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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
聖なる組織編
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死闘



 睨み合いの時間すら惜しんで、樹流徒は自ら攻撃に打って出る。

 彼が前方へ駆け出した刹那、フラウロスの長い腕が機敏な動きで鞭のようにしなった。五本の指先から伸びる爪が斜めに振り下ろされる。

 それに反応した樹流徒は、次の一歩を踏み出そうとしていた足を引っ込めた。かなり離れた位置から繰り出された相手の攻撃が、自分の元まで届くとは到底思えない。後ろに退()かずとも、立ち止まるだけで十分に回避できるように見えた。


 その目測は大分誤っていた。不気味な風切り音を間近で聞くや否や、樹流徒は耳の縁にチクリと弱い痛みを覚える。それが敵の爪に引っ掻かかれた痛みだと気付くまでに少しかかった。

 完全にかわしたと思った攻撃を食らって、樹流徒の心臓が今更のように跳ねた。フラウロスの腕は見た目よりもずっと伸びてくる。攻撃の間合いに慣れるまで些か時間を要するだろう。加えてフラウロスの動きは速く、容易には近づけない。


 ならば、と樹流徒は空気弾を放った。敵への接近が容易でないのなら、飛び道具を使用するまでである。この能力は射程距離が短いためピッチ上まで届かない。故に、市民の遺体を誤射する心配が無かった。射程距離の短さは大概の戦闘では欠点となるが、今回は思わぬ形で役に立った。


 高速で飛び出した空気の弾丸が標的の腹部に吸い込まれる。フラウロスは完全に意表を突かれたようだ。間違いなく回避の始動が遅れていた。

 ウオッと短い声を漏らしたあと、フラウロスは静かに俯く。被弾した箇所を凝視して、掌でそっと押さえた。指の隙間から血が漏れ出し、腹を覆う白い毛はみるみる青に染まってゆく。


 ――ウオオオン

 豹というよりは犬か狼のような遠吠えが、空に向かってぶちまけられた。己の血を見て興奮したのか、それとも攻撃を受けて怒りを爆発させたのか。フラウロスが絶叫した。


 敵の荒荒しい雄叫びに樹流徒は戦慄する。ただ、ここで怯めば相手の勢いに飲まれてしまう。そうなったら勝利はおぼつかない。己の恐怖心もろとも敵の体を貫くつもりで、樹流徒は次の空気弾を放った。


 対するフラウロスは、負傷をものともしない身軽な動きで前方へ飛躍し、空気弾の上を越える。更には宙で体を捻って風車の如く回転し、地上の樹流徒に向かってバックハンドブローを放った。このとき両者の距離はゆうに二メートル以上あった。にもかかわらず、爪の先端はまたも樹流徒に届く。彼の前髪が数本宙に散った。


 着地したフラウロスは攻め手を休めない。すぐに上段蹴りを放った。その一撃はもはや近接攻撃とは呼べない。腕よりも長いリーチが、両者の間合いを楽に飛び越えて樹流徒の顔面を襲う。


 樹流徒は膝を折り畳んで腰を落とし、敵の蹴りを空振りさせた。さらに身を屈めたまま顔を上げ、フラウロスの胸元を狙って火炎弾を放つ。たとえ射程距離が長い飛び道具であっても、上に向かって撃てば地面の市民に着弾する恐れは無い。


 ところがフラウロスは驚異的な反応速度で後方へ跳躍しつつ片腕を振り払う。近距離から襲い来る炎の塊を爪で弾いた。摩擦で小さな火花が飛び散る。

 跳ね返された火炎弾は山形(やまなり)の大きな放物線を描いてスタンドの中に飛び込んだ。方角が違っていれば市民に着弾していたかも知れない。

 樹流徒は認識を改めた。やはり長距離攻撃は迂闊に使用できない。


 火炎弾を発射した樹流徒はまだ腰を落としたままの姿勢で固まっている。それをフラウロスは見逃さなかった。外見に相応しい神速で一瞬にして互いの間合いを消すと、樹流徒の顔面めがけて飛び膝蹴りを放つ。

