アークライト家のお嬢様
「アークライト家の執事」の続編です。http://ncode.syosetu.com/n5419e/ 誤字、脱字がありましたらお知らせいただけると嬉しいです。
産業革命真っ只中のこの国では、いわゆる幽霊と呼ばれるものに誰もが関心と興味を持っている。
持っていないのは、ここ、アークライト家の執事長くらいなものだった。
夕食の席でのこと。
屋敷のやたら広い食堂で、その幽霊の話になった。
アークライト家の主が聞いてきた、幽霊屋敷の噂話しを執事長のレスターが一蹴する。
「くだらない。そんなものは神とて否定しているというのに。おおかた、カーテンか何かと見間違えたのでしょう」
「あらやだ。あなたは人の姿とカーテンを見間違えて?」
「恐怖心がそうさせるのです」
「そうかしら?」
今や、この手の話題にはことかかない。
産業革命によって労働者が増え、都市となった街には様々な人間がいる。
資本家と労働者の格差は広がり、貧困で飢えて路上で亡くなるものや、孤児、機械の発明によって失業した、いわゆる職人たちなど、産業革命は誰もが幸せになれるものではなかった。
労働者のためのアパートメントが次々に建設され、比例するかのように、幽霊屋敷、幽霊アパートと噂される物件も増えていった。
実は、この幽霊屋敷を所有するのが、流行っている。
不思議な体験をしようと、物好きたちがその物件を買ったり、高い賃貸料を支払って住んだりする。
「アークライト家も幽霊屋敷の一つや二つ、もっていてもいいと思わない? 使わなくたって、物好きに貸せばいいのよ」
「お嬢様はご友人方に自慢したいだけでしょう」
「自慢一つできなくて資本家が務まりますか!」
「自慢ができることは決して自慢になりませんっ」
「だって、ムカつくんだもの。あの、ポっと出の製鉄会社の社長令嬢だかなんだか知らないけど、やたら高飛車で……! 私は経営者っだての!」
「お相手になさらなければいいのに」
「だって、みんな長いものには巻かれろ主義的な風潮なんですもの!」
アークライト家は縫製機械を発明し、産業革命の一角を担うような家だ。
工場を持ち、労働者を雇い、大量の糸を売り、また布の生成にも携わる。
だが、このアークライト家の主は、幼い頃にそれまでの主であった両親を亡くし、今は、この屋敷に二人の執事と一人の料理人、裁縫や洗濯を担当するメイドが一人いるだけの、資本家にしては質素な暮らしをしていた。
サークライン嬢はまだ十六で、資本家の娘や貴族の使用人やらが通っている、ちょっと敷居の高い学校へ通っている。
だいたい、こんな話は学校で拾ってくるのが常だった。
「ナイトはどう思う?」
サークライン嬢がもう一人の執事、ナイトにきく。
「僕は、怖いのはちょっと……」
「んもう。情けないわね」
ナイトはその類の話は苦手だった。
彼はごく最近まで孤児で、古い教会で育った。
独立する歳になって、レスターに拾われたのだった。
レスターはキリスト教の神は幽霊を否定していると言ったが、ナイトのいた教会では、シスターたちが幽霊を怖がって、地下の倉庫に行きたがらない。
それこそ、小さい時から、こういった幽霊話はたくさん聞いてきた。
そのたびに、恐ろしくて身震いしてしまう。
「とにかく、レスター、不動産屋さんを呼んでおいて」
レスターは返事をしなかった。
だが、明日になれば、不動産屋が屋敷に来るだろう。
次の日、サークライン嬢が学校から屋敷に戻る時には、案の定、サスペンダーでズボンをつるした、球い紳士の不動産屋が屋敷に呼ばれていた。
応接室にて相談が始まる。
「ほほほ。幽霊屋敷をお求めとか。ええ、私もいくつか管理しておりますよ」
「幽霊を見たことが?」
サークライン嬢は屋敷の購入よりも、幽霊見たさの方がうわまっているようだ。
「いや、私は見たことがないのですけれど、でも、声は何度か耳ににましたよ」
「声?」
「ええ。こう、悲鳴のようなものを」
「風の音なのでは?」
レスターが口をはさむ。
「いや、はは。確かに、新しい建物ではありませんからな。ですが、そこに住む誰もが、幽霊がいると言っています」
「どんな物件なの?」
