正式な協力関係
太乃上荘の一階にある大広間は、六、七十畳くらいの広さを持ち、現在は物が何ひとつ置かれていない。大人数の宴会などにはおあつらえ向きの、非常に悠々とした空間だった。樹流徒は初めて太乃上荘を訪れた時、この部屋を簡単に覗いている。
組織のメンバーである砂原、仁万と共に部屋を後にした樹流徒は、いま再び、その大広間へとやって来た。
前もって砂原から知らされていた通り、大広間の中にはすでに組織の面々が揃っていた。南方とベル、それに八坂兄妹の姿が見える。皆、言葉を交わすことも無く大人していた。
加えてあと一人……またもや樹流徒の知らない顔がある。
それは二十歳前後の若い男だった。髪を明るい茶色に染めており、金髪に近い。肌の色はどちらかといえば白く、背は百八十センチくらいあった。ライダースジャケットとデニムパンツなど、俗に言うロックスタイルのファッションに全身を包んでいる。全体的にやや派手目な外見をしており、メンバーたちの中ではひと際目を引く存在だった。
大広間の中で待機していたのは、彼ら5人。そこへ樹流徒・砂原・仁万が加わったので、計八名の男女が一堂に会した。
樹流徒たち三人が入室すると、部屋の中央で突っ立つ南方が真っ先に反応を示した。相変わらず締まりの無い表情で「おっ。キルト君、おはよう。いい夢見れたかい?」などと軽口を叩きながら、意識を取り戻した樹流徒に向かって手を振る。
そのあいだにも、砂原は体の大きさを感じさせない機敏な足取りで上座へと移動した。
樹流徒は南方に向かって会釈をしながら砂原の背中についてゆく。上座の真ん中で立ち止まり、砂原と横並びになって立った。そして他の者たちと顔を向かい合わせる。
一方、仁万は室内に入ってすぐの場所で足を止めていた。出入り口の襖を背にして立ち、人差し指を使って眼鏡のブリッジを軽く持ち上げる。ひとつひとつの所作が落ち着いていて、歳相応の佇まいをしていた。
樹流徒たち三人の立ち位置が決まると、砂原はすぐに話を切り出す。
「皆、姿勢はそのままでいい。聞いてくれ」
微かに騒がしくなりかけた室内が、水を打ったように静まり返った。皆の視線が一斉に砂原の顔へと向けられる。
「お前たちも既に承知の通り、我々に心強い協力者が出来た。彼がその協力者、相馬キルト君だ」
砂原の手が、隣に立つ樹流徒の肩に置かれた。
パチパチと、非常にささやかな音が室内に響く。南方と仁万の二人だけが拍手を送っていた。
少し遅れて、壁際に腰を下ろしている早雪も躊躇いがちに手を叩き始める。しかし、隣に立つ兄に睨まれるとすぐに止めてしまった。
端から消え入りそうだった拍手が完全に収まり、辺りが沈黙を取り戻すと、砂原は再び口を開く。
ここから彼の短い演説が始まった。
「我々の組織は通常、協力者を求めることはしない。むしろ部外者との接触を極力避けるよう努めている。その理由を改めてこの場で説明する必要は無いだろう。
しかし、それはあくまで通例である。我々は今、かつて人類が体験した事の無いであろう奇怪かつ危機的な状況の中にいる。魔都生誕の影響により一般市民は全滅。生き延びた我々も結界によってこの土地に閉じ込められた。市外への脱出方法については、現在に至ってもその糸口すら掴めていないという有様だ。
また、相馬君という協力者がレビヤタン侵攻を未然に防いでくれなければ、我々は今頃こうして全員で顔を合わせることすら叶わなかったかも知れない。
だからといって彼を完全に信用しろとは言わない。何せ相馬君は悪魔の力を使い、悪魔召喚を行っている。それが彼自身の意思ではなく、また必要に迫られての行為だったとしても、本来我々はそれらを容認してはならぬ立場にある。
敢えて名指しするが、南方は相馬君の悪魔召喚に力を貸した。それも本来ならば組織の規律に抵触する恐れがある、許し難い行為だ。
が……今はそのような小事に拘っている場合ではない。俺はそこを強調したい。
我々にとって大事なのは市外への脱出と、本部への現状報告。そして今回の事件を引き起こした元凶の討伐である。必ず事件の背後には強い力を持った悪魔の存在が潜んでいるはずだ。
故に、現在の危機を乗り切るまで、我々は小事に執着するのを止めるべきだ。少なくとも俺個人はそう考えている」
