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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
聖なる組織編
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闇の中



 樹流徒は覚悟を決めなければいけなかった。フォルネウスの触手が再生可能と知ったいま、離れた場所で攻防を繰り返していても埒が明かない。短期決戦を望むならば、危険を承知で接近戦を挑む必要があった。


 それは口で言うほど簡単に実行できることではない。樹流徒の脳裏には、先程フォルネウスの触手がコンクリートを貫いた映像がこびりついて離れなかった。もしあれが人体の急所に当たったらどうなるか? 最悪の結末を、否応なしに想像せざるを得なかった。恐怖心がフォルネウスへ近付く事を躊躇(ためら)わせる。


 そうしている間にも次の触手が迫った。コンクリートをも砕く貫通力が樹流徒の額めがけて飛ぶ。

 やはり恐ろしい。樹流徒の体は前進を拒否した。敵に近付く覚悟を固めるには、いま少しの時間が必要だった。


 後方へ跳躍しながら、樹流徒は追跡してくる触手を切り落とす。着地すると靴が土にめり込んだ。足場が悪い。水田の中にいる限り樹流徒の機動力は半減するのだった。

 加えて悪い事に、最初に切断した触手が今、完全に元の姿を取り戻す。それは復活するなり樹流徒の斜め前方より襲い掛かった。


 このとき樹流徒にとって救いだったのは、触手が直線的な軌道の攻撃しか仕掛けてこないことだった。スピードが遅くても不規則な動きをされるより、ずっと回避しやすい。今回も単純に直進してきた触手を避け、ついでに爪で切断するだけの余裕があった。


 樹流徒はすかさず触手の切断面に冷気を吹きかける。そうすることで触手の再生を遅延・停止できかも知れないと考えた。

 冷気を浴びたゼラチン質の塊は(たちま)ち凍りつく。果たしてどれだけの効果が得られるのか、樹流徒にはのんびりと観察している暇が無かった。もう次の触手が緩い土の中に体を隠し、ほぼ無音で接近してくる。


 樹流徒は集中力を研ぎ澄ませた。触手の気配を感じ取り、敵が飛び出してきた瞬間素早く対応できるように身構える。全身の肌は微かな空気の乱れすら読み取ろうとしていた。


 ――キュルルルルルル


 出し抜けに耳を(つんざ)く音波が放たれる。フォルネウスの鳴き声だった。土手の雑草が頭を揺らす程の大音量が、樹流徒の集中力を削ぎ、触手が地中を進む微かな物音を隠す。


 予想外の奇襲だった。鼓膜を揺らす不快音に、樹流徒の感覚は大地に潜む敵の気配を見失う。しかも二番目に切断した触手が今再生を完了し、側面から飛び出してきた。脇腹を狙われる。

 それを何とか爪でなぎ払い、樹流徒はすかさず横に向かって駆け出した。ようやくフォルネウスに接近する覚悟が固まりつつあったが、その決意とは裏腹に樹流徒は敵から離れてゆく。真正面からフォルネウスに突っ込めば土に潜む触手の餌食にされしまうので致し方なかった。


 フォルネウスが撒き散らす不快音は途切れることなく鳴り続ける。それは魔空間の壁で反響するだけでなく、増幅しているらしかった。風の音も、樹流徒の息遣いも、彼の足が泥を跳ね上げる音も全て、悪魔の体内から発せられる異音と、それを反射し強化する青い壁によってかき消される。

 この神経を著しく乱される状況の中、更に樹流徒の気を滅入らせたのは、つい先程切断面を凍らせた触手の復活だった。その再生速度は冷気を浴びても全く衰えていない。仮に冷気の効果があったとしても、それは余りに微々たるものだった。


 苦戦が続く中、樹流徒は取り敢えず水田から出ようと考えた。コンクリートの丘に上がれば走り易くなるし、土の中を潜行して襲い来る触手に恐怖しなくて済む。

 ただ厄介なのは、触手の移動速度が樹流徒の足よりも断然速いことだった。樹流徒は道路に向かって走り出すが、殆ど距離を稼げぬ内に次の触手に追いつかれてしまう。地中を進んできた触手が足下から飛び出してきた。それは樹流徒の脛をかすめてジャージの裾を切り裂くと、そのまま足首に巻きつく。


 喫驚する間もなく、樹流徒の足首に激痛が走った。

 クラゲは刺胞と呼ばれる袋状の器官を持つ。それが獲物に触れると先ず剣状の棘を刺し、次に袋をめくるようにして内側の棘を刺してゆく。そして刺胞の中にしまわれた刺糸を突き刺し、刺胞毒を送り込むようになっている。

