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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔都生誕編
53/359



 現世から魔界へ……ニつの世界を繋ぐ扉を通り抜けると、次に現れたのは妖しげな熱気に包まれた悪魔倶楽部店内の様子だった。


 樹流徒が目の当たりにしたのは予想だにしない数の悪魔たち。二十体前後もの異形の生物が、全ての客席を埋め尽くしている。普通の人間が見れば卒倒してしまいそうな光景がそこにあった。この場にいる悪魔たちが店の客であることを知っている樹流徒ですら、おどろおどろしいものを感じた程である。


 ともあれ店はこれまでにない盛況ぶりを見せていた。テーブル上のキャンドル全てに火が灯されているからだろうか、店自体も明るい雰囲気を醸し出しており、樹流徒が客の数にも見慣れた頃には、辺りはいっそう賑やかで華やいで見えた。

 同時に騒々しくもあった。店のあちこちから談笑する声や獣が吠えたような奇声が絶えず飛び交っている。どこかから口笛のような音も聞こえた。余程陽気な客ばかりが集まっているのだとしても、この盛り上がり方は尋常ではない。何か特別な事情がありそうだった。


 店の入り口で立ち止まったまま、樹流徒は視線を動す。この空間を包む熱気の正体を探った。

 視線が店の奥に向かったとき、あっと声が出そうになる。

 カウンターから少し離れた場所に一人の少女が立っていた。魔界の住人たちとは一線を画した服装に身を包むその少女は、バルバトスや客たちの視線を一身に集めていた。


 詩織である。店の奥で身動き一つ取らず直立している彼女は、まるで猛獣の群れに放り込まれた草食動物もしくは人形博物館の見世物にでもなってしまったかのようだった。どうやら悪魔たちの異様な盛り上がりは、詩織が関係しているらしい。


 正確な状況が掴みきれず、樹流徒は不穏な心持ちになる。その胸中に反応したかのように、バフォメットとの戦いで負った傷がズキズキと滲むような痛みを指に伝えた。思わず(まぶた)を下ろす。


 辺りを包む騒がしさが少し落ち着いたのは、樹流徒が瞳を開いたときだった。

 それまで音無しの構えを取っていた詩織が、静かな動きを見せる。胸の前で両手の指先をそっと重ねて静かに息を吸い込むと、どういうわけか突然歌を歌い始めた。


 後悔なんてしていない

 僕たちの羽は いつか再びあの空を 埋め尽くすだろう


 ふたり明日を疑わず

 星の砂子に足を浸し 黄昏を見下ろしていた


 僕に触れる

 小さな肩 優しい指先

 別れの言葉なんて 知らなかった


 あの日 たったひとつの過ち

 愛を失った群れが 花を踏み荒らし 行進する


 君の涙は白き灰に 僕の魂は黒き塵に


 叫んでも 望んでも 虚しく通り過ぎてゆく

 必ず果たすと交わした誓い 嘆きの渦に飲み込まれる


 堕ちてゆく 流れてゆく 氷海の奈落

 穢れを知らなかった翼 業の色に染まってゆくよ


 それでも


 後悔なんてしていない

 僕たちの羽は いつか再び あの空を埋め尽くすだろう


 雲を薙ぎ払い この両手に光を


 君と 全てを 取り戻しに行こう


 だから 輪廻の果てまで 踊り明かすのさ


 背徳の宴は 今日も 続く


 いつかの場所を 見上ながら


 樹流徒の知らない、不思議な歌だった。行進曲を思わせる軽快さと、悲話・哀話の一幕を連想させる切なさが織り交ざった曲。悲しげな部分とへんに前向きな部分が混在している歌詞。全体の印象しては単に混沌としているようでもあり、非常に繊細なようでもある。そして、初めて聞く歌であるにも関わらず酷く懐かしい感じがするのだった。本当に“不思議な歌”としか言い表せない一曲だった。


 また、それを奏でる詩織の歌声は妙に曲と合っていた。決して声量があるわけでもなければ音程を取るのが抜群に上手わけでもない。なのに彼女の声は聴衆を優しく包み込み、曲調が変わると同時に彼らの魂を握り潰すような、得体の知れない力があった。


