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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
聖なる組織編
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光の架け橋



「マルコシアスのヤツ、一体何しに来たんだ?」

 ベルは訝しげな表情で、悪魔が飛び去った方角の空を見つめる。

「ベヒモスを魔界に送り返そうとしていたらしいよ。そのために召喚者のキルト君を狙ったのさ」

 彼女の疑問に南方が答えた。


 そのようなやり取りが行われているあいだにも、樹流徒は走っていた。未だ血が止まらない腹を押さえながら、堤防に近付いてゆく。たしかにマルコシアスのことも気になるが、2大悪魔の戦いがどうなっているのか、今はそちらの方が気がかりだった。


 堤防の塀にもたれかかるような格好で、樹流徒は海岸を熟視する。

 陸と海の怪物は、両者とも若干動きが鈍くなっているように見えた。


 レビヤタンが背筋を反って頭を持ち上げる。前歯でベヒモスの鼻に噛み付くと、強靭な顎で相手の皮膚を貫いた。歯と歯の隙間から滝のように血が流れ出る。

 ベヒモスはお構いなしに、前脚を使ってレビヤタンの横っ面を殴打した。さらにレビヤタンが堪らず牙を抜いたことろへ鼻を振り下ろす。岩をも軽々と砕くであろう強烈な一撃が、相手の頭頂部を捉えた。


 レビヤタンは身悶えしてから、上下の(あご)を裂けんばかりに開いた。真っ暗で大きな口内を見せる。さながら壮大な洞窟の入り口みたいだった。

 レビヤタンは洞窟の奥から怒声を張り上げたかと思いきや、続いて何かを吐き出す。


 それは目が(くら)みそうなほど真っ赤な炎だった。恐ろしくでかい火柱が瞬時に海面を走り、ベヒモスの下半身を飲み込んだのである。最早、火柱というよりは炎の波だった。

 海が燃えている。その光景に樹流徒は圧倒された。


 詩織の未来予知では、樹流徒はレビヤタンに立ち向かった結果、死亡することになっていた。

 よくもあんな化物に戦いを挑もうとしたものだ、と樹流徒は身震いしそうになった。今となっては、本来自分が取るはずだった行為を、単なる無謀もしくはそれ以下としか思えなかった。生身の人間がレビヤタンに挑むなど、蟻が巨象に喧嘩を売るようなものである。

 そんな無謀以下の行為に実際及ぶこともあり得るから、樹流徒は余計に恐ろしかった。仮にベヒモスが敗れるようなことがあれば、自力でレビヤタンを止めなければいけないのだ。いくらすでにレビヤタンが弱っているとはいえ、楽観はできない。巨像が力尽きて倒れただけで、その真下にいる蟻は踏み潰されて死んでしまう。


 レビヤタンが吐き出した炎の波に虚を突かれたのか、ベヒモスは喫驚したように体を左右に揺らした。そして断末魔かと思わせる叫び声で苦痛を訴える。

 海面は炎によって急速に熱せられ泡立っている。極めて小規模ながら水蒸気爆発が発生し、白い蒸気が立ち込めていた。


「ソドムとゴモラの町を焼いたメギドの火もあんな風だったのかね?」

 南方が誰にともなく言う。茶化すような口調でもなければ、真剣な声でもない。ニュートラルな語り口だった。

 ただ、その隣に立つ樹流徒の耳には誰の声も届いていない。彼の真剣な眼差しは怪物たちの戦いに釘付けとなっていた。ベヒモスの勝利を祈る。


 その祈りが通じたのか、ベヒモスはまだ生きていた。緋色の波間に体を晒し、(たけ)りを轟かせながらも大地にしっかりと踏み止まっていた。それどころか一見何事もなかったかのように反転攻勢に出る。


 ベヒモスは両前脚を同時に持ち上げ、寸秒、人間のようにニ本足で立ち上がった。続いて、天高く掲げた足を相手の頭部に叩き落とす。レビヤタンの顎が勢い良く地面に押し付けられ、反動で小さく跳ねた。

 同じ動作が二回、三回と繰り返される。その度にレビヤタンの頭部も上下運動を繰り返した。海面と水蒸気も一緒になって踊る。

 樹流徒の目には、ベヒモスが怒っているように見えた。

 

 ベヒモスは両足を振り上げ続ける。鬼気迫る猛攻だった。このまま相手の息の根を止めてしまおうと気勢が窺える。炎を吐き出した直後とは一転、レビヤタンが劣勢だった。


 このまま一気に勝負が決まってしまえば……というのが樹流徒の願望だったし、南方とベルの願いでもあっただろう。

 ただ|生憎《》なことに、レビヤタンはこのまま黙ってやられるような悪魔ではなかった。次にベヒモスの足が上がった瞬間、レビヤタンは鋭敏な動きを見せる。急激に体を捻って攻撃を回避した。