 敵の爪ばかりを注視していた樹流徒にとって、その攻撃はちょっとした不意打ちになった。彼は反射的に片手を顔の前に出して身を護る。


 フラウロスの強烈な膝が、樹流徒の顔面をガードごと打ち抜いた。

 岩のように硬い感触と強烈な衝撃が、腕と頬に伝わる。その力に抗えず、樹流徒は背中から地に倒れた。少し遅れて腕に軽い痺れが走り、口内に鉄の味が広がる。


 フラウロスは下卑た笑い声を発した。仰向けに倒れた樹流徒の腹を見つめながら、腕を引いて力を溜める。それを振り下ろし、さっさとこの戦いに決着をつけるつもりだろうか。

 即刻、樹流徒は両足を振り上げた。その勢いだけで地面から飛び跳ねて空中で一回転する。仰向けで寝た状態からのバック宙という離れ業で、何とか窮地を脱した。


 次の瞬間打ち下ろされたフラウロスの爪が、空を切り、勢い余って競争路を突き刺す。表層のウレタン舗装材と中のコンクリートを易々と貫通した。

 その光景を目の当たりにして、樹流徒の背筋が凍りつく。もし今の攻撃を受けていたのが自分だったらどうなっていたか、嫌でも想像せざるを得なかった。生きた心地がしなかった。


 レーンに突き刺さった爪を引き抜くと、フラロウスは間髪入れず樹流徒に飛びかかった。反撃の隙を与えまいとしているのだろう。嵐の如き波状攻撃を仕掛ける。

 このまま守勢に回ったら負ける。直感的にそう判断した樹流徒は、カウンターを受ける危険性を頭の片隅に()ぎらせながらも、果敢に逆襲の空気弾を放った。

 その一発は標的に当たりこそしなかったが、代わりに敵の突進を防ぐ。フラウロスは攻撃を中断して、横っ飛びで弾丸を回避した。


 敵の猛攻を寸断した樹徒徒は一息つく。精神的に仕切り直しの状態に持ち込むことが出来た。


 フラウロスはまたしても陽気で狂気じみた笑い声を張り上げてから

「なんだよ。多少は殺し甲斐のあるニンゲンもいるじゃねェか」

 と、嬉しそうに言った。明らかに殺し合いを楽しんでいる。


 戦いはすぐ再開された。フラウロスは小さくジャンプして、一弾指(いちだんし)の内に両者の間合いを詰める。樹流徒を射程距離に収めると、左右の腕を交互に振り回し始めた。今までよりも一段と速くて激しい攻めを展開する。

 ただ、その攻撃はどこか勢い任せで、フラウロスの動き自体はかなり単調で雑になっていた。冷静に見極めれば、ほぼ同じ軌道の攻撃を繰り返していることが分かる。


 フラウロスの勢いに押されてずるずると後退しながらも、樹流徒は密かに反攻の機会を窺った。

 この場面……樹流徒が後ろに跳躍して敵との間合いを広げつつ飛び道具で牽制、という選択をするのは容易いことだった。しかし、それでは折角カウンターを取れるかも知れないこの好機をみすみす逃してしまうことになる。樹流徒は敢えて敵の攻撃範囲に留まったまま、反撃の一撃を狙っているのだった。


 選択肢は限られている。間断なく攻撃を受けている今、飛び道具の発射の挙動を取る暇すらない。フラウロスの動きは単調でも恐ろしく速く、隙が無かった。樹流徒は攻撃をかわすだけでほとんど精一杯である。狙うのは近接攻撃のカウンターだが、タイミングを誤れば最悪の結末が待っているだろう。


 フラロウスが前進を続ける。樹流徒は、あと数歩下がればスタンドのフェンスを背負うという位置まで後退させられた。

 反撃に出たのは、まさにその時。内心で「今だ」と叫び、樹流徒は両手を伸ばした。フラウロスが振り回す腕の軌道を正確に予測して、攻撃をしっかりと受け止める。


 次の刹那、フラウロスの足裏が地から離れた。

 大きな豹が勢い良く宙を回転する。樹流徒の、力任せの一本背負いが決まった。フラウロスは受身も取らずに背中から地面に叩き付けられ、唾液と共にグアッと小さな叫び声を吐き出す。


 勝利を決定付けるまたとない好機だ。そう樹流徒は判断した。眼下で倒れているフラウロスの顔はどこか呆然としており、隙だらけに見える。トドメの一撃を加えるならば今しかないと思える状況だった。先程とは全く逆の立場である。

 敵の首めがけ、樹流徒は爪を落とした。


 その先に待っていたのは、樹流徒にとって全く予想外の展開だった。

 カウンターを食らったのである。フラウロスは仰向けになったまま体をつの字に折り曲げ、足の爪で樹流徒の顔面を捉えていていた。逆に、樹流徒の攻撃は敵に届くことなく止まる。


 少量の鮮血が滴り、地表で弾けた。

 樹流徒が受けた傷は恐らく深刻だった。フラウロスの爪は彼の左(まぶた)をざっくりと切り開いていた。もしかすると網膜に到達したかも知れない。いずれにせよ、樹流徒はもう目を開けていられなかった。


