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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔都生誕編
51/359

呪いと決着



 力任せに振り抜いた腕が何かにぶつかった。硬くてなめらかな手応えが樹流徒の指先に伝わってくる。分厚い金属の玉でも引っ掻いたかのような感触だった。


 それは樹流徒の爪が魔法壁に弾かれた感触だった。バフォメットは樹流徒への攻撃を外すや否や即座に魔法壁を発動して防御に転じていた。それによりバフォメットの(すね)を引き裂くはずだった樹流徒の攻撃は、無効化されてしまったのだ。結果的に両者共に攻撃を当てることができず交差する。


 樹流徒は落ち着いていた。攻撃が防がれたことに気付くと、素早く後ろを見返り敵の着地を狙って火炎弾で畳み掛ける。

 一方、着地したバフォメットは背後から襲い掛かる熱源を感知したらしい。体を反転させると片腕を盾にして火炎弾を受け止めた。真っ赤な火花が飛び散り、小さな煙を上げる。


 ほとんど間をおかず、パスンと乾いた音がしてバフォメットの首が微動した。側頭部に小さな穴が開き、黒い毛皮の隙間から青い液体が噴出する。

 敵の頭部を正確に捉えた南方の射撃だった。彼は床に倒れたままの状態で拳銃を構えている。先程バフォメットに蹴られた肩を手で押さえ、トリガーにかかった指は小刻みに震えていた。負傷した箇所が痛むのだろうか、額には微量の汗が滲んでいる。


 バフォメットの頭部から流れ出た血が床に溜まって広がる。もし、いま樹流徒たちが戦っている相手が並の悪魔だったらすでに勝負は決していただろう。しかし、バフォメットは頭を撃ち抜かれても尚、生きていた。それだけでも十分驚嘆に値するが、バフォメットは己の傷を気に止める仕草すら見せず、平然と動き続けている。そんな敵の姿に、樹流徒は驚きを通り越して軽い戦慄を覚えた。


 バフォメットが掌を南方に向けてかざし、攻撃の態勢に入る。

 その動作に(いち)早く気付いた樹流徒は急いで敵の攻撃を妨害しに向かった。神懸り的な瞬発力であっという間にバフォメットとの間合いを詰め、爪を突き出す。

 それにより、バフォメットは宙に描こうとしていた六芒星を途中で破棄した。南方への攻撃を中断して回避行動に移る。


 樹流徒の爪が空を引き裂いた。もしバフォメットが攻撃を継続していたら、今頃首を跳ね飛ばされていただろう。

 攻撃を外した樹流徒はすかさず相手を追った。バフォメットは足を止めて応戦の構えを取る。

 接近戦に入った。樹流徒が爪を繰り出せば、バフォメットも牙で襲い掛かる。互いに攻撃を紙一重のところで避け、相手の急所を狙って死の一撃を放り込んだ。毛ほどの油断も許されないめまぐるしい攻防が展開される。


 そのあいだ南方は密かに銃弾の補充を行っていた。彼は床から立ち上がると、ベストの内側に手を滑り込ませて弾を取り出す。それらを手馴れた様子でシリンダーに装填していったが、全部で六つある穴のうち四つまでしか埋まらないと

「あれ、弾切れじゃないか。参ったな」

 そう言って苦笑いをした。


 肉弾戦で先制打を奪ったのは樹流徒だった。バフォメットが掴みかかろうとしてきたところへ膝蹴りのカウンターを見舞う。狙い通りの反撃ではなかった。己の身を守ろうと必死に繰り出した足が、偶然にも綺麗に敵の懐に飛び込んだだけだった。


 バフォメットが腹を抱えて後退する。樹流徒は素早い追撃をかけた。右腕を鞭のようにしならせて、敵の首を刈り取りにかかる。

 バフォメットは深くお辞儀をして攻撃を回避すると、そのままの姿勢で頭を突き出した。後頭部に向かって曲線を描く角を、樹流徒の腹に叩きつける。


 相手の強烈な頭突きを食らった樹流徒はうっと息を吐いて体を折り曲げた。両足の裏が地面から浮いて数十センチ後方へ突き飛ばされる。バフォメットの角は見た目からして立派だったが、外見よりも遥かに重たくて硬質だった。それをぶつけられた肋骨が悲鳴を上げる。


