人対人
「お前、その体はどうしたんだ?」
樹流徒はメイジに詰め寄る。数歩で立ち止まったが、足を動かしているあいだ、彼は自分が立会人であることを完全に失念していた。
異形の生物と化したメイジは、親友である樹流徒の問いにも応じない。無言で腰を上げると前屈みになる。そして黒衣の裾に付いた草かすを雑な手つきで払い、上体を起こした。背中から突き出た蔓は六本とも垂れ下がり地面で尾を引く。
途端、樹流徒と令司が揃って怪訝な顔をした。メイジの体内で、無数の繊維が蠢動していたからである。蛹の糸をイメージさせる謎の物質が、傷付いたメイジの肉を復元し、皮を繋いでゆく。
「ヤツには再生能力があるのか……」
令司は表情に緊張感を保ったまま、独り言を唱える。
「まあいい。どうにかなる」と続けた。
メイジは肩に滴る血を人差し指でなぞる。再生中とはいえ、傷口はまだ深い。にもかかわらず、苦痛に堪えるどころか痛みを感じる素振りすら見せないのが異様だった。
「貴様、人間ではないのか?」
令司は、鞘に収めかけていた刀を構え直す。
「知らね。自分が何者かなんて興味は大分前に失った。それより早く本番を始めようぜ」
「化物め」
苦々しい口調で吐き捨て、令司は握り締めた刀で横一文字を描く。左右に広がった三日月状の光が、敵の胴体を寸断すべく高速で直進した。恐らく今度は殺す気で放った一撃だった。
するとメイジは背中の蔓を二本動かして大地に着ける。それを思い切り伸ばした。蔓を両足の代わりにして立ち上がったのである。それにより彼の体は地上数メートルの高さまで浮上した。更に、残った四本の蔓を自らの体に巻きつけて防御に回す。一見して厳重な守りだ。
寸秒遅れて、光の刃が、蔓の両足をまとめて引き裂いた。それにより宙に浮いていたメイジは靴の裏から着地する。切り落とされた蔓は地上に横たわり、瞬く間に枯れ果てて塵となった。一方、メイジ本体と繋がったままの蔓は凄まじい勢いで再生してゆく。
令司は顔色こそ変えないが、今回の攻防で相手に対する警戒心を一段と強めたに違いなかった。脇を締め、刀の柄を握り直す仕草を見せる。
間を置かず、メイジが反撃に出た。二本の蔓を令司に向かって伸ばす。それらは宙を蛇行して標的に絡み付こうと迫った。
令司は落ち着いて刀を振り、蔓を一本切り落とす。鋭く返した刃でもう片方も切断した。
切断されたニ本の蔓は先程と同様に高速で再生しながら、メイジの元へ引き返す。
入れ替わって、残り四本の蔓が一斉に動き出した。内ニ本は宙を滑り、あとの二本は雑草の中を潜行する。先を競うように標的を目指した。
その光景を見た樹流徒はクラゲの姿をした悪魔・フォルネウスとの戦いを思い出した。メイジが操る蔓の動きは、フォルネウスの触手と良く似ている。
令司は光の刃を飛ばして迫り来る蔓を迎撃する。閃光は空中を走る1本を切り裂いた。
残った三本が令司の体を捉えようとした時、彼の姿はその場から消えていた。
守勢に回るかと思われた令司だが、早い段階で反転攻勢に出た。彼は地面スレスレを高速で滑り、つま先で雑草の頭を掻き分けながら、一気にメイジの懐へ飛び込む。
完璧なタイミングだった。樹流徒が我知らず「上手い」と声を発してしまう程、神がかった動きだった。
令司は接近の勢いそのまま、武器の先端をメイジの腹に突き立てる。
樹流徒の心臓が嫌な跳ね方をした。親友が串刺しになった光景を想像して片手が震えた。
ところが戦場に妙な音が響く。金属同士がぶつかり合ったような、硬い音色だ。少なくとも刃が人の皮膚を突き破った音ではない。
令司がうっと声を漏らす。メイジの体には、新たな傷がひとつも付いていなった。それだけではない。彼の全身はいつの間にか漆黒に染まり、紫色の斑模様が広がっている。背中に生えた蔓は全て枯れ落ちていた。
メイジの体が再び変質したのである。最初の蜘蛛の如き外貌と比べれば人間に近い姿をしているが、今度の体も異形である事に変わり無い。仁万はメイジのことを悪魔だと証言していたが、そう勘違いするのも無理はなかった。
令司は、一驚を喫して寸刻呆然とした様子だった。
その間隙を縫ってメイジが拳を放つ。腰の辺りに置かれた左手を振り上げた。
令司は素早く反応して刀身を寝かせる。刃の腹でメイジの拳を受け止めた。ガチンと再び金属同士のぶつかる音がする。メイジの手は鉄の硬さを持っているのだろうか。いや、手だけではなく全身が恐ろしく硬いのかも知れない。先の攻防では令司の刀をまともに受けた腹はまったくの無傷だった。
次の刹那、メイジが繰り出した前蹴りが令司の鳩尾に入る。やや細身の青年の体が、演技に見えるほど大きく折れ曲がった。
令司は苦悶の表情を浮かべながらも後方へ飛び、刀を振る。離脱と攻撃を同時に行った。三日月状の光がメイジの体を肩口から斜めに向かって切り裂く。
