第一話 拾参番の守護兵
「……んー。先生、これどうすればいいんですか? こっちの方の接続が上手くいかないんですけど」
少年はつと顔を上げた。さら、と少し華奢な体躯とは相対的に剛毛な緑がかった黒髪が揺れる。見た目はほとんど同年代の教え子の呼び声に自分の作業をいったん中止し、背後を振り向いて、淡い新緑色の両眼をぱち、と一度まばたき。そして静かに目を疑った。広いが薄暗くあちこちから歯車や動力の稼働する重苦しい音が響く機関室、その冷たい床に百に及ぶ部品を散らかした生徒は、その惨状を目にして眉間に皺を寄せた少年の表情を見て苦く笑った。
「ちょっと先生、やめてください、そんな顔。先生だって好き放題散らかしてるじゃないですか!」
少年はその言葉に呆れたように身じろぎした。彼は緑の徽章が身につけた軍服を飾っていたが、少年はそれが汚れるのも気にせずにいた為周りには工具と油とが飛散している。繊細そうな見た目に反し、案外雑な物の置き方だ。
「君はまだ技術が未熟なのに散らかすからならんと言っている。部品を全て元通りに直すことが出来る、というのであれば文句など言わん。無論独力でだが」
「……そりゃ無茶ですけど」
「ならばもう少し分別を持つがよい。直せない場所まで分解してどうするのだ」
無感情に少しの呆れを混ぜ込んだような声音で少年はそう言って、教え子の手にした機械本体を受け取った。教え子に「分かる部分だけ分解し組み立て直すように」と言って与えた分解・再構成課題であった掌ほどの大きさの箱型機械は見るも無残にあちこち取り外されており、機械の中に巡らされていた機械を動かす動力となる魔術元素を通す為の配管も複雑に絡んでしまっている。明らかに分解することしか考えていない有様だ。こうまで絡んだ配管を復元するのは、目の前の教え子では不可能に近い。課題を与える度何でも分解し過ぎてしまう悪癖を持つ生徒に内心ため息をつきながら、少年はひとつひとつ問題点を指摘した。
「まずここは駄目だ。前に教えたろう。魔術元素は繊細で反発力の強い物質だ。配管が絡み壁一枚の状態で種類の異なる魔術元素が隣り合うのは爆発の危険すらあるし、それにこの箇所はもう使い物にならん。正方向の元素が負方向の元素に毒されてしまって性質を変えつつある……君は何を再構成しようとしていたのだ。ぼくが渡したときまで、これは通信機であったはずだが。このまま再構成を続けてはただの爆破物だぞ」
「うぐっ……だって分解楽しくなっちゃったんですよ……」
「次。分解方法が粗雑だ。本体に二箇所傷ができている。加えて一部の部品が間違った箇所に組み込まれている」
「えっ!? 嘘、ちゃんと図面見ましたよ!?」
「ならば図面を読み間違えているのだ。……見たまえ、ここは逆だ」
「ええぇぇぇぇ……そんなぁ」
がっくりとうなだれる教え子を横目に、少年は右手に弄んだ機械を数秒検分した。それから黙考。およそ十秒後、少年は工具を巧みに操り配管修復作業に取り掛かった。
生徒への課題に与えた機械とはいえ、備品は備品である。修復もせず粗末に扱えば備品管理責任者の同僚にこっぴどく怒鳴り散らされることは目に見えていたし、そもそも少年にはその機械を捨て置くという選択肢がなかった。壊れた物は直して使う主義なのだ。
慣れた手つきで使えなくなった部分の配管を切除して新しい物に取り換え、複雑に絡んでしまっていたそれらを整然と組み直す。床に散らばった部品をひとつひとつ、手早いながら丁寧に嵌め直し、螺子で固定し直してしまえば、あっという間に箱型機械は元の姿を取り戻した。
「おぉぉぉぉ……さすが先生……」
「慣れればこれくらいは簡単だ」
機械本体についた傷はどうしようもないが、まぁ致命的な傷というわけではない。また下手な分解をしなければ故障の危険性は少ないだろうと判断し、少年はそれをそっと床に置いた。
「純成。本日の課題はこれを以って終了とする」
「……えー」
「そろそろ最終下校時刻だ。ぼくも今日は会議がある上に日直だ、出なければならん。何か不満でもあるのか」
「いや、別にないですよ……ってん? 先生、今日日直なんですか?」
「そうだが」