「一件目は、機関車の駅近くの大通りに面している小さな家です。そこに住んでいたのは、兵隊さんだったのですがね、変死したんですよ。巷では幽霊に殺されたともっぱらの噂ですな。今は誰も使ってません。ですが、蔵書置き場にしようと考えてらっしゃる研究家の方がいましてね。ほら、幽霊は昼間は出ませんから。こちらにするならお早い方がいい。駅が近くて、便利なんですよ。あちらさんも、いくら支払ってもいいと言ってますからね」
「……」
サークライン嬢は真剣に考えているようで、その物件の詳細の書かれた文書をにらんでいる。
「殺されたって、恐ろしいですね」
ナイトも話に興味があって、仕事が残っていたが、一緒にその場に居合わせていた。
レスターに耳うちするかのように、小さな声で話しかける。
「なんとも言えんな。本当に幽霊が殺したという証拠はない」
「それは、そうですけど。そんな物件買ったって、きっとレスターさんくらいしか住めませんよ」
「もっともだな。私はそんな家など必要ないが」
レスターは死ぬまで、このアークライト家に仕えるつもりでいる。
今とて、屋敷に部屋がある。それはナイトも同じだ。
「他は?」
「あとは、こちらのアパートメントですな。こちらはオーナーチェンジです。三階建てで、一階がレストラン、二、三階がアパートメントです」
「幽霊が出るのは?」
「目撃情報があるのはレストランで、女の幽霊が出るとか。アパートメントの住人たちはすすり泣く女の声が聞こえるとか言ってますな」
「泥棒じゃないのか?」レスターが言う。
「何か盗まれたとかいう話しは聞きませんが……」
「もうっ! レスターは黙っていて!」
「よろしかったら、これから見にいかれますか?」
不動産屋が提案する。
「ええ、是非」
「では、ご案内いたしましょう」
「ありがとう。お願いします」
時刻は夕方。もうまもなく陽が沈む頃で、応接室の窓の外は深いオレンジ色だった。
ナイトは少し気味が悪いと感じる。
「ナイト、一緒に行くわよ」
「ええ?」
思いもよらぬ誘いに、ナイトはあるまじき返事をしてしまう。
「ええ、って。主を守るのがあなたの仕事でしょう?」
「で、ですが、レスターさんの方が適任なのでは?」
「私はもちろん、ご同行させてもらいますよ」
「だったら僕は、留守番してますよ」
「ナイト、真夜中ってわけじゃないのだから、そんなに怖がらなくてもいいじゃない」
「幽霊は怖いですよ!」
「あら、ナイトは幽霊を見たことがあるの?」
「……ありませんけど……」
「なら、怖いかどうかなんてわからないじゃない。ほら、さっさと行くわよ」
サークライン嬢はナイトの服の袖を引っ張って、引きずるように部屋を出た。
屋敷から出ると、不動産屋の乗ってきた馬車があった。
全員がその馬車に乗り込む。
ナイトはお嬢さまの横に座る。
「ああ、楽しみね、ナイト」
座るなり、サークライン嬢はナイトの腕に、自分の両腕をからませてくっつく。
「いえ、まったく……」
ナイトの声は聞こえてないようで、お嬢さまはご機嫌だった。
馬車はアークライト家の敷地から出て、ストリートを街の中心部へと向かう。
汽車の駅が見えてきたところで、馬車は止まった。
その場所には、一階建ての壁が黄色に近いクリーム色をした建物があった。
一見なんの変哲のない、ちょっとおしゃれな建物だ。
確かに、駅に近く、ストリートに面した住居とはこのあたりでは珍しく、大抵、この規模の建物なら、花屋や、パン屋の方がしっくりくる。
ナイトは馬車から降りて、サークライン嬢の手をとり、彼女を安全に馬車から降ろした。
不動産屋が鍵をちゃらちゃらいわせて、入り口となる扉の鍵をあける。
中に入る前に、持ってきていたランプに火を入れた。
「どうぞ、お入り下さい」
勧められて、まず、サークライン嬢とナイトが入る。その後からレスターが続いた。
入ってみると、北側に高い本棚があり、入って左の南側のさして大きくもない窓の側には小さなテーブルと椅子があり、中央にソファーとローテーブル、入って右側にはキッチンとダイニングが、入り口の正面にはロフトがあって、階段で上れるようになっている。
まるで、誰かが今も住んでいるかのような状態だった。