 果たしてフォルネウスの触手がクラゲと同じ仕組みをもっているかどうかは不明だが、樹流徒の体に何らかの攻撃を加えていることは確実だった。


「くそっ!」

 樹流徒は急いで腰を屈め、爪で触手を貫く。

 その動きを待ち構えていたかのように別の触手が土の中から飛び出してきた。標的の喉元に狙いを定めている。


 樹流徒は上体を横に傾けて回避。攻撃を外した触手が首に巻きつこうとしてきたので、すぐに切断した。

 ドッドッドッ……と、心臓が激しく胸を叩く。もし、今、視界の隅に触手の姿を捉えていなかったら、もし、あと寸秒反応が遅れていたら、喉の真ん中に風穴を開けられていただろう。殺されていた。


 足下では二本の触手が各々再生を開始している。樹流徒はそれらの復活をわずかにでも遅らせるため、今一度爪で切り裂いた。触手は再生中には身動きが取れないらしく、爪を避ける素振りを見せなかった。


 立ち上がり、樹流徒は再び走り出した。フォルネウスにはまだ動かせる触手が残っている。それらをかわしながら丘を目指さなければならなかった。

 真っ青に染まった視界。精神を乱れさせる悪魔の奇声。ぬかるむ足場。際限なく迫り来る敵の魔手……。悪夢のような光景と状況の中、樹流徒は必死に集中力を保ち続ける。


 その甲斐あってか、もがくように戦っている内、いつの間にか土手にたどり着いていた。触手をやり過ごしながら右往左往させられたとはいえ、走行距離はたかだか五十メートルにも満たなかっただろう。ただ、樹流徒にとってはやたらと長い距離に感じた。


 土手を駆け上り、ガードレールを飛び越えて道路に出る。

 樹流徒が同じ地平に立つと、フォルネウスは奇声を止め、四本の触手を全て手元に引き戻した。

 互いの位置は戦闘開始時とほぼ同じ。仕切り直しの形となった。


 樹流徒は地面を蹴る。接近戦を挑む覚悟は完全に固まっていた。この勝負に決着をつけるつもりで飛び出す。

 対するフォルネウスはすぐに迎撃の触手を二本射出した。一本は樹流徒の右足首、もう一本は心臓の真下を狙う。


 樹流徒は足を素早く前に踏み込んで、地を這う触手を踏みつけた。その勢いを利用して腕を振りぬき、もう片方の触手を爪で切断する。すかさず腰を落として、靴と地面の間に挟まれてもがく触手も断ち切った。一連の動作が流れるように行われた。

 その流れはまだ止まらない。樹流徒は立ち上がりながら火炎弾を放つ。互いの距離は相当短い。フォルネウスが攻撃を避ける暇はなかった。炎の塊はクラゲの傘の真ん中で弾け散る。


 フォルネウスは体を仰け反りながらのろのろと後退した。宙で待機していた残りの触手が、怖気づいたかのように力なく先端を折る。


 敵にトドメを刺す好機だ。今しか無い。

 そう断定した樹流徒は、迷わず相手の懐へ駆け込んだ。あとはフォルネウスの体内を爪で貫けば、きっとそれで戦いは終わる。


 ところがこの土壇場で、フォルネウスは隠し持っていた能力を発揮する。樹流徒があと五歩も前に出れば敵に一撃見舞っていたであろう、その瞬間、体内から強烈な光を放ったのだ。巨大クラゲの傘の中で明滅していた三原色の光が、突如強さを増して樹流徒の網膜に突き刺さった。


 光は数秒も経たぬ内に収まったが、樹流徒の瞳に激痛を与えた。彼は数歩後退して立ち止まり、両手で瞼の上を押さえる。目を開けられなかった。


 今度はフォルネウスの元に勝機が舞い込む。枯れた植物のように俯いていた触手が宙で身をくねらせ、息を吹き返したかのように躍動し始めた。

 フォルネウスの周囲に三つの魔法陣が同時展開する。水色の輝きを放つそれぞれの魔法陣は、六芒星の中心から先端の尖った氷塊を召喚した。氷塊はどれも人間の顔くらいの大きさを持っている。それらは樹流徒の肩、心臓、腹、を狙って一斉に飛び出した。


 まだ目を開くことができない樹流徒だったが、状況的に考えれば己の命が窮地に立たされていることは容易に想像がついた。この機をフォルネウスが見逃すはずが無い。立ちどまっていれば格好の的にされる。

 そしてもう一つ、樹流徒は頭の中でイメージできることがあった。それは敵の位置である。フォルネウスはすぐ目の前にいる。視界が真っ暗闇でも攻撃を仕掛けることは可能だった。