教え子――純成は半ば呆れたような笑みを浮かべて問う。
「もしかして、また押し付けられました?」
何かと仕事を押し付けられることの多い少年を知るからこその確認質問に、だが少年はゆるりと首を振った。
「違う。正確に言えば引き受けたのだ。本日正午より朋輩八人が西方での大規模戦闘における支援部隊として遠征に出たゆえ、これから一ヶ月は残り六人で任務を行うことになった。……君」
「はい?」
「確か今朝方そういう連絡があったはずだが、聞いていなかったな?」
「……すんません」
あはははは、とからから純成は笑ったが、少年の頬が緩むことは無かった。もとより表情に乏しい少年の白けた視線を受け、純成は額に冷や汗を浮かべつつ頭を掻く。黒く硬質な少し長めの前髪が彼の真っ黒な瞳に覆いかぶさった。
「だ、だって分解授業が楽しみ過ぎて」
「……授業を楽しみにするのは喜ばしいことだが他を疎かにするな」
「はーい」
気のなさそうな返事が返ってきて、少年はまた眉根を寄せた。こと魔導機械工学の分野において優秀な成績を誇り、飛び級しても問題ないと目されている優等生的立ち位置にいる純成でも、他の科目で手を抜けば留年することも有り得るということをこいつはちゃんと理解しているのだろうか。つくづく将来が不安な生徒である。
少年はあくまで無表情にひとつ息を吐き、それから立ち上がって自分の作業として整備していた円盤型の機械を片付け始めた。〈鈴引丸〉とかつて同輩が名付けたこの機械は高い潜伏能力を魔術によって与えられた索敵機で、現在の夏季長期休業に合わせてしばし稼働を休止している代物である。魔術によって特殊な力を与えられた機械、もしくは魔術の元である魔術元素を動力として起動する機械である〈魔導機関〉にあたる、希少価値の高い機械だ。
基本的に一般生徒には触ることすら許されていないそれは、現状少年ひとりだけが整備・点検を行うことができる、特に高度な技術の用いられた索敵機だった。
まだ少し不満そうな表情をしていた純成も渋々と言った様子で自分の工具と手書きの図面、参考書をそそくさとまとめて立ち上がった。既に片付けを終え戸締まり確認をしていた少年に、純成は声を弾ませる。
「先生、じゃあ明日もお願いします!」
「……君の成績なら、本来課外授業は必要ないと何度言えば分かる」
「でも先生の作業工程は見ていてすごく勉強になりますから。ぜひお願いします!」
きらきらと幼子のように目を輝かせてそう言われてしまえば、少年は弱かった。一瞬困ったように目を眇めたもののすぐに無表情に戻り、「ならば今日のような真似はするなよ」とだけ言って背を向ける。純成はその行動が肯定の意を示すことを勿論知っていたため、よし、と笑みを零した。
「ありがとうございます、悠凪先生!」
少年――悠凪はまた困ったような顔をした。
学都・羅季。
そう呼ばれるこの都市は、街まるごとひとつが一個の要塞であり、そして学園都市である。
四方を世界一堅牢であることで知られるヒグレア石材で形作られた城壁に守られていて、総人口は六千人程度。そのうち実に三千人ほどがこの都市唯一にして国内最大の学園、羅季の生徒だ。街の中に学園がある、と言うよりは学園が街を作ったと称されるこの学都においては若者が総人口の半分を占める。
ただの教育施設に過ぎない羅季がどうして街ひとつを作り上げるほどに発展し勢力を伸ばしたのかと言えば、それはこの羅季がただの教育施設ではないからだ。
有り体に言えば。
羅季は、軍人教育施設である。
幼い時分から兵士になるために育て上げられた家系の者や、何らかの人体実験を施され浮世では生きるに窮屈な者、自ら力を欲した者もいれば身寄りを無くしてしまった者に、魔力を持ちすぎたが故に周囲に被害を及ぼしてしまう者。多種多様な理由で巨大な鉄門扉の前に立ち、子どもたちは扉を叩く。彼らに少々厳しめの入学試験こそ与えるが基本は誰であれ迎え入れる羅季は、十代の少年少女たちにとって最後の砦とも言える場所であった。
……こういった特殊な学園故、この学園の周囲には研究者や、研究者目当ての商人が寄り集まり、街がひとつ形成されるまでになったという。いわばこの学都・羅季はそれ自体が閉鎖された空間であり、それ自体が諸事情を抱えた子どもたちの為の場所だった。