 思わぬ形で片目の視力を失った樹流徒は、たじろぐ。我知らず両手の指先で傷口を塞いだ。

 対照的にフラウロスはいよいよ元気になって跳ね起きる。そして口の両端を緩やかに持ち上げた。それは己が優位に立ったことや、勝利を確信したことによる笑みなどではない。多分、獲物の狼狽ぶりを楽しんでいる顔だった。


 間もなく樹流徒の傷口は派手な出血を起こす。視界は狭まり、距離感が掴みづらくなった。ただでさえ敵のリーチに慣れていないというのに、その上大きなハンデを背負ってしまった。


 この好機を見送る者などいるはずもない。フラロウスが弾かれたように飛び出した。 樹流徒は苦し紛れに空気弾を放ったが、心身の状態が射撃精度に反映される。攻撃が狙いよりも右下へと逸れ、敵ではなく地面に命中した。

 もっとも、仮に樹流徒が正確に攻撃をしたとしても狙いは外れていただろう。フラウロスは、相手が次に取る行動も、そのタイミングも、全てを読み切っていたようである。空気弾が射出された時には前方へ跳躍していた。そして獲物を射程距離に収めた瞬間、低空から長い腕をいっぱいに伸ばして右フックを放っていた。


 フラウロスの腕が大きな弧を描く。その一打は、左目の見えない樹流徒の死角から飛び出してきた。避けられない。鋭利な爪が樹流徒の肩を引き裂く。

 着地したフラウロスは流れるような動きで即座にローキックへと繋げた。今度は足の爪が樹流徒の脛を削る。


 このとき、片目を失い弱気になりかけていた樹流徒に勃然と闘志が湧いた。このまま守りに入ったら殺される。それを理解した樹流徒の防衛本能が、敵への抵抗を命じたのである。猫と対峙する窮鼠(きゅうそ)の心境だった。


 樹流徒は咄嗟の思いつきで、フラウロスの顔面めがけ毒霧を吹く。ラミアが使う毒液の、応用技である。

 緑色の液体が飛沫(しぶき)となって宙を漂った。それは次の一撃を見舞おうと腕を振り上げていたフラウロスの顔下半分に引っ掛かる。


 フラウロスは微かに瞳孔を開いて全身の動きを止めたが、それも束の間、構わず爪を振り下ろした。

 それを待っていた樹流徒は、再び相手の動きに合わせてカウンターを仕掛ける。攻撃を受け止めると、今度は獣の懐に潜り込んで喉元に狙いを定めた。


 果たしてフラウロスはこの展開を完全に読んでいたのだろうか。樹流徒が爪を突き出そうと腕を引いた瞬間、アッパーカットを飛ばしていた。無慈悲な反撃が樹流徒の顎を跳ね上げる。


 気付けば、樹流徒は水色の空を仰いでいた。細かく揺れ動く視界の中、高々と掲げられた悪魔の腕が見える。

 一秒も経たぬ内に、頭上から爪が降ってきた。アッパーのダメージから回復しきっていない樹流徒は、必死で上体を逸らしながら後ろへ半歩下がるだけで精一杯である。それにより、顔面に突き立てられるはずだったフラウロスの爪を胸元で受けた。


 体に耐え難い激痛が走る。樹流徒は思わず目を瞑り、新たに開いた傷口を両手で押さえて前屈姿勢になった。

 ただ、このまま(うずく)ってしまえば次の攻撃をまともに食らう。樹流徒は歯を食いしばり、(まぶた)と顔を持ち上げながら空気弾を放った。


 が、その先に標的がいない。樹流徒の視界から敵の姿が忽然と消えていた。

 恐るべき瞬発力を持つフラウロスは、樹流徒が目を瞑っている最中に音も無く彼の背後に回り込んでいた。片目の視力を失った樹流徒の死角(左側)を通り過ぎたのである。それにより樹流徒の右目には、あたかも敵が一瞬にして姿を消してしまったかのように映った。


 無防備な背中を敵前に晒していることに、樹流徒は気付かない。

 逃げなくては。彼に分かるのはそれだけだった。立ち止まってはいけない。早くこの場から動かなければ、どこか(・・・)にいるフラウロスから攻撃を受ける。そう判断した樹流徒は、無人の前方へ駆け出した。

 

 わざわざその瞬間を待っていたに違いない。樹流徒のすぐ背後で待機していたフラウロスが、天を衝いたまま静止している豹の爪をたった今、振り下ろした。


 樹流徒の服は紙切れ同様に引き裂かれ、彼の背中には複数の真っ赤な線が浮き上がる。そこから同色の液体が滲み、流れ落ちた。




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