パズルの欠片
二人の会話は続く。樹流徒が詩織に伝えるべきことは全て出尽くした。しかしその反対……詩織から樹流徒への報告は未消化のままである。情報を得ていたのは、なにも樹流徒だけとは限らない。詩織もまた悪魔倶楽部の客相手に聞き込みを行うことで、何かの手がかりを掴んでいたらしい。
「ところで、相馬君がいない間にお客さんから気になる話をニつほど耳にしたの。今すぐ聞く?」
彼女はそのように話を持ちかけた。
次の話題を探していた樹流徒ははっとして、相槌を打つ。
「勿論、教えて欲しい」
詩織は黙諾すると、上着のポケットから徐に携帯電話を取り出す。恐らくその中に情報が入力されているのだろう。
携帯は白い薄型の機種で、ピンク色に輝くビーズと猫型キャラクターのストラップをそれぞれ一本ずつ垂れ提げていた。
「案外可愛い趣味をしている」などと言ったら失礼になるだろうか?
樹流徒がそんな風に考えているあいだ、少女の指先は素早くキーを押す。
それにしても、まだ携帯電話に電力が残っているということは、以前、樹流徒が家電量販店で入手した手動式充電器は、ちゃんと機能しているらしい。
詩織は指の動きを止める。仄かな闇の中、白光を放つディスプレイに顔の上半分を照らされながら、客から得たというニつの情報を説明し始めた。
「まず一つ目の情報は、アナタも言っていた鬼の件よ。現世から帰ってきたばかりのお客さんから聞いた話なのだけれど、その悪魔は市内で鬼らしき生物に襲撃されたみたい」
「鬼が悪魔を襲撃? じゃあ、鬼は悪魔と敵対する勢力なのか?」
「断言はできない。けれど、魔界の生物ではない事だけは確かね。マスターや他のお客さんも鬼の存在については分からないと言っていたもの」
「そうなのか……」
結局のところ鬼の正体は不明。むしろ謎が深まった。
「もう一つの情報は、魔界に関する話よ」
「聞かせてくれ」
「まず、魔界というのは九つの階層に分かれているみたい」
「階層?」
「ええ。一階層から順に“辺獄・愛欲地獄・大食地獄・貪欲地獄・憤怒地獄・異端地獄・暴力地獄・魔壕・反逆地獄”と、九つの空間が連なっているらしいわ。余談だけれど、今私たちがいる場所、つまり悪魔倶楽部が建っている場所は四階層の貪欲地獄よ」
「そういえば、以前バルバトスが、“自分は貪欲地獄から来た”と言ってた気がする」
多少自信無さげに樹流徒は答える。なにぶん現世でバルバトスと出会ったときの話である。かなり曖昧な記憶だった。
「本題はここからなのだけれど……。最近、六階層よりも下のどこかで、大きな振動が起きたみたい」
「振動?」
「ええ。それも数日の間を置いて二回も。震源は不明よ」
「地震なのか?」
「いいえ。魔界には地震という現象が存在しないらしいの。だから、そういった事が起こるのは極めて異例みたい。相当大きな揺れだったから混乱した悪魔も多かったそうよ」
「二回と言えば、悪魔が現世で儀式を行った回数と一致しているな」
「ええ。私もさっき同じことを考えたわ」
「単なる偶然なのか、それとも……」
樹流徒は真剣な面持ちになる。膝の上で開かれていた掌は、我知らず軽い握り拳を作った。
「私が得られた情報はこれでお終い」
「そうか。ありがとう」
樹流徒は軽く点頭した。
魔都生誕の真相を1枚のパズルに例えると、重要な欠片がようやく集まり、繋がり始めているようだ。彼にはその実感があった。
とは言え、鬼の件をはじめ、まだどこに繋がるか分からない欠片も多い。全く別のパズルから紛れ込んだ欠片が混ざっている恐れもある。また、バラバラだった欠片が一つ一つ丁寧に繋がってゆくとは限らない。真相に辿り着いた瞬間、一気に組みあがるパズルということも有り得る。