しかしその特異な性質上、この学都・羅季は様々な危険に晒されてもいた。今なお続く海を挟んだ他国との戦争や政治的権力闘争がその危険の代表である。毎年優秀に過ぎる軍人を輩出するこの都市には将来有望な人材がかなりの数潜在していて、それを知る多くの者はここを邪魔だと考えるのだ。他国からすれば優秀な軍人など自分たちを滅ぼしかねない存在であるし、権力闘争においては羅季出身の軍人が誰につくかで勢力図が塗り替えられることなど常識。未来の自分を案じた彼らがそれなりの頻度でこの学都へと刺客を送り込んでくるのも、また常識であった。
送り込まれてくる刺客から生徒を守る為に存在するのが、現在総計十四人で結成された突出した戦闘能力を持つ兵士――守護兵だ。
そして。
「それでは今日の哨戒任務について説明します。今日からひと月の間は本来十四人で回す仕事を六人で回さなければなりません。あなたたちにとっては大した苦労ではないでしょうが、くれぐれも警戒は怠らないように。いいですね?」
よく通る青年の言葉に「了解」と短く返した悠凪も、拾参番を背負う学都守護兵のひとりであった。
■ □ ■
「はぁ……もう頭が痛くてどうにかなりそうですよ……何なんですか、どうしていつも私にこういうお鉢が回ってくるんですか。いくら仕事でも理不尽です、気が狂いそうです。悠凪くん何とかしてください」
会議が終了した途端部屋を去っていった同僚四人の姿を見送るや、開口一番疲れきった表情で細々と無茶ぶりをしてきたもうひとりの同僚の発言を、悠凪は真顔で切って捨てた。
「ぼくには不可能だ、文機。ぼくは貴官の担う仕事を肩代わりすることはできない」
「物理的な仕事量のことを言ってるんじゃありません。精神的な負担の方です。いや確かに仕事増えましたけどそっちではなく、協調性という言葉を露ほども知らない連中をどうにかして欲しいと言ってるんですよ!」
ばんっ。勢い良く会議室の机をぶっ叩いた青年は、その衝撃で舞い上がった書類の山を視界に入れるなり絶望的な表情になった。どうも自分がどこにいて机に何があったのかすっかり失念していたらしい有り様である。せっかく綺麗に分別されてあったというのに、今の一撃ですっかりばらばらになった書類の枚数は膨大な量に及んでいた。「あぁぁぁぁ、あー!」と情けない声を上げて頭を抱え、床にうずくまった彼に多少の哀れみを感じて、悠凪はしゃがみこんで書類をかき集めてやることにした。自分が書類仕事にはとことん不向きでないことを知る悠凪は整理するのを手伝うことはできないので、せめてもの慰めだ。
ガシガシと短髪を両手でかきむしって、青い双眸を疲労の色に滲ませた青年――文機は、重苦しいため息をついた。
「すみませんね悠凪くん。君にこんなことを言っても仕方がないのは分かってるんですけど……正直これから一ヶ月、胃腸に穴が開かないか不安で仕方ないんです。きっと私が死ぬとしたら死因はまず間違いなく過労ですから、そのときは私に代わってあの連中に制裁を下してくれないですかね? でないと化けて出る自信があります」
「貴官の苦労はぼくもよく分かっているつもりだが、そればかりはどうにもならぬし、ぼくは多分制裁など下せないと思うが……」
「ですよねぇ……はぁ」
文機は悠凪の十四人の同僚のひとり。つまるところ、守護兵のひとりである。
弐番という守護兵制度運用直後にあたる時期に守護兵に抜擢された彼は、見た目は麗しき美青年と言った細面だ。切れ長の瞳に鼻筋の通った顔立ちのお陰で生徒にもかなりの人気を博するものの、本人には至ってその自覚がないらしい。同僚の中でも一番の書類処理能力と頭脳を持つ彼は、何かと苦労を押し付けられがちなタチだった。
今回だって、今後ひと月の仕事の割り振りについて行われた会議でいらぬ仕事を三つは押し付けられてしまっていたくらいだ。悠凪と文機を除く残りの四人がどいつもこいつも勝手が過ぎる人間性なのは理解していたつもりの悠凪だが、もう恒例行事のように文機に仕事を投げていく同僚に思うところはあるし、文機にも僅かながら同情を禁じ得ない。だからこうして彼の愚痴を聞くのは悠凪が彼にできる数少ない気遣いの一つでもある。
