知っているので人に言ったことは無かったが、悠凪は見た目ほど冷静な少年でもないのだ。

 悠凪の全身の重みを排除していた魔術を腰の後ろの小太刀にも分配し、いつでも抜き放って一閃できるように準備をしつつ、悠凪はほとんど間を置かず悲鳴の聞こえた広間へと突撃した。

 の、だが。

 次の瞬間、感情を表立たせることがほとんどない悠凪をして目を見開くような光景に遭遇する羽目になる。


 広間の中央で、ひとりの少女が呆然と立ち尽くしていた。


 見慣れない服装の少女だ。見たところ羅季の女学生が身につける様な制服に似た物を着ているが、少なくともこの界隈で見るものではない。彌島の国においては珍しいほど混じりけのない、漆を塗ったように黒い髪を背中の中ほどまで伸ばした少女は、小太刀に手を掛けたまま低姿勢で広間に突撃してきた悠凪を見てこれまた真っ黒の瞳を見開いた。

 首には何か装飾品でもつけているのか、茶色の革紐が見える。その先端についているはずの何かをぎゅっと両手で握り締めた少女は、驚きのあまり何を言うこともできないのか口を開閉させるのみで、そこからは何の声も出てこない。こちらはこちらで多少驚いた悠凪であったが、戸惑いはわずか数瞬だ。敵襲ではなかったことに安堵しながら小太刀から手を放し、は、と息を吐く。

「きみ。どうやってここに入ったのだ。ここは一般人は立ち入りできぬようになっていたはずだが」

「……! ――っ、! ……? っ!? !!」

 返ってきたのは意味不明な反応だった。

 少女はぎょっとした顔で悠凪の声に反応したかと思えば大きく口を開け、しかしそこで不思議そうに瞬きした。もう一度口を開け、それから思い切り動揺した様子で両手を装飾品から手放したのだ。訳が分からない、と言いたげにもう一度口を開いた少女だが、結果は変わらない。さぁ、と彼女の顔が青ざめるのがはっきり見えた。……まさか、声が出ないのか? 悠凪がその可能性に思い至り確かめてみようと口を開いたそのとき、少女が手放し胸に下げられた首飾りが目に入った。

 革紐の先にあったのは、楕円を象った意匠の宝石飾りである。高価そうではないがなかなか凝った意匠のそれにあって存在を主張するのは、中央に嵌め込まれた宝石――否、珠か。不思議な色合いだった。珠の中心部は透き通った水色なのに、外側は灰色にくぐもっているのだ。水色から群青へと色合いを変える物は見たことがあったが、色の系統がまるで違う二色が混ざり合うそれは綺麗だと思った。

 そして同時に冬のような色だ、と思った瞬間、なぜか既視感に襲われて悠凪は眉をひそめる。

 こんな色合いのものを見た記憶はないはずなのに、なぜか頭の最奥を鈍器で殴りつけられたような衝撃と違和感が全身を駆け抜けた。一瞬硬直しその珠をまじまじと眺める。だが違和感は一秒とせず霧散してしまう。妙な感覚を覚えたのはその刹那だけであり、悠凪は次の瞬間には何の問題も無く、その珠を眺める事が出来た。

「……なんだ、今のは」

 思わずぼそりと口にすれば少女の肩が跳ね上がった。困り果てた表情で眉を八の字にした少女は、何かを必死で身振り手振り伝えようとしている模様だ。もしかしたら手話の類なのかもしれないが、悠凪はあいにくとその手の技術に疎い。どうも敵ではなさそうだし、と悠凪は少女と距離を詰めてみることにした。部屋の入り口と中央との距離では、対話するにはあまりに遠すぎる。

 一歩、二歩、三歩、迷いなく歩み寄る悠凪に少女は逃げこそしなかったが警戒しているようだった。きょろきょろと広間を見渡す姿は落ち着きに欠けていてとても冷静ではなさそうだったが、まぁ声をかけてみるに間違いはあるまい。女性、および子どもの扱いに苦戦を強いられてばかりの人生を送ってきた悠凪だが、その程度の対話力はあるはずだと自負していた。

 少女まであと四歩程度のところで、悠凪は足を止めた。

「きみ、声が出ないのか?」

 少女は一瞬黙ってから、ぶんぶんと首を横に振った。

 む。悠凪は更に問う。

「声が出るなら答えたまえ、きみはどうやってここへ入ったのだ」

 少女は右腕と左腕を斜めにかち合わせてまた首を横に振る。バツ印ということらしい。

 む? 悠凪は片眉を上げた。……何だか妙なことになっている。

「答えられないのか。喋ることを禁じられているのか? ……いや、先程まで悲鳴は聞こえていたのだが」

 すると少女は分かりやすく赤面したかと思うとぶんっと両腕を勢いよく振って、

《~~!! うるさいわね余計なこと言わないでくれる!? 聞かなかったことにしてよっ!!》

 何かを声高らかに叫んだようだった。

 ふむ。悠凪は少し考え込むような顔になった。少女は今自分でも驚いたのかぱちくりと目を白黒させているが、どうも少女は喉が潰されているわけでも声が出ないわけでも、喋ることを禁じられているわけでもないらしい。ではなぜこれまで答えなかったのか謎だが、それはとりあえず脇に置いておいて。