 今度はバフォメットが追い討ちをする番だった。お辞儀の体勢を維持したまま更に突撃する。その姿は、もはや山羊と言うよりも闘牛だった。

 対する樹流徒は咄嗟に地面を蹴ってほぼ真上に逃れた。バフォメットの背中を跳び箱代わりにして倒立回転飛びを敢行する。敵の攻撃をやり過ごして着地も綺麗に決めた。


 両者は近距離で背中合わせの状態になる。

 樹流徒は即座に振り向きざまの一撃を狙った。バフォメットも動く。両者は動きをシンクロさせるように、同時に体を反転させ、互いに右腕を突き出した。

 樹流徒の爪がバフォメットの胸を、バフォメットの爪が樹流徒の左腕の付け根を、それぞれ突き刺した。どちらの攻撃も相手の体内を深く(えぐ)る。


 爪を引き抜くのも同時だった。二色の血が激しく飛び散り、床で混ざり合って不気味な色彩と模様を作り上げる。この上なく殺伐とした自然のアートが床に描かれた。


 樹流徒は傷口に焼けるような痛みを感じた。だが怯まない。怯んだ次の瞬間には命を失うことを理解していた。

 一方、バフォメットには痛覚が無いのだろうか。胸を貫かれても瞳の形や息遣いは微かにも動じず乱れない。


 相打ちの後、動き出すのが僅かに早かったのはバフォメットだった。左手をするりと伸ばして樹流徒の首根っこを掴みにかかる。

 その手は標的を通り過ぎて空気を掴んだ。樹流徒がバフォメットの攻撃をかいくぐりながら一歩前へ踏み込んだためである。

 樹流徒は敵が伸ばした腕を両手で捕まえるとすぐさま跳躍した。足を素早くバフォメットの首に絡ませて、そのまま腕ひしぎ十字固めの体勢に移行しようとする。


 バフォメットは激しく暴れて抵抗した。樹流徒が関節技を狙っていることに気付いたのか、それとも単に相手を振り落とそうとしたのか、とにかく全身を暴れさせる。


 樹流徒は、相手の凄まじい腕力に振り回されて攻撃を諦めた。膝をいっぱいに折り曲げて力を溜めてから、勢い良く伸ばす。バフォメットの横顔を蹴りつけた。暴れる相手にしがみ付きながら放った攻撃なので威力は非常に乏しい。その無力な蹴りが入ったのと同時、樹流徒はバフォメットの腕を手放した。背中から地面に落ちると、急いで体を転がして、敵との間合いを広げる。


 バフォメットは追わない。樹流徒が床を転がっているあいだに掌を前へかざして六芒星を完成させていた。そして不気味に口を歪める。今まで何度か見せた冷笑とは少し違う、歯の大部分を剥き出しにした笑みだった。


 次の刹那、バフォメットの腕から突如黒い物体が飛び出す。黒煙に良く似た何か(・・)の塊だった。

 それは生き物のようにうねうねと蛇行しながら樹流徒めがけて空中を泳いでゆく。外見に似合わず速かった。


 樹流徒は急いで立ち上がる。黒い物体はもう眼前に迫っていた。回避が間に合うかどうか非常に微妙なタイミングだったため、直感的な判断で防御を固める。


「受けるな! 呪いだ」

 すると南方が大声を出した。これまでになく張りのある声だった。


 その呼びかけもわずかに遅く、バフォメットの腕から放出された黒煙が樹流徒の元に辿り着く。

 黒煙は樹流徒を包囲したかと思いきや、音も無く彼の皮膚に染み込んでいった。危険を感じた樹流徒はすぐに後ろへ飛び退いたが、そちらの判断も一足遅く、煙を全て体内に侵入させてしまった。


「間に合わなかったか」

 南方がそう言ったときには、樹流徒の体に異変が起こる。彼の全身から(たちまち)ち自由が失われていった。電撃を浴びたときと同じように、指先すら動かせない。


 呪いだ。これは全身の動きを封じる呪いに違いない。

 樹流徒は気付いたが、分かったところで今更どうすることもできなかった。


 南方が大声を張り上げて注意を促しただけのことはあったようだ。呪いを受けた樹流徒は絶望的に不利な状況に陥った。体が動かせない上に、呼吸器官も影響をうけたのか、息をするのも苦しかった。口でハッ、ハッ、と極端に短い息を繰り返すのがやっとだった。