 ベヒモスの足が空気を押し潰し、海面を吹き飛ばす。その時にはもうレビヤタンは急発進していた。海の怪物は海岸に背を向けて沖へと移動してゆく。


「レビヤタンが逃げた?」

 結界がある以上、誰にも逃げ道は無いはずだ。樹流徒が疑問を呟くと

「いや。違う」

 南方が即座に否定した。


 レビヤタンは、岸からかなり離れた場所でゆるやかに旋回する。ベヒモスの方に向き直ると、突然恐るべき速度で動き出した。

 島のような巨体が海面を切り裂いて、あっという間に浅瀬へ。レビヤタンはベヒモスめがけて頭から突っ込んだ。


 痛烈な一撃が巨獣の胴体に突き刺さる。衝突の瞬間、一層激しい水しぶきが飛散した。それは小雨となって辺りに降り注ぐ。

 レビヤタンの突進を真正面から受け止めたベヒモスは、何とか持ちこたえた…………かに思われたが、四本の足をグラグラと揺らし、力なく横転した。もしかすると先程の炎が効いていたのかも知れない。

 レビヤタンはすかさずベヒモスの胴体に歯を突き立てた。


 ベヒモスが暴れる。四肢を必死に動かして、前脚の(かかと)と後脚の爪を敵の顔にぶつける。されどもレビヤタンの牙は捕らえた獲物を離さない。

 互いの傷口から溢れる黒と緑色の液体が混ざり合って、海面で妖しく揺れた。両者とも既に一体どれだけの血を失っているか分からない。それだけで小さな湖を満たしてしまいそうな量だった。


 ベヒモスが雄叫びと共に立ち上がる。全身は痙攣(けいれん)を起こしてしていた。見るからに残り体力は少なさそうだ。もしかすると、今、最後の力を振り絞っているのかも知れない。