砂原の言葉には特に熱も力もこもっていなかった。実に淡々とした演説である。演説と言うよりは、連絡事項を伝えているかのようだった。
ただ、彼の眼には反論を許さぬ迫力が込められている。それを見て、樹流徒は今度こそ確信する。やはりこの砂原が組織の隊長だった。
砂原の演説が終わると、南方が再び拍手を送る。今度は彼以外誰も手を叩いていない。室内は先程からずっと、言葉には言い表せない微妙な雰囲気に包まれていた。
「お前たちの中には異論を唱えたい者もいるだろう。だが、これはもう決定した事だ。しかも俺の独断ではない。全員の多数決で決めたことだ。納得できないのは勝手だが、皆の足並みを乱すような言動は慎んで貰う」
隊長・砂原は演説の時よりも少し強めの口調でそう言って、メンバーたちを見回す。今度は一人一人の顔を順番にしっかり見る。
それに対して頷いたり黙諾する者もいれば、僅かに視線を逸らす者もいた。樹流徒を組織の協力者として迎え入れることに賛成した者と反対した者が大体分かりそうな光景だった。
「そういうことだ相馬君。我々に協力してくれるな?」
砂原は、樹流徒の方へ向き直って、右手を差し出した。
その大きな手を、樹流徒は黙って見つめる。
組織のメンバーたちの視線を一身に浴びならが、握手に応じた。
随分と遠回りになってしまったが、これでようやく、樹流徒とイブ・ジェセルの間に協力関係が結ばれたのである。
「今後ともよろしくね、キルト君」
協力関係を結ぶ発端となった南方が、満面の笑みを浮かべる。
その横顔を、令司がどこか怨めしげな目で一瞥した。
「さて。出来ることならば今から相馬君の歓迎会でも催したいところなのだが……。残念ながらそうそう悠長に構えてもいられない」
握手を終えてすぐ、砂原が真剣な面持ちになる。
つられるように、笑みを浮かべていた南方も少しだけ真面目な顔つきになった。
「何かあったんですか?」
樹流徒が問うと
「ああ。どうもある場所に悪魔が集まり始めているらしい」
砂原は腕を組みながら、その情報を口にした。
「悪魔が?」
「そうだ。一体どれだけの数が何の目的で集まるのかは不明だが、怪しいとは思わんか?」
「どこに集まろうとしているんです?」
「“ヌマハシ電機スタジアム”だ」
ヌマハシ電機スタジアムは、市内の北西部に建っている。約三万九千席のシートを保有する全天候型のスタジアムである。地元プロサッカークラブのホームグラウンドとして使用されているため、全国的にも名の知れた施設であった。
「悪魔がスタジアムに集結……。確かに怪しいですね」
「だろう?」
「でも、そんな情報を一体どこで入手したんです?」
樹流徒の素朴な疑問に、砂原は「うむ」と頷く。
「詳細は省くが……俺たちが市内を調査している最中に知った話だ」
「そうですか」
「ハッキリ言って余り信用できる情報ではない。むしろ疑わしい。我々をおびき寄せるための罠という恐れは十分に有り得るだろう」
「まだ実際にスタジアムの様子は見ていない、ということすよね?」
一応、樹流徒が確認すると……
答えたのは砂原ではなく、仁万だった。
「この情報を入手した時、僕たちは悪魔との戦いで疲労が溜まっていたからね。スタジアムの偵察だけでもしておくべきか、それとも一旦アジトに戻ってコンディションと装備を整えるべきか、どちらにしようか迷ったんだけど、結局は後者を選ぶ事にしたんだよ」
要するに、やはりスタジアムの様子はまだ確認していないのだ。
「では、これから情報の真偽を確かめに行くんですね」
「ああ。もし本当に悪魔がスタジアムに大挙しているようであれば、その場で可能な限りの数を叩く。無論、奴らが何かを企んでいるようであればその目論見ごと叩き潰す」
砂原は腕組みを解き、肩の高さまで持ち上げた拳をきつく握り締める。その意気込んだ様子を樹流徒が黙って見ていると、視線に気付いたのか、砂原は若干柔和な表情になって
「だが、相馬君は病み上がりだ。アジトに待機してもらおうと考えている」
と、言葉を継いだ。
「待機ですか?」
「ああ。いざという時は他のメンバーと協力してアジトを防衛して欲しい。どうだ?」
「……」
樹流徒は即答を避ける。ここは快く首を縦に振るべき場面かも知れないが、迷った。
多分、初めから心の中は決まっていたのだ。スタジアムへ行けば魔都生誕の真実に近づく手がかりが得られるかも知れない。少なくとも太乃上荘でジッとしていているよりは、その可能性が高いだろう。 できれば、真実を探したい――
