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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
聖なる組織編
71/359

ベヒモス召喚儀式



 防波堤の役割を担う樹木が道路沿いに立ち並び、東西に延びる林を形成している。その林の一部分を切り崩して駐車場が造られていた。大きな砂利を敷き詰めただけの四角いスペースは、それほど広くない割に目を引く。


 道路の反対側には低い堤防が設置されていた。隙間から十段前後の階段が(くだ)り、白い砂浜へと続いている。

 浜辺には穏やかな波が寄せては返していた。奇異な空色を映した海を遠望すると、沖には濃い霧がかかり、水平線を包み隠している。南側の結界は陸地を離れて海の沖を通過しているらしい。そのため海岸は結界から結構離れており、薄い霧は漂っているがそれほど視界は悪く無かった。


 いま、その海岸に樹流徒の姿があった。右手に木の枝、左手に馬頭悪魔オロバスから受け取った紙を握り締め、目の前の砂浜を見つめる表情は真剣そのものだった。

 視線の先には、木の枝を使って砂に線を引いて描いたベヒモス召喚の魔法陣が広がっている。それに描き間違いが無いかどうか、樹流徒は最後の確認を行っている真っ最中だった。

 

 まだレビヤタンが現れた様子は無い。レビヤタンは海から現れるとしか分かっておらず、必ずしもこの浜辺に現れると決まったわけではないが、樹流徒はこの場所で待っていれば大丈夫だと信じていた。

 詩織の話によれば、レビヤタンは(わに)のような頭と鯨に似た胴体を持っているらしい。市内南西の海には霧下岬(きりしたみさき)と呼ばれる高い断崖がそびえ立っているため、いくらレビヤタンが巨大とはいえ鯨のような体では乗り越えるのにかなり手間取るはずだ。上陸するならば南から南東の海岸ではないか、と樹流徒は踏んでいた。

 そこで樹流徒は魔法陣を描く場所を、南と南東の中間――南南東の海岸に決めた。そこならば、たとえレビヤタンがどこから現れても発見できるに違いない。


 レビヤタン上陸前にベヒモス召喚の準備が間に合いそうで、樹流徒はひとまず胸を撫で下ろしていた。

 温泉街から海岸まで移動してくる最中、現世を跋扈(ばっこ)する悪魔たちに何度も襲われたが、今回ばかりは逃げ隠れしている暇など無かった。樹流徒は一刻も早く目的地へ辿り着くため、不本意な戦闘も辞さなかった。

 その甲斐あって、樹流徒はレビヤタンに先んじて海岸に到着できた。


 ベヒモスを召喚するためには直径四十メートルの魔法陣が必要となる。言い換えれば、魔法陣を描くために大体四十メートル四方の土地を用意しなければいけなかった。

 その点、市内の浜辺は十分な広さを備えており、樹流徒が頭を抱える必要は全く無かった。実際、彼が描いた魔法陣はオロバスが指定した条件をクリアしていた。

 海が満潮になると陸地面積が(せば)まるという問題は残されているが、現在潮位は低い。しかも干潮に向かっている最中である。運が良かった。もっとも、満潮時でも海が穏やかであれば、砂浜の魔法陣まで波が届く心配は無さそうだった。


「よし」

 たったいま魔法陣の最終確認が終了して、樹流徒は小さな笑みをこぼした。オロバスが紙に描いたものを忠実に再現できている。会心の出来栄えだった。あとは魔法陣に生贄を配置して、儀式を行うばかりである。

 ベヒモス召喚が上手くゆくか、それはきっと誰にも分からない。ただ、樹流徒は失敗した場合のことを考えていなかった。敢えて想像しないようにしていた。


 樹流徒は足下に置かれたビニール袋に手を伸ばす。その中には南方が用意してくれた生贄が詰め込まれていた。それらを次々と取り出し、魔法陣の上に並べてゆく。

 気付けば、動物の生首も割と平気で持ち上げている自分がいた。並み居る強敵たちと血飛沫(しぶき)が舞う戦いを演じている内、グロテスクな刺激に対して多少免疫がついたのかも知れない。それでも完全に慣れることはないだろうが……