だが、実際に裂けているのはメイジが身に纏っている黒衣だけだった。その下にあるメイジ自身の体には引っ掻き傷すら残らない。令司が戦闘開始直後に放った一撃を受けたときの裂傷のみが、絶えず血を流し続けていた。今のメイジにはあらゆる攻撃が通用しないのだろうか。一体、どれだけの耐久力が備わっているのか、予測がつかない。
令司は高速移動を使って、一旦相手から距離を取る。恐らく賢明な判断だった。連続して攻撃を跳ね返された彼だが、追い詰められている雰囲気は無い。
「何だよ。逃げ回る気か? 格ゲーじゃ待ちは嫌われるぜ?」
メイジが嘲笑する。
令司を挑発して攻撃を誘っているのだろう。樹流徒には分かった。
それは令司も十分承知しているようだ。彼はメイジの策に乗らない。十分な間合いを保ったまま注意深く敵の挙動を観察してるようだった。激情家の側面を持つ令司だが、戦いに身を投じている最中は一貫して冷静なのかもしれない。
令司が挑発に引っかからないと、メイジは口角の片側を持ち上げた。
樹流徒がまさかと思った時には、彼の予想通り、メイジの体が三度目の変化を起こし始める。
皮膚が黒から青へと変色した。犬歯が伸び、手の爪が尖る。更に四肢や頭部から赤茶色の体毛が生えた。人間と獣を足したような風貌である。変身の開始から終了までの所要時間は1秒あるかないか。相手が攻撃を加えている暇など存在しなかった。
令司は足を止めて正眼の構えを取る。敵の出方を窺うつもりなのだろう。
睨み合いは数秒と続かなかった。獣じみた姿に変貌したメイジが地面を蹴って飛び出す。野性的な外見に相応しい驚異的な速さだった。令司の高速移動と同等か、それにも勝るスピードかもしれない。
脚の速さだけでなく跳躍力も凄まじかった。令司が刀を振って迎撃の閃光を放つと、メイジはその上を軽々飛び越えたのである。
今のメイジは外見・身体能力共に、あのフラウロスと良く似ている。
樹流徒は、スタジアム内部で戦った豹頭の悪魔を連想した。
光の刃を飛び越えたメイジは、着地した足でそのまま大地を蹴る。気付けばもう接近戦に突入していた。
迎え撃つ令司は、離脱を試みようとはしない。食いしばった歯に応戦の決意を覗かせる。彼は刀を脇の前で構えると、敵の額を狙って突いた。
なるほど。相手の急所を貫けば再生能力を無視して致命傷を与えられるかも知れない。実際に令司がそのような事を考えたかどうかは不明だが、理には適っていた。
対するメイジは、令司の攻撃に合わせて身を屈めながら体を回転させる。その勢いを利用して足払いを見舞った。プロレスでは俗に水面蹴りと呼ばれる技でカウンターを取る。
水面蹴りを受けた令司は体勢を大きく崩した。肘から地面に落ちる。アクション映画の一幕を髣髴とさせる綺麗な転倒だった。彼はすぐさま刀を振り払い、敵の追撃を妨げる。
それが功を奏したか。メイジは追い討ちを狙わずに後方へ一歩下がった。
彼は余裕の笑みで相手を見下ろす。令司の神経を逆撫でしようという魂胆が隠れているのかも知れないし、好敵手を前に喜んでいるようにも見える。親友の樹流徒にも判断しかねた。メイジは以前から笑っている時が最も何を考えているか分からなかった。
令司は屈辱に表情を歪める。歯を噛み締めながら立ち上がった。
すぐさま駆け出すと、相手を攻撃範囲内に収めた瞬間、武器を斜めに振り下ろす。見るからに力任せといった感じの、荒荒しい一閃を繰り出した。
メイジは回避行動を起こさない。獣の爪で刃を受け止めた。キンと耳を打つ高音が空に吸い込まれる。
令司は柄を握る両手にぐっと腕力を込め、体重も加える。メイジも腕の力で押し返そうとする。両者の衝突は、鍔迫り合いに発展した。
この時、令司の手が両方とも塞がっているのに対して、メイジは片手が空いている。彼がそれを使わない理由はどこにも無かった。
メイジはそっと腕を引いて爪を立てる。真っ直ぐ突き出せば相手の腹を抉る事が出来るだろう。
だが驚く事に、令司はこの緊迫した戦いの最中、次の展開を冷静に予測していたらしい。彼は二の足を踏む事も無く、易々と刀を手放す。次の瞬間メイジが繰り出した攻撃を腕の外側で捌いて軌道を逸らした。同時にもう片手の掌をメイジの顔に添える。
はっ! と気合の込もった短い発声と共に、令司の掌から緑色が光が放たれた。それは強烈な風圧を伴って2人の周囲に群生する雑草を揺らし、吹き飛ばした。
爆発的な衝撃を至近距離で受けたメイジの頬が歪に凹む。歯がニ、三本飛び散り、首は捻じ切れそうな角度で屈折した。最後に体が吹き飛ぶ。草の上を滑り、転がった。
令司自身も攻撃の反動で体のバランスを失ったが、瞬時に立て直し、素早い身のこなしで地面に落ちた刀を拾い上げる。拾うというよりは地面から奪い取るような手付きだった。
彼は、悪魔と戦っている時と同じ形相になる。立ち上がろうとしているメイジに駆け寄り、刃を振り下ろした。