 思い切り腕を振るい、膝のバネを使う。命の危機を回避するため、逆転の一撃を敵に浴びせるため、樹流徒は上空に跳躍した。

 それにより樹流徒の体を貫こうとしていた三つの氷塊は狙いを大きく外す。内ニつは樹流徒の体を素通りしていった。残り一つが樹流徒の大腿部の側面をえぐったが、命を奪えるほど深い傷ではなかった。


 攻撃を受けても樹流徒は表情を変えない。頭の中でフォルネウスの姿と位置を想像することに全神経の力を結集していた。体内を走る痛みを無視して、勝利の一打をフォルネウスに命中させることだけを考える。

 次の刹那……もしこの時、樹流徒が上空から爪を突き落として敵を仕留めようとしていたら、おそらくその一撃は虚しく空を裂いていただろう。フォルネウスは外見に似合わず優れた瞬発力を持っているからだ。

 それを樹流徒は分かっていた。フォルネウスが火炎砲を回避した際の映像を、樹流徒はしっかりと記憶していた。単純に飛び込んでもきっと仕損じる、と地面を蹴ったときにはすでに判断していた。


 結果、樹流徒が次に取った行動は殆ど博打であったが、同時に、それしかないと言えるものだった。何せ火炎弾では敵を仕留める威力が無い。火炎砲では速度が足りない。爪や火柱や冷気では射程距離が不足している。

 そこまで細かなことを考えたわけではないが、空中に飛び上がった樹流徒は直感的に魔法陣を展開した。

 バリッという、耳の奥に残る乾いた音がする。円に内接する六芒星が輝き、魔界の雷が呼び出された。バフォメットが使用した能力だ。


 近距離から放たれた電撃を回避するのは、たとえフォルネウスでも不可能だったようである。実際、巨大クラゲは傘を膨らませて回避行動を取る挙動を見せたが、膨らんだ傘から勢い良く空気を吐き出そうとした時には全身に青い雷を浴びていた。

 直後には樹流徒が落下してくる。着地すると、ゼラチンの塊を踏みつけたような感触が樹流徒の足に伝わってきた。それはフォルネウスの体だった。図らずも樹流徒は敵を踏みつける格好で着地したのである。

 その衝撃で、先程フォルネウスが放った氷塊にえぐられた大腿部の傷が痛む。とんでもない激痛だった。樹流徒は前のめりに倒れて地面を横転する。


 戦いの中で精神論が役立つ時があるとすれば恐らくこういった場面なのだろう。

 コンクリートの上を転がった樹流徒は、気合で傷の痛みを押さえ込んですぐに起き上がった。目の痛みは大分引いている。何とか瞼を開ける事ができた。目の前が少しチカチカするが失明はしていない。


 すると、復活した樹流徒の視界が最初に映し出したものは、大地に横たわるフォルネウスの姿だった。

 クラゲの傘はすっかり平たくなり、触手たちは身じろぎしている。加えて傘の中に(くる)まっていた口腕が4本飛び出していた。割りとグロテスクな光景だ。


 魔界の雷はフォルネウスに対して絶大な効果を与えたようである。

 樹流徒は素早く敵に近付いた。地に片膝を落とし、クラゲの傘に爪の先端を突きつながら問う。

「今一度言うが、僕は天使の犬じゃない。お前が魔空間を解除してくれるなら命は奪わない。どうする?」

 この問いかけに対し、フォルネウスは返事をしない。死んでいるようにも見えるが、悪魔は死ぬと体が消滅して魔魂と呼ばれる赤黒い光の粒を放出する。その現象が起きていないのだから、フォルネウスはまだ生きているのだろう。


 反撃を受ける前にトドメを刺してしまうべきだろうか?

 樹流徒に迷いが生じる。


 と、そのとき。一帯の空間を覆っていたドーム型の空間が消滅し始めた。青い魔空間が、外の世界から浸食を受けているかのように、徐々に溶けてゆく。


「私は、まさかニンゲンが魔界の炎や雷を操るとは予想できなかった」

 周囲が元の光景を取り戻した頃、フォルネウスが口を開いた。口と言う部位があるかどうかは未だ不明だが、喋った。

「私は敗北を認めることにする。そして、君が天使の犬ではないという話を信じよう」

「……」

「私はキルトの名前を記憶しておくことにした。この借りはいずれ返す」

「悪魔にも借りを返すという概念はあるのか」

 樹流徒は相好を崩す。しかしすぐ真顔に戻ると立ち上がった。大腿部の傷が痛む。


「僕はもう行くが、お前をこのまま放置しても大丈夫か?」

「私はキルトの気遣いに感謝する。雷で一時的に体が痺れているだけだ。もうすぐ動けるようになる」

「そうか」

 樹流徒は一度だけ頷くと、踵を返し、思い出したように駆け出した。



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