「その呪いは解けない。もはやオマエは生ける人形に過ぎぬ」

 バフォメットは悠々と翼を広げる。身動きひとつ取れなくなった獲物を正面に見据えたまま、低空飛行で後方へ下がった。

 一体何をする気だ? 樹流徒は開きっぱなしの瞳で、遠ざかるバフォメットの姿を追う。


 出し抜けに銃声が一回鳴り響いた。南方の射撃精度はこの状況においても衰えていない。リボルバー拳銃から飛び出した弾が正確にバフォメットの頭部へ向って飛んだ。

 バフォメットは空中でぴたりと停止すると、魔法壁で全身を覆って弾丸の接近を阻む。それから腕組みをして真上に浮上していった。地上の樹流徒からバフォメットの姿が空き缶程度の大きさに見える高さで静止する。


「ヤバいな。キルト君に向かって突進する気だ」

 そうはさせまいとしたのだろう。南方は再びバフォメットに銃を向ける動きを見せた。

 しかし、腕が上がらない。銃を握り締めた南方の手は胸の高さまで持ち上げられたが、そこで震えて止まってしまった。どうやらバフォメットに蹴られた肩の状態はそれなりに深刻らしい。


 二人が何も手を打てないまま、とうとうバフォメットが上空高くから弾き出された。鋭利な足の爪を樹流徒に向けて急降下を開始する。

 先刻見せた突進とは比べ物にならない速度だった。まるでバフォメット自身が一発の巨大な砲弾のようである。落下距離の長さも合わさって、最終的に恐ろしい威力が生まれるのは想像に容易かった。きっと攻撃を受けた者はひとたまりもないだろう。


 絶望的な瞬間を待ち受ける樹流徒は、恐怖で凍りついたように微動たりともしない。当然だった。全身の動きを封じられる呪いにかかってしまっているのだ。なす術も無く攻撃の的になるしかない。

 おそらくバフォメットも南方もそう確信していた。樹流徒の命運はもう尽きたと信じて疑わなかったはずである。


 ところが、現実は違った。

 一体どういうわけか、呪いによって動きを封じられたはずの樹流徒は、すでに全身の自由を取り戻していたのである。バフォメットが浮上している最中に突然呼吸が楽になり、次に手足の指先が動くようになった。さらにバフォメットが空高く静止した時には全身の神経に脳の指令が行き渡り、完全に呪いの影響から脱していた。


 バフォメットが「解けない」と断言していた呪いの効果がなぜ消えてしまったのか、それは分からない。が、これはまたとないチャンスだった。


 バフォメットは呪いの効力が続いていると思い違いをしている。ならばこのまま動けないフリを続けよう。あたかも呼吸が苦しそうな演技も続けて、バフォメットの迂闊な攻撃を誘う。そして無防備に突っ込んでくる相手にカウンターの一撃を食らわせる。

 呪いが解けた直後から、樹流徒はそう考えていた。


 狙い通り、バフォメットは樹流徒めがけてまっすぐ突進する。反撃を受ける可能性などこれっぽっちも想定していない豪快な突撃だった。恐らく、意識の全てを攻撃に集中させている。


 樹流徒は敵の胸に狙いをつけた。ギリギリまで引きつけて、引きつけて、神経を研ぎ澄ませて渾身の一撃を放つ。もしタイミングを誤れば大惨事になるだろう。「ここはカウンターではなく攻撃を回避した方が良いのではないか?」という弱気な自分の声が頭の中で響いたが、それを「黙れ」と一喝した。


 南方は無表情に近い顔で成り行きを見守っていた。或いはもう既に樹流徒がやられた後のことを考えているのかも知れない。


 そして遂に、両者が激突する。

 グシャっと生々しい音がした。これほどまで大きくて生々しい音は現世には存在しないかも知れない。そう思えるほど派手な音だった。

 今まで寸秒も冷静さを失わなかった悪魔の表情が僅かに緩む。敵にトドメを刺したと思ったのだろう。

 しかし、その顔は更に次の瞬間、驚愕に変わった。


 樹流徒の爪は、狙いよりも少し下に()れたが、敵の腹を見事に貫通していた。爪どころか手首の辺りまでめり込んでいる。樹流徒が腕を突き出す力とバフォメットの突進がまともにぶつかり合った際の、衝撃の強さを如実に物語っていた。