 樹流徒は、何故詩織が歌など歌っているのかという疑問も忘れて曲の余韻に浸る。

 不意に、背中に焼けるような痛みが走った。いつかどこかで感じた鈍痛だった。まるで詩織の歌声に呼応したかのように疼きだしたその痛みは、しかしすぐに消失する。


 店内はいつの間にか水を打ったように静まり返っていた。詩織の歌が始まっても談笑を続けていた悪魔たちの声はどこかで急にトーンを落とし、曲が終わった頃には誰一人として口を開いている者はいなかった。間違いなく、この場にいる全員が少女の歌に聞き入っていた。完全な静寂が訪れる。樹流徒も息の仕方を忘れた者のように口を閉ざしていた。


 沈黙を打ち破ったのは、悪魔の一体が張り上げた奇声だった。それを皮切りに他の客席からも次々と雄叫びが上がる。まるで動物園の住人たちが一斉に騒ぎ出したようだった。狭い空間の中に、はちきれんばかりの奔放なエネルギーが充満する。樹流徒が悪魔倶楽部に到着したときの熱気などとは比べ物にならなかった。


 異形たちの発する雄叫びはなかなか止もうとしない。実に奇異な光景だが、これは恐らく悪魔式の喝采だった。詩織の歌声は聴衆の心を大いに湧かせたらしい。

 一方で、詩織本人は客たちの反応が甚だ意外だったのだろう。微かに揺れ動く視線をゆっくりと店内全体へ巡らせた。それにより、入り口で佇む樹流徒の存在にようやく気付いたようである。


 やがて辺りが静けさを取り戻した時、樹流徒と詩織は互いに歩み寄った。壁際の、なるべく客席から離れた目立たない場所を選んで向かい合う。

 それでも彼らの元には客たちの意識が集まった。魔界の店で人間の男女が語り合うという一場面が余程珍しいのだろうか。もっとも、悪魔たちの視線が樹流徒と詩織に送られたのはものの数秒だった。彼らの注意はすぐにテーブル上の料理や酒へと移る。


「一体どうしたんだ? 何故君が歌を?」

 開口一番、樹流徒は詩織に尋ねた。

「“ゴモリー”に歌を唄って欲しいとお願いされたから」

 詩織はいつも通りだった。特に恥ずかしげな素振りも見せず、淡々と返答する。

「ゴモリー……誰?」

「あの客よ。アナタも知っていると思うけれど」

 詩織はそう言って客席の一つをちらと見る。

 彼女の目線を辿ると、そこには頭に冠を載せた赤い髪の女がいた。天使の犬に関する情報をくれた女性悪魔だった。彼女の隣には前回同様フタコブラクダがいる。大柄なラクダは床で腹這いになり、大口を開けて欠伸をしていた。