 樹流徒が黙々と作業を続けていると、やがて遠くからけたたましいエンジン音が響いてきた。

 見れば、海沿いの道路を二台のバイクがゆっくりと走行してくる。250ccと400ccのマシンが各一台ずつ、道路内で停止している車の間を器用に縫って前進していた。


 二台のバイクは堤防の傍で停車する。エンジン音が止んで、ライダーたちがヘルメットを脱いた。

 現れた顔は三十前後の男とハードパーマの女性……南方とベルだった。


 彼らは樹流徒の姿を見つけたらしく、バイクから降り、堤防を踏み越え、落ち着いた足取りで階段を下る。

 南方は笑顔で手を振り、樹流徒に向かって再会の挨拶をする。

「線を踏まないように気をつけて下さい」

 樹流徒がやんわりとした口調で注意を促すと、言ったそばから南方が魔法陣の外縁を踏んだ。男は笑顔で「ああ、ゴメン」と謝る。

 樹流徒は砂に埋もれた線の補修をしてから、少し離れた場所で二人と向かい合った。


「やあ。キミがベヒモスを召喚する前に到着できて良かったよ」

 最初に口を開いたのは南方だった。

 樹流徒は「ええ」と相槌を打ち、堤防の向こうに止まっているニ台のマシンのちらと見上げる。

「バイクで来たんですね」

「うん。市民の遺体が急に減ったたからね。こういう言い方をするのは何だけど、お陰で徒歩以外の移動手段が使えるようになったよ」

「ええ……」

 南方の言う通り、市内からは人々の死体がすっかり消えてしまっていた。樹流徒が市内を縦断している間に死体を見かけたのもたったの二度だった。どちらも人目につかない場所でひっそりと横たわっていた。


 悪魔にとって、人間の死体は幾らでも使い道があるらしい。それは南方だけでなく悪魔自身も言っていたことだから、間違いないだろう。

 それと併せて現世を訪れる悪魔の数が激増している事を考えれば、市民の遺体が粗方消えてしまったとしても然程不思議な話ではない。

 ただそうなると、魔都生誕から間もない内に起きた例の死体失踪現象は、やはり不可解な出来事だった。まだそれほど悪魔の数が多くない内に、死体が一度に大量に消えてしまったのだから。