 激しい衝突は樹流徒をも無傷では済まさない。バフォメットの体を貫いた五本の指は親指以外全て折れていた。痛めたのは指だけではない。肩も外れている。

 樹流徒は激痛にうっと声を漏らしながらながら後退した。足腰の力でバフォメットの体から手を強引に引き抜く。


 バフォメットはゴホッと咳を発して、口と腹から大量の血液を飛び散らせた。

「オマエ……呪……食らっ……なぜ……?」

 そして開きっぱなしの口から途切れ途切れに言葉を吐き出す。黄金に輝くひし形の瞳孔で樹流徒を睨みつけた。呪いを受けたにもかかわらずなぜ樹流徒が動けるのか、それが信じられない様子だ。


 樹流徒はバフォメットの疑問に対する答えを持ち合わせていなかった。今、彼が分かっているのは、敵にトドメを刺す好機が巡って来たということだけだった。


 ただ、バフォメットを殺してしまうと、同時に相手の口を封じてしまうことにもなる。

 樹流徒はバフォメットを倒す前に話を聞きたかった。場合によっては、そもそもこの悪魔に止めを刺す必要も無いのだ。

「バフォメット! ここで何をしていたのか言え。答え次第では今からでも戦いを中断できる」

 樹流徒は激しい口調で詰問する。


 バフォメットはクククと愉快そうな笑い声を上げた。何も知らない人間を憐れむような、挑発するような嘲笑だった。質問に答える気は無いらしい。

「あの態度からして、何かよからぬことを企んでいたのは間違いなさそうだね」

 と、南方。


 樹流徒はすっと息を吸って肺に溜めた。棒立ちになっている敵の傷口に向かって毒の液体を吹きかける。“毒霧”だ。半人半蛇の悪魔ラミアから得た毒液の能力である。

 バフォメットの胴体からブスブスと毒の染み込む音が鳴る。ウウウと短く唸って、バフォメットはその場に両膝を着いた。毒霧に如何ほどの効果があったか推し量るまでもない。


 続けて南方が拳銃に残った弾を全て解き放った。敵の頭部、腕、脇腹と……上体を満遍(まんべん)なく撃ち抜く。

 これで合計何発の銃弾を浴びただろうか。それでもまだバフォメット死なない。信じられない生命力だった。これまで樹流徒が遭遇してきた悪魔の中でも群を抜いていた。


 バフォメットは反撃に出る。異形の手が魔法陣を出現させた。

 樹流徒は急いで回避行動を取るが、間に合わない。魔法陣から放たれた雷を至近距離で浴びた。全身が痺れる。決して油断していたわけではないが、バフォメットから情報を引き出せる余地がまだ残っている気がして、敵にトドメを刺す決断ができなかった。それが災いして反撃を受けてしまった。


「なんてしぶといヤツ」

 南方が呆れたような感心したような声を出す。

 バフォメットが震える腕を高々と掲げた。手の爪が天の光を受けて怪しく輝く。樹流徒の顔面を目標に定めたようだ。

 南方が懐に隠し持っていたナイフを投げつけた。その攻撃に反応したバフォメットは満身創痍でありながら凄まじい集中力を発揮する。魔法壁を展開して投げナイフを弾き返した。


 樹流徒は瞼を下ろす事すらできない。電撃の効果が持続しているため、今度こそ本当に動けなかった。頭上ではバフォメットの鋭利な爪が輝いている。このままでは大きな手傷を負わされるのは必至だった。


 だが……悪魔の腕が振り下ろされることは無かった。異形の爪は天を指したまま固まっている。

 バフォメットはようやく力尽きたようだ。


 樹流徒の体が痺れから解放される。先ほど反撃を受けてしまったこともあって、今度は念のためバフォメットの首を切り落とした。

「憎き天使の犬めが。だが“ひとつ目”はもう……私は既に目的を果たした。私の……勝ちだ」

 黒山羊の頭部は最期にそのような謎めいた言葉を残し、足下から崩れてゆく。

 やがて崩壊した体は赤黒い光の粒・魔魂と化して、宙を漂った。




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