「あの悪魔、ゴモリーという名前なのか」

「ええ。彼女が“ニンゲンの歌声を聞いてみたい”って言うものだから……」

「なるほど。そういう話の流れだったのか」

 詩織が店の奥で一人佇んでいるのを見たときは何事かと心配したが、事情が分かって樹流徒は安心と納得を一緒に感じた。


「でも、よく断ろうと思わなかったな。仕事だから?」

 もし樹流徒が詩織の立場だったら断っていたかもしれない。正直に言えば歌は余り得意ではなかった。人前で何かをすること自体もどちらかといえば苦手だった。

 詩織は表情を変えず

「それあるけれど、“マスター”にもお願いされたから少し断りづらくて」

「マスターって、バルバトスのこと?」

「ええ。お客さんたちが彼のことをそう呼んでいるから、私も真似する事にしたの」

 詩織は首肯してから

「それよりアナタはどうだったの? 怪我をしているみたいだけれど」

 これ以上この話題を広げたくないのか、質問をする側に回る。


「大した怪我じゃないよ」

「そう。それなら良かった」

「丁度良い。今から、新しく手に入った情報を話すよ。説明が少し長くなるけど」

「その言い方だと現世で色々あったみたいね」

「ああ。実は……」

 樹流徒は、村雨病院などで体験した出来事をつぶさに報告した。


 市内中の、普段人が密集しやすい場所から市民たちの遺体が次々と消えていること。

 病院の中が魔空間になっており迷宮と化していたこと。

 地下のロッカー室で複数のラミアに襲われ、危うく命を落としかけたこと。その危機を、再開した南方によって救われたこと。

 南方と協力して病院の中を探索したこと。バフォメットとの戦闘。病院の屋上に残された魔法陣と、バフォメットが最期に残した意味深な言葉について。

 そして南方の正体が天使の犬の一員だったことと、彼から共闘の誘いを受けたこと。


 話を聞き終えた詩織は概ね全てを理解した様子だった。その上で、彼女は一つ質問をする。

「相馬君は今後天使の犬と協力するつもりなの?」

「ああ」

 樹流徒は即座に答えた。

「短時間で検討してみたんだけど、南方さんの誘いを断る理由も特に見つからないから」

 と、付け足す。

「そう」

 詩織の口から特に異論は出なかった。


「天使の犬と接触しても、悪魔倶楽部や君についてうっかり喋らないように気をつけないといけないな」

 樹流徒は自身に確認を取るように言った。

「私のことはともかく……確かにこの店のことは黙っていた方がいいわ。その組織って、悪魔を目の仇にしているのでしょう?」

「そうらしい。実際どうなのかはこの目で確かめてみないと分からないけど。とにかく僕たちが魔界に出入りできることは口外しないでおくよ」

「ええ。お願い」

 詩織は頷いた。それからすぐ、僅かに眉をひそめる。何かを心配しているような、或いは何かに対して憤っているような顔だった。


 その表情の変化を、樹流徒は見逃さない。

「どうした? 何か気になることでもあった?」

「え。違うの。ただ……」

「ただ?」

「私、戦いも情報収集も全てアナタに任せてしまっているでしょう? だから何となく引け目を感じてしまって」

 言い終えると、詩織はいつもの無表情に戻った。

「そんなこと。別に気にしなくても良いんじゃないか?」

「でも、何もできないって結構悔しいものよ?」

「気持ちは分かる。僕も魔都生誕発生直後は酷い無力感を覚えたからな」

「……」

「だけど今は状況が状況だ。誰かに頼ることは決して悪いことじゃないと思う」

「ええ、確かにそうかも知れない。私も頭では分かっているのだけれど……」

 その言葉を最後に会話が途切れ、二人の間には客の雑談と食事をする音だけが聞こえた。


 樹流徒たちのすぐ横を、三体の悪魔が連なって通り過ぎてゆく。悪魔たちは店の扉を開くと、その向こう側にある闇の中へ消えた。

 どこかから灰猫グリマルキンのバオーという野太い鳴き声が店内中に行き渡る。店を去る客に向かって「ありがとうございました。またのご来店を」とでも言ったのだろうか。


 グリマルキンの鳴き声が止むと、樹流徒が徐に口を開く。

「そういえば……」

「え」

「そういえば、君には予知能力があるんだったな」

「ええ。今のところは何も見えないけれど……。でもそれがどうかしたの?」

「これは単なる憶測に過ぎないんだけど、いつか君の力が僕たちの助けになる時がくるような気がするんだ」

「本当にただの憶測ね。でも……気を遣ってくれてありがとう」

 詩織は表情を変えることもなく機械的な口調で礼を言う。ありがとうと言う割には一見全く嬉しくなさそうだった。

 それでも少しは気恥ずかしさを感じたのか、詩織は背中の後ろに両手を回して密かに指先を軽く擦り合わせる。樹流徒の位置からはその動作が見えなかった。


 外側から店の扉が開き、漆黒の空間を抜けて一体の悪魔が姿を見せる。新しく現れた客は、店内を横切って樹流徒たちの傍も通過する。「何故こんなところに人間がいるんだ?」と言いたげな視線を二人に送ってから、カウンター席の椅子に腰を下ろした。




今回使われている歌詞は全て作者の自作ですが、もし偶然にも著作権などに引っかかってしまう箇所があった場合、事実を確認した後、ただちに問題部分を修正・削除しますので、その場合は御一報頂けると助かります。

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