 問題は、少女の叫んだ言葉が悠凪には理解できなかったことだった。

 少女がなんと叫んだのか意味が分からなかったのだ。

 まるで聞いたことのない不思議な韻律を持つ言語を口にした少女はこちらの様子を見て、どうも言葉が通じていないことに気付いたらしく、大慌てでまた何事か口にした。

《え、え? ……通じてない? は? ちょ、あいつ話が違うじゃん、言葉通じたって言ってたくせに通じてないんですけど!?》

「……すまないが、きみ、今何と言っている。そもそもどこの言語だ」

《向こうの言ってることは分かるのにこっち通じないんじゃ意味ないじゃん……えー……早速手詰まりとか嘘でしょぉ……あー、あの、一応日本語なんだけど分かります……?》

 恐る恐る、と言った調子で何かを尋ねられたようだったが依然悠凪には意味が理解できなかった。少女の黒目と悠凪の緑の目が交互に瞬きを繰り返した。沈黙の落ちた広間には途方も無い気まずい空気が満ち、少女の焦燥感を更に倍増させる。

 悠凪は沈黙の中で思考する。言葉の通じない少女。見た目は日本人そのものだが、もしかして彼女は異国の者なのだろうか。だとすると、守護兵である悠凪は彼女の身元を明らかにし、必要次第では切り捨てなければならない。異国、国内、問わず敵の多い羅季である、怪しい者を放置しておくわけにはいかないので、切捨御免の制度が存在するのだった。

 敵と思われる者をその場で切り捨てて良いとするそれに機械的に則り、悠凪が手早く小太刀に手をかけた瞬間、異変は起きた。

 身の危険を感じたのか少女の顔から血の気が引き、半歩後退ったそのとき、突如。

 カッと眩い閃光が悠凪の目を貫いた。

「……ッ!?」

 反射的に目がくらみ目を庇うように左腕を掲げる。少女の慌てた声が聞こえ、直後、その閃光が淡く色を変えるのを腕越しに見た。灰色の鈍い色だった閃光が、まるで自然の摂理であるかのように水色へと変化し、仄かに瞬くのを見た。

 少女の首飾りと同じように。

 あるいは、かつてどこかで見た気がする光景さながらに。

 閃光による微かな酩酊感を感じながらも、悠凪はその既視感の原因を探ろうと記憶を辿ってみる。いつか、どこかで、こんな色を見た。さほど綺麗な色でもないのになぜか美しいと思ってしまうこの色を見た。灰色と水色の混ざる奇妙な色合いのこれを、自分は冬色だと思った――なぜだ。

 冬色なんて、なぜ思ったんだ。

 また通り過ぎていこうとする違和感に縋りつくように必死で記憶を遡って、もやもやとした気持ちを取り去ろうと躍起になったそのとき、不意に少女が口を開く。


「あ、あの、目、大丈夫?」


 今度は聞き取れる言語だった。

 思わず左腕を外して顔を上げた。閃光はいつの間にかまるで嘘だったかのように消え失せている。視界にはただ、寂れた広間と少女がいるのみであった。少女は戸惑いながらもこちらを案じるかのように言葉を続けた。

「あ、でもこっちの言葉通じてないんだっけ……あーもうあの子ってば人のこと巻き込むだけ巻き込んどいてなんつー無責任。ひどい、ひどすぎる……いつかあいつぶん殴ってやるんだから……」

「……、」

 一瞬だけ逡巡する。だが悠凪は、動揺を誤魔化すように少女の問いに答えた。

「問題ない。少し驚いたが活動には支障ない、きみが気に病むこともなかろう」

「へぇ、なら良かった! あいつから貰ったものだから何か攻撃的なビームだったりしたのかと思って焦ったよー、別に目潰しだったわけじゃないんだ……ってん?」

 少女はこてんと首をかしげる。

 じっと悠凪を見つめる眼差しには疑問の色が見えた。あれ、と少女は呟き、そして数秒後。

「なんで言葉通じてんの!?」

「それはこっちが聞きたい」

 即座の切り返しに少女は喚き返す。

 それは悠凪、および、この彌島に生きるすべての人々にとっておよそ信じられない、とんでもない爆弾発言だった。


「地球の言葉が通じないのかと思ってびっくりしたじゃない、分かるなら先に言ってよねまったく! 右も左も分かんないようないたいけな地球人女子高生に何の嫌がらせ!? ……あ」


 しまった、と少女の目が揺らぐ。

 訝しげに悠凪の目が細まる。

 突然御伽噺の星からやって来たと告げた少女は、ひどく居心地悪そうに唇を尖らせた。


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