全ての欠片が揃い一枚の絵が完成するのは、果たしていつのことになるだろうか。
明日? 一週間後? それとも年を跨ぐことになるかも知れない。今の樹流徒には凡その見当すらつかなかった。
「ところで、相馬君はこれからまたすぐに現世へ戻るの?」
「いや。もう少しここにいる」
「そう」
詩織は小さく頷く。
「だけど、先ずはバルバトスに礼を言っておきたい。悪いけどほんの数分、この席で待ってて貰ってもいいか?」
「ええ。私の事は気にしないで」
「済まない」
樹流徒は詩織に断りを入れて、店長の元へ向かう。
客席の間を縫って店の奥へ。食事中の悪魔から殺気を向けられるのにも、もう慣れてしまった。
カウンターの前に到着すると、先程弦楽器を弾いていた一角獣の悪魔が引き続きちびりちびりと酒を煽っていた。顔の構造上、グラスの中身を飲むのが若干大変そうだ。
「レビヤタンを退けたようだな」
バルバトスは開口一番そう言って、笑みを浮かべる。
「ああ。お前がベヒモス召喚の案を与えてくれたお陰だ」
「前もって断っておくが、礼は不要だぞ」
「なぜ?」
「オレは現世に赴いている悪魔を救済しようとしたに過ぎん。言ってしまえばキルトを利用しただけだ」
「それは分かってる。でも礼を言うのは僕の勝手だ」
バルバトスは鼻孔から長く静かな息を漏らす。
「ニンゲンというのはいつの時代も単純なようで、未だ良く分からん不思議な生き物だ。そうは思わんか?」
と、足元のグリマルキンに尋ねた。
食後間もない灰猫は、真っ赤な瞳で巨人を見上げ、バオーと野太い鳴き声を返す。口の周りには細かな食べ滓が付着していた。
「ところで話は変わるが、人間の死体を大量に利用した儀式について何か知らないか?」
樹流徒はバルバトスに礼を言いに来たついで、悪魔がスタジアム内で行っていた儀式に関して心当たりを尋ねる。
「知らん。儀式の数は無数にあるからな」
「そうか……。残念だ」
「付け加えると、儀式の種類は日々増え続けている。魔界と現世が繋がった今、ニンゲンを含め現世に存在するモノを生贄に捧げる類の儀式は、特に研究の対象となっているはずだ」
人類にとっては不穏な話だった。樹流徒は微かに表情を険しくする。
「もっとも、仮にオレが儀式に関して心当たりがあったとしても、それをオマエに教えてやるつもりは無い。何故だか分かるか?」
「多分……僕が天使の犬と協力関係を結んだから?」
「そうだ。今後、基本的にオレの助力は得られないと思え」
「ああ。仕方ないな」
バルバトスは魔界の住人だ。彼の立場からすれば、これは当然の対応と言えるだろう。
樹流徒は自分でも意外なほどすんなりと納得することができた。むしろ、組織から正式な協力者として認められたにもかかわらず、悪魔倶楽部への出入りを許してくれるバルバトスの、懐の深さに気付いた。
「ところでキルトは今自由に動ける時間らしいな。どうだ、酒でも飲まないか?」
「いや。今回も気持ちだけ受け取っておく」
「そうか。まあ……せいぜいゆっくりしてゆくがいい。シオリも今は休憩中だ。一緒に現世へ戻るのも良かろう」
「ああ」
樹流徒は首肯して、踵を返した。
客席で待つ詩織の元へ戻ることにする。
とろこが、振り返った瞬間に樹流徒は意外な光景を目の当たりにした。
詩織が椅子から立ち上がっている。その隣には異形の生物が佇んでいた。
背中に四枚の白い翼を生やし、獅子の頭を持つ悪魔だ。
樹流徒が知っている悪魔だった。確か、人間嫌いを自称していたパズズである。
そのパズズが、何故か人間である詩織の傍でジッと佇んでいた。