本棚には本がびっしりと入ったままで、とても、空き家とは思えない。
手入れがきちんとしてあるのだろう。だが、それがかえって、不思議な空間をかもし出していた。
「ロフトにも上ってみますか?」
不動産屋が言う。
「え、ええ」
サークライン嬢が答える。
階段は狭くて、一人ずつしか上れない。
まず、彼女が上りはじめる。すぐにナイトが続いた。
レスターと不動産屋は上らずに、下でその様子を見ている。
「や、ナイト、引っ張らないで」
「ひっぱってませんよ?」
「あ、じゃあ、裾、踏んでるんじゃなくて?」
「え?」
言われて、ナイトは足元を見た。
だが、ナイトの足は、しっかりと階段を踏んでいる。
「踏んでません」
「ちょっ、だって……ひっぱら……っ!」
サークライン嬢の身体は後ろに倒れ、ナイトに被さる。
「お嬢様!?」
なんとか、体勢をたてなおしても、結局、ロフトの上には上がれなかった。
「だ、大丈夫ですか?」
下に降りると、不動産屋が驚いた様子で声をかけてくる。
サークライン嬢は、それに答えることができなかった。彼女の心臓は、早鐘を打ち、呼吸さえなかなか整わなかった。
「お嬢様がご自分で裾を踏んでいたのでは?」
「そんなわけないでしょう!」
レスターの言いように、サークライン嬢はすぐさま返す。
確かに、彼女の服装は今流行りのぶわぶわしたワンピーススカートで、裾が地面につくほどで、足元が見えにくい。
「では、私が上ってみましょう」
そう言って、レスターがすたすたと階段の方へ行くと、そのまま、階段をのぼり始める。
「ロフトも本でいっぱいですね。そんなに広くはない。こちらにベッドがありますね」
上りきると、レスターが説明をよこしてくる。
それが終わると、今度は階段を降りてくる。
「な、何かに引っ張られなかった??」
レスターが降りてくるなり、サークライン嬢がきく。
「いえ、なにも」
レスターがそう答えた瞬間、上のロフトでばたばたばたっと、本が落ちる音がした。
「いやーっ」
サークライン嬢が悲鳴を上げて、ナイトにしがみつく。
「本が崩れ落ちたのでしょう」
「いきなりひとりでに崩れたりする!?」
「……」
そればっかりはレスターも答えることができなかった。
彼が見た時には、崩れ落ちそうな本などなかった。どれも、きっちりと本棚に収まっていた。
だが、彼はそれを言い出すことはしなかった。
「では、アパートメントの方へ参りますか?」
「ええ」
サークライン嬢はとにかくここから出たかった。
「お嬢様、もう一件も行かれるので?」
「そうよ。だって、まだ、幽霊を見てないもの」
なんだか、すっかり主旨が変わっている。だが、これが彼女の精一杯の強がりだということは、レスターもナイトも承知していた。
一行は、再び馬車に乗り込み、一路、幽霊アパートへと向かった。
そのアパートは大通りから一本隣の道に入った、いわゆる繁華街にあった。
周りはランプで明るくなった店が並び、ワインと食べ物の匂いで満ちていた。
燕尾服や、サークライン嬢の姿はとても目立っていて、馬車を降りるなり、下世話な声をかけられる。それらをすべて無視して、まず、レストランに入った。
レストランは盛況で、多くの労働者たちで賑わっている。
「けっこう、広いでしょう。ここらではまずまずのレストランですよ。カウンターの奥が調理場で、正面が、アパートメントへ続く階段になってます」
不動産屋は、その階段へと向かう。
「お気をつけて」
ランプを上方へ上げて、不動産屋はサークライン嬢の足元を照らすようにする。
階段を二階まで上ると、廊下が伸びていて、右側にドアが、左側に窓が並んでいた。
「幽霊の目撃情報があるのはレストランの方ですので、ご安心下さい」
だからといって、アパートメントの方に出ないとは保障できないんじゃ、とナイトは思う。
きっと、サークライン嬢もレスターもそう思ったに違いない。
「三階は空いてる部屋はありません。二階の中央のふた部屋が現在空室となっております。ご覧になられますか?」
「ええ」
サークライン嬢がうなずくと、不動産屋はすぐに部屋の鍵を開けた。
中に入ってみる。