「たしかに市民はどこかに消えてしまった。だが、歩道には市民の手荷物が散在したままだ。バイクが使えるようになったとはいえ、思い切り飛ばせるわけじゃない」

 と、ベル。

「そうそう。全力疾走できるのは路面電車と地下鉄の線路くらいじゃないかな」

 南方が同調した。

「ところで、魔法陣を完成させたみたいだな。聞いても無駄かもしれないが、一体どうやって情報を入手した?」

 ベルの探るような瞳が、樹流徒の顔を正視する。

 樹流徒は答えず

「それよりアナタたちは何をしに来たんです?」

 と、質問に対して質問を返すことで茶を濁した。


「レビヤタンが本当に現れるかどうか確認しに来たんだよ。奴が現れない限り、アンタにベヒモスを召喚させるわけにはいかないからな」

「それはつまり……今すぐ悪魔召喚をしてはいけないということですか?」

「ご明察。悪いがそういうことだ」

「けれど、敵が現れてから儀式を始めても間に合わないかも知れません。もし呪文を読み間違えたら、儀式は最初からやり直しなんですよ?」

「そんなことは承知の上だ。でもコッチにはコッチの事情ってヤツがある」

「……」

 となれば、召喚儀式は一発勝負というわけか。

 樹流徒は内心で苦い声を漏らした。

 それでも愚痴をこぼしても仕方が無い。樹流徒は気持ちと話題を切り替える。

「ところで八坂兄妹は?」

 この場に姿が見えない令司と早雪について尋ねた。


「彼らはアジトにいるよ。体調が優れない早雪ちゃんを外へ連れ出すわけにはいかないからね」

「二人だけで大丈夫ですか? もしまたアジトが悪魔に襲われたら……」

「それなら心配要らないよ。既に隊長たちがアジトに戻ってるはずだからさ」

「本当ですか?」

「うん。実は俺たち、ここに来る途中、隊長たちと遭遇したんだ。キルト君の事を簡単に伝えておいたよ」

「今頃アジトでは、相馬と協力関係を結ぶべきか、皆で議論してるはずだ。裁量は隊長にあるとはいえ、八坂兄は猛反対してるだろうな」

 ベルはどこか面倒臭そうな顔をする。

「そうですか」

「あ、そういえばキルト君に聞きたいんだけどさ……」

 ここで、南方が思い出したように言う。

「キミ、魔法陣の問題を解決したのは良いとして、生贄はどうするつもりだい?」

「マモンのことですね?」

 すっかり失念していた。まだ南方たちにそのことを伝えていなかった。


「そう。ヤツは君が倒してしまったんだろう?」

「ええ。だからマモンの魔魂を吸収した僕ならば、生贄の代わりになるかも知れません」

 樹流徒の言葉を聞いたベルが顔をしかめる。

「自身を悪魔召喚の生贄にするってのか?」

 詩織と全く同じ質問だった。

「正確には僕の中のマモンだけを生贄に捧げられないかと思ってます」

「無茶苦茶だな。そんな召喚儀式の方法、聞いたことが無い」

「そりゃそうさ。そもそも魔魂を吸収するってこと自体が前代未聞だからね」

 女とは対照的に南方は安穏な表情をしている。良く言えば落ち着いているが、敢えて悪く言えばまるで他人事みたいな態度だった。良い人なのだろうけど、協力的なのか、非協力的なのか、相変わらず色々とつかみ所の無い人物だった。


 それから樹流徒たちは各々レビヤタンの襲来を待ち続けた。

 南方とベルは約三十分交代で周囲の警戒をしており、既に五、六回は役割を入れ替わっているので、かなりの時間が経っている。

 樹流徒は風で魔法陣が消えないように管理をしながら、粘り強く時が来るのを待っていた。レビヤタンは、詩織の未来予知から二十四時間以内に現れる。いい加減現れてもよさそうな良さそうなものだった。


「敵さんは本当に現れるのかね?」

 階段に腰掛けていた南方が、堪りかねたように言って欠伸を噛み殺した。

「現れなければそれに越したことは無いだろ」

 ベルが返答する。

 樹流徒も全く同感だった。


 干潮を過ぎたばかりの海から磯の香りを含んだ風が流れ込み、樹流徒の鼻頭をくすぐる。

 そこはかとなく、嵐の前の静けさを感じた。


 事態が急変したのは、それからほんの数分後だった。

 樹流徒は木の枝で魔法陣の線をなぞりながら、ふと、女性悪魔と共に現世へ向かった詩織のことを思い出し、彼女の身を案じていた。凶悪な悪魔に襲われたりしていないだろうか? もう悪魔倶楽部に戻っただろうか? 少し気になっていた。

 周囲の状況に異変が起こったのはその最中である。突然、樹流徒の全身が小さく揺れ始めた。


 振動を感知したのは樹流徒だけではない。

「ん。地震か?」

 南方が周囲を見回す。それほど大きな揺れではないので、特に慌てた様子は無かった。

 ただ、ベルの反応は違った。数分前から車のボンネットをベッド代わりにしていた彼女は、飛び起きながら叫ぶ。

「違う。この揺れ方は地震じゃない」

 時を移さず、三人の視線がある一点に集まる。いつの間にか海上沖の水面が異様に盛り上がっていた。それは瞬く間に膨らんでゆく。

 大きい。まるで海底から小さな山が飛び出たかのようだ。


「キルト君。どうやら儀式を始めてもいいみたいだ」

 南方が、真面目な声を発する。

 レビヤタンである。遂に破壊の悪魔が現世にやってきた。


 遠方の光景に目を奪われていた樹流徒は、南方の言葉にはっとした。

 儀式を始めければいけない。樹流徒は木の棒をどこか遠くへ放り投げると、魔法陣の中心へ駆ける。南方の手紙を広げ、そこに書かれた呪文を唱え始めた。




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