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息をのむ、音。
それは、私か。ここにいる誰かか。
返事を待つように私を見つめる蓮をじっと見返して、ゆっくりと頭を縦に振った。
「ホント……っ」
嬉しそうに笑う蓮の声を、思いっきり遮る。
「えぇ、本当。でも、二年くらい後でもいいんじゃない?」
「……は?」
ぴきりと固まった蓮。
私はゆっくりと立ち上がった。
「まぁ、今回の事、半分は謝る。私の勘違いだったのもあるし」
「え、だったら……」
呆然と片膝ついたまま見上げてくるその顔は、とっても可愛いけれど。
中身が真っ黒なのは、とうに理解してるからね。
ぽかん、と開いている口に何か詰め物でもしましょうか?
「でもさ。付き合い始めも流された感が半端ないのに、結婚まで流されたくないもの」
確かに今回の事に関しては、蓮が悪いところはほんの少しだったかもしれない。
むしろ被害者的な雰囲気だけど。
でもね?
だけどね?
結婚に関して言わせてもらえば……
「あんた、絶対外堀埋めてたでしょ」
この状況を考えれば。
びくりとするのは、近くに控える二家族の面々。
「私がその気になっていないのに、また流されたくない」
本当はさっき蓮に会うまでその気ではいたけれど、そこは華麗にスルー。
なんかもう、言われるままになってる気がしてきたし!
だれがこのまま頷いてやるか!
そして蓮を一瞥すると、私は部屋に上がるべく足を踏み出した。
とりあえず部屋を片付けない事には、今日の夜に寝る場所がない。
「……分かった、葉月」
リビングのドアまで辿り着いた時、後ろからぼそりと声が掛けられて足を止めた。
「え?」
座り込んでいた蓮が、ふらりと立ち上がる。
「二年っていうのは、とりあえず目安って事だろ?」
……あれ?
さっきまでの情けない表情が、なんか一変してるんだけど……?
「結婚が嫌でも、俺の事が嫌でもないって事はさ」
ゆっくりと向かってくる蓮の真っ黒い雰囲気に、思わず一歩後ずさった。
いろいろあって勢いで今日は突っ走っていたけれど、もとは口も達者じゃなければ強くもない。
憤りというガソリンが無くなれば、即エンスト起こしそうな今の私。
そしていつの間に復活したのか、蓮はいつも通り以上の威圧感をまとっていた。
傍まで来た蓮が、少し屈んで私の目を見据える。
「葉月が、その気になればいいんだろ?」
「へ?」
ぐいっと腕を取られて、廊下に押し出される。
蓮はニヤリと笑うと、顔をいまだ固まっている面々へと向けて爽やかに言い放った。
「お騒がせしました。誤解も解けましたので、俺達は当初の予定通り今日から一緒に暮らします」
……
「はぁ?! 当初の予定? 一緒に暮らすって初耳なんだけど!?」
いきなり何言いだしてるわけ!? っていうか、
「外堀埋めてた事、おおっぴらに開き直るんじゃない!」
何が、当初の予定通りだ!
けれど復活した蓮は、人の話を聞いちゃいない。
「という事で、どうぞ楽しく食事してください」
何が、楽しくお食事だ!
「ちょっ、止めてよ! みんなして呆けてないで!」
慌ててリビングを覗き込めば、なぜかほっとしている皆。
「え、なんで皆してほっとしてるの? ここは“娘をなんだと思ってる!”とかいうところじゃないの!?」
皆の態度に驚いて叫べば、だってねぇと司が苦笑した。
「結婚するのが嫌なわけじゃないんだろ? ただの誤解だったみたいだしさ。まぁ妹と蓮が同棲っていうとなんか悶えそうだけど」
「って言いながら、何気に私を追い出してない?」
「蓮くん以上にあんたを御せる人間なんていないんだから、ありがたく貰ってもらいなさい」
「はぁ?」
母親の言葉か、それ! いくら蓮がお気に入りだからってさ!
と、突っ込みつつ、男前を自負する私を宥めてフォローしてくれるのは確かに蓮だけどさ!
……自分で理解できちゃうところが、結構つらい所だな。
「段ボールが無駄にならなくてよかった」とか、こっそり話してるのちゃんと聞こえてんだけど!? 母親×二!!
「とにかくもう遅いし、一度戻りなさい」
お父さん、私が戻るところはここじゃなくて蓮のマンション限定なのですか??
「ではそういう事で。葉月、行こう」
車借りるよ、と蓮が陸に言うが早いか、再び掴まれる私の腕。
そしてリビングから出ようとした蓮が、思い出したように桜子さんへと目を向けた。
「言い忘れてた。桜子、後で覚えてろよ?」
言われた途端、桜子さんはぺろりと舌を出して可愛い……いやごめん、ぶりっ子状態でむかつく感じの甘い声を上げた。
「やだぁ、古藤センセてば気づいてたのぉ~? いや~ん、わ・す・れ・て?」
気づく?
意味が分からず蓮を見れば、冷たく目を眇めていた。
「ふざけるな。行くぞ、葉月」
「え? うわっ、ちょっと! 私、まだ了承してな……っ」
……後ろで聞こえる桜子さんの舌打ちの音と、蓮の真っ黒オーラに何もいう事も出来ず、引きずられるまま陸の車に放り込まれた。