「すみませんがお断りします」
樹流徒はキッパリと言い切った。
「アジトに残ると何か都合でも悪いのか? 例えば、他に行きたい場所があるとか……」
「はい。僕もスタジアムに行きたいんです」
「ほう」
それを聞いて、砂原は嬉しそうな顔を隠さない。
「賛成だ。そいつにはスタジアムに同行してもらって、なんなら悪魔との戦闘にも加わって貰おう」
ここで、令司が横から口を挟んだ。壁にもたれかかっていた背中をさっと離し、腰に提げた刀の鞘から硬質な音を発する。
意外な人物の意外な発言に、樹流徒は思わず彼の顔を見る。まさか令司が自分の意思に同意してくれるとは思っていなかった。
そう感じたのは樹流徒だけではなかったらしい。
「おい、一体どういう風の吹き回しだ?」
ベルが微苦笑して尋ねた。
令司は眉間に軽くしわを寄せる。
「下らん勘違いはするなよ。相馬をアジトに残しておくのが危険だと言っているんだ」
「ああ。やっぱね。そんなトコだろうと思ったよ」
南方が笑う。だが令司に鋭い眼光を向けられて黙った。
「相馬君が戦闘に参加してくれるというのであれば、こちらとしては助かるばかりだ。特に断る理由は無い」
砂原も賛成する。
「いいんじゃないか? 魔魂を吸収する能力ってヤツをこの目で直に見てみたいしな」
ロックスタイルの青年も同調した。口調といい表情といい少々ぶっきらぼうな態度だが、特に悪意はなさそうだった。
「では、そういうことでいいのかな?」
砂原が最終確認を取る。
「はい」
樹流徒は力強く頷いた。
「分かった。ではこれより編成を伝える」
砂原はそう言って、今一度メンバーたちの顔に視線を巡らせる。
それが済むと砂原は、この場にいる八人全員をスタジアムへ向かう“戦闘組”と、アジトに残る“待機組”の2組に分け、それを発表し始めた。
「戦闘組は渡会、仁万、八坂、そして相馬君の4人だ。残りの者たちは待機組とする」
「渡会さん?」
聞き覚えの無い名前に、樹流徒の口は自然と疑問を呟く。
「ああ。オレのことだよ。よろしくな」
ロックスタイルの青年が返事をした。
良く良く考えてみれば、この場にいる八人の中で樹流徒がまだ名前を知らない人物と言えば、もう彼しか残っていなかった。
この時点で、組織(龍城寺支部)のメンバー全員の顔と名前が判明した。
熊のような巨躯に風格を漂わせる、組織の隊長・砂原。
常にマイペースな雰囲気を崩さない、射撃の名手・南方。
判断力と洞察力に優れたハードパーマの女・ベル。
悪魔と良からぬ因縁を持つという八坂兄妹。その兄・令司と、妹・早雪。
眼鏡をかけた知的な顔立ちの男・仁万。
そして、やや派手な外見をした少しぶっきらぼうな青年・渡会。
改めて特徴を確認してみると、歳も雰囲気もかなりバラバラな七名だった。
「お前さ、下の名前キルトっつったよな? どういう字書くんだ?」
渡会から質問が飛ぶ。挨拶代わりのコミュニケーションといったところだろうか。
「樹木の樹、流れる、生徒の徒で、樹流徒です」
「ふうん。樹・流・徒ね」
「へえ。俺も今知ったよ」
南方が話に加わる。
「お前たち、無駄話をするな」
令司が釘を刺した。
「ちょっとくらいいいじゃねェか」
と、反論する渡会。
そんな彼らを無視するように、砂原はひとつ頷いて、全員に告げる。
「では、編成に異論が無いのであれば解散する。尚、戦闘組の指揮は仁万に一任する」
異を唱える者はいなかった。
これにて、樹流徒の紹介を兼ねたミーティングは終了した。待機組に決まった者たちは各々廊下へと出てゆく。
一方、樹流徒を含めた戦闘組は大広間に残り、自然と一ヶ所に固まった。
今回彼らの指揮を任された仁万が、他三名の顔を順番に眺める。そして眼鏡のブリッジをさっと持ち上げてから、口を開いた。
「では僕たちはこの後すぐにアジトを発とう。スタジアムまでの移動はバイク2台。僕と渡会が運転するよ」
「いや。俺は自分で運転できる」
八坂が真顔で反論すると
「馬鹿。お前、無免だろ」
すかさず渡会が合いの手を入れた。
「ところで相馬君。君はあくまで協力者だ。無理に僕の指示に従う義務は無いけれど……」
「ええ。でも、なるべく協力します」
「そう言って貰えると助かるよ」
樹流徒の答えに、仁万は微笑した。