「哨戒任務はやっておくから書類はよろしく、だなんて、丸投げにも程があると思いませんか!? こんな膨大な量を! 私ひとりで処理しろと!? なんですか、連中は私を暗殺でもする気なんですかね!? 過労死で!」
「いや、それはないと思うが。ぼくとしては、彼らが貴官に仕事を振るのも気持ちは分からぬでもない。ぼくらは誰も彼も書類仕事は苦手な特攻部隊であるからして、文字を追うのはさほど得意でないのだからな」
冷静に言い放った言葉にもがくりと肩を落とす文機。
「君や詠科や蓮はともかく、残りの連中は――霞柄と燈は問題ないでしょう!」
「……ぼくは未だかつて、彼らが真面目に書類事務に従事しているのを見たことがないが」
「それは私だって同じですけど!」
「む……難題だな。あの二人に任務を真面目に遂行させることなど、それこそ天変地異でも起こらねば不可能なのでは」
ないか、と言い切るよりも先に文機の目が諦めを宿したのを見て悠凪は口を噤んだ。どうも少し落ち込んだらしい文機は力なく項垂れながら「せめて……せめてもう一人書類仕事のできる者がいれば……」などと譫言のように呟いている。先ほど文機が言った「仕事が出来る癖にやらない」二人に関してはあぁだこうだ考えるのをやめたらしい。とはいえしばらく日を置くとまた同じことを繰り返すのを身をもって知っている悠凪は、せめて次回が数ヶ月後であることを希望した。あれを数週単位でやられると中々精神的に来るモノがあるのだ。
そんなことを考えているなんておくびにも顔に出さず、悠凪は問いかけた。
「では念の為今後一ヶ月の任務の割り当てを確認するが、良いか」
「あぁ、どうぞ、どうぞ。君はこの手の仕事には慎重なので助かりますよ。適当に投げられるより数百倍マシですから」
言っておいて苦々しい気分になったのか顔をしかめる文機。この青年は存外に分かり易い。飾りっけのない青い徽章をあしらった軍服が常の服装の彼は初見の印象として冷たい人物だと思われがちだが、仲間内では真面目でいちいち反応が大袈裟なせいで弄り甲斐のある人物でもあった。そんな性格だからこそ、いろいろな苦労を背負い込まされてしまうのだけども。
「ぼくの役割は平常通りの地下通路と街区巡回に魔導機関管理責任者、担当地下・街区は東全域。加えて備品管理全責任者。これで間違いないか」
――守護兵にはそれぞれ、学都全体を守ること以外にも遂行すべき任務がある。特務教員制度と呼ばれるそれは、羅季の卒業生である守護兵たちに学園内においてある役職を与え、教員として仕事に従事するよう義務付ける制度だった。
悠凪や文機も例に漏れず役職があり、悠凪は魔導機関の管理・修理などを行う魔導機関管理責任者、文機は研究科特別顧問という仕事が与えられていた。悠凪たちの最優先任務は街の防衛だが、第二優先はこの学園内での仕事の数々なのだ。
とはいえ本来、悠凪の尋ねたことはわざわざ確認するようなことでもない。残留した守護兵の特性を考えて割り振られたらしい新たな仕事は自分の通常任務にたったひとつ加えられただけである。守護兵の伍番を任され、現在は西の戦場へ出奔した先輩の仕事だったが、正直学園の備品は普段の自分の仕事上それなりに把握しているので負担というほど負担ではないし、間違えるようなこともないだろう。
それでも悠凪はこういった確認を欠かさない。勝手な思い込みであるとか、勘違いだとか、そういうものをひどく嫌うのがこの少年兵なのだ。
文機は少し柔らかく笑った。
「ええ、その通りです。よろしくお願いしますね、悠凪くん」
「了解した」
「もしもなにか問題があれば言ってください。ある程度は私で対処しますから」
いつものことですけど。
少しだけ憮然とした表情になってぼそりと呟いたそれに僅かな憐れみを覚えながらも、悠凪はくるっと踵を返して会議室の扉に手をかけた。
部屋を出る直前、後ろで「忙殺される日もそう遠くない気がします……」と力なく呟かれた言葉と、机に思い切り額を激突させる音を聞いた。