ワンルームのシンプルな作りで、左側に簡易キッチンと正面に出窓があるだけ。見るもなにもない。
「隣と左右対称のつくりになっております。お隣も開けておきましょう。ご自由にご覧になって下さい」
そう言って、不動産屋は隣の部屋へと向かう。
「窓を開けて、景色を見てみましょうか」
ナイトが提案する。
「そうね」
サークライン嬢はうなずくが、レスターは不動産屋についていって、隣の部屋へ行くようだった。
窓にガラスははまっていない。板の扉があるだけだ。かんぬきをはずして、観音開きの扉を開けた。
下のランプの明かりが上にも届いていて、室内が明るくなる。
「悪くないわね」
「隣も見てみますか?」
「そうね」
窓を閉めて、部屋を出る。すると、エプロン姿の女性が立っていた。
「引越してこられるんですか?」
その女性は、にこやかに二人に問いかけた。
「いいえ。この建物を買取ろうかと思って、見に来たのよ」
「そうなんですか。あ、私は下のレストランの主人です。よろしくお願い致しますね」
「まだ、買うかどうか決めてないけれど、ええ、もしご縁があったら」
そこまで話した時、後ろからレスターが隣の部屋から出てきた。
「お嬢様、私はトイレを見に行って参りますが」
「おトイレは共同なのね」
「ええ、一番奥になります」不動産屋が答える。
「私は遠慮しておくわ」
「では、少しお待ちを」
「ええ」
短いやり取りを終えて、レストランの主人に向き直る。
「あの、貴女はこちらに出るという幽霊を見たことがありますか?」
ナイトは気になっていたことを、この女主人にきいた。
「幽霊? さあ、私は見たことありませんわね」
彼女は首をかしげて、答える。まるで、幽霊のことなど、初めてきいたかのような反応だった。
ナイトはあれ、と思う。
「貴女はどこに住んでいるの? このアパートメントに?」
「いえ、私は、」
そこで彼女の言葉が途切れる。言いにくそうだ。
「そう。ここに住んでいないのなら、聞いたことがなくてもおかしくはないわね」
「そんなお話があるんですか?」
「そうよ。女の幽霊が出るんですって」
ナイトはまたあれ、と思う。
サークライン嬢はなんとも思ってなさそうだが、確か、不動産屋はこんな風に言わなかったか。
『目撃情報があるのはレストランで、女の幽霊が出るとか。アパートメントの住人たちはすすり泣く女の声が聞こえるとか言ってますな』
なら、幽霊を見たと言っているのは誰なのか。
「こちらのレストランは何時に終うのですか?」
ナイトがきく。ありきたりで、別段なんでもないような質問だ。だが、
「レストランは……」
彼女は言葉をにごらせる。
そもそも、こんな混雑している時間に、レストランの主人がこんなところで油を売っていていいのだろうか。
ナイトは、嫌な予感を感じる。
サークライン嬢も何か思ったらしい。もはや、女主人の顔を見てはいなかった。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
サークライン嬢とナイトはその声に、急ぎ振り返った。
「れれれれレスター! 紹介するわ! 彼女がレストランの主人なのですって!」
「あ、お、お名前を聞いてませんでしたね……!」
どもりながら、再び女主人の方を振り向く。
だが、そこには誰もいなかった。
ナイトはサーッと顔から血の気が引いていくのを感じる。
「どこにいらっしゃるんです?」
「確かにいたのよ!」
「確かにいらっしゃいました!」
「彼女って……レストランの主人は私のように太った、ひげのオヤジですよ」
不動産屋がいう。
「なに、住人のいたずらでしょう」
「いや、はは、このアパートメントに女性の住人はいませんよ」
また不動産屋が答える。
「なら、レストランの主人の奥方とか」
「彼は独身です」
「なら、レストランの客がからかいに来たのでしょう」
「はは、そうだといいですね」
不動産屋は乾いた声でそう、言わざるを得なかった。
「どう、なさいますか?」
「それについては、後日、なるべく早くに改めてお返事させていただきます」
レスターが答える。
「わかりました。では、お屋敷までお送りいたしましょう」
「お願い致します」
四人は馬車に乗り込み、屋敷へと向かう。
通りは段々と閑静になっていき、歩いている人間も減ってくる。それが、よけいに不安にさせた。
幽霊がついてきているんじゃないかとか、様々な妄想がサークライン嬢を襲う。
屋敷につくまでの間、サークライン嬢は一言も話さなかった。
屋敷につくと、辺りはすっかり暗くなって夜になっていた。
「それでは、良いお返事をお待ちしております」
そう残して、不動産屋は帰っていった。
「ナイト、今日、一緒に寝ましょう?」
「ええ!? 何言ってるんですか!」
「だって、怖いんだもの!」
「だったらレスターさんと一緒の方がいいですよ。でなかったら、メアリーさんとか」
「レスターなんかと一緒に寝られるわけないでしょう! メアリーだって、か弱い女子が二人で寝たって、意味ないじゃない!」
「わ、わかりました。今夜はお嬢様のお部屋で、幽霊がこないように見張ってますから」
「なにそれ」
「一緒に寝るなんてダメですよ!」
「そんなのやぁだぁ」
「ダメです」
そんな言い合いを延々と繰り返して、結局、ナイトは彼女のベッドのすぐ近くで、椅子に座って夜を明かすことになった。
結局、幽霊が屋敷に出るなんてことはなく、次の日の朝を迎えた。
幽霊屋敷の見物に行ってから、二日後のこと。
サークライン嬢が学校から屋敷に戻ると、エントランスホールで、過日の不動産屋に会った。
「あら、不動産屋さん。今日はどのような?」
「今日は、あの、幽霊アパートメントの権利書をお持ちしましたよ。今しがた、レスターさんにお渡ししたところです」
彼はにこにこと機嫌よく答える。
だが、それは、サークライン嬢にとって、寝耳に水のことだった。
「……なんですって??」
「いえ、レスターさんが、アークライトグループの労働者に安くお貸しするとかで、買い取っていただいたんですよ。おききではなかったですか?」
「きいてない……」
「あ、はは、いやいや、これで、アークライト家も幽霊物件を所有していることになりましたなぁ。では、私はこれで……」
不動産屋は契約が破棄になるのを恐れて、そそくさとアークライト家を去った。
「レスター!!」
サークライン嬢は、執事室のドアを勢い良く開け放つと彼の名を叫んだ。
「お嬢様がこのような場所に来てはいけません」
「ここは私の家です! 私がどの部屋に入ろうと自由でしょうが!」
「ですが、ノックのひとつもしていただけませんと」
「もう、屁理屈はどうでもいいのよ。例の幽霊アパート、買っちゃったって、ホントなの!?」
「ええ。お嬢様も欲しがっていたではありませんか。ほら、ちゃんと、権利者はお嬢さまのお名前になっているでしょう」
「契約者はレスターじゃない!」
「もちろん、お嬢様のお名前にしてもかまいませんよ」
「ちょっとー、勝手になにやってんのよ。あなたは反対してたじゃない!」
「いいえ。私は幽霊はくだらないとはいいましたが、アパートメントを購入することについては反対した覚えなどありません」
「~~~っ あんな恐ろしいアパートに誰が住むっていうのよ!」
「幽霊屋敷が欲しいと、言っていたではありませんか」
「そんなの、過去の話しじゃない! 呪われたりしたら、どうすんのよ!」
「幽霊なんていませんよ」
「いたわよ!」
「ご自分の影と見間違えたのでしょう」
「違うもん。そんなんじゃないもん!」
「大丈夫ですよ」
「何が!」
「悪霊なら教会に頼んで、退治してもらえばいいんですから」
「……」
それもそうだ。とサークライン嬢は納得する。
「そ、そうね……」
そうして、アークライト家も幽霊屋敷を所有することになった。
幸いにして、アパートメントに棲む幽霊は悪霊ではなかったらしく、アークライト家が没した後も、幽霊アパートメントは住む人間が絶えない人気の賃貸物件として、いつまでもそこにある。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
モデルはイギリスの産業革命時代ですが、イギリス人は幽霊というのは先祖であり恐れるものではないという考え方をもっているようです。物語の登場人物とは違うようです。
つっこみどころもあるかもしれませんが、ご容赦下さいませ。