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マンションから飛び出した私は、電車を乗り継いで自宅の最寄り駅に降り立った。
ゆっくりと夜道を歩き出す。
さすがの私も、さっきのあの衝撃は精神的にくるものがあったらしい。
「……男に、男、盗られた?」
何この語呂合わせ。韻踏んでるわけじゃないけど、しっくりくるのが頭にくるですけど。
仕事の打ち合わせがあるからって来る時間を指定された背景に、よもやまさかこんなサプライズが控えてるとはね。
「つーか」
ありえないし……
いや、男同士をどうこう言うつもりもないんだけどさ。
流石に目の前でしかも自分の彼氏が相手で初めて見た状況は、私の思考を真っ白にする破壊力があった。
溜息をついて、顔を上げる。
嫌な事があった時こそ上を向かなきゃダメだって……、そんな事を言っていたのは蓮だったっけ。
まさかこうなる事を見越して、とか?
「さすがに、それはないって」
ははっと、乾いた笑いを上げてもう一度夜空を見上げた。
綺麗な月が、かかってて。
綺麗な星が、いくつか見えて。
くっそ、なんで私がこんな目に……
まずい。綺麗なもの見てもやさぐれるって、ちょっと本気でまずいわ。
さっさと家に帰って、お風呂入って、マッサージチェアに座ろう。
夏のボーナスで買ったマッサージチェアは、結構お高い買い物だったけれど家族に重宝されている。
特に、お父さんに。
……家族。
連と別れたって言ったら、なんていわれるんだろ。
「……別にっ」
いいわよ、どうせ。
蓮なんて、腐りきった縁が続いちゃっただけなんだし?
今は見たくもない隣家を視界におさめながら、自宅のドアをいつも通り開けた。
「……は?」
思わず声が出たのは、絶対仕方のない事だと思う。
きっと、皆でもそうすると思うよ?
「何これ」
玄関開けたら、足の踏み場もないとか、なにこれ。
どんだけ靴出してるの? え、ていうかこれって全部うちの家族の?
両親と兄しかいないはずの自宅には、十足近い靴。
しかも兄が履かない、あぁ言い間違えた、履けない買えない高そうな革靴込みで。
「何が、起きてるの?」
些か呆然と呟いた言葉に、玄関脇にあるリビングからひょこりと見慣れた顔が出てきた。
「あれ? お前、何帰ってきてんの!?」
それは、驚いたように叫ぶうちの馬鹿兄貴。
その物言いに頭にきて、八つ当たり気味に三和土から兄を睨みあげる。
「司、ここは私の家でもあるわけだけど。帰っちゃいけないわけ?」
「えっ、いやその……」
基本小心者、よく言えばおっとり型の長男の司は、私の視線に押されるように一歩後ろに下がった。
その態度にもイラついて、パンプスを蹴る様に脱いで上がる。
「どいてよ、喉乾いてるんだから」
チョコの一気食い後のワイン一気飲みは、さすがに体によくない。
甘ったるい口の中をリセットしたくて、水飲みたいんだから。
そう脳内でぶつぶつ文句を巡らせながら司を押しのけてリビングに入ると、無数の視線が私に向けられた。
一瞬驚いて動きを止めてしまった私は、本日三回目の見た事のない光景に思わず口を開く。
「何事?」
隣家の……詳しく言えば、さっき別れた彼氏だったはずの蓮の家族が、丸ごといるんですけど。
何これ。
こんな夜に……ただ今九時過ぎ……、いったい何の理由で?
しかもダイニングテーブルに目を移せば、宴会? って聞きたくなるくらいおいしそうな食事が所狭しと置いてあるんですけど。
え、私が蓮と別れたお祝い?
もしくは、蓮が新しい世界の扉を開けたお祝い?
……わけないか。私より先にさっきの事実を知ってたら、神様もびっくり。私もびっくり。
呆然としていたのは私だけじゃなくて、同じように呆けた様に私を見ていた面々の一人、私の母親が弾かれた様に立ち上がった。
「え、何? あんたなんで帰ってきてるの!?」
ぴきり
自分で、額に、青筋が浮かんだのが分かったよ! 人生初だね!
って、ふざけても駄目だわ。
何この、イラつき何連発ってさ。
「私、帰ってきちゃいけないわけ? ここ、私の自宅じゃないの?」
「えっと、あの。あれ?」
困惑するように傍にいる蓮の母親に、目くばせするうちの母。
つーか、ややこしいよ! 母親×二、父親×二、うちの兄貴と蓮の兄貴と双子の弟!
えーっと全部で、ひのふの……八人か!
「葉月ちゃん。その、蓮の所にいくんじゃ……」
「チッ」
やば、舌打ち出た。
「ひぃっ」
なに蓮のおかーさん、その悲鳴。
ひぃっ、とか、現実で叫ぶ人いんの? あ、いたか、目の前に。
「あ、えっと。ちょっと落ち着こうよ、かーさん。その、葉月さん? 今日って、蓮のマンションに行ったんじゃなかった? 俺たち、そう聞いていたんだけど」
一番冷静なのが蓮の双子の弟その一(名前は隼)っていうところが情けない二家族に思わずため息を零しながら、肩にかけていた鞄を手に持ち直した。
「そうね。その通りだけれど、それが何? あなたたちがここに集まってる関係あるの?」
冷たく言い放てば、さすがの隼もこくりと唾を飲んだらしい。
静かすぎたからか、その音でさえ耳につく。
「関係あるというか、あの……」
かすれた声を出したのは、双子の弟その二(名前は空)。
隼程冷静じゃないけれど、皆より一拍遅れで動き出すさまはとても可愛い。
可愛いいけど、今は優しくできない幼馴染のおねーちゃんを許してね。
それでも可愛い可愛い空の声に少し落ち着いてきて、ふぅ、と小さく息を吐き出した。
「……とりあえず、荷物おいてくる。よくわかんないけど、宴会の続きをどうぞ」
ばばっ、と音が出そうなくらいの勢いでダイニングテーブルに向かう皆の視線を呆れた感じで見遣りながら、私は司を押しのけて階段へと向かった。
蓮の事で頭に来ていたからって、蓮の家族や自分の家族に当たるのはやっぱり間違ってるよね。
トントンと階段を上りながら、さすがに自分の態度に反省する余裕が生まれてきた。
即断即決即行動という自分の性格を気にいってはいるけれど、一歩立ち止まって状況を判断する余裕を持った方がいいっていつも上司に言われてるのに。
きっと私が蓮の家に行くって言ってたから、帰ってきた私に疑問を持っただけで。
まるでここは私の家じゃないと言われているような気になるのは、多分、蓮の事で思考がマイナスにしか働いていないからよね。うん。
二階に上がると、私は奥の自分の部屋のドアノブに手を掛けた。
南東の角部屋は、暖かくてとても気に入ってる。
まぁ蓮と別れた事、理解はしたけど納得なんてしてるわけないから暫くこの部屋で恨み言でも吐き出そうかしら。
じゃないと、また皆に八つ当たりしてしまいそうだわ。
そこまで考えて心を少し穏やかにすると、大きく息を吐き出してからそのノブを……
「あっ、あぁぁぁぁっ!!」
……?
階下でうちの母親の叫び声が上がったのは、とりあえず置いておこう。
きっと、何かあったんでしょ。
で。
……ノブを押し下げて、そして中へと開いた。