封鎖
「さて。これで君の知りたがってた黒い光の正体に関しては説明終了したんだけど……他に何か質問があったらしてもいいよ」
ベンチの男が、緊張感に欠けた表情の割に張りのある声を発する。
それで樹流徒は我に返った。現実感が薄れる話を立て続けに聞かされて危うく放心しかけたが、男に声を掛けられて現実に引き戻された。
「いいんですか?」
樹流徒は相手の言葉が本当かどうか確認する。男のほうから「質問しても良い」などと申し出てくれたことが少し意外だったため、つい、そのように尋ねた。
「もちろん。余り長話はできないけどね」
男は口の端を軽く持ち上げた。
樹流徒は遠慮なく相手の厚意に甘えることにした。今すぐ思いつくだけでも、男に対して聞きたいことは幾つかある。例えば男の素性など、非常に気になった。
「アナタは誰なんですか? 仮に今までアナタから聞いた話が全て事実だとして、それを知っているアナタは一体何者なんです?」
真っ先にそれを尋ねると
「あ。やっぱ気になっちゃう? でもゴメン。ソレ秘密なんだ」
「なぜ秘密なんですか?」
「うん。それも秘密」
男は答えたあと、はははと誤魔化すように笑った。ようにではなく、実際に誤魔化しているのだろう。彼はどうしても自分の素性を明かすつもりは無いらしい。
こうなると余計に相手の正体が怪しくなるが、無理矢理答えを聞き出すわけにもいかない。樹流徒は早々に質問を変えることにした。
「それじゃあ悪魔は何のために現世と魔界を繋いだんですか?」
「うん。イイ質問だ。実は俺もそれを調べてるんだよ」
「え。なぜ?」
「ゴメン。それもナイショ」
「はぁ……」
まともな回答が得られず、樹流徒は軽い肩透かしを食ったような気分になる。
彼は少し顎を上げ、視線を遠くの空へと移した。そこにはまだ紫色の厚い霧がかかり向こう側の景色を覆い隠している。
水色の空と紫色の霧。大地に横たわる人や生き物たち。改めて見ると、男の突飛な話が根拠も無く信憑性を帯びてしまうほど異様な光景だった。
樹流徒は不意に気になった。霧の向こう側は今頃どうなっているのだろうか。
「被害は一体どこまで広がったんでしょうね?」
と、男に尋ねてみる。
「どうだろうね。魔方陣が広がった範囲までだけだと思うけど、実際どうなってるか確かめようが無いからね」
「なぜ確かめようが無いんです? 被害が及んでいない場所まで移動すれば分かるんじゃないですか?」
「いやそれがさ。この市内、封鎖されちゃってるみたいなんだよね」
男は頭の後ろを掻きながら「参ったね」と笑う。
だが、樹流徒にとっては全然笑い事ではなかった。むしろ寝耳に水である。
「封鎖? 一体誰がそんなことを? 国……自衛隊ですか?」
「いやいや。誰って言うより……ホラ、遠くに紫色の霧が見えるだろう?」
「ええ」
「あの霧に隠れちゃってここからだと分からないんだけどさ。もの凄~くデカい壁がこの龍城寺市をぐるっと囲っちゃってるみたいなんだよ」
「デカい壁って……何なんですかそれ?」
「“結界”っていうんだけどね。生物や被造物はあの壁を通り抜ることができないのさ」
「そんな馬鹿な」
「うん。そう言いたい気持ちはよーく良く分かるよ。でも事実は事実だからねえ」
「じゃあ、その結界という壁も悪魔の仕業だと言うんですか?」
「うん。間違いないんじゃない? ホント困っちゃったね。ハハハ」
「何がそんなに面白いんです?」
樹流徒はついにカチンと来て相手を睨む。頭にきたのは男の態度が不謹慎なせいもあるが、樹流徒自身、焦りで精神的な余裕を失っているせいでもあった。
「悪い、悪い。君を少しリラックスさせてあげようと思ってさ」
男は少しだけ真面目な顔を作って謝り
「さて。良く考えたら俺が君に教えてあげられそうなコトもう無さそうだからさ。そろそろ行くね」
そう言ってベンチから立ち上がる。
「あ……。そうですか」
すっかり毒気を抜かれてしまった樹流徒は、自分の目線よりもやや高くなった男の顔を見て
「ありがとうございました」
彼に向かって小さく頭を下げた。
「いいって、いいって」
男は手をぶらぶらと左右に振って応える。それから片手でネクタイの位置を直すと「じゃあね」と明るい声を発して歩き出した。
が、男はたった数歩進んだところで、ふと何かを思い出したように立ち止まる。
「そうそう。さっきの質問だけど、一部だけ答えるよ」
言いながら樹流徒の方に向き直った。
「なんです?」
「俺が何者かって話。俺の名前は南方万。それだけ。あとは秘密」
「僕は相馬樹流徒です」
「ふうん、キルト君か。覚えとくよ。縁があったらまた会えるかもね。案外仕事の最中に出くわしちゃったりして」
「え。仕事って?」
「おっと、口が滑った。こりゃマズい。そんじゃ今度こそさよなら」
南方と名乗る男は踵を返し、足早に去ってゆく。
彼の後を追うべきか、樹流徒は一瞬迷ったが、止めておいた。今度こそ早く家族の安否を確かめたい気持ちもあって、男の背中を黙って見送った。