 陸の巨獣は、執拗にしがみつくレビヤタンの顔面を後ろ足で蹴り、続けて背中を踏みつけた。どちらが先に音を上げるか、我慢比べである。


 先に引いたのはレビヤタンだった。ようやくベヒモスの腹から口を離す。

 しかし、すぐさま反転して距離を取った。ベヒモスに背を向け、沖へ移動を始める。

 どうやら先程と同じ突進攻撃を仕掛けるつもりらしい。


 海の怪物は再び遠く離れた沖で旋回する。十分な助走距離を確保すると、ベヒモスめがけて驀進(ばくしん)した。凄まじい勢いだった。一回目の突撃に勝る迫力がある。

 その勢いに触発されたかのように、ベヒモスも動きを見せた。レビヤタンが接近した瞬間に海底を蹴った。敵めがけて全身を投げ出す。捨て身の体当たりを敢行した。


 怪物同士が激突する。この世のものとは思えぬ爆音が打ち鳴らされた。

 樹流徒は無意識の内に、両の拳を堅く握り締める。全身は粟立っていた。


 大気、陸、水。全てが鳴動する中……両雄は共に声を発することもなく、体を硬直させた。


 間もなくベヒモスの膝が折れ、腹の底が海中に()かる。陸の巨獣は微動だにしなかった。見れば、すでにレビヤタンも動いていない。

 樹流徒は固唾を飲み、無言で戦況を見つめる。一体どちらが先に動き出すのか。目が離せなかった。南方とベルも完全に口を閉ざしている。


 ぽつぽつと……

 ぽつぽつと赤黒い光が漂う。

 二大悪魔の体が徐々に崩壊を始めた。


 引き分けである。壮絶な死闘の果てに待っていたのは、相討ち劇だった。ニ体の怪物は、まさに互角中の互角だった。

 樹流徒の口から、眼前に広がる海の如く深い吐息が漏れる。途端に緊張の糸が途切れた。

 レビヤタンによる現世蹂躙は未然に阻止されたのである。樹流徒の胸に実感は湧いてこなかった。その理由は頭で考えても分からない。とにかく感慨とは遠く離れた心境だった。


「悪魔どもが同士討ちで相討ちか。私らにすればこの上ない、最高の結末だな」

 天使の命令で動く組織――イブ・ジェセルのメンバーであるベルは、どこか乾いた声で言う。


 やがて大量の光が海上の一部を埋め尽くした。ニ体の怪物は、体の大きさと力もさることながら魔魂の量も桁違いだった。

 赤黒い光の粒は、空から降り注ぐ光と重なって、輪郭を紫色に染める。まるで巨大な宝石箱をひっくり返したみたいに、海上で燦然(さんぜん)と輝いた。


 不覚にも樹流徒その光景に魅入られた。ニ体の悪魔が繰り広げた戦いも、自身が負った傷の痛みも、束の間、全てを忘れた。それほど美しい光景だった。


 大量の魔魂はただただ(・・・・)宙を漂い続ける。いつもならば光の粒は樹流徒の元へ引き寄せられるはずなのだが、今回はその現象が起こらない。


 その理由が樹流徒には分かっていた。なにしろ、とても単純な理由だったから。

 恐らく“距離”である。樹流徒が魔魂を吸い寄せることができる範囲(距離)には限りがあるのだ。そうでなければ、市内で発生した魔魂は全て樹流徒の元に集まってしまう。


 換言すれば、樹流徒が魔魂を吸収するためには、彼がある程度魔魂に近付かなければならないということである。

 すでにそれを察した樹流徒は、マルコシアスから受けた傷を癒すため、重い足取りで階段を下り、海岸へ近付いてゆく。

 どうやら、魔魂は本来自然消滅するものらしい。宙に漂う赤黒い光は、わずかずつではあるが海面に溶け込むように消滅していた。


 普通に歩けばものの(・・・)数十秒で済む距離を、樹流徒はたどたどしい足取りで、時間をかけて移動する。少し強めの海風が四、五回吹き抜けた頃、ようやく砂浜の真ん中辺りにたどり着いた。


 すると、それまで大人しく宙を漂っていた魔魂が一斉に動き出す。磁石に引き寄せられた砂鉄の如く、樹流徒の身体を目指した。

 禍々しくも神秘的な輝きを放つ無数の光が、樹流徒と海とを繋ぐ架け橋を宙に描く。


「や。これは綺麗だ」

 南方はリラックスした声を発しながら、のんびりとした歩調で階段を下りる。力の抜けた両肩はダラリと垂れ下がり、手はズボンのポケットに押し込まれていた。


 魔魂を吸収した樹流徒の体は、戦闘で負った傷をたちどころに治す。その上、体内にかつてない力が(みなぎ)った。内側に収まりきらないエネルギーが、奔流となって行き場を失い、今にも爆発してしまうのではないかという恐怖すら覚えたほどである。


 その異常な力が、引き起こしたのだろうか?

 突然、樹流徒の視界が真っ白になる。徐々にではなく、瞬時に周囲が白一色に染まった。

 何が起きているのか、考える暇も無い。わけも分からぬ内、樹流徒は、自分の意識が急速に遠のいてゆくのを感じた。


 樹流徒はその場に両膝を着き、受身も取れず前のめりで砂浜に倒れる。


「おい! 相馬。どうした?」

 二人が慌てた様子で彼に駆け寄る。


 南方は、樹流徒を肩に担ぐと、彼の足を引きずりながら海岸から遠ざかる。樹流徒の体を魔魂から引き離した。それにより、未だ大量に残されている光の粒は道標(みちしるべ)を失い、再びあてもなく宙を漂い始めた。そのうち海や砂の中へと沈んでゆく。


 樹流徒は浜辺の隅まで運ばれて、仰向けで寝かされた。

「胸が上下してるから息はあるみたいだな……。おい! 目ェ覚ませ」

 ベルが声をかけるが、樹流徒の意識は回復しない。


 次にベルは地面に片膝を着いた。二本の指を揃えて、樹流徒の手首に押し当てる。

「脈は少し速いが、特に異常はない」

 淡々とした口調で、南方に状況を伝えた。

「ベルちゃんの能力で治せないの? バフォメットにやられた俺の肩みたいにさ」

「無理だな。コイツ、怪我や病気が原因で倒れたってワケじゃなさそうだし」

「確かに……。俺が思うに、キルト君は魔魂を吸収し過ぎたせいで倒れたんじゃないかな。根拠は無いけどね」

「ああ。私も今、同じことを言おうと思ってた」

 ベルは同調して、腰を上げる。


「魔魂の過吸収(かきゅうしゅう)とでも言えばいいのかな。アルコールの飲みすぎで酔い潰れるのと似たような症状なのかも知れないね」

「なるほど。アンタにしては言い得て妙だな」

 二人は黙って樹流徒を見下ろす。

 数秒、妙な間が空いた。


「なあ南方。コイツ、どうする?」

 沈黙を破り、ベルが問う。

「え。どうするって?」

「相馬を生かしておくべきかどうかって話だ。意識を失ってる今なら簡単に始末できそうだが……」

「それ、本気で言ってるのかい?」

 南方は少し厳しい目つきでベルの顔を見た。

 それに動じる素振りもなく、ベルはふんと鼻を鳴らし

「勿論冗談だ」

 と答